バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記14 そんなことどうでもいいよ

2019-12-26 10:46:48 | バリ記
2000年3月3日
そんなこと、どうでもいいよ


 バリ島は、「神々の島」とか「劇場国家」と呼ばれたりする。リゾート地としての雰囲気は世界最高の部類に入るかも知れない。
しかしながら、経済生活的な観点から眺めると、その段階は日本の昭和三十年代くらいではないかと思うことが多い。
 馬鹿にしていっているのではない。
 例えば、日本でこれから何かビジネスを起こそうとか店を持とうと思った場合、既存のものが多すぎて入り込む余地がないように思える。バリ島では、経済的スケールが小さすぎるのか、まだまだ日本にあって、バリ島にはないもの、付加価値やサービス、情報に対する意識が人々には薄い。
 例えばジャムー(インドネシア伝統サプリのようなもの)が良い例だ。ジャムーはジャムーの専門店やデパート、スーパーにも売っている。しかし、我々外国人はどれを買えばよいのかわからない。そこに情報がオンされていないのである。2日か3日もあれば、なんとかして日本人を探し、協力をお願いすれば、簡単な使用法くらいは作れるはずだ。お金を欲しいと言いながらも、そういう価値のつけ方をしらない。

 極端に言えば「そんなことなんか、どうでもいいよ」とバリの文化そのものが言っているように思える時がある。つまり、バリ・ヒンズー教に基づく村落共同体が、そんなことを考える時間など与えられないよというくらい行事で忙しいのと、働く人の役割が1つ1つ細かく分断されていて、1つの与えられたことを忠実にすることが和を乱さない、共同体のあり方だという風に習慣づいているのではないかと思えるのだ。
 バリ島に観光という産業が入ってきてから、その産業だけはインターナショナル価格でやれるものだから、そこはたくましく知恵を使っていかに高くつけようかと考える。しかし、値段交渉のからくりはすぐにばれてしまい、高度に情報のようなものを付加してたらし込むというような技術を持っていないのである。僕のような外国人につけ入られるスキがいっぱいあるのだ。
 
 しかし、バリ島もいつの日にかスキマがないほど物や情報やサービスで埋められる日が来るのだろう。昨年までのインドネシア危機がやや小休止し、又一歩ずつ階段を上り始めたような感じがある。ニ次産業、三次産業へとむかうのは、村落共同体との確執なくしてあり得ない。僕らの会社の30代の発言にちょっとだけ確執の時代が来ることを感じることがある。

バリ記13 ああ、マッサージ

2019-12-25 10:42:41 | 私の英語講習
2000年3月2日
ああ、マッサージ


 「オカ、今度の店のスタッフは集まったかい?」
と、5日から始まる面接を心配して、バリに着くなり僕は、バリのマネージャーであるオカ(名前はオカでもバリ人)に聞くと
「ノット、イエット。殆どがジャワからの女性で、バリ人は2~3人。全部で18人」と答えた。
不思議な答えだったので、
「どうしてジャワの人が多いんだい?」と聞き返すと
「マッサージの仕事には、バリ人は来ない。」と言う。
「どうしてだい?」
「イメージ!マッサージというと売春をイメージするんだ」
「ええっ!なぜ、そんな大事なことを僕は今日知るんだ。募集広告には、なんてかいたんだい?」
「エステっていう言葉は、バリ人はわからないし、バリニーズマッサージという言葉を使ったから、たぶんバリ人は敬遠したのだと思う」

 僕は、オカの気の利かなさを嘆き、あぁ、こういうところにもイメージの違いがあるのかと、またひとつバリを知ることになった。
5つ星のホテルでは、部屋に来てくれるマッサージサービスがある。日本にもある。僕もマッサージを頼んだことがある。
 「それじゃぁ、オカ、僕はバロンコテッジ(1泊3千円くらいの安いホテル)で、マッサージを頼んだことがあるけど、マッサージにきた女性はセックスにも応じるのかい?とてもそんな風に見えなかったけど。」
「ケース バイ ケースだけど、前もって、ホテルにそう言えば、応じると思うけど…」
会社の他のスタッフもオカに同意する。みんな、マッサージはよろしくない職業と考えているようだ。
観光客相手のマッサージ兼セックスプロバイダーが元締めでいるらしい。
 
 僕は、エステの店を立ち上げたら、小さなホテルにもマッサージの要望があれば派遣するつもりだったので、この会話でこの計画にブレーキをかけてしまった。
 そう言えば、サヌールのバリ・ハイアットに泊まった時、海辺で女性が近づいてきて、マッサージをしないか、と誘われたことがあり、マッサージをしてもらいながら、セックスはどうか、と誘われたことがあるのを思い出した。僕は、あれは特別なことだと思っていた。また、昨年、メリア・バリに泊まった時、マッサージを頼んだら、二人の女性がやってきて、部屋に僕の妻がいることを確めてから一人が帰ってしまったことがある。
 もしかしたら、防衛のためかも知れない。マッサージ=セックスと勘違いしている男もいるかも知れないし、マッサージ中、男がその女性にしつこく交渉を始めるかも知れない。
ここ三、四年でエステの店が雨後の竹の子のように増えた。しかし、エステという短縮形の日本語は、バリに定着していない。さて、どうやって良い人材を集めるか。思わぬ障壁である。
広告の出しなおし。しかし、スタッフのトレーニング開始は八日である。あと一週間。うまくいくのやら。


バリ記12 子宮の村・核家族化

2019-12-24 10:39:13 | バリ記
ているのではない。本当に不思議な共同幻想である。

2000年1月19日
子宮の村
バリ島の隣りにある島、ロンボク島が不穏だ。キリスト教の教会が、次々と焼き打ちされ、昨日は中国人たちの店が略奪され商品などが焼かれた。
先だってバリ島では、扇動者が入ってきて暴動が起こるよう仕掛ける恐れがあることから、インフルエンザのように伝染してゆく、政治的、宗教的対立を食い止めようとあの手この手で守ろうとしている。
最近ロンボク島が人気上昇中だったところで、この騒ぎだ。
バリの住民も今回は、東ティモールやアチェなどとは違う動揺の仕方をしている。誰に聞いても心配度が高まっている。
最近ボーイフレンドができて、ウキウキしていたブックツリーのスタッフ、ロティはショックだった。彼が軍人だったため、ロンボクへ派遣されたのだ。毎日電話でやりとりをしているようだが、ロンボクの暴動は激化しつつあることから、心配でしようがない。
「インドネシアジン、セイフノホウリツ シンジテイナイ。ビレッジノホウリツ、キビシイ。ダケド ビレッジのホウリツ ノ ホウ シンヨウ スル。シガラジャ ニ カエリタイ、 ダケド イマハ クタ デ コトバ ベンキョウ デキル。」とホテルの従業員のマデは言う。村の中で、村の人々の間でワイワイガヤガヤと生きてゆくことの楽しさと平和に吸いよせられている。村が温もりのある第二の子宮のように思っているようなのだ。

2000年1月20日
核家族化


 家を出て、核家族として暮らすこと。これがほとんどの若い夫婦の希望である。お金さえ貯まれば、彼らはまずそれをしたい。家を借りる場合もあれば、立てる場合もある。
 日本のように急速な経済成長をすれば、彼らの希望も現実のものとなるのだが、この2年、バリではつまづいている。物価は4倍になり、失業率が高まり、青息吐息の状態である。
若い二十代、三十代の夫婦は、子供たちを大学に行かせたい思っている。
 だから、ウブドやギャニャールからでも給料面で待遇がよかったら、一時間かかってでも、レギャンまで働きにくる。共働きの女性として同様である。交通手段については知恵を出し合い、例えば、僕らのスタッフのダユという女性の場合なら、ギャニャールからサヌールのプトゥの家まで三十分かかってバイクできて、プトゥに車で会社まで二~三十分、という風に。帰りは、プトゥの仕事が遅くなったとしても待っていなければならない。それでもである。お金を貯めて、親の家を出たいのである。

 アメリカや日本のように、ローンをしてでも払えていける裏づけとなる経済成長があれば、なんとかなっていくのだが。宗教的な事情、村の掟などから、効率の良い経済活動はやりにくいから、彼らの希望は容易には達成されないだろう。希望があってもしかたなしと、耐えてゆかなければならない。
親の家を出たいのは、自分たちに割り当てられる敷地内のスペースが少なく限られているからだ。
長男坊は、出たい希望があっても親の老後の面倒を見る、という習慣があるから、余計難しい。
 バリは、停滞の気分が漂っている。外国からの投資を待つ気分も強い。できる限り、外国の資本でではなくて、自国資本で産業を創出し、雇用を増やしたいところだが、うまくやれないところがある。
 バリ人の多くのオーナーは、仕事に精を出さず、セレモニーなどに忙しい。働く人と共に豊かになっていこうという気分も見受けられない。
 高度経済成長は、夢のまた夢のように思える。


バリ記19 研修始まる

2019-12-23 11:11:42 | バリ記
2000年3月11日
研修始まる


 エステで働いてくれるスタッフがほぼ集まり、研修がスタートした。九日から日本語と英語の研修もスタートした。
 一ヶ月で必要な日本語と英語を教え込むのに、バリに来る前にテキストを作成した。エステの経験がないので、想像だけで作るのである。
 また必要な言葉だけを覚える、というのは無理がある。契機がないと憶えれるものではない。
そこで、僕が言った言葉を身振りする方法で30分ぐらい行う。例えば、
「手を伸ばしてください。」と僕が言うと、みんなは始めは何て言っているのかわからないのだが、何度も言い最後には手を伸ばす動作を示すと、「Te o nobashite kudasai」は「手を伸ばせと言っているんだ」と理解する。「右手を上げてください。」「左手を上げてください。」「両手をおろしてください。」「おかけください。」などなど、一日に十ほどの訓練をする。三十日すれば三百の聞き取りができるようになるはずである。
 次のコーナーでは役割練習を行う。電話や受付、応対などの練習をする。
つづいて「ひらがな」の読み方と書き方を指導し、関連単語をおぼえさせるのである。
インドネシア語は一切使わず、日本語と英語で同時に行う。
スタッフは二十代と三十代の女性ばかり。バリ出身者、ジャワ出身者。熱心で外国語をキャッチする感覚は日本人は及ばないように思う。言葉は耳から、ということをよく知っているのだと思う。2時間の集中レッスンは大変だろうが、みんなよく頑張っている。
ここまでスタッフを育成してゆくエステの店はないと思うから、たぶん彼女たちの村ではきっと良さそうな会社だと噂しているに違いない。
 バリでは噂は一日で広まるから、この波及方法を知っておくことが後々のために大切だ。
このホームページを見て、自分もエステ・マッサージを習いたいという申し出があったMさんがたいへんな助っ人で、僕の時間がすっかり空くことになり、今日はザ・レギャンというホテルとオベロイに僕らが作ったバリの花から作った香水を売り込みに言った。
 
 オベロイには何度か泊まり、好きなホテルのひとつだがザ・レギャンはオベロイよりも広々した感じはないが、ずっと現代的なホテルである。フロントからプールと海の境界がなく、波の向こうにさざめき立っている。波の音が遠くでするのではない。近くでするのだ。そこはオベロイと同じである。71室全部スウィートということだ。
「やっぱりバリにはリゾートで来なくては・・・」などと思う。

2000年3月12日
今日はゆっくり


 今日は、バリ島は朝から小雨が降り、昼になっても止みそうにもない気配だ。レギャン通り沿いにあるホテルのレストランで朝食をとっていると通りの雨の風景がおもしろい。
新聞売りの少年達は帽子だけをかぶり、雨の中を客を見つけるのに忙しい。傘をさして歩いているのは観光客だけだ。
 ちょうど日本の梅雨のようだ。もしかしたら、もうじき雨季が明けるのかもしれない。
久しぶりに今日は日曜日なのでゆっくりしている。
ちょっと頭に思い浮かび、興味があるとホテルのオーナーやスタッフに聞く。そして、またあれこれと思い浮かべる。
 例えば、バリの三大神ブラーマ(誕生の神)、ウィヌス(創造の神)、シワ(破壊の神)、この三神が調和して世界は守られるという。その象徴として何かがあるのだろうか、と思うと聞きにいく。すると、どの家にも三神の調和を表すオムカラというシンボルマークがあるのだ。キリスト教の十字架みたいなものだろうか。
例えば、バリの女性は、髪を洗うとき、どうするのだろうかと思う。すると、まず、ココナッツオイルで10分ほど髪と頭皮をマッサージし、次にシャンプーをし、洗い流して終わりだそうだ。ココナッツオイルの代わりに、ハイビスカスの葉をつぶして液をつくり、それを髪にふりかけマッサージするのだそうだ。
こういう一日は楽しい。人の声、鳥の声、雨音、ムッとする草いきれの匂い、目に入る涼しげな花。
ぜいたくな時間と空間である。

バリ記11

2019-12-23 10:34:46 | バリ記
2000年1月18日
悪霊


 例えば、アクエリアスホテルの場合、レギャン通りに面してホテルがあるにもかかわらず、通りからホテル内が見えないようにしている。わざと木や障害物を作り、見えないようにするのだ。これがあるために、ホテルなのか何なのかわからない。
クタ・パラディソもやはり通り沿いにフェンスがあって、車の出入り口が、そのフェンスの両横にあり、ホテルの玄関はちょうどフェンスの裏側になる。通りからは、玄関は見えない。
アクエリアスのオーナーに、あの植物や階段(フェンスになっている)をとってしまったら、ホテルとよくわかるのでないか、と言ったところ、笑いながら、「ノー、ノー」と言う。悪霊が入ってくるのを、その障害物が防ぐのだと言う。

 NHKのバリ特集で、ウブドの宮殿に入るところがあったが、門扉を開くと壁のような障害物があり、そこにランダの石彫があった。奥に進み、また扉をあけるとランダがいた。
 これは、単なる宮殿だけでなく、住居としての建物の場合、風水的な発想が信じられているのである。アクエリアスのオーナーは、ホテルの敷地内に住んでいるからそうなるのだろう。
たとえ、オーナーは住んでいなくても、大切な命を一時にせよ預かるのだから、ホテルも一様に同じである。僕らの方から見れば、何と非効率な、と思ってしまうが、彼らにしても本当はよくわからなく、そう言われているから、という説明になるのだろうが、これを科学的に証明してしまう日が来るかも知れないと思っているので(例えば、磁場の関係とか)彼らが正しいのかもしれないから、笑って、そうか、そうかとうなづくだけである。

 今日もまた推測に過ぎないが、バリならバリという島で、昔から信じられて行われているものは多く、その土地の”地球上の位置”そこから生ずる地理的風土と関係しているかもしれない。
 いつでも西方浄土に行けるように、西側をあけておくとか、北枕は死んだ時にするものだとか、日本にもいろいろな信じ方、言われ方があるが、それは宇宙の中の地球の自転や公転、対極のことなどから、なんとなくそこに生きる人々は知ってきたのかも知れない。
本当の理由こそわからないが、なんとなく感じ、知ってきた目に見えない力を、例えば一つの例として「悪霊」などと呼んだ。

 誰が気づき、誰が言い始めたのか、人間の生活の積み重ねとして、現在に至っている。
 不思議としか言い様がない。本当の理由はわからないのに信じつづけるということがである。馬鹿にしているのではない。本当に不思議な共同幻想である。