【論争の始まり】
論争(ろんそう)の始まりは
エデンの園のアダムとエバが
「私は正しい」と主張し始めたところ
から始まった。
主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは
園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。
それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
(創世記2章16-17節)
人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、
木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。
そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんという
ことをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだました
のです。それでわたしは食べました」
(創世記3章12-13節)
論争は、神様の恵みから外れた 傷ついた自尊心の
上に声を張り上げているところにあるのだけれども
自分が正しいと思い込んで心崩して(こころくずして)
いる状態におこるものである
私が私の心を守るには何にフォーカスを向けるのかを
命の泉の番人として見極めて 神様の義に従って行か
なければならない・・・
論争したくなる時は、一拍(いっぱく)置いて
気おつけられるようにと心がけよう
ハレルヤ エーメン
[ボイスプログ]筑波福音基督教会
(中国語/日本語 礼拝)更新
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