備忘録

忘れないための頭の中のメモ帳

間違った言葉を出したら、素直に謝る

2024-03-02 00:00:00 | 
  • 一日を終わるときに、その日に話したことを音声で聞かされたとしても、何とか安らかな眠りにつける状態まで努力すればよいのです。

 

  • ここで問題になるのは、言葉で特に他人を傷つけた場合です。相手の心に何年も何年も残っているようなことで、言った本人も、実は反省していることがよくあります。その場、あるいは翌日、または一週間以上たってから、反省していることは多くあるのですが、自分が心を改めた、考え方を変えたということを、どうしても語れない人がほとんどです。悲しいことに、九割以上の人がそうなのです。

 

  • たいていは言葉で嫌われていると思います。不用意に出した言葉が原因となって、他人から嫌われているのです。それが一言ぐらいなら許されても、二回、三回、四回と続いたら、他人はもう許してくれなくなります。

 

  • 他人から嫌われていると思うような人は、実際は、他人を傷つけるようなことを言ったことがある人なのです。他人を傷つけたり、他人の感情を害したりしています。そして、害していることに対して、何もアクションを起こしていないのです。

 

  • そうであるならば、「私はあのとき、本当に間違っていました」と相手に言えば、そんな悩みは、ほんの数分で終わるのです。謝ってくる人に鞭を打てるような非情な人は、それほどはいません。

 

  • 自分にとっての長年の苦しみだと思っていることというのは、実はプライドで引っ掛かっているだけのことがあります。

 

  • 「上司が自分をいじめ続ける」などと思っていても、何のことはない、実際は自分のほうが言うことを聞かずに、なんだかんだと生意気に反抗したり、仕事をしなかったりしているわけです。そのようなことが引っ掛かっているだけのことであって、態度を改めて「申し訳ございませんでした」と言えば、もうそれで済むようなことを、‟永遠の地獄”をして自分でつくり出しているのです。

 

  • 地獄霊たちは特にそうです。「絶対に反省しない」と頑張っています。「絶対に認めない。俺は悪くない!」と言い切っています。こういう者に対しては、「ずっとそこにいなさい」という以外にありません。「申し訳ありませんでした」という反省が、彼らにはできないのです。

 

  • 間違ったと思ったら、素直に「ごめんなさい」という気持ちを出さなければならないのです。これだけのことで、どれほど幸福になるか分かりません。

 

  • 人の感情を害したと思ったら、もし、それが誤解によるものであったとしても、自分を縁として起きたことであるならば、「それは自分の表現の仕方が悪かった」と素直に認めるぐらいの度量はいるでしょう。

 

  • 真意とは違っていることがあったとしても、誤解されたのであれば、そのコミュニケーションの仕方に問題があったということですから、その部分は認めなければいけません。

 

  • 最低限、その部分については反省しなければいけません。

 

 

『真説・八正道』 第4章 正語



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