- この経文(『仏説・盂蘭盆経(うらぼんきょう)』では、釈迦の十大弟子の一人である大目連(マハーマウドガリヤーヤナ)が主人公です。
- 大目連は神通力(じんつうりき)を身につけ、霊界のことが分かるようになりました。そして、あるとき、「私の母は、亡くなったあと、いったいどうなっているのだろうか」ということが気になって、霊視能力、透視能力でもって、亡くなった母親を捜してみました。ところが、天上界のどこを捜してもいないのです。
- 「おかしいな。どうしていないのだろうか」と思った大目連は、まさかとは思いましたが、今度は地獄界のほうを見てみました。すると、あにはからんや、彼の母親は餓鬼道に堕ち、骨と皮のようになってしまっていました。何も食べられず、やせ細って、餓鬼の姿になっていたのです。
- 大目連は、「哀れ、わが母よ。なんというお姿になっているのか。いったい、なぜ、そんなことになってしまったのか」と思い、こみ上げる涙を抑えることができませんでした。
- そして、お茶碗一杯のご飯をよそい、それを、餓鬼道に堕ちた母の所に、神通力によって届けました。
- しかし、母親が、そのお椀を左手に取り、右手でご飯を食べようとすると、それはたちまち燃え上がり、炭になってしまったのです。
- 「なぜ、こんなことになるのだろうか」と、不思議に思った大目連は、仏陀に、「母が地獄でお腹をすかせていたので、ご飯を供養したのですが、燃え上がり、炭になってしまいました。どうしてでしょうか」と尋ねました。
- すると、仏陀は、「マハーマウドガリヤーヤナよ。おまえが供養したものは、母親が食べようとすると、燃え上がってしまい、食べることができなかった。しかし、おまえだけが母親を救えないのではない。天界のあらゆる神々が努力しても、おまえの母親を救うことはできないであろう。なぜならば、おまえの母親は、生前、非常に吝嗇(りんしょく)であったからだ」と答えたのです。
- 吝嗇とは、物惜しみをすること、ケチなことです。
- 大目連の母親は、たとえば、お坊さんが来ても布施をしなかったのです。「働きもしないで、乞食ばかりしているような坊さんに、何の値打ちがあるか」と、棒で追い払ったりしました。
- また、彼女は、隣近所の犬や家畜などの動物を棒で叩いたりするという、非常にむごいこともしています。殺生の心も持っていたのです。
- そのために地獄に堕ちているのであって、大目連の力でも、あるいは天神の力でも、それを救うことはできないと仏陀は言ったのです。
- 「お前の母は、生前なしたことによって、そうなっているのであり、たとえ、子供であるおまえが、わが弟子となり、悟って神通力を持ったとしても、母を救うことはできないのだ」と仏陀は語りました。
- 要するに、仏陀は「因果の理法」について話をしているのです。
- 大目連は仏陀に訊きました。「世尊、因果の理法については、よく分かりました。しかし、このままでは、あまりにも母が哀れです。どうにかして救ってあげたいのです。何か方法はございませんでしょうか」
- すると、仏陀は次のように答えました。「それならば、一つだけ方法を教えよう。『自恣(じし)』のときに、花や食べ物を供え、大勢の比丘で声を合わせて、亡くなったものを供養し、その幸福を祈ってやれば、救うことができる」
- これを「盂蘭盆」といい、これがお盆の起源と言われているのです。
『仏説・願文「先祖供養経」講義』