
半世紀前、大学生のころの蟷螂の日常は、通学のかたわら浅草六区の親父の店で、中華鍋を振ったりウェイターをしたりの日々を送っていました。
そこそこ店のバイトで小遣いを稼いでいましたが、なにしろ親父が学費を出し渋るので、バイトで稼いだ金はそのまま大学へ納付です。
親父がいきなり店をビルに建て替えると言い出し、いやな予感がしたのはその頃です。
祖母(親父の養母)が亡くなって直ぐのことでした。
祖母が死ぬのを待っていたように田原町の家を改築し、他人に貸すというのです。
自分の居所が無くなる気がしました。
第一唯一の収入源がなくなるということは、小遣いどころか学費さえ払えません。
そこで一大決心をしてバイトをすることにしました。
家が水商売だったので、近くのジャズ喫茶でウェイターを募集している看板を見て応募。
ジャズはそこそこ好きだったし。
しかし・・・レコードには一切手を触れさせてもらえない上、カウンターのお姉さんと反りが合わずに3か月で退職。
そもそもコーヒーを飲むと胃の具合が悪くなる蟷螂にとって、喫茶店は向いていなかった。
次に門を叩いたのは洋菓子店の皿洗い。
親父の店で小学校2年生時から手伝って鍛えた皿洗いのテクニックを披露しましたが、やがて親父のビルが建ち、再び学生と店の手伝いの二重生活が始まりました。
特に大晦日の貫徹の手伝いは苛烈を極めました。
ビルの建築費を少しでも回収しようと考えたのでしょう。
夜8時に店へ行き、朝の6時までの仕事は死ぬのではないかと思われるほどキツかった。
オールナイトの映画がはねるとどっと客が流れ込んできて、店内は阿鼻叫喚。
厨房は親父ひとり、フロアは蟷螂ひとり。
60席の客を相手にするのは多勢に超無勢。
6時を待たずに藁半紙に『準備中』と書いてガラス扉に貼り、ギブアップしたこともありました。
おそらくあの仕事でイノチを削り、脳内ホルモンのバランスが崩れて、入眠障害になったのかもしれません。
また、浅草という土地柄のせいか、店を訪れる客の素性も多彩でした。
ある日の閉店間際の客は、目つきが鋭く、鉢の開いた五分刈り頭でトレンチの襟を立て、熱燗を舐めながら六区の映画館通りを見つめていました。
『お客さん、そろそろ』
『もう10分ほど待ってくれ』
『でも』
『さっき網走から帰って来たばかりなんだ』
なんだか聞いてはいけないことを聞いたような気がした蟷螂は口を噤み、客の気が済むまで待ちした。
毎日のように昼にカレーを食べにくる若い男がいました。
派手なアロハを着ていたので、その筋のハンピラとばかり思っていましたが、カレーを食べに来ていたある夏の日、蟷螂に面と向かい、
『いろいろお世話になりました。ようやく由利先生(由利徹)に弟子入りを認められましたので、明日からお伺いすることができません。これまでありがとうございました』と、ペコリと頭を下げて立ち去りました。
ただ、カレーを提供していただけなのにと、蟷螂はあっけにとられましたが、あの時のコメディアン志望の青年は、その後どうなったでしょう。
オカマちゃんの一団が店の一郭を占拠していた時期もありました。
その一団の中に、年少(少年院)帰りのスズメちゃんという名の、テンションの高いオカマちゃんがいました。
幾度となく手を握られて迫られましたが、そちらの趣味の全くない蟷螂は、相手にしませんでした。
ところで・・・建てたビルでは風呂は親父の部屋のある階のみにあり、仕方なく蟷螂は住み込みの店員と一緒に、毎晩銭湯(ひさご湯)に通いました。
その銭湯の帰り道、薄暗い路地の両側にスカートの裾をたくし上げて美脚?をひけらかすオカマがズラっと勢揃いしている様は異様であり、かつ圧巻?でした。
カマパンです。
『お兄さん、遊ばない?』
と、風呂帰りの蟷螂に声をかけてきますが、ガン無視です。
『この前は無視されちゃった~』
店へ来たスズメちゃんに、恨みがましい視線を向けられた事は、一度や二度ではありませんでした。
やがて彼らは一斉に検挙され、店からオカマの姿が消えました。
いったい罪状はなんだったのでしょう。
でも、DXマツコより遥かに心のきれいな、純真無垢?なオカマちゃん達であったことだけは間違いありません。
その後大学をなんとか卒業しましたが、出席日数も少なく劣等生のレッテルが心の芯まで染みついた蟷螂に、まともな就職先などありませんでした。
いずれ店を継ぐのかなと思っていましたが、とりあえずどこかで働かなければなりません。
六区の映画館通りには数々のストリップ劇場があり、とりわけメジャーな劇場はロック座です。
ある日、ロック座の前を通りかかると、マジックで『照明係募集』と殴り書きされた看板が蟷螂の目に飛び込みました。
『これしかない!』
趣味?と実益を兼ねた仕事だ!
学卒だったら舞台の台本を書く機会もあるかもしれない。
将来は放送作家だ!
意を決して愚母に話すと、『ロック座の女座長の背中には、ヤクザに袈裟懸けに切られた刀傷があるのを知っているか』と諭されビビった蟷螂は、社員50人ほどの小さな出版社へ放り込まれました。
親父はあの『キヨシ』と顔なじみなほどのストリップマニア、もしロック座の照明係になっていたら、生まれて初めて褒められるかもしれなかったと考えると、今になって少し後悔しています。
まだまだ浅草の思い出は数知れずありますが、またの機会に…