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1月5日(土)放送の「古舘トーキングヒストリー~幕末最大の謎 坂本龍馬暗殺、完全実況~」(夜9:00-11:10、テレビ朝日系)を観ました。
まったく”お初”のネタはなかったのですが、事実を掘り下げた内容になっていたと思います。
さて、今でこそ坂本龍馬は”偉人”としてもてはやされていますが、幕末当時はほぼ無名の存在。
龍馬の名が世に出てくるのは、1883年(明治16年)の高知の土陽新聞においてです。
自由民権運動家で小説家の坂崎紫瀾(しらん)により、彼を題材として取り上げた小説「汗血千里の駒(かんけつせんりのこま)」が連載されました。
さらに、1904年(明治37年)の日露戦争の日本海海戦直前、皇后の夢枕に立ったという話(「皇后の奇夢」)が新聞に載り、世間はその話題でもちきりになりました。
こうして見ると、ヒーローとしての龍馬は、後世の創作によるものと言えます。
当時も、そこそこ名の通った”活動家”であったと思いますが、今ほどの有名人ではないと考えた方が良さそうです。
話しを戻します。
龍馬殺害に繋がる要因は、番組でも触れていた通り、1866年1月23日の寺田屋事件において、伏見奉行所の捕り方2名を殺害したことが大きかったと思います。今風に言えば「警官殺し」の凶悪犯です。
龍馬が京都に潜伏し続けているならば、京都見廻組が捨て置くはずがありません。
実行部隊は京都見廻組で確定。そこに至る背景も、前述の通りでほぼ間違いないと考えます。
久々に腹落ちできた内容でした。
京都見廻組を「実行犯」ではなく、「実行部隊」と表記したことも良かったと思います。
本日はこの辺で失礼します。それでは、また。
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