マクロ・行政書士・エコノミクス

行政書士試験に挑戦し、令和6年度試験に合格致しました。今後は行政書士開業に向けての取り組みを中心に書いていきます。

坂本龍馬は政治家なのか?それとも・・・

2025年02月22日 | 坂本龍馬暗殺の真相


2019年1月6日に”坂本龍馬暗殺の背景、腹落ちできました。”というタイトルで記事を書きました。

文中「当時も、そこそこ名の通った”活動家”であったと思いますが、今ほどの有名人ではないと考えた方が良さそうです。」
という記述をしています。坂本龍馬については今でもいろいろ調べていますが、”活動家”という政治的な意図をもって動いていた人物ではないだろうという考えに至っています。

資金集め(≒金儲け)に秀でた有能なビジネスマン

の方が当てはまります。

この続きは後日書いていきたいと思います。それでは、また。

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坂本龍馬暗殺の背景、腹落ちできました。

2019年01月06日 | 坂本龍馬暗殺の真相



1月5日(土)放送の「古舘トーキングヒストリー~幕末最大の謎 坂本龍馬暗殺、完全実況~」(夜9:00-11:10、テレビ朝日系)を観ました。

まったく”お初”のネタはなかったのですが、事実を掘り下げた内容になっていたと思います。

さて、今でこそ坂本龍馬は”偉人”としてもてはやされていますが、幕末当時はほぼ無名の存在。

龍馬の名が世に出てくるのは、1883年(明治16年)の高知の土陽新聞においてです。
自由民権運動家で小説家の坂崎紫瀾(しらん)により、彼を題材として取り上げた小説「汗血千里の駒(かんけつせんりのこま)」が連載されました。

さらに、1904年(明治37年)の日露戦争の日本海海戦直前、皇后の夢枕に立ったという話(「皇后の奇夢」)が新聞に載り、世間はその話題でもちきりになりました。

こうして見ると、ヒーローとしての龍馬は、後世の創作によるものと言えます。
当時も、そこそこ名の通った”活動家”であったと思いますが、今ほどの有名人ではないと考えた方が良さそうです。

話しを戻します。

龍馬殺害に繋がる要因は、番組でも触れていた通り、1866年1月23日の寺田屋事件において、伏見奉行所の捕り方2名を殺害したことが大きかったと思います。今風に言えば「警官殺し」の凶悪犯です。

龍馬が京都に潜伏し続けているならば、京都見廻組が捨て置くはずがありません。
実行部隊は京都見廻組で確定。そこに至る背景も、前述の通りでほぼ間違いないと考えます。

久々に腹落ちできた内容でした。
京都見廻組を「実行犯」ではなく、「実行部隊」と表記したことも良かったと思います。

本日はこの辺で失礼します。それでは、また。



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「龍馬伝」、間もなく最終回・・・

2010年11月27日 | 坂本龍馬暗殺の真相



「龍馬伝」、間もなく最終回となってしまいます。

番組が終わるまでに、このコーナーは書き終えるつもりでしたが、叶わず。
それでも、最後までは書いていきたいと思います。

引き続き宜しくお願いします。
コメント (2)
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坂本龍馬殺害~3つのフレームワーク~

2010年11月17日 | 坂本龍馬暗殺の真相



坂本龍馬殺害したのは誰か?

これを考えていく上でのフレームワークを3つ考えました。

それは・・・

【動機】 【実現可能性】 【証拠】

次回は、このフレームワークを基に分析していきたいと思います。
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「龍馬伝」、最終回が近くなってきました。

2010年10月29日 | 坂本龍馬暗殺の真相



まだまだ先だと思っていた「龍馬伝」の最終回ですが、あと一ヶ月足らずとなってしまいました。

「龍馬伝」での坂本龍馬殺害の実行犯は、京都見廻組・今井信郎で既に発表済み。
他にも佐々木只三郎(唯三郎とも)、渡辺一郎(篤)が登場するようです。

私も、坂本龍馬を殺害したのは、この京都見廻組で間違いないと考えています。
しかし、まず初めに坂本龍馬及び中岡慎太郎に斬りつけたのは、今井信郎ではなく、肝煎
の桂隼之助(龍馬伝には登場しません。)ではないかというのが、私の推測です。

この桂隼之助は、文武両道に優れ、特に剣は小太刀の名手だったと伝えられています。
この”小太刀の名手”というところがポイントです。

桂が龍馬の顔を知っていたか知らなかったかは定かではありませんが、どちらにせよ「殺害」
という目的を短時間で成し遂げるには、より確実な方法を模索する必要があります。
相手に必要以上の警戒心を抱かせ、結果反撃を許してしまっては、失敗の可能性も高まります。

いくら大らかな性格の龍馬であっても、身の危険を常に感じている京都で、夜更けにいきなり
訪ねてきた人物に、まったく警戒心を持つことなく相対するとは思えません。

そのためにも、桂自身、きちんと正座をして挨拶をし、相手を油断させる必要があったはずです。
その際、自らの長刀は右手側に置き、敵意が無いことを示すことは言うまでもありません。

そして、龍馬と中岡慎太郎が一瞬気を抜いた刹那、得意とする小太刀で桂が斬りつけ、それを
合図に他の組士も襲撃に加わったと考えます。

一気呵成に書いてしまいましたが、次回はもう少し時間を前に戻し、考察を加えていきたいと思います。

では、また明日。
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