1枚の絵日記の話をしましょう。
私がなぜバスケのコーチをしたのか!?
そして大病しても、なぜ続けられたのか?
その真意をここで簡単にお話しします。
今から10年前。私の会社は負債を起こして、東京の会社に
今で言うm&A(企業買収)にて企業が再生した。
会社はよくなり、給与もあがったが、今までとは考えもしない
日昼夜を問わない激務が私達中間管理職を襲った。休みを取らない
(取れない)日が2ケ月も続いた。
一方家庭では、息子が小学5年生。パパっ子で、私にいつもなついて
くれていた。仕事のせいで、ほとんど家にいなくてもだ。観るのは
いつもかわいい寝顔だけ。そんな時期だった。妻も「家は母子家庭だ!」
と皮肉をいわれても、仕方がなかった。妻も働いてくれている。
久しぶりの休みが取れた日。息子に明日どこに行きたいか!?聞いた。
「カブトムシ採り」!一瞬固まった。どこに取りにいっていいか分からない。
私も幼いころ夢中になった昆虫も、いまでは触ることも苦手になっていた。
「よし!行こう。明日朝早いからもう寝なさい」喜ぶ息子。
友人に電話をかけまくり、取れそうな場所の候補を2・3箇所聞く私。
道具(懐中電灯・蜂撃退の殺虫剤・防虫スプレー等)を用意して、
夜中の3時に息子と出陣。
クヌギの木にカブトムシのメスを発見。私も感動した。カブトムシは
こうして生息している場面を息子に見せてあげられたからだ。
「そーと触ってごらん?」息子に語りかける。恐る恐る触る息子。
「パパ、つかめた」感動する息子。「よかったな」
以外に収穫が多く、次から次えと捕獲できた。興奮する息子と私。
いや、私の方かもしれない。カブトムシを捕獲の度、
何度も息子の名前を呼び続ける私。
こんなに、こんなに、息子の名前を呼ぶは久しぶりだ。
それだけ、スキンシップがなかった。
仕事に没頭して・・・!
息子がいった。「パパ今日はありがとう」
一瞬固まった。
ありがとう?小学5年生の息子が感謝の意を?
胸が締め付けられそうになった。
私はその後、また仕事に没頭。「かぶとむし」で息子の思い出づくりに
大きく貢献したと思った。しかし・・・!
夏休みも残りすくなくなり、息子のいつもの、宿題スタートダッシュが
はじまった。どの家庭もこんなものだ・・!
私は「よし、パパも手伝ってやる、何があるんだ?」
「算数と国語の作文だけだよ」と答える息子。「後は終わってるいんだ」
「そうか、お前にしてはすごいな」と感心する私。
その他の宿題であった、夏休みの思い出と題した「絵」と絵日記を見た。
懐かしさを思った瞬間!は!っとした。
絵日記は「かぶとむし採り」と題した1ページのみ。
後は空白ページ。
絵は私と息子がカブトムシと採っている楽しいそうな場面。
言葉がなくなった。
パパが連れて行ってくれた。パパが高い木に登った。パパが蜂と闘った。
英雄のように書きつられている息子の絵日記。たった一枚の絵日記。
本当にたのしかったんだな!と思ったと同時じ、今まで本当に淋しいを
思いをさせていたんだ!そして、夏休みこの思い出しか、作ってあげられ
なかった自分に情けなさを覚えた。
それから2年私は次長に昇格。会社での地位は獲得したが、家庭内は
相変わらずであった。息子も中学一年生。パパよりバスケがうまくなり
たい!といい、バスケ部に入る。
1年生の大会で、息子達は3回戦に突入。今後のバスケ人生を左右する
宿敵にぼろ負けきっする。泣き崩れる息子達。
パパどうすれば?勝てる?
今まで息子になにもしてあげられなかったこと、1枚の絵日記のことが
頭をよぎった。
「パパがコーチをする!そうすれば必ず強くしてみせる」
泣いていた、息子が「ほんと???」
「あー約束する」
こうして、衝動的にバスケ部のコーチを名乗りでたわけだ。
会社の激務の中、コーチ業を行うことは私もそれなりの
覚悟は必要だった。しかし、決して休むことはなかった。
努力は裏切らなかった。
息子達を約束どおり、シード校へのしあげ、5年ぶりとなる
県ベスト4及び3位という偉業を達成できた。
しかし、これで辞めたらただの保護者。息子の思い・私の母校への
思いを引き継ぐことが、息子との約束。そして淋しい思いをさせて
息子への償い。
しかし、運命の日。2005年6月7日22:30急性心筋梗塞。
運よくたすかったものの、薬の副作用になやまされ、身も心もずたずた
状態だった。
会社では容赦しない激務。でも、その週、約束の体育館に私はいた。
練習が終わると家にかえり、原因不明の動悸・眩暈・嘔吐・微熱・頭痛
に悩まされた。緊急外来の数30回以上。ついに精神安定剤まで
処方された。その薬を飲んで、仕事・バスケを続けていった。けして
休まずに。
子供達が息子と常に重なってみえた。必要なときに、必要なことを
してあげられなかった私。それをして上げられることが、今大切なんだ!
と思った。息子も、パパは中学にとって必要な人だよ。
その言葉の裏には、僕達のように強くしてあげて!というメッセージ
がこめられていた。
きっかけは1枚の絵日記の償い。しかし、6年間やりづづけられたことは
きっと心の中にかかれたであろう何万枚にも匹敵する「絵日記」が
今の私を支えていると感じる。
こうして、自分をも犠牲にすることを惜しまない、私ができた。
利口とは冗談でもいえない。
しかしこんな熱い大人が一人ぐらい、いてもいいじゃないですか!?
私は自分を誇りに思っています。
私がなぜバスケのコーチをしたのか!?
そして大病しても、なぜ続けられたのか?
その真意をここで簡単にお話しします。
今から10年前。私の会社は負債を起こして、東京の会社に
今で言うm&A(企業買収)にて企業が再生した。
会社はよくなり、給与もあがったが、今までとは考えもしない
日昼夜を問わない激務が私達中間管理職を襲った。休みを取らない
(取れない)日が2ケ月も続いた。
一方家庭では、息子が小学5年生。パパっ子で、私にいつもなついて
くれていた。仕事のせいで、ほとんど家にいなくてもだ。観るのは
いつもかわいい寝顔だけ。そんな時期だった。妻も「家は母子家庭だ!」
と皮肉をいわれても、仕方がなかった。妻も働いてくれている。
久しぶりの休みが取れた日。息子に明日どこに行きたいか!?聞いた。
「カブトムシ採り」!一瞬固まった。どこに取りにいっていいか分からない。
私も幼いころ夢中になった昆虫も、いまでは触ることも苦手になっていた。
「よし!行こう。明日朝早いからもう寝なさい」喜ぶ息子。
友人に電話をかけまくり、取れそうな場所の候補を2・3箇所聞く私。
道具(懐中電灯・蜂撃退の殺虫剤・防虫スプレー等)を用意して、
夜中の3時に息子と出陣。
クヌギの木にカブトムシのメスを発見。私も感動した。カブトムシは
こうして生息している場面を息子に見せてあげられたからだ。
「そーと触ってごらん?」息子に語りかける。恐る恐る触る息子。
「パパ、つかめた」感動する息子。「よかったな」
以外に収穫が多く、次から次えと捕獲できた。興奮する息子と私。
いや、私の方かもしれない。カブトムシを捕獲の度、
何度も息子の名前を呼び続ける私。
こんなに、こんなに、息子の名前を呼ぶは久しぶりだ。
それだけ、スキンシップがなかった。
仕事に没頭して・・・!
息子がいった。「パパ今日はありがとう」
一瞬固まった。
ありがとう?小学5年生の息子が感謝の意を?
胸が締め付けられそうになった。
私はその後、また仕事に没頭。「かぶとむし」で息子の思い出づくりに
大きく貢献したと思った。しかし・・・!
夏休みも残りすくなくなり、息子のいつもの、宿題スタートダッシュが
はじまった。どの家庭もこんなものだ・・!
私は「よし、パパも手伝ってやる、何があるんだ?」
「算数と国語の作文だけだよ」と答える息子。「後は終わってるいんだ」
「そうか、お前にしてはすごいな」と感心する私。
その他の宿題であった、夏休みの思い出と題した「絵」と絵日記を見た。
懐かしさを思った瞬間!は!っとした。
絵日記は「かぶとむし採り」と題した1ページのみ。
後は空白ページ。
絵は私と息子がカブトムシと採っている楽しいそうな場面。
言葉がなくなった。
パパが連れて行ってくれた。パパが高い木に登った。パパが蜂と闘った。
英雄のように書きつられている息子の絵日記。たった一枚の絵日記。
本当にたのしかったんだな!と思ったと同時じ、今まで本当に淋しいを
思いをさせていたんだ!そして、夏休みこの思い出しか、作ってあげられ
なかった自分に情けなさを覚えた。
それから2年私は次長に昇格。会社での地位は獲得したが、家庭内は
相変わらずであった。息子も中学一年生。パパよりバスケがうまくなり
たい!といい、バスケ部に入る。
1年生の大会で、息子達は3回戦に突入。今後のバスケ人生を左右する
宿敵にぼろ負けきっする。泣き崩れる息子達。
パパどうすれば?勝てる?
今まで息子になにもしてあげられなかったこと、1枚の絵日記のことが
頭をよぎった。
「パパがコーチをする!そうすれば必ず強くしてみせる」
泣いていた、息子が「ほんと???」
「あー約束する」
こうして、衝動的にバスケ部のコーチを名乗りでたわけだ。
会社の激務の中、コーチ業を行うことは私もそれなりの
覚悟は必要だった。しかし、決して休むことはなかった。
努力は裏切らなかった。
息子達を約束どおり、シード校へのしあげ、5年ぶりとなる
県ベスト4及び3位という偉業を達成できた。
しかし、これで辞めたらただの保護者。息子の思い・私の母校への
思いを引き継ぐことが、息子との約束。そして淋しい思いをさせて
息子への償い。
しかし、運命の日。2005年6月7日22:30急性心筋梗塞。
運よくたすかったものの、薬の副作用になやまされ、身も心もずたずた
状態だった。
会社では容赦しない激務。でも、その週、約束の体育館に私はいた。
練習が終わると家にかえり、原因不明の動悸・眩暈・嘔吐・微熱・頭痛
に悩まされた。緊急外来の数30回以上。ついに精神安定剤まで
処方された。その薬を飲んで、仕事・バスケを続けていった。けして
休まずに。
子供達が息子と常に重なってみえた。必要なときに、必要なことを
してあげられなかった私。それをして上げられることが、今大切なんだ!
と思った。息子も、パパは中学にとって必要な人だよ。
その言葉の裏には、僕達のように強くしてあげて!というメッセージ
がこめられていた。
きっかけは1枚の絵日記の償い。しかし、6年間やりづづけられたことは
きっと心の中にかかれたであろう何万枚にも匹敵する「絵日記」が
今の私を支えていると感じる。
こうして、自分をも犠牲にすることを惜しまない、私ができた。
利口とは冗談でもいえない。
しかしこんな熱い大人が一人ぐらい、いてもいいじゃないですか!?
私は自分を誇りに思っています。