挑戦のグレープフルー2(ツ)

ある日突然、自分が心筋梗塞に!更に大腸癌の発症。病気を通じて知った人の温かさ・冷たさ!私は決して、あきらめない。

東京勤務近し・・

2007-03-14 21:52:50 | 仕事
ついに、東京単身赴任の時期がちかずいてきた。
会社はウィークリーマンションを手配してくれた。
((せめてもの、慰めか?))

月曜~木曜日は東京。金曜日は地元。
土曜日休み・日曜日半休。これが3ケ月位つづく。

体調も考えながら、今度は一人なので、行動しなくてはならない。

新しい戦いへの幕開けだ!!

合格発表の日

2007-03-13 22:49:53 | バスケ
今日は合格発表の日(公立高等学校)

バスケの教え子から、携帯メールで合否の知らせが・・!

「今話がしたのですが、いいですか?」のメール。

私の電話番号を教える。即かかってきた。

「不合格でした」

「うん!おつかれさん。とりあえず、ここまでは精一杯
やったんだ。別に恥じることはないぞ。それより、これから
の方が大事だぞ。高校はどの高校がすごいのではなく、自分がどう
そこですごくなるかが重要なんだ。忘れるなよ。」

「バスケはその高校でやるのか?」

「はい!」

「ではその先生に話しておいてやろう!きっと喜ぶぞ。」

「ほんとですか?」

「もちろんだ」

今だけが、悔しいだけだ。これから人生は長い。なんとでも
修正がきく。心配するなよ。

これがいいたいだけだ。いい子なんでね。

最強のチームをつくろう!

2007-03-11 11:28:50 | バスケ
「最強のチームをつくろう」
と昨日の練習最初に私がいった。

子供達に心配をかけてしまった。「私はコーチを続ける」
「以前もいったが、君達がだめ!といったら先生や保護者の方が
きてくれ!といってもこない」「しかし、君達が私を必要としている
限り、私はくる」

みんな安心した顔をしてくれた。

練習も身がはいっていた。

昨日卒業式を無事終えた、3年生も応援にきてくれた。

楽しい一日であり、新たなスタートの日だった。

1枚の絵日記・・

2007-03-10 09:42:26 | バスケ
1枚の絵日記の話をしましょう。

私がなぜバスケのコーチをしたのか!?
そして大病しても、なぜ続けられたのか?
その真意をここで簡単にお話しします。

今から10年前。私の会社は負債を起こして、東京の会社に
今で言うm&A(企業買収)にて企業が再生した。
会社はよくなり、給与もあがったが、今までとは考えもしない
日昼夜を問わない激務が私達中間管理職を襲った。休みを取らない
(取れない)日が2ケ月も続いた。

一方家庭では、息子が小学5年生。パパっ子で、私にいつもなついて
くれていた。仕事のせいで、ほとんど家にいなくてもだ。観るのは
いつもかわいい寝顔だけ。そんな時期だった。妻も「家は母子家庭だ!」
と皮肉をいわれても、仕方がなかった。妻も働いてくれている。

久しぶりの休みが取れた日。息子に明日どこに行きたいか!?聞いた。
「カブトムシ採り」!一瞬固まった。どこに取りにいっていいか分からない。
私も幼いころ夢中になった昆虫も、いまでは触ることも苦手になっていた。
「よし!行こう。明日朝早いからもう寝なさい」喜ぶ息子。
友人に電話をかけまくり、取れそうな場所の候補を2・3箇所聞く私。
道具(懐中電灯・蜂撃退の殺虫剤・防虫スプレー等)を用意して、
夜中の3時に息子と出陣。

クヌギの木にカブトムシのメスを発見。私も感動した。カブトムシは
こうして生息している場面を息子に見せてあげられたからだ。
「そーと触ってごらん?」息子に語りかける。恐る恐る触る息子。
「パパ、つかめた」感動する息子。「よかったな」
以外に収穫が多く、次から次えと捕獲できた。興奮する息子と私。
いや、私の方かもしれない。カブトムシを捕獲の度、
何度も息子の名前を呼び続ける私。
こんなに、こんなに、息子の名前を呼ぶは久しぶりだ。
それだけ、スキンシップがなかった。
仕事に没頭して・・・!

息子がいった。「パパ今日はありがとう」

一瞬固まった。

ありがとう?小学5年生の息子が感謝の意を?
胸が締め付けられそうになった。

私はその後、また仕事に没頭。「かぶとむし」で息子の思い出づくりに
大きく貢献したと思った。しかし・・・!

夏休みも残りすくなくなり、息子のいつもの、宿題スタートダッシュが
はじまった。どの家庭もこんなものだ・・!
私は「よし、パパも手伝ってやる、何があるんだ?」
「算数と国語の作文だけだよ」と答える息子。「後は終わってるいんだ」
「そうか、お前にしてはすごいな」と感心する私。
その他の宿題であった、夏休みの思い出と題した「絵」と絵日記を見た。
懐かしさを思った瞬間!は!っとした。

絵日記は「かぶとむし採り」と題した1ページのみ。
後は空白ページ。
絵は私と息子がカブトムシと採っている楽しいそうな場面。

言葉がなくなった。

パパが連れて行ってくれた。パパが高い木に登った。パパが蜂と闘った。
英雄のように書きつられている息子の絵日記。たった一枚の絵日記。
本当にたのしかったんだな!と思ったと同時じ、今まで本当に淋しいを
思いをさせていたんだ!そして、夏休みこの思い出しか、作ってあげられ
なかった自分に情けなさを覚えた。

それから2年私は次長に昇格。会社での地位は獲得したが、家庭内は
相変わらずであった。息子も中学一年生。パパよりバスケがうまくなり
たい!といい、バスケ部に入る。
1年生の大会で、息子達は3回戦に突入。今後のバスケ人生を左右する
宿敵にぼろ負けきっする。泣き崩れる息子達。

パパどうすれば?勝てる?

今まで息子になにもしてあげられなかったこと、1枚の絵日記のことが
頭をよぎった。
「パパがコーチをする!そうすれば必ず強くしてみせる」
泣いていた、息子が「ほんと???」
「あー約束する」
こうして、衝動的にバスケ部のコーチを名乗りでたわけだ。

会社の激務の中、コーチ業を行うことは私もそれなりの
覚悟は必要だった。しかし、決して休むことはなかった。

努力は裏切らなかった。

息子達を約束どおり、シード校へのしあげ、5年ぶりとなる
県ベスト4及び3位という偉業を達成できた。

しかし、これで辞めたらただの保護者。息子の思い・私の母校への
思いを引き継ぐことが、息子との約束。そして淋しい思いをさせて
息子への償い。

しかし、運命の日。2005年6月7日22:30急性心筋梗塞。

運よくたすかったものの、薬の副作用になやまされ、身も心もずたずた
状態だった。
会社では容赦しない激務。でも、その週、約束の体育館に私はいた。
練習が終わると家にかえり、原因不明の動悸・眩暈・嘔吐・微熱・頭痛
に悩まされた。緊急外来の数30回以上。ついに精神安定剤まで
処方された。その薬を飲んで、仕事・バスケを続けていった。けして
休まずに。

子供達が息子と常に重なってみえた。必要なときに、必要なことを
してあげられなかった私。それをして上げられることが、今大切なんだ!
と思った。息子も、パパは中学にとって必要な人だよ。
その言葉の裏には、僕達のように強くしてあげて!というメッセージ
がこめられていた。

きっかけは1枚の絵日記の償い。しかし、6年間やりづづけられたことは
きっと心の中にかかれたであろう何万枚にも匹敵する「絵日記」が
今の私を支えていると感じる。

こうして、自分をも犠牲にすることを惜しまない、私ができた。

利口とは冗談でもいえない。

しかしこんな熱い大人が一人ぐらい、いてもいいじゃないですか!?

私は自分を誇りに思っています。

一生付き合っていこう・・

2007-03-09 17:40:02 | バスケ
「一生付き合っていこう。」食事会を保護者の方が開いてくださった
席上で最後の挨拶をした私。

すばらしい子供達と出会わせくれた保護者の方に感謝します。
自分が病気から這い上がれたのも、この子たちのおかげ。
私は指導していると同時に、指導してもらっていた。

私はまだまだ進化系。
彼らのために、未だ出来ることがある。
だから、一生つきあっていきたい。

3年間本当にありがとう。

バスケ3年生20名と保護者の方のおかげで、私はまた
生きていけます。

初めての卒業式・・

2007-03-09 07:58:12 | バスケ
中学バスケット部コーチとして6年。
初めてバスケの教え子を送る卒業式に今から
出席する。

息子の卒業式にもでなかった私が。。。!

この間、別の中学の先生と大喧嘩!
ブログに書いたが、
その後、私はその先生の携帯を教えてもらって
謝罪した。

私:子供達の前で人生の先輩に恥をかかせてしまって
  申し訳ありません。

先生:いやいや!コーチのあの考えは立派。私も若いとき
   あーだった。忘れていた自分を思い出し気がします。
   これからも子供達のため、そしてバスケ発展のため
   お力を貸してください。

私:・・・・
  「す・すみません」「本当にすみませんでした」
  それしか言葉にならなかった。。

先生:コーチは間違っていない。そして私も。
   もっと暴れてください。

私:はい!

気持ちが、「晴れ」になった。
病気を隠して、一生懸命やってきたことが、今認められた気がした。
ブログの題名どおり、大病した私に世間は冷たかった。しかし
捨てたものではない!今回がその「捨てたものではない」の証が
先生の一言であったような気がした。

今日は、思いの強かった。子供達をこの手で送りだし、
そしてこの間迷惑をかけた子供達に謝罪し、強いバスケットチーム
(仲間の絆を分かる)を作ることを誓う日にしよう。

外はまぶしい晴天。あの天使達にふさわしい日だ。

年はとった私だが、まだまだ発展途上。最終進化系になるまで
がんばらねばね。

その活力の源が、この子供達なんだ。



辞めないでください・・

2007-03-05 22:17:11 | バスケ
辞めないでください。一人に保護者の方が言ってくださった。
さらに、また保護者の方から電話が。
「コーチを信じています。コーチからいっぱい学びました」

「・・・・・・・・・・」

学校からは、子供達のためにも是非続けて頂きたい!
言い争いをした先生は、気にされているよう!
私のせいでコーチがやめたら・・・!


学校にいってきました。あるものをもって!

「誓約書」です。これがコーチを続ける条件です。

その誓約書とは
  練習・試合中如何なることが起きようと、あくまで
  自己責任。学校・クラブ関係者・保護者には一切
  責任がないことを承服した上で、今後のコーチを
  引き受けることを誓います。

先生達はびっくりされていた。「これは受け取れません」

  これでいいんです。これで安心して、私に任せてくれる
  ことでしょう。公務員とは大変ですね。意志とは違う
  表現をときにはしなくてはならない。だから、あえて
  この選択を私はしました。
  私のパンパな気持ちではないこともわかったはず。
  
  それもそのはず、子供達は半端な気持ちで私に接して
  いないからだ。

  その気持ちには、やはりこたえなければならない。

よくやった!自分に感謝・・・

2007-03-04 16:41:22 | 病気
昨日のアくクシデントから1日あけて今日。
会社にいつもどおり出勤。仕事を開始した私。

バスケのために休みを調整。バスケのためにすべてを
惜しまずやったこの6年間。
結果はどうであれ、よくやった!自分に感謝したい。

2005年6月7日私の運命を変える、急性心筋梗塞。
一命はとりとめたものの、制約のある生活は一生だ。
それでも1度目の退院日の2日後には、体育館にいた。
もちろん会社は翌日からだ。
前にも書いたが、翌日会社に出勤した時、上役から言われた
ことは「いたわりの言葉ではなく」「業務命令」が第一声だった。

しかし、体育館にもどってきた私をバスケの仲間(先生・生徒
・学校)温かく迎えてくれた。

体が落ち着くまで、薬の副作用に悩まされた。(頭痛・吐き気・めまい)
でも、体育館にいるため、セルシンという精神安定剤にて
副作用をかく乱させた。

そんな状態で今日までやってきた自分が誇らしい。

なんのために?そうだな!?

喜びを共感するためかな?大好きな仲間といっしょにね。
これは名誉や金や権力では、買えないんだよな。
その証拠に自分が得ているもの。(名誉なし・金なし・権力なし)

昨日は悔しかったな!
あんなに泣いたの久しぶりだよ。しかも大声で・・・!
想いが強かったからな。私は人一倍。こんなかたちで終わることに
なることと、今まで純粋に損得勘定ぬきにしてやった自分が
不憫になったんだな!

本当はね、勝負したいやつがいたのよ!
実はそいつは、問題を起こして教員をやめさせられたわけね。
ショックだったけど、そいつの分まで一所懸命教えることが
魔が差して一線から離脱したやつのためになると思ってね。
そいつが教えていたチームを私が倒す。そのことで、悔しさで
やつが帰ってきてくれたり・・!なんてばかげた話かもしれない
がそんな気持ちも続けられたひとつかな。

意外な終わりかたになりそうだけど、バスケは社会人を育成する
チームのヘッドとしてがんばるし、応援してくれている
人がたくさんいるので、新たな気持ちでやらねばね。

昨日泣きすぎたから、頭が痛い。子供のころにのように
ぼろ泣きだったな。こうしてブログうっているだけで
悲しい。繰り返しになるが、

世の中に、私程、お人よしなやつは、いないわな!!
でもそんな自分が大好きだ。生まれてきてよかった。!!



終わりかな!

2007-03-03 17:02:27 | バスケ
終わりかな!
今日はバスケの練習試合。

審判のジャッジをコーチとして不服に思い、抗議。
相手の先生はその中学のNO3(教務主任)。
なんだ!?という表情で、私に近づいてきた。

一同騒然。

しかし、私もコーチ。自分のチームの子が、アンフェアと
思われる行為をされたら、我慢できない。それを先生は
反則のジャッジをしなかった。

「子供達だってわざとやってはいない」

「わかってますよ!そんなこと!しかし危険なプレーを危険だ
と教え込むのも練習試合じゃないですか!?」

私は一般人なので、相手は敬語だ。通常なら許されない行為だろう。

私は、「心臓が悪いから、どこまで吹けるかわからないけど、
私がもう一人の審判をやります」

顧問の先生は「やめてください」私の体を気遣い言ってくれたが
私はその制止振り切った。

私はみのがさなかった!その先生は、首をかしげた!

私は今の状況を考えずに審判をやった。

試合が終わり、その先生へ!「すみませんでした。競技のモラルを
子供達に教えてるべきコーチが、審判に切れるなんて本末転倒。
コーチを辞めることで許しください」

もう一人の監督は副校長先生。「すみませんでした。失礼します」


私は体育館を後にした。

部員が全員よってきた。
「すまん!すまん!悔しかったんだ。ただ。」
「スポーツマンとしてのモラルを言っていた本人がこの様だから、
コーチ失格だ!すまない。責任を取らせてもらうよ。先生の言う
ことをきちんと聞けな。すまん」
初めて泣いた。泣き叫んだ。
先生は「また来週お待ちします」
涙が止まらなくなった。
「先生、俺は間違っていない!」叫んだ。
苦しくなった。

急いで、病院へ。

ちくしょう。健康ならこんなことないのに。
病気なんかしなければ、戦えるのに。。
狭心症だった。病院へいき、ニトロを飲んだ。
それで落ち着いた。


コーチはコートの選手と一緒に戦っているんだ。
コートの仲間が突き飛ばされたら、「何すんだ!!」
大人気ないかもしれない。最低かもしれない。

でも仲間なんだよ。私にとっては彼らが。
心の支えなんだよ。だから、我慢できないんだ。
しかし、教育の観点からいったら、失格だ。

即校長先生へ電話。「許されないことをしました。
コーチを辞めさせてもうらいます。詳細は先生ご存知です。」

校長先生は、止めてくれた。それで十分だ。

私は大人のモラルを逸脱した。その先生に恥をかかせた。
逆だったら、私も腹が立つ。

自分が嫌なことは相手にはしてはいけない!と子供達や部下に
教育してきた。しかし、それをしてしまった。

私は最低だ。

ブログ写真の朝陽は・・

2007-03-02 21:19:23 | 病気
ブログ写真の朝陽は、2度目の心臓治療に携帯カメラで取った
5:00位の写真です。11月だったので、日の出はそのくらい
だったと思います。

左冠動脈が薬でよい方向にいっていればいいな!(ステントを入れなく
て済む)ステントを入れることになっても、上手くいけばいいな!
と想いながら撮影したことを鮮明に覚えています。

この日の出が、私にとって再出発になるのか?
また、これで見納めなのか?
と覚悟をきめて見たものです。(オーバーですがね。)

結果は、激痛に耐えながら、2時間の治療の末、無事終了。
現在になっています。

私の再出発の日の出になったのでした。