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永遠の愛犬、マック

先日飛行機の機内で映画、「犬と私の10の約束」を見て、僕が実家で昔飼っていた愛犬マックについて色々と思い出していた。僕が小学校4年の頃、我が家にやってきた柴犬で、間違いなくマックは僕の大切な弟分で、かけがえのない家族であった。

マックの本名は秀誉(ひでほまれ)。父の桂誉(かつらほまれ)と母の秀翠 (ひでみどり)の間に産まれた、血統書付の柴犬であった。まだ産まれて数ヶ月で我が家に来て、いきなりそのやんちゃぶりを発揮して、ダイニングテーブルや椅子の足をツメや歯でガリガリとかじりはじめ、家の中をところ狭しと走り回っていたものだ。鼻の周りが黒くて小熊にも似たその顔立ちとぬいぐるみのようにコロコロしたその姿は本当に愛くるしかったのを今でも良く覚えている。そして僕はその犬を「マック」と名づけた。これは僕が昔好きだった「ウルトラマンレオ」のMAC隊から実は来ているのだが、友人は「マクドナルド」からきてんだろー、とか良く言われたものだ。

マックとはいつも一緒だった。良く箱根や那須など国内旅行にもマックを連れていったし、アメリカのニューヨークに転勤となった中学-高校時代も一緒だった。マックと一緒にナイアガラだって行ったのだ。でもアメリカ生活の最初は、環境の変化とカルチャーショックが大きかったのか、マックは少しノイローゼ気味になり、性格がやや凶暴になった時期もあったが、彼なりにかなり精神的に相当負担になったのだと思う。人間でも海外に引っ越せばかなり大変だが、恐らく犬の世界での英語と日本語も、「ワンワン」と「Bow Wow」以上に違っていたのだろう。しかもマックはかなりの小心者で、まるで自分を見ているようで本当に人間味のある可愛いやつだったが、小心者だからこそ、海外生活はかなりの冒険でドキドキだったことであろう。アメリカ生活にも慣れてくると、広い庭で走り回れることはマックの大きな喜びとなった。しかし、そのスケールの大きな自然の中で、敵も多かったのだ。ある日、ちょっとマックを庭で放し飼いにしたすきに、同じく放し飼いになっていた隣の家の犬と取っ組み合いのケンカになって怪我をしたり、庭にいた小さなモグラを発見して思わず噛んでしまったり。中でも強烈だったのは、ある日夜中に庭を徘徊していたスカンクにオナラをかけられ、暫くその強烈な臭いが取れず、大変な思いをしたことは鮮明に覚えている(スカンクのオナラは強烈で、嗅覚が特に敏感な犬には、それはそれはもう恐ろしくキツかったものと思われる。本当に気の毒なマックであった)。スカンクにやられた場合、ケチャップをいっぱい混ぜたお風呂に体を暫く漬けることで臭いを取る方法が効果的だが、マックもこの時ケチャップ漬けになった。

更にマックの悲劇は続く。今度は庭で蜂に舌を刺されてしまい、家族で慌ててマックを病院に連れて行った事もあったが、この時は事なきを得た。それにしても、ニューヨークの郊外は自然が豊かで、色々と危険が多いのだ。でもそんな中、庭にいた蛍を見て無邪気に追いかけていたマックを思い出すが、彼なりに結構楽しいこともあったんだろうと思う。

日本に帰国してからもマックとは大の仲良しであった。マックとの一番の遊びは、プロレスごっこと、かくれんぼである。プロレスごっことは、マックと床でジャレあって、その内に押さえ込んでカウント3を入れようとすると、マックが跳ね上がって阻止する。これをプロレスのように暫く繰り返して遊ぶのが好きだった。かくれんぼもかなり面白かった。暗い部屋のドアの後ろに隠れて、「マック~」と呼ぶと、マックは部屋を探し回るが僕が見つからない。小心者で用心深いマックはなかなか簡単に部屋には入ってこないのだが、部屋の入り口からちょっと覗きながら諦めかけたその時に、「ワッー!」と飛び出すと、マックは狂ったように驚いて部屋を走り回る。これが結構スリル満点で楽しかった。

マックは人間とほぼ同じものを食べていた。ドッグフードなどはあまり食べず、冬はコタツでマックもちゃっかり我々家族の横に座り、まさに家族の一員としてテーブルで食事したりしていた。ちょっと目を離したすきに、テーブルの上に置いてあったワッフルのおやつを勝手に食べて、しらんぷりしていたことも良くあったが、その口元にはしっかりクリームが付いていて、簡単にバレていたところが憎めない。本当に人間臭いやつだった。
マックと共に、小学校、中学、高校、大学と約13年間過ごし、僕が大学を卒業して社会人になった頃にはさすがにマックも老犬になっていて、白内障も伴って目も悪くなり、足腰も弱ってすっかり老けてしまっていた。また、人間の老人のように少々ボケてしまい、晩年は僕のこともあまり分からないような状態になってしまった。それでも、いつもご飯を与えていたうちの母親には絶対の信頼を置いていた。そして、そんなある日、マックの舌が大きく腫れ上がっていることに気が付き、病院に連れていったところ、舌に癌が出来ていることは判明。老体には過酷であったが、大鰍ゥりな手術をすることになった。舌の手術なのでかなり命も危ぶまれたが、手術自体は何とか無事に終わった。しかし、その後舌の状態はあまり回復せず、結局マックはその数ヶ月後に、その波乱に満ちた犬生を全うした。15年以上も生きたので、犬としては大往生ではあるのだが、結果的にあのニューヨークで蜂に舌を刺されたことが、舌癌を引き起こす原因となってしまったのは残念である。

マックが亡くなったその日は、朝から体調が怪しかった。両親は泊まりで出鰍ッており、家には僕一人で留守番をしていたのだが、マックは自分の最後を悟ったかのように、舌の痛みを忘れ、実に穏やかな顔で僕に擦り寄ってきた。既にボケて僕の事も忘れている筈だったが、その不思議な行動に、マックの最期は着実に近づいていることを僕も感じ取っていた。僕はマックのそばを離れることが出来ず、暫くそばで見守っていたが、やがてマックは眠るように、安らかに旅立った。僕はまだ温もりのあるやつれたマックの体を力いっぱい抱きしめ、泣いた。自分の人生で後にも先にもあんなに泣いたことは無かったくらい、どうしても涙が止まらなかった。

青春の全てを一緒に過ごしてきたマックは、僕の友達であり、弟であり、そして家族であり、本当に僕にとってかけがえの無い存在だった。数多くの素晴らしい思い出をマックと共有することが出来て、本当に幸せであった。

マックは実家の庭で、今も静かに眠っている。
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