
しかし、これだけ普段から頻繁に王禅寺周辺に行っていたにも関わらず、肝心な王禅寺そのものには一度も足を踏み入れたことが無かった。コロナで遠出が出来ないこともあり、最近は近所の仏閣巡りをしていて、ふと王禅寺に行ってないということを思い出したので、今回ついに行って見ることにした。

王禅寺の正式な名称は、星宿山王禅寺。星の宿る山なんて、素敵な名称である。真言宗のお寺であり、917年に高野山の三世無空上人が、醍醐天皇から王禅寺の寺号を与えられて建立されたらしいので、相当な歴史がある。こんな凄い経緯から、王禅寺は『東の高野山』とも呼ばれ、なんと徳川家の歴代将軍に葵の御紋の使用を与えられている由緒正しきお寺なのである。

王禅寺は自宅から車で10分くらいの場所にあり、今回もいつも利用している王禅寺ふるさと公園前のTimes駐車場で車を停めて、そこから徒歩で向かう。実はいつも散歩していた王禅寺ふるさと公園内からも王禅寺に行ける道があったのだ。今回初めて知ってしまった(笑)。今までなんで気が付かなかったのだろうか。


初めて足を踏み入れた王禅寺は、とても豊かな大自然が目の前に広がっており、この静寂が何とも言えず心地良い。しかし考えてみれば、今でこそ王禅寺エリアの周りには住宅街が広がっているが、昔王禅寺の周りは本当に何も無い農村地帯であっただろう。たくさんの丘や山などもあり、手付かずの大自然が地域全体を覆っていた筈である。僕が今住んでいるエリアも恐らく何も無い場所であった。そんな山の中にあった王禅寺は、まさに“東の高野山”と呼ぶに相応しい“秘境”のような場所であったことが容易に想像出来る。そしてそんな片鱗を今に残すのが、この王禅寺周辺の豊かな自然である。

王禅寺ふるさと公園の反対側となる、西門からのエントランスは、また趣があって良い。とても長い参道は、京都のお寺のような荘厳さもあり、実に美しい。


途中左側に小さな池があったが、たくさんの亀が気持ち良く泳いでいた。まさに神聖なる亀たちかもしれない。人が立ち止まると餌をくれるのかと勘違いして、岸まで泳いで寄ってくるからかなり可愛い。


長い参道を抜け、正面の階段を上がると、赤い仁王像が2体睨みを効かせている山門が出迎えてくれる。歴史を感じさせる創りである。




そして山門を抜けて更に階段を登って行くと、御朱印を頂ける社が出現。とても凛とした、神聖な空気が漂っていて実に清々しい。



次はいよいよ王禅寺のメインとなる本堂へと向かうが、まずは入り口にお約束の六地蔵がお出迎え。そして隣には建立の無空上人と記載された石碑が建っていた。


その先を進むと、臨水山と書かれた薬師如来堂が建っていた。ここには、かつて寺家の東円寺にあった薬師如来像が祀られているらしいが、興味を持ったので調べてみたら、東円寺は今無く、王禅寺に統合されたらしいのだ。

境内には何とも良く手入れされた美しい庭もあって、まさに京都や鎌倉のお寺にでも来たかのような、とても素敵な空間が広がる。

そして正面にはなんとも荘厳で立派な本堂が現れる。ここの賽銭箱にも葵の御紋が記されていた。


本堂の庭には、有名な柿の木が。実はこの王禅寺の柿の木は、“禅寺丸柿”という日本最古の甘柿の品種の原木があり、文化庁の登録記念物として登録されている、何とも貴重な柿の木を拝むことが出来るのだ。また、小田急線の柿生駅は、まさにこの禅寺丸柿の発祥から、“柿が生まれた町”ということで地名になったというから、その経緯は興味深い。この柿の木を拝むだけでも価値のあるお寺である。あの北原白秋も禅寺丸柿を歌に詠んだらしく、石碑が建てられていた。



なんと、禅寺丸柿のゆるキャラ、かきまるくんも存在することが分かった。柿生駅あたりではこのゆるキャラを見かけるらしい。

色々とこれまで近所の仏閣を見てみたが、王禅寺がそのスケール感、荘厳さからこの地域ではNo.1のお寺であると思う。気軽に来れるところも含め、すっかり王禅寺を気に入ってしまった。京都や鎌倉のお寺のような荘厳さがありながらも、全く観光地化されていないのがまた良いのだ。
お城好きの僕としては、お城はまた別格ではあるものの、仏閣もお城に匹敵する面白さと歴史的な面白さがある。これから仏閣も含めた歴史散策に益々ハマりそうで浮「(笑)。