ブログは脳の排泄行為

人は喋ってストレス発散する。ブログも同じ。

家は無理なのでウッドデッキと地震に備えてブロック塀をフェンスに翌月に東日本大震災

2017-03-28 17:19:26 | 日記
昔からDIYで家を建てたいという願望があった。引退したら田舎物件を買おうと5年くらいネットで物色していたが諸事情で諦めた。
ウッドデッキ
敷地が整形でなく家も雁行なので空き地は狭くて変形だ。プロに頼む前に自分で作ってみた。失敗しても打撃が少ないよう木材はホワイトウッド(2✖4材)を使った。ネットでは耐久性は3~5年とある。安くて手に入りやすいのが魅力的だった。5畳くらいの広さを電動工具購入費も入れて8万円くらいで作った。防腐ペンキに国産の天然素材のものを使ったのが失敗だった。ほとんど防腐効果なし。1年で腐朽菌が生えてきた。次がキシラデコールだ。最初からこれを使っていれば・・後悔先に建たず、経験のなさが仇となった。8年経ったところでそろそろ修理するかと思った矢先東日本大震災に遭遇した。ウッドデッキは損傷なかったが作りかえることにした。今度はプロにお任せ。セランガンバツという熱帯木材だ。さすがに耐久性は抜群。人口木材にしなくて正解だった。部分修理は必要だろうが20年や30年は持ちそうだ。これはDIYしない方が賢明だ。なぜなら滅茶苦茶固い木だから。板厚は20mmなのに大工さんはネジ釘穴を空けるドリルの刃先を十数本折ってしまった。打ち込めず頭のねじ切れたスクリューネジは何十本もあった。
フェンス
大きなヒビが入り地震で倒壊する可能性のあるブロック塀のフェンスに取り換えだった。とりあえず2間幅だ。ブロックの上部を壊し下の2段を残しフェンスの基礎に使うこととした。フェンスはホームセンターで購入した。一番の問題は取り除いたコンクリートブロックの処分だ。当時新品で1個200円(田舎じゃ80円)のブロック処分費が400円だった。残りは大変なのでプロにお任せ。こちらは全部やり替えた。完成した翌月に東日本大震災に見舞われた。

憧れの東京は大気汚染で鼻くそが真っ黒け

2017-03-28 07:50:07 | 日記
田舎に就職する気持ちはまったくなかった。たまたま受けた試験で東京に。住み始めて驚いたのが空気の汚さ。夜帰って鼻をかむと真っ黒。外に干した洗濯物は黒ずんでいる。鼻毛が太く長くなり鼻毛を切らないと外まで出るまでになった。近隣の住宅は小さくて古びたのが密集し関東大震災級の地震が来て大火になったら逃げられるか分からない不安も。さすがに東京いいと思ったのは銀座のデパートくらいだった。良い品が並んでいた。いいところは高根の花すぎて手が届かない、周りは薄汚く空気も悪い金の余裕もない現実にたちまち夢が破れがっかり、こんなところに住むのは嫌だと脱出を考えた。支社は北海道から九州まである。1年経って配属されたのが大阪。千里ニュータウンに住んだ。広々とし緑に溢れていた。夏になると風向きが南になると淀川の工業地帯からの臭いがすることがあった。東京より空気は全然マシだった。
さて、忌み嫌っていた東京だが40歳後半から地方勤務1年を除いて退職するまで東京住まいとなった。昔より住みやすくはなっていたが買い物不便だ。地方の大都市は車でショッピングセンターで買い物だったが東京ではそうはいかない。駐車場がない、民間だと月4万円だ。車があっても乗っていくところがない。不便だった。
子供の教育や仕事の関係で結局人生で一番長く住んでいるのが東京になってしまった。こんなところで死にたくないと思うが行くところがない。人生いたるところに青山ありでなくしかたなく東京が青山。