北茨城には行ったことがなかったので行ってみました。
五浦海岸へ。
いづら海岸‥恥ずかしながらずっといつうら海岸だと思っていました💦
現東京藝術大学である東京美術学校を設立した岡倉天心が、明治時代に思索の場所として自ら設計したのが六角堂です。
東日本大震災の津波により消失、一年後に創建当時の姿で再建されました。
六角堂からの景色。
天心邸。現状は天心が暮らしていた頃の半分の規模だそうですが広い。
震災では天心邸の軒先まで、庭園全体が浸水したそうです。
「亜細亜ハ一なり」の碑。「Asia is one」
天心がインドで書いた「東洋の思想」の冒頭の一文です。
西洋文化に対抗しうる東洋文化への思いが込められているそうですが。。
天心が没して25年後に日中戦争が勃発。
この言葉は太平洋戦争時に海外侵略を正当化するフレーズとして利用されてしまいます。。
時折対岸の辺りから鐘を鳴らす音が聞こえます。恋人の聖地かな?って旦那が言っていましたが後で調べてみると、
五浦岬公園の展望慰霊塔にある鎮魂の鐘でした。北茨城市では震災で5名の方が亡くなられ、1名の方が行方不明になられました。
お昼は大津漁協直営市場食堂へ。
あんこう竜田丼が食べたかったのですが終わっていたのでばらちらし寿司に。綺麗で美味しかったけどあんこうも食べたかった💦
磯原海岸の二ツ島へ。近くに駐車場がなかったので、震災後に避難場所として整備された二ツ島高台公園から海岸まで歩きました。
高台に移転された消防署のすぐ近くにありました。
階段と手すりがきちんと整備されていました。
国道6号を渡るのがちょっと大変でしたが、二ツ島が見えてきました。
通りゃんせの像。野口雨情は北茨城市磯原町生まれだそうです。
二ツ島?一つしかない?
震災の津波により傍にあったもう一つの島は水面下に隠れてしまったそうです。
(震災前)
島の上部の草木もなくなり大きさも3分の2程度になってしまいました。
北茨城市は茨城県で一番被害を受けた地域です。震災の爪痕を心に刻む旅になりました。
男だけど女子力の高い店長からいただいたお菓子。
ハートのような花びらの形ですごく可愛いし美味しかったです