”気ままな…ホルン道楽”

ペットロボ考 序論(3/6)

小動物(ふれあい広場のうさぎ、ラットなど)と触れ合っていると安堵感に満たされます。
まぁ、幸福感の一種でしょうか。
でもこの安堵感どうして得られるのでしょう。
もしこれが生き物(ペットも含め)でなければ、得られないでしょうか?
生き物同士の、つまり小動物と人間との関係でなければ得られない安堵感なら、
生き物ではないペットロボットからは期待できないことになります。

でも、答えはNo!ですね。

全く同じではありませんが…、
子供の頃だっこして可愛がったお人形ありませんでした?
子供たちが幼い頃、妻がミシンで人形をこしらえ、洋服を着せ、毛糸の髪をつけ、
私がペンで目と鼻と口を書いた女の子の双子のお人形。
娘たちはそれを妹のように一緒に遊び布団に入れて寝ていました。

私も子供の時クマの人形(人型)を布団に入れて寝ていたのを記憶しています。
家族の一員のような気分です。
安堵感に浸っていました。

人面魚、人面犬とか昔流行りましたが、
人間の脳は、なんでも人の顔にみようとするのでしょう。
これはこれで困ったことです。

危険を察知するためかもしれませんが、
仲間がいることの安堵感なのかもしれません。

目と口(できれば鼻)がついてみるものをみると、
そこに生き物がいる場合と近い安堵感が得られるのではないでしょうか。
つまり、ペットロボからも、ふれあいにより安堵感は得られると思うのです。

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