☆★ 政府の懐が厳しいので、皇族の大規模リストラが実施される(1947年=11宮家51人の皇族離脱)。☆★ アンデス山中にウルグアイ空軍機571便が墜落(1972年)し、人間同士のぴー≪12月23日に生存者16名を救出≫が行われた。他方、アエロフロートIl-62型機がシェレメーチエヴォ国際空港への着陸に失敗して墜落、乗員乗客174名全員が死亡も起きる。☆★ そして、1977年 ルマ・デ・マヨルカ発フランクフルト行きのルフトハンザ航空615便ボーイング737型機がPFLPによってハイジャック。10月13日は航空業界の厄日ある。
本日記載附録(ブログ)
発明には失敗がつきものです。失敗を重ねて成功が生み出される。ローラースケートの発明者であるジョンは、まさかの失敗をしてしまう。軽快なる移動器具である車輪靴の発表会でのこと、演出を派手にしようとバイオリンを弾きながら登場したジョン。ここで彼はあることに気がつきます。
ブレーキがない!!?。どうすることもできない彼は、そのまま壁に衝突して止まる。色々な意味で「滑った」発表会になってしまったというお話。史実は、在英ベルギー人のジョン・ジョセフ・マーリンが、1760年にパーティで自身が使用したとされるが、これらが広まる事はなかった。
1863年の米国にて最初のクワッドスケートが発売される。安全で簡単に楽しめる遊具として広まり、ニューヨークシティやロードアイランドのニューポートに専用のリンクが開設された。そして、1979年の米国にてローランドプレード社のインラインスケートが発売される。
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
コロナで再燃、健康的なローラースケートの意外と長い300年の歴史……
◇◆ 最初のブームは19世紀後半、革命的なあるモデルが火付け役に =1/3= ◆◇
2020年、新型コロナウイルス感染症が大流行する中で、隔離期間中も安全に楽しめる娯楽として、米国でローラースケートの人気が大きく復活した。ローラースケートと言えば20世紀のもののように思えるかもしれないが、車輪付きの靴が最初に登場したのは1700年代だ。デザインの変更と改善が繰り返され、欧州および米国では19世紀を通じてスケートが流行していた。
ローラースケートの前身であるアイススケートの歴史は遥かに古く、紀元前1800年までさかのぼる。スカンジナビアの人々が動物の骨からアイススケートを作っていた考古学的証拠があり、人力の移動手段の先駆けだった。
アイススケートをヒントにインライン型が登場
靴に車輪を取り付けようとした最初期の記録のひとつは1700年代はじめのものだ。無名のオランダ人が、木製の糸巻きをあしらった木片を靴に縛り付けた。「スキーラーズ(Skeelers)」として知られるものだが、これはすぐに壊れてしまった。
もう一つ、初期の有名な試みが、奇抜なベルギー人発明家ジョン・ジョセフ・マーリンによるものだ。彼の場合は、木製の靴底に金属製の車輪をアイススケートの刃のように一列に取り付けた。1760年に行われた仮面舞踏会で、マーリンはバイオリンを弾きながらローラースケートで滑ろうとしたと言われる。しかし、速度や方向をコントロールできず、大きな鏡に衝突。鏡は粉々になり、バイオリンは壊れ、彼自身も負傷した。
もう一人、1790年頃にローラースケートの発明に挑戦したベルギー人がいた。パリに住んでいたマキシミリアン・ローデワイク・ファン・レーデだ。彼は鉄の底板に木製の車輪を取り付け、「陸上のスケート(patin à terre)」と名付けたが、あまり注目されることはなかった。と言うのも彼がフランス革命の最中にパリを脱出し、発明品を残して行かざるを得なかったからかもしれない。
世界で初めてローラースケートの特許を取得した人物は、フランスの発明家シャルル・ルイ・マリ・プティブレだ。3つの車輪が一列に取り付けられた木製の靴底を、ストラップで固定する形式だった。
その4年後、ロバート・ジョン・タイアーズが英国初となるローラースケートの特許を取得した。彼のスケート「ボリート(Volito、ラテン語で「飛び回る」の意)」には5つの車輪が付いており、体重を前後に移動させて操縦できるよう、中央の車輪が少しだけ大きくなっていた。1828年には、フランス人のジャン・ギャルサンが、3輪のスケートを作る際に同じ方法を採用する。
これらの初期のスケートはデザインの改良がなされていたとは言え、決して操縦しやすいとは言えず、まっすぐに進むかせいぜい緩いカーブを描くぐらいしかできなかった。
一列に車輪を並べるやり方を考え直したのは、パリの発明家ルイ・ルグランだった。かかとと、指の付け根のふくらみのあたりに、2個ずつ2列の車輪が付いた、いわゆるクワッドスケートを設計したのは彼だ。
ルグランのスケートは、1849年にパリのオペラ座で上演されたジャコモ・マイアベーアのオペラ、『預言者』で使用されて大きな反響を呼ぶ。その後、同オペラがロンドンのコヴェントガーデンで上演されたことで、ローラースケート人気はさらに高まった。
・・・・・・明日に続く・・・
⨁⨂参考資料: ローラースケート慨史 ⨂⨁
ローラースケート(roller skates)とは、車輪を靴底に取り付けて地面を滑走する運動用具。ローラースケートで滑走する事はローラースケーティング(roller skating)と呼ばれる。靴と一体型のもの以外にも、通常の靴にベルトで装着するものがある。
一般には自動車の様に車輪を四隅に配置するクワッドスケート (Quad skates) を指す場合が多いが、広義では車輪を縦一列に並べたインラインスケート (Inline skates) もローラースケートに含まれる。インラインスケートは商標であるローラーブレード (Rollerblade) とも呼ばれることがある。
公園や専用の施設で滑走する他、警察官や店員の移動手段としても使われ、国によっては車道をスケーターに開放するイベントも開催されている。
歴史
ローラースケートの起源については諸説あり、18世紀初頭のオランダで夏用のスケートとして作られていた、1743年のロンドンで演劇に使われていたとも言われる。
記録として残る発明者は在イギリス・ベルギー人のジョン・ジョセフ・マーリンで、1760年にパーティで自身が使用したとされるが、これらが広まる事はなかった。
1863年のアメリカ合衆国にて最初のクワッドスケートが発売される。安全で簡単に楽しめる遊具として広まり、ニューヨークシティやロードアイランドのニューポートに専用のリンクが開設された。
1979年のアメリカにてローラーブレード社のインラインスケートが発売される。
日本での歴史
1877年頃に日本にローラースケートが紹介され、1895年頃から普及し始め、1903年に日本体育会がスポーツとして導入した。1910年に浅草ルナパークのローラースケート場が成功した。1913年に子供達の間でローラースケートが大流行し、これをきっかけに広く一般にも広まり第二次世界大戦まで全国で次々とローラースケート場ができた。
1948年、倉敷の紡績工場にて、女工がローラースケートを履いて作業を効率化する試みが行われる。1952年に関東、関西、中部、四国、九州各地区にローラースケート同好会が発足している。
1953年に第1回全日本スピード・フィギュア選手権大会が、1960年に第1回全日本ローラーホッケー選手権大会が、それぞれ岐阜県大垣市で開催されている。1968年からテレビで「ローラーゲーム」が放映されると、子供達の間で一躍ブームとなり、靴の上から装着する安価なローラースケートが広まった。
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= High on Life': San Francisco’s Skaters Get Groovy =
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