【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

=今日の足跡が記録帖 & 幕間の狂言_◎ 05月13日(土曜日)=

2023-05-13 05:30:41 | 冒険記譜・挑戦者達

★忘備忘却録/きょうの過去帳・

◆ 少し遅れたくらいで刀の鞘を放り投げる等ブチ切れまくっていた佐々木小次郎に、宮本武蔵が巌流島で激しいツッコミを入れる(1612年=『二天記』による)。

◆ 仲間と強盗しようとしたがドジ踏んで警察から逃げ回った果てに瀬戸内海で客船を乗っ取った20歳の青年が、ライフル銃で銃撃戦を展開した挙句大阪府警察の狙撃手にバキューン!!されて死亡(1970年)。

◆ JR東日本が、鉄道史に燦然と輝く名言「E電」を発表する(1987年)。

 ᙡᙢᙡ 幕間の迷言・狂言・毒舌 =  カレーライス  = ᙡᙢᙡ

『カレーライス』とは、玄奘三蔵(三蔵法師)が当時のインドである天竺から持ち帰った、大変ありがたい食べ物(料理)である。なお、ライスカレーというものもあるが、前者が皿の左側にライスを盛り、右側にカレーを盛ったものであり、前者は適量ずつ混ぜながら食べるのに対し、後者は皿全体に盛ったライスの上にカレーをかけたもので、食べるときに混ぜるという行為を省略できるという「省エネ・フーズ」である。

博学氏曰く、カレーライスは、カレーを米飯にかけて食べる料理であり、インド料理を元に領主英国で生まれ、日本には明治時代に香港から伝わり、我が民族の特性で、独自に変化・発展した料理である。旦、トイレで食してはならない禁忌の食べ物である……

史実の紐解かば、「カレー」という料理の名を紹介したとされる書物は福沢諭吉の『増訂華英通語』(1860年、万延元年)で、「Curry コルリ」という表記があり、これが日本での始まりである。

  

更には、1872年(明治5年)に出版された敬学堂主人『西洋料理指南』にて調理法を初めて記載したのである。食材として「ネギ・ショウガ・ニンニク・バター・エビ・タイ・カキ・鶏・アカガエル・小麦粉・カレー粉」を挙げている。また、同年に出版された仮名垣魯文『西洋料理通』では、食材として「牛肉・鶏肉・ネギ・リンゴ・小麦粉・ユズ・カレー粉」を挙げている。

時は下り1906年(明治39年)には東京・神田の「一貫堂」から、初めての即席カレーといわれる「カレーライスのたね」が発売された。その内容は不明不詳だが、肉やカレー粉の固形化されたものであり、熱湯を注げばカレーとなるものとされる。1914年(大正3年)には、東京・日本橋の「岡本商店」から「ロンドン土産即席カレー」という即席商品が発売されている。

大衆化を狙った大阪の稲田食品製造所(現在のハウス食品)が1926年(大正15年)に、カレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分などを固形化した「インスタントカレールウ」を「ホームカレー粉」の商品名で発売。固形カレールウは、1954年(昭和29年)にエスビー食品が初めて発売した。

昭和30年代からテレビによるCMを主とした各製造販売会社の販売合戦が起こり、即席カレーの生産と消費が急増した。1960年(昭和35年)には大阪の大手菓子メーカー江崎グリコが板チョコの生産技術を生かし、ブロックごとに割って量を加減できる「グリコワンタッチカレー」を発売した。

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Today’s B.G.M, = Art Blakey & the Jazz Messangers - Live in Belgium 1958

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