【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

英国北部/ハドリアヌスの長城_踏破記1/2; 歴史深層(024)

2022-09-06 05:35:57 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年09月06日<ⰧⰊⰧ

☆★ 8月37日な君は明日か明後日か明明後日の予習をした方がいいかもしれない。いやはや、“松崎しげるの日(日本記念日協会認定)”なんだ!!?☆★ いやいや、ロリコンで妹萌えな某守護天使によれば、本日は世界人類の最も聖なる日である妹の日とのこと。☆★ パレスチナのゲリラが、いっぺんに5機の航空機をゲットする快挙を達成(1970年= PFLP旅客機同時ハイジャック事件)。ヨルダンの砂漠へ全機集めたものの、使い途に困り結果的に爆破処分する破目に。

本日記載附録(ブログ)

英国北部にあるローマ帝国時代の城壁(囲壁)。 ローマ帝国の国境線を防御する防御壁『リメス』の一部であり、ローマ帝国最北端の国境線である。 ブリテン島北部、イギリスとスコットランドとの境界線近くに、ローマよりアテネを愛した第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設された。

ローマ帝国は1世紀半ばにブリタニアまで領土を拡大させたが、ケルト人の侵入に悩まされていた。 そこで皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122年に工事が開始さた。 10年が費やされ、領土拡張を続けていたローマ帝国の、また拡張政策を断念した遺構として象徴的な存在である。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

かつてローマ帝国の北端だった英国北部に築かれた防御壁は……

◇◆  ハドリアヌスの長城を踏破した、今も英国に残る「ローマ帝国」 =1/2= ◆◇

    ハドリアヌスの長城はかつて、ブリタニアまで領土を拡大したローマ帝国の北端を示していた。それが今では、スコットランドの首都エディンバラや最大の都市グラスゴーに行くときに立ち寄る場所だ。2000年前とはすっかり変わってしまった。

 しかし、グレートブリテン島を横切り、東の北海と西のアイリッシュ海を結ぶ全長約120キロの壁、溝、塔、砦(とりで)は、今もなお人々を魅了し続けている。そして、着工から1900年目にあたる2022年、ローマ時代のよろいをまとった兵士たちが再び長城を巡回し、古代の楽器がその音色を響かせることになっている。

 そのため、訪問の絶好機であることはもちろん、端から端までハイキングしてみるのもおすすめだ。最も人気があるのは丘の斜面に広がる要塞ハウスステッド・ローマン・フォートで、年間約10万人が訪れるが、長城を端から端まで歩くのはわずか7000人だ。

 ローマ皇帝ハドリアヌスの時代(西暦117〜138年)は、ローマ帝国の権力が頂点に達した期間だった。ハドリアヌスは帝国史上最大の領土を統治しただけでなく、ローマ郊外のチボリにある豪華な別荘から帝国の境界線を示す防御壁まで、重要な史跡の建設者としても知られる。これらはいずれもユネスコの世界遺産に登録されている。

 ハドリアヌスが西暦122年に建設を開始した長城は現在の英ノーサンバーランド、カンブリア、タイン・アンド・ウィア州を通過する。スコットランドとの境界近くにあり、石垣や生け垣を目印に、古代から踏みならされてきた歩道、牧草地、森林、岩場を歩ける。地図をほとんど必要としないため、簡単なルートを探しているハイカーに最適だ。

古代とつながる絶好の機会
 完全踏破を目指すハイカーが比較的少ないということは、古代とよく似た風景を歩きつつ、遠い過去とつながる絶好の機会でもあるということだ。

 そこで私(トラベルライターのジョー・シルス氏)は、英国のナショナル・トレイルに指定されている約135キロのハドリアンズ・ウォール・パスを歩いてみた。東はニューカッスル郊外の海岸沿いにあるアルベイア・サウス・シールズ・ローマンフォートから、西はカーライル郊外の湿地帯に位置するボウネス・オン・ソルウェイまで続くコースだ。

 頑丈なブーツを履き、荷物で膨れ上がったバックパックを背負う私の旅には、考古学者のレイブン・トッド・ダシルバ氏という相棒がいた。私たちは長城を東から西へとたどることにした。旅費を節約し、長城が築かれたローマ時代の荒野を肌で感じるため、ホテルのカードキーの代わりにテントを携帯した。

 2021年夏、ニューカッスル市内の地下で壁の一部が新たに見つかり、大きな話題をさらった。イングランド、プレミアリーグの巨大なサッカースタジアムから1キロ余りしか離れていない場所で、水道管を敷設していた作業員たちが、現代のアスファルトのわずか60センチほど下に埋まっている約275センチの壁を発見した。現代生活と古代のルーツがそれほど切り離されていないことを思い出させてくれた出来事だった。

 ハドリアヌスの長城は世界遺産の中でも興味深い位置を占めている。防御壁はときとともに失われることなく、その輪郭に沿って生まれた新しいコミュニティーの一部に溶け込んでいった。壁の石は近くの農地に散らばり、礼拝堂や道路の基礎となっている。

「今では基本的にそうした扱いはしません」とトッド・ダシルバ氏は話す。「私たちは歴史を切り離して、フェンスで囲んでしまいますが、昔からそうだったわけではありません」

・・・・・・明日に続く・・・

⨁⨂参考資料: ハドリアヌスの長城、写真紀行(1/2) ⨂⨁

古代ローマ遺跡ハドリアヌスの長城
これは、古代ローマ帝国が繁栄し、ヨーロッパ大陸に領土を広げていった2千年ほど昔のこと。当時はまだヨーロッパの辺境の島国でしかなかったイギリスにもローマ軍が上陸し、ブリテン島を南端からじょじょにローマ帝国領として掌握していったのでありました。古代ローマ帝国最大の版図を実現したのは、第13代皇帝トラヤヌス(Trajanus)帝。その後を継いだ第14代皇帝ハドリアヌス(Hadrian)帝は、さらなる領土拡大政策をとるよりは広大化した帝国の領土保全と安定に力を注ぐことにしたのでした。こうして、紀元122年に、北イングランドに古代ローマ帝国の北限の国境として築かれたのがハドリアヌスの長城(Hadrian's Wall)。

このハドリアヌスの長城、中国の万里の長城のスケールには及びませんが、イギリス本島ブリテン島の西端カーライル(Carlisle)から東端、その名も、長城(walls)の終わり(end)、ウォールズエンド(Wallsend)まで117キロの長さに及びイギリス本土を横断しています。

現在、城壁の高さは保存状態のよい部分でも3メートルほどになっていますが、建設当時は、幅3メートル、高さ5〜6メートルの石積みの城壁が小高い丘の稜線に築かれ、中国の万里の長城同様、北方民族の侵入を防ぐ役割をになっていました。その北方民族とは、現在のスコットランドの先住民族にあたるピクト族。

城壁は、攻め込むのが難しい切りたった崖や急傾斜の丘の上から敵の侵入を見おろせる位置に建ち、1マイルごとに、「マイルキャッスル(mile castle)」と呼ばれる見張り用の砦(とりで)が築かれていました。

ハドリアヌスの長城はイギリス最大の古代ローマ遺跡であり、世界遺産にも登録されています。都市部に残されている長城の遺跡は、ごく一部になっていますが、
内陸部の田舎では、小高い丘の上を蛇行しながら伸びる長城の遺跡が広々とした緑の景色の中に視界の彼方まで続いています。

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  = ローマ帝国時代に築かれた117キロの城壁  =

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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