3月8日 ソコトラ (コーヒー938→3172 香ットう品2100→3445 小麦410→1605 琥珀1210→2827)
・交易品に竜涎香も加わっていた。
16日 マスカット (竜涎香1166→2150)
30日 バスラ
・酒場で アズィーサから樽ごと酒をおごられた。
「むさくるしい男ども」だと。なかなか気風(きっぷ)のいい女だ。
「巨大ゾウガメの盾」なるもののうわさを聞いた。
「盾になるほど大きな亀とは 浦島太郎をのせた亀の仲間だろうか?」とユキヒサと話し合っていたら、
「南の大きな島には 陸の上に象ほど大きな亀がいると友人の博士から聞いたことがある」とフリオが教えてくれた。
・「大輪の刺繍の絨毯」7500を買った。
4月11日 マスカット
21日 ゴア (魚肉288→1141 ヤシ油327→690 蜂蜜735→1978 麻織物537→2179)
24日 カリカット (こしょう1425→2592)
・タージマハル廟発見。
そこで イアンは クリスナーガと言う武器の話を聞かされた。
・エスピノサから拿捕した船を改造した。
ジーベック(見かけによらず中は広い)3隻にカノン砲4門搭載。トップセイルもつける。
サムブークにトップセイルやスプリットセイルをつけ、積荷倉庫を5室に。
しめて¥320,600なり。
5月17日 セイロン (なつめぐ770→2393 更紗1071→2529)
・ジーベック5隻に重カノン砲を4門筒とりつけ、帆もフル装備し装甲も取り付けた。
総費用¥1,072,900
・桁が大きすぎて実感がわかないが、最近わが艦隊の総資産はかなり膨らんでいる。
貯めこみ屋のクーンとエスピノサの資産のほとんどがこっちにきたのだ。
切込みの分配に預かった船員達が退職しないのが不思議なくらいだ。
・ユキヒサに重カノン搭載ジーベック5隻の艦隊をまかせ、インド洋の防備と交易を任せる。
シェンにはジーベック3隻とサムブーク1隻を率いて、主艦隊に同行してもらう。
東南アジアに預けてある船を引き出し、いずれは、シェンにも東アジア艦隊を任せるつもりでいる。
画像:黒舟来航① サスケハナ号(蒸気船)
「幕末・明治・大正 回顧八十年史」(東洋文化協會)より
ウィキペディアからの孫引き
1852年11月 アメリカ フィルモア大統領により派遣された東インド艦隊(4隻)は琉球占領をももくろみながら出港。
1853年5月 サスケハナ号を旗艦として 上海出港後 琉球王国へ
琉球王国に軽くいなされる(丁重にもてなし おひきとりねがう)
7月(陰暦6月)浦和沖にあらわれる。
・交易品に竜涎香も加わっていた。
16日 マスカット (竜涎香1166→2150)
30日 バスラ
・酒場で アズィーサから樽ごと酒をおごられた。
「むさくるしい男ども」だと。なかなか気風(きっぷ)のいい女だ。
「巨大ゾウガメの盾」なるもののうわさを聞いた。
「盾になるほど大きな亀とは 浦島太郎をのせた亀の仲間だろうか?」とユキヒサと話し合っていたら、
「南の大きな島には 陸の上に象ほど大きな亀がいると友人の博士から聞いたことがある」とフリオが教えてくれた。
・「大輪の刺繍の絨毯」7500を買った。
4月11日 マスカット
21日 ゴア (魚肉288→1141 ヤシ油327→690 蜂蜜735→1978 麻織物537→2179)
24日 カリカット (こしょう1425→2592)
・タージマハル廟発見。
そこで イアンは クリスナーガと言う武器の話を聞かされた。
・エスピノサから拿捕した船を改造した。
ジーベック(見かけによらず中は広い)3隻にカノン砲4門搭載。トップセイルもつける。
サムブークにトップセイルやスプリットセイルをつけ、積荷倉庫を5室に。
しめて¥320,600なり。
5月17日 セイロン (なつめぐ770→2393 更紗1071→2529)
・ジーベック5隻に重カノン砲を4門筒とりつけ、帆もフル装備し装甲も取り付けた。
総費用¥1,072,900
・桁が大きすぎて実感がわかないが、最近わが艦隊の総資産はかなり膨らんでいる。
貯めこみ屋のクーンとエスピノサの資産のほとんどがこっちにきたのだ。
切込みの分配に預かった船員達が退職しないのが不思議なくらいだ。
・ユキヒサに重カノン搭載ジーベック5隻の艦隊をまかせ、インド洋の防備と交易を任せる。
シェンにはジーベック3隻とサムブーク1隻を率いて、主艦隊に同行してもらう。
東南アジアに預けてある船を引き出し、いずれは、シェンにも東アジア艦隊を任せるつもりでいる。
画像:黒舟来航① サスケハナ号(蒸気船)
「幕末・明治・大正 回顧八十年史」(東洋文化協會)より
ウィキペディアからの孫引き
1852年11月 アメリカ フィルモア大統領により派遣された東インド艦隊(4隻)は琉球占領をももくろみながら出港。
1853年5月 サスケハナ号を旗艦として 上海出港後 琉球王国へ
琉球王国に軽くいなされる(丁重にもてなし おひきとりねがう)
7月(陰暦6月)浦和沖にあらわれる。