涼やかな風を感じた。ほんのり湿り気を帯びた気配が髪をそよがせる。ひんやりとして心地よい。
ぴとん… ぽとん…
水音がした。
そういえば雨が降っていたっけ…。
ディアッカがスカンジナビア公国におけるプラント大使館設立のために地上勤務となったのは、折りしも公国とオーブの国交200年記念祭を目前とした時期だった。両国では様々なセレモニーやイベントが予定され、その取材も兼ねて私は北の国へ赴き、ディアッカとのお試し共同生活を試みたわけだ。
もちろん取材経費節約のためでもあるが、いや、もう、なんというか、いろいろ便利で面白いし、この先も腐れ縁が続きそうだし、嫌じゃないし、等々の様々な理由を言い訳に自分を納得させ、超長遠距離恋愛に終止符を打った。実際周囲の圧も強まったせいもある。両親やエルスマン家の期待、友人たちの好意とおせっかいが二重三重に包囲してきた。今回のディアッカの地上出向にしても議長の強力な推薦があったらしい。キラいわく、
「オーブの大使館勤務になった時の実績が買われたんだよ。でも二人に何の進展も無かったからもう一回チャンスを与えてくれたんじゃない? 任命式の時もラクスが『プラントの少子化政策の希望の星となってくださいね』とか囁いてたし。」
それって、駐在武官の任務として有りなのか? という疑問はさておき、大使館勤務において各国との交流・情報収集のために奥方達の役割が重要なのは理解している。ディアッカにとっても女性パートナーがいることは望ましいのだ。婚約者という建前で官舎となった借り上げマンションに住まわせてもらうのだから、できる限りのヘルプをする覚悟はできていた。
今回の取材は200年祭の観光イベント紹介や、両国の交流に尽力した人物へのインタビューなど比較的ソフトなものだが、並行してプラント大使館の交流事業にも参加すると結構多忙な日々となった。眠気や嗜好の変化は、体がまだ環境に慣れないためと思っていたが、念のため確認したら試験薬は大当たり。すぐに産科で診てもらうと8週目だった。
ディアッカの喜びようと動揺ぶりは小一時間続き、狡猾といわれた赤服とは思えないほどの言動に密かにギャップ萌え、もとい、ほほえましく思った。彼以上にハイテンションだったのはオーブとフェブラリウスの親達で、早くも孫溺愛発言を連発しまくっていた。
入籍とか式とか、生まれてくる子供の国籍とか問題はいろいろあるが、まずは無事出産できるよう努めることにした。幸い悪阻はさほどきつく無かったので、契約した取材もこなし、臨月前には現地のフリーライターに交代できるよう手配も整えた。公国はナチュラル・コーディネーター双方の医療関係も充実しているし、ディアッカには一番に子供を見せてあげたいから、このまま公国での出産をと考えていた。が、これが結構揉めた。三か国会議が開かれるほどに。
オーブの両親は、仕事を早めに交代し、安定期に帰国して親元での出産を希望した。
プラントの義父は最新医療の整ったフェブラリウスでの出産を打診してきた。現在、軌道エレベーターの試験的運用が開始され、体に負担をかけずに宇宙へ上れるようになっていたからだ。また、第二世代コーディネーターとナチュラルとの自然受胎・妊娠・出産の臨床データは貴重で、今後のプラントの人口問題に大いに役立つ必要なものだから、と。
人口問題となると、ここで議長が出てくる。するとオーブ側も代表首長が出張る。公国の主治医および病院側も母体と子供の安全のため、遠距離移動や急激な環境変化は避けたいと主張する。
税金使って衛星中継してまで討論することかと、あきれつつも、皆の好意に応えるべく会議に臨んだ。ディアッカは「ミリィが決めていいよ」と言ってくれたので、気が楽になる。
三か国それぞれの申し出をありがたく受け止め礼を述べたが、やはり父親たるディアッカには側にいて、胎内で育つ段階から一緒に見守ってもらいたいから公国で出産したいと返答した。
傍らにいたディアッカがすごく嬉しそうに微笑み、椅子に座って通信する私をバックハグした。これを見たアスハ代表首長は友人カガリに変わり、「ミリィがそういうなら、しかたないな。強引にオーブへ帰国させたらディアッカに一生恨まれそうだ。」と笑った。議長もプライベートの時に見せる歳相応の女子モードで「そうですわね、ディアッカさんにはイクメンの経験をしっかり積んでもらわねばなりませんものね。」と、微笑んだ。
一応公国での出産に落ち着いたものの、フェブラリウスの義父から三か国の合同医療チームを立ち上げ、それぞれの国の専門家が見守ってはどうかと、提案があった。即座にディアッカが割り込んできて冷ややかな声で言った。
「ミリィをモルモットにする気か?」
肩に置かれたディアッカの指に力が入る。まずい、これは本気で怒ってる感じだ。
「ディアッカ、苦しい。胎児に障る。」
「あ、ごめん、大丈夫か?」
とりあえず“赤ちゃん”を盾に落ち着かせ、狡猾顔をパパ顔に変えさえる。それからモニター画面の義父をまっすぐ見つめ、深呼吸して応えた。
「これからは私と同じような女性が増えると思います。前例があればより安心して子供が生めます。私のデータをこれからの母親達のために役立ててください。」
「そうか、ありがとう!ミリアリアさん。」
「ちょ、ちょと、待てよ!」
「では早速、EMI(エルスマン・メディカル・インダストリア)の最新医療機器と精鋭チームを送るよ。」
「オーブからも専門の医師を派遣しよう。第一世代とナチュラルとの出産データは参考になるだろう。」
「我々公国もデータは提供できますし、産科と遺伝子検査のスタッフをそろえましょう。」
「なに、勝手に決めてんだよ!」
「これでプラントの人口問題にも一筋の光が見えてきましたわ。vv」
「予定日頃には、母さんそっちへ行こうかしら。有給休暇溜まってるし。」
「え?ええ?お前ひとりで行く気か?」
「お父さんも来れば? 公国の夏は涼しいし森と湖がきれいよ。」
「公国への親善訪問をその時期に合わせる手もあるな、秘書官、調整してみてくれ。」
「それなら、僕たちも行けないかな? 大使館の正式オープンにあわせて。」
「そうですわね、カガリさんもいらっしゃるなら三か国の友好親善にもなりますし。」
「じゃあ、アスランにも声かけておくよ。夏至の時にそっちじゃザリガニ食べるんだってな?楽しみだ。vv」
「俺の話も聞けー!!!」
もちろん誰も聞いちゃいなかった。