
幸福と不幸
不幸であるということは、中島みゆきの歌のように快楽を伴うものであるから、幸せになることを躊躇する。そしていま機を失おうとしている。機を失うことをどれだけ後悔して今があるか?でもまた、今回も機を失おうとしている。もしかして、機を失って後悔することに、快感を覚えてしまったのか?そんなはずはない、しかし待てよそうかも知れない。そして儂の子孫は滅ぶ。その不幸もまた、快楽なのか?寂しい時間、それも、求めてることなのか?好きな人は、ある距離を持って、離れずもせず、近づきもせず、存在を確認し、自分を成長させる礎であって欲しいのか?肉体的な関係は、あえて、愛のない遠い存在と、交わりたいのか?まだ半世紀しか生きていない。自分のことが分からない。みんな分からないから恋愛をする、分からないから結婚をする、分からないから子を産む。絶対恋愛で結婚すると思ってたけど、お見合いの方がよい気がしてる。家を出れば出家、家を守れば在家。妻を取らねば、関東タンポポ一本残せない。父母から伝わる技術も残せない。納豆買いにいく時間だけれど、明日は沢庵とごま塩で、涙を流したい。
ワクチンとか治療薬で、かえって悪化させ、死亡に至るのかなと、分析してる。