細菌戦の系譜!!

2023-07-02 09:50:22 | Weblog

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

 

 
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」

 
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が 開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

 

 
 
 
新版 「帝銀事件」 森川哲郎 (抄録)
 
第1章 犯人適格者の追及
 
米軍の重要機密戦略に触れる
 
米軍の政策の大転換
 
 その中でCICの使命は米軍の秘密が敵国に漏れないための防諜工作及び、政治工作さらに進んで破壊活動も含めた積極的な地下謀略工作とスパイ活動であった。
 彼らの中には軍服を着ていた者もあったが、商社マンやバイヤー、新聞記者等々に変装した私服の地下工作員が、日本全国の各階層の人々の中に潜り込み、それぞれの使命を帯びて、スパイ、組織破壊、あるいは日本人のスパイ養成のための誘拐、拷問等々あらゆる残忍陰険な謀略工作を行っていたのである。
 
 

松本清張と帝銀事件第2部

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帝銀事件1審第1回公判(東京地裁)

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帝銀事件①


帝銀事件と薬害エイズ事件

 

冤罪が晴れてもその後の人生に困難を伴う!

社会が許さない 釈放後も「地獄」

 

 

 

 

 

 



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

 

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

             伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

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細菌戦の系譜!!

2023-07-02 09:47:44 | Weblog

●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』

・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?

・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。

・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??

・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。

 

実験医学雑報20巻 第7号(1936年)

本所職制改正

この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。

特別研究室とは何だ??

 

実験医学雑報22巻 第5号(1938年)
 
 
挨拶(要旨)
         笠井久雄
 城井先生の門下生中最も永くお仕えし、又最も年長の者として御挨拶することを光栄と思う。世話人一同に門下生として厚く御礼を申しげると同時に、城井先生の矍鑠壮者をしのぐお姿を拝し、又御令息を伴って来られて、門下生一同嬉しく思う。
 先生はいろいろの業務に携われ、門下生もたくさんあるが、お仕事が主に製造作業であった関係上、学問上の仕事をするには幼稚な頭の持ち主が多く集まり、従って先生もその指導に骨が折れたものと思う。それにもかかわらず豊富なご経験と堪能なご技術とに以て手を取って教えられた。それゆえ準備知識の足りない門下生も大した落度もなく働くことができた 。中には無理を言った門下生もあったが、先生は寛大で諄々と説いて正しい方へ導かれた。工手・女工手が仕事をする時、特に忙しくて何も知らない者が臨時雇いとして入ってきた時等、これらに対して一々手を取って教えられた。そして仕事が暇になるとかように教え込んだものの中、成績の良い者は他の室へ採用してもらうように回された。これは実に骨の折れる仕事であったと思うが、先生は始終いろはからよく教え教えられた。我々 門下生一同はこの点を深く先生に感謝する。
 

1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田
で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??
 

浜一中大福餅事件

浜松一中の慰霊碑

 

大牟田爆発赤痢事件(昭12.9.25)は計画された陰惨極まる国家犯罪である!! : 真因は毒ガス・赤痢菌による人体実験

 

 大牟田の爆発赤痢の慰霊碑(表)

 

大牟田の慰霊碑(裏)

 

(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」

 

<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。

 

 

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

                    北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)

 

(資料)

1988(昭和63)年8月21日(日) 朝日新聞

旧陸軍の細菌兵器開発

東京の防疫研究室が中枢

軍医学校の極秘報告書が見つかる

 

「731」は実戦部隊

作家の山中氏が入手

 

朝日新聞

軍医学校報告書

細菌兵器の機密43年経て見えた

 

伏字の報告文

 米国公文書館にある米軍の調査報告書『トンプソン・リポート』には、石井元中将の片腕と言われた防疫研究室教官、内藤良一元軍医中佐(終戦時)が「(軍医学校)生物戦の攻撃的側面を含む研究も行なわれていた」と述べ、その例として「食糧に対する謀略に使える安定した毒物の発見につとめた」としている。「リポート」はこの1例にフグ毒を挙げている。フグ毒は食物に混ぜても味が変わらず、フグを食べる習慣のない国では中毒の原因が分かりにくい。そのため要人の暗殺用に考えられていたという。

 見つかった研究報告の第639号と第696号が、フグ毒に関するものだ。第639号は、文献の集成。第696号の「河豚(フグ)毒の大量生産に関する研究」は、フグの卵巣の抽出法を見極めたとしている。

 
科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)





この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?
 

埋もれた細菌戦調査書

 

米中の生物兵器開発?

 

 ●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

 
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
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細菌戦の系譜!!

2023-07-02 09:44:36 | Weblog
 
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

 

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
          
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』



 はじめのことば

以後、満州に関する講演会などに出かけ、日本が何をしてきたか知るに及び、満州事変の年に現地で書いていた父の日記を避けて通れなくなりました。2020年春、新型コロナウイルスが蔓延し、4月には緊急事態宣言が発令されました。疾患のある人や高齢者は重症化しやすいと耳にするたび、「いつか」はないかもしれない、この機会に転記しておこうと思い立ったのです。


 
軍都広島での物語
原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
 
 
  その日はいつか

 

  
  君は知ってはいなかった、

ハーケンクロイツの旗が折れ

ベルリンに赤旗が早くもあがったため

三ヵ月後ときめられたソヴェートの参戦日が

歴史の空に大きくはためきかけたのを

 

 
 

原爆投下

 
" target="_blank">原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
 
" target="_blank">封印された原爆報告書
日本政府は、原爆が投下された後、その威力調査を行ない、その結果をまとめて、戦後、アメリカへ英訳して渡した。被爆者の治療は殆どされず、人体実験迄行われた。

原爆の威力調査を行い、原爆による「死亡率曲線」などを
作成した。全部で181冊の原爆報告書はすべて英訳され、アメリカに渡された。
その報告書は、もっぱら731部隊などの残虐行為の免責を得るためのカードに使われた。
苦しんでいる被爆者の治療はほとんどされなかったし、入市被爆などの事実も国民には知らされなかった。
また、被爆者本人の治療にも生かされなかった。" itemprop="description"><iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x8669gl" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""></iframe>

 
" target="_blank">原爆初動調査1
1945年9月に被爆地に残留放射線があったにもかかわらず、日米両政府は戦後それを隠蔽してきた。
<iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x87n39j" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""></iframe>
 
 
 
 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』

731研究会編

 Ⅰ 731部隊

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ

撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

 

大竹康二

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ

1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。

43年8月開拓団入植

1945年5月 122師団(牡丹江)入隊

1945年6月 731部隊教育部に配属

1945年8月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの

“731”のことなど

『悪魔の飽食』(森村誠一著)が出て評判になって、かなりはっきりわかりました。でもわしはあの本、読んでない、嫌だった。人間としてやっちゃいけないことだよ、あれは。あの何日間がなければよかった、と今思います。一旗揚げようと“満洲”に行って、そして裸一貫十分食っていけると思っていた矢先に兵隊に引っ張られて・・・。“満洲”での生活は、人種は違っても、本当にみんな仲良くやっていました。

日本軍政下香港(1997.7.27)

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細菌戦の系譜!!

2023-07-02 09:42:51 | Weblog

●『論争731部隊』

松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
 
 
速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
 

本件の検定経過内容をご覧いただいて、また色々とお話をいただいた、歴史学者、専門研究者、あるいは教育者としてのご意見を承りたいと思います。

 

そういう疑念を、疑念を、やはり否定していただきたい、それが今後、本当の意味で日本人が国際協調していく、国際人としてこれから若い世代が生活していく、そういう中ではどうしてもきちんと教えておいていかなければならないんじゃないかと思います。そういうことで、裁判長、是非、こういう事情を直視されて、一審の誤審をただしていただきたい、そして国際協調への障害の1つになっているこういうことを是非除去していただきたい、そういうことで歴史に残る公正なるご判断を希望したいと思います。よろしくお願いいたします。

 
 
 

 

●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)

Ⅳ 恒常化する毒ガス戦 1938 ~1941

2 修水渡河作戦

 

大規模毒ガス戦の諸記録 


  以上から、修水渡河作戦に際しての嘔吐性ガスの大規模使用の事実は、疑う余地がないほど明確に把握できる。連日の雨のため、降雨の中で渡河作戦は強行された。飛行機は使用できなかったが、重砲・野山砲・迫撃砲ガス弾とともに、毒ガス筒が集中使用されたのである。使用後に傍受した国民党軍第79軍長夏楚中の電報によれば、毒ガス攻撃を受けた第76師では「第1線部隊の将兵中毒するも続出し、本師前方医院に於いて死亡するものはほとんど中毒患者」だったという。渡河した部隊はまもなく27日に南昌を占領した。

 
 
海軍の相模海軍工廠跡(寒川)を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 

 

 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)

 

 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
大久野島の歴史
 
Ⅳ 日本軍の毒ガス戦
 
 
③日本軍の毒ガス使用の本格化 
 
 中国の首都の南京攻略戦においても毒ガスを使用する作戦計画が作られていました。南京を包囲してイペリット弾と焼夷弾によって空爆し、南京市街を廃墟にするという計画でした。この作戦では徹底的に毒ガスを使用すること、使用を躊躇して、上海戦のような日本軍に多大な犠牲を出してはならないという考え方がありました。しかし、中国の首都を毒ガス攻撃して、廃墟にするという作戦は国際的な非難を浴びると考え実行されませんでした。このような計画が作られていたということは日本が催涙ガス以外の毒ガスも使用する意図があったことが分かります。
 

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶

<iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" title="Dailymotion動画プレーヤー" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x8grcvw" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""> </iframe>



 
中国と日本には、多くの被毒者(毒ガス被害者)がいる!!
チチハル事件以後、一時金は出ているが、不十分である!!
 
山下基之弁護士の話
 
 チチハル毒ガス被害は、日本政府が「旧日本軍の毒ガスである」と認めたことが、先行している二つの裁判と 違うところです。しかし政府は、被害を補償するのではなく、「遺棄化学兵器処理事業に係る費用」として三億円を支出したに過ぎません。中国政府は約八割 を、直接、被害者に配分しましたが、一時金では不十分です。事故時の入院費用だけで受領金の三分の一近くかかってしまった人もいる。将来の入院費を心配し て、重篤な症状を抱えたままの人も多い。
 被害者の全面的な健康調査を実施しなければ、全容は明らかになりません。医療保障とあわせ生活保障が必要です。外務省を窓口に継続的な協議をしていくと同時に、世論にも訴えていきたい。
 

 

認定NPO法人化学兵器被害者支援:​日中未来平和基金

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細菌戦の系譜!!

2023-07-02 09:40:15 | Weblog
●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

核時代39年(1984年)5月初版発行

強制労働

殺人長屋に押し込めて酷使

 

大西馨(おおにしかおる)

大尉

〈略歴〉

本籍 愛媛県

学歴 高等小学校卒業

出身階級 貧農

所属部隊名 第42野戦道路隊

年齢 47歳

 

 

その時、隣の台車から3人の捕虜が飛んできて、仲間の怒りをなだめながらやっと復線したので、台車の列は再びきしみの音を立てて進んでいった。これを見て馬に乗った浅川中尉は、「おい、もっと馬力をかけろ、のろいぞ!!」と怒鳴った。

 台車を押す捕虜の下半身はひどいかさぶたで皮膚の色はなかった。車を押して歩くたびに、膿で固くなったかさぶたが綿袴(めんこ・・木綿のズボン)にすれて剥がれ、真っ赤な肉がすれて引き裂かれる。板さをぐっと我慢して、一生懸命押しているのであった。浅川中尉の声に兵隊たちは車の辺りに寄ってきて、「もっと力を入れて押せ」と急き立てた。

 

 

 

 

 

    

 

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
 

●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著

第3編 主要極秘文書

1 三矢研究



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3 日米の対処方針 

(1)極東全般の戦略構想 

 

日本側・・・米国の意見を了承した。

 次いで、当面の朝鮮の武力戦に対するソ連の直接的介入は、日本にとって一大関心事であり、日本に対する事態の波及に大なる影響があるので、その情報については、今後密接な連絡調整を図り、特に日本側の収集能力不足の現状に鑑み、迅速な情報の提供について要望した。

米国側・・・ 関係機関において善処する旨約した。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

 『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

第4代衛生学校長

 

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

 

 

金原節三と細菌戦

 

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

 

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

 

金原節三と武見太郎

 

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

 

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

 

『軍事史研究』2010年9月

軍事史関係史料館探訪(56)

陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館

喜多義人

 

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。

 
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細菌戦の系譜!!

2023-07-02 09:36:57 | Weblog

●『BC兵器』 久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

3,自衛隊における人体実験の疑念 

“人道的兵器”は存在するか

ここには、生物・化学戦争における「防護とは何か」という問題も提示しているのだが、先の吉田論文で、「その驚異的な威力を国力の策源である国民に対し単に誇示することによってのみ、その意志の屈服を余儀なくさせることを可能ならしめ」「もし、相手国及び国民に防護手段が無いとすれば、そこには屈服の道を選ぶしか方法がないということになろう」ということは、既に熱戦開始以前の段階においての攻撃を行なうことが、最も政治的な効果を高め得る事は言うまでもないし、特に生物兵器の特性というものを考えるならばそうである。

第5代衛生学校長

 井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

 1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

 第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

  井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

 又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。

東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。

※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。

1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

 

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 

 
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
 
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
 
 
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 ※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

 
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

    第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年

第5章   新しい皇室、新しい国家主義

 1927年以来、宮中グループは君主制を新しいイデオロギー的枠組みに位置づけ、大正天皇の病弱で15年近く続いた天皇権力の衰微を挽回しようと努力した。彼らはそのために、「立憲君主」としての天皇という便宜的虚構を利用した。もちろん彼らの考える「立憲君主制」とは、西洋のそれのように、君主の強大な権力を制限する方策ではなかった。それは単なる隠れ蓑にすぎず、天皇は裏で権力を自由に行使し、事情が許せばそれを拡大さえしながら、責任は負わないのであった。昭和の新時代の発足に当たって宮廷側近が目指した目標の核心は、昭和天皇が真に統治権を行使できるようにすること、彼が総理大臣を選任するのを補佐すること、彼の意思が内閣の決定に確実に組み込まれるようにすることだった。彼らの言う「憲政の常道」においては、内閣の意思は若き天皇の意思を反映していなければならないのである。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

RENUNCIATION OF WAR Article 9.
 
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

IMAGINE9

解説

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。

世界は、9条をえらび始めた。

日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って、私たちに必要なことは平和への挑戦です。

―コスタリカ、20代・女性

 

日本国憲法第9条の改定に反対です。

―ロシア、20代・男性

『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)

願わくは、戦没者たちが、自衛隊の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者」ということや「戦没者の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊の中でも「戦没者たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊が戦没者たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)



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細菌戦の系譜!!

2023-07-02 09:17:44 | Weblog
 
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

 

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
 
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
 
※私が考える、今の異常気象の要因は

 

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、戦争、

3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核被災に苦しむウイグルの人々

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

 

・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。

 
核兵器禁止条約

歴史

2016年10月28日(日本時間)、国連総会第一委員会(軍縮)において、多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案“Taking forward multilateral nuclear disarmament negotiations”(document A/C.1/71/L.41)が、賛成123、反対38、棄権16で可決された。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、日本は反対票を投じ、北朝鮮は賛成、中国は棄権した。

2017年07月07日に国連本部で開催中の核兵器禁止条約交渉会議にて賛成122票、反対1票(オランダ)、棄権1票(シンガポール)の賛成多数により採択された。

核兵器保有国(NTP上のアメリカ合衆国・中国・イギリス・フランス・ロシア、およびインド・パキスタン・朝鮮民主主義人民共和国)は不参加。なお北朝鮮は前年の決議からこの条約の採択の間に不参加に転換した。

アメリカ軍の核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国(オランダのみ参加し反対票)や、アメリカ合衆国との軍事同盟を結ぶ日本・オーストラリア・大韓民国なども不参加。

MNNA諸国の多く、東南アジア諸国連合(棄権のシンガポール以外)、ヨーロッパではNATO非加盟のスウェーデン・スイス・オーストリア・アイルランドなどは賛成した。

水素爆弾の恐怖・ビキ

ニ環礁 (アメリカ) 

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】

核実験の人体実験

 


●核融合もすべきではない!!

 

 

 
 
 
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「反原発!!」と叫ばない!!
 

 

       

      


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

 
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
 
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した
 

 

 

 

 
 


 

 

 

福島第1原発事故



           











 

 


 
 
 
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

 
 

 

 
 
 

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