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●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●第24回 スタディツアー 事前学習会
●文学者の戦争協力
●香港の皆様へ!!
●731部隊「講演と合唱の夕べ」
●北宏一朗さんを偲ぶ
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
●「北東アジア国際関係の激変と日中関係」 大西広慶応義塾大学教授
●731と米国の核戦略
●防衛省731部隊情報公開裁判の途中経過から見えてきたこと
●原子爆弾症研究者都築正男と米の核戦略
●武見太郎と金原節三の関係
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
―毒ガス、化学戦、悪魔のネットワーク―
相模海軍工廠、海軍技術研究所こそ、陸軍の大久野島、科研、登戸研究所と対をなす化学戦の重要なネットワークの一部と位置らけられます。
日本政府には、陸・海軍の行った秘密の化学戦の全容を明らかにする義務と責任があり、遺棄・隠匿された毒ガスの回収・無害化を国内外にわたって一刻も早く進めなければならない。何故ならば毒ガス兵器は生きており、いつ住民に襲いかかるかわからないからです。
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
危険性高いウイルスの取り扱い 住民に伝達 国立感染症研究所
危険性高い病原体扱えるBSL4稼働へ 武蔵村山の施設
日本、IWC脱退=31年ぶり商業捕鯨再開へ
北方領土問題「進展なく残念」 日ロ首脳会談受け元島民
アイヌ文化の発信拠点 菅氏が視察「北海道観光の起爆剤に」
訪韓中のトランプ大統領 キム委員長と面会実現か 注目
韓国ムン大統領 安倍首相と非公式の接触もなく帰国へ
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声
辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
イージス・アショア 田岡俊次 青木理
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月13日
・本当に真実は曲げられ、日本が加害の側に立っていたことはウソだったように思い込まそうとする政府。子や孫に真実を伝えないと、日本は再び戦争をすることになってしまうと、感じました。(女性、60代)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
追われるもの
野口傭員も自分だけの憶測を語っているだけらしいが、私は、これはかなり根拠がある説だと思った。
ソ連機の爆音が追いかけるように、忘れかけたころになると、決まって聞こえてくる。
情報を取りにいっていた尾藤属が帰ってきて、牡丹江方面の友軍は頑強に敵の進撃を阻止しているが、外蒙から入ってきた敵機動部隊は意外に足が早く、これまでの速度で来るとすると、14日には新京に到着するだろうから、それまでに新京を通過してしまわなければならないのだ、と言う。
「こんなに、もたもたしていて行けるのかなぁ」
「何やってんだ、いつまでも・・・・」
などと、雇員や古顔の傭員たちは不平がましくつぶやいていた。
「ま、当分は大丈夫さ。今の内に、よく睡眠をとっておくんだな。いつまた眠れんようになるか分からんぞ」
尾藤属が、そう言ってくれるので、私達はまた眠りについた。
ハルビンに着いたのは、深夜であったが、まだ眠気の抜け切らない私は、おぼろげに覚えていただけである。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
しかし防御の方法を研究するのに自分の軍隊を使うとしたら、代価は高くつく。理想的な方法は、平時にいつでも利用可能な実験対象を求められることだが、このような特別希少な人体実験対象がうまい具合に731部隊に大量に存在した。そして731部隊は人体に対して各種各様の細菌実験を行い、同時に毒ガス実験を行っても、それは人体を十分利用するに過ぎない。問題はこのように簡単に解決した。2つの悪魔部隊は緊密に協力し合っていたのである。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
3)憲法前文、9条と第1章の根本的矛盾
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本は天皇制軍国主義の下で、アジア太平洋全域で、文字通り「専制と隷従、圧迫と偏狭」を作り出してきた国家であった。これを深く反省し、その責任を痛感し、その責任感を内面化することによって、国家=政府が再び戦争を起こすことを国民がさせないという決意をここで確認しているわけである。その上で、人間相互の平和的関係を構築する上で国際社会に大きく貢献し、そのことで名誉ある地位を占めたいと主張している。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
1938年11月9日*を思う
*「水晶の夜」
ベルリン医師会の声明
※ポグロム(ホロコースト百科事典より)・・・ポグロムというロシア語は、「破滅させる、暴力的に破壊する」という意味を持っています。歴史的にこの言葉は、ロシア帝国のユダヤ人以外の市民が地元のユダヤ人に対して行う暴力的な攻撃を意味します。ナチスドイツでは、ユダヤ人に対する公然の暴力が許容されており、奨励さえされていました。ナチスのリーダーは、厳しい反ユダヤ主義の施策を打ち出すにあたって、このような行為が市民の「心の準備をする」のに役立つと判断したのです。たとえば、1935年9月にニュルンベルク法が布告される前の夏には、ドイツ全土でユダヤ人に対する暴力行為が頻繁に行われました。これらの行為には、シナゴーグの焼き討ち、ユダヤ人所有の家屋や企業の破壊、身体的暴行などが含まれていました。同様に、「水晶の夜」と呼ばれる全国的に組織化された暴動が1938年11月9日~10日に発生した後には、反ユダヤ人主義の法律が相次いで定められました。アインザッツグルッペン(移動虐殺部隊)は、新たに征服したソ連領の市民によるポグロムを許容し、奨励さえする命令を受けていました。1941年6月29日、ドイツ軍兵士による支援を受けたルーマニア当局と軍隊は、ルーマニアのモルダヴィア地方の都市、ヤシで発生したポグロムにおいて、少なくとも8,000人のユダヤ人を殺害しました。1941年7月10日には、占領下ポーランドのビャウィストク地区にある小さな町、イェドヴァブネの住民が、近隣の数百人のユダヤ人殺害に加担しました。
ポグロムは、第二次世界大戦と共に終わったわけではありませんでした。ポーランドのキェルツェでは1946年7月4日、生き延びて戻ってきたユダヤ人に対し、地元住民がポグロムを行いました。ユダヤ人がキリスト教徒の子供を儀式の生け贄として捧げるために誘拐したというデマが流れ、暴徒がユダヤ人を攻撃したのです。これらの暴徒は少なくとも42人のユダヤ人を殺害し、およそ50人以上に怪我を負わせました。過激なポグロムの恐怖は、ホロコーストを生き延びたユダヤ人の大半が戦後にヨーロッパを離れることを選択した動機の1つとなりました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年のあゆみ」
校長在職時代の憶い出
第4代校長 金原節三
敬礼や諸動作なども移り変わりの時期だったので、ひとかどの古参幹部の中にも校長室に入るのに、米軍式室内挙手をやる仁もおったし、訓練場で垣間見る隊員の回れ右にしても日米混在といった時代であった。
いよいよ待望の制服が出来上がり、着任式挙行と相成ったのは8月8日であった。本館北の広い訓練場に整列した学校職員、隷配属部隊の諸君を前にして、高い壇上から初訓示をした時は、10年も遠ざかっていたものが、突然、眼前に蘇った心持で、無量の感慨が去来するのを覚えたが、同時に、こうして再び国の組織体の一員になったという厳粛な事実の自覚に、文字通り身の内が引き締まる思いがしたのであった。
※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
同じことは統帥部長が大陸命、大海令に基づいて出すさらに重要な命令や指令についてもいえる。まず陸海軍の作戦課でつくられた草案は、部課長クラスにより修正され、次長から総長へと指揮系統に沿って上げられてゆき、発令される前に天皇の裁可を仰ぐため最終的には天皇に上奏される。このように、日本の戦争体制全体の活力となったばかりか、侵略戦争を遂行するための政策、戦略、命令を注意深く吟味して裁可した自由に行動できる個として、天皇の責任はきわめて大きい。
天皇は、問題の精査、勧告、そして、統帥部や陸海相に対するみからの質問や指令を注意深く繰り返すことで大本営と相互に影響を与え合っていた。昭和天皇はまた、みずからの地位を利用し彼らに心理的圧力を加え続けるにはどうすればよいのかを、繰り返し学んできた。日ごろは温和であり、ジョージ・スミス・パットン〔アメリカ陸軍の将軍。戦車軍団の指揮官〕ではなく、ジョージ・カトレット・マーシャル〔アメリカ陸軍の将軍、大戦中は参謀総長。のちに国務長官としてマーシャル・プランを推進〕のような礼儀正しさを保っていた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!