秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
日常/ #3ドキュメント2013.12.6
グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。
権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっとオープンに公開せよ!!
「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」
安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか?
共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。
※今の日本で「命の教育」などできるのか、疑問だ。過去の日本の残虐行為を全て日本政府からして隠し続け、「日本を取り戻す」、「美しい国」とか、天皇制の強化を唱えている。大人がきちんと過去と向き合っていない!!
第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア
●平和のための信州・戦争展IN松本 10/3(金)、4(土)、5(日)
●情報公開裁判 10月16日(木)
寄贈されたものを防衛省・自衛隊がなくすはずはないではないか!!
秘密国家日本は裁判を起こして闘わなければ、情報を公開しない!!
この際、アメリカから返還された全ての731部隊関連資料も防衛省は公開しなさい!!
2014年9月20日
●被ばくしたのは第5福竜丸1隻だけではない!!
第5福竜丸以外にも被ばくによって人知れず亡くなった方が数多くいるのではないか?
国は隠している!!(毎日新聞)
●気になるニュース
武力ではなく、どうしたら話し合いにって国際紛争を解決できるのか?
野党議員は2012年に町内有権者の45%に当たる544人分の有効署名で請求した住民投票条例案が多数与党で否決された件を挙げ、「住民の分断はいまだ続いており、住民投票で賛否を明確にするべきだ」と指摘している。
自衛隊配備問う住民投票 与那国町野党表明
火山列島日本!!原発再稼動は危険だ!!
<御嶽山噴火>死の頂 動かぬ6人 沈痛の緊急消防援助隊
御嶽山 死亡12人 心肺停止24人に
御嶽山噴火=続く火山活動
小泉氏 再稼働に反対 「想定外起こりうる」
731部隊、医師の責任問う 滋賀医大名誉教授が著書
細菌兵器を開発した旧関東軍731部隊など、戦争に加担した医師の責任を探る著書「戦争と医学」を、滋賀医科大の西山勝夫名誉教授(72)がまとめた。人体実験の実態や、戦後も検証が進んでいないことを取り上げ、医師の倫理を問いかけている。
■人体実験、進まぬ検証
西山さんは社会医学が専門で、2000年に発足した「15年戦争と日本の医学医療研究会」の事務局長。文献の検証や中国での現地調査を重ね、医師と戦争の関わりを追及してきた。来年春に関西で開催される「第29回日本医学会総会」を前に、これまでの集大成として出版した。
著書では、731部隊に京都大出身の医師らが関与し、中国人捕虜の人体実験が行われたことなどを説明。終戦後は、「731部隊の実験結果を必要とした米国の思惑から、戦犯を免責された」という。戦後、同部隊の関係者らが、人体実験の結果を学位論文の資料に流用していることも指摘した。
07年に開かれた日本医学会総会で、西山さんらが医師の戦争加担を取り上げるように働きかけたが、実現しなかった経緯なども振り返っている。
西山さんは「二度と医師が戦争に巻き込まれ非人道的な行為に加担しないように、医学会自らが反省することが必要だ。来年の医学会総会でも議論してほしい」と訴えている。
文理閣刊。A5判、400ページ。3024円(税込み)
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島 Unit 731, Hiroshima/Nagasaki, Chernobyl, Fukushima
●昭和天皇実録!!
権力側が情報を操作して「遅すぎた聖断」の弁明をいくらしても、何にもならないのでは。
本当に真実の歴史を書こうとすれば、情報を全て公開し、第3者が書かなければならないと思う。
もちろんこの本には秘密部隊731については一言も書かれていないだろう?
昭和天皇の姿 浮き彫りに
日本は自国の歴史を書く事が出来るか
「昭和天皇実録」が公開された。全61巻1万2千ページに及ぶ昭和天皇の記録である。実録を見た専門家の話によると、これまでの歴史観を覆すような新事実はないが、終戦直前まで戦勝を祈願していた事が明らかにされる一方、戦後に天皇が側近に戦争について語った「拝聴録」が行方不明とされ、詳しい内容が盛り込まれていないなどの問題があるようだ。
宮内庁は侍従日記などを「私的文書」として扱い、公開に消極的な姿勢を見せているが、実録を作成する基になった資料をできる限り公開しなければ、日本人は自分の頭で自らの国の姿を理解する事が出来なくなると思う。
誠実かつ率直に過去と向かい合うこと・・。 あなたはそれ相応の努力をしてますか?
万世一系とは嘘ではないか?明治・大正といろいろとまずいことがあった?
The Great Dictator- Globe Scene
こっちこそ、『昭和天皇実録』ではないのか?
驚いた!!万世一系は嘘!? え!昭和天皇の父親は大正天皇ではなく、西園寺八郎?
西園寺八郎
毛利元徳の八男。毛利元徳は毛利敬親の養子で公爵。宮内官として主馬頭・宮内省式部次長まで進んだ。
1906(M39)西園寺公望(同墓)の娘の新と結婚し、西園寺家の婿養子となった。翌年、公望が講和大使として渡仏した際に妻と共に随行した。 1921(T10)春、当時皇太子殿下だった昭和天皇が訪英の際、小栗孝三郎海軍中将、高畑誠一らと同行した。この時、プロゴルフの試合を初めて観戦した。1928(S3)12月28日勲一等瑞宝章。 1940(S15)政治界の元老で公爵の西園寺公望が没したため、公爵を継承し西園寺家を継いだ。1940~1946(S15.12~S21.4)公爵として貴族院議員。 八郎の長男は政治家の西園寺公一、三男の貴族院議員を務めた西園寺不二男(同墓)がいる。
西園寺家の墓(2014.9.24撮影 多磨霊園8区 1種 1側 16番)
昭和天皇の出生の疑惑
昭和天皇ヒロヒトの父親は西園寺 八郎、朱貞明皇后咬合との子堕った、昭和の醜卑喰ら卑闇
渡辺監督が語る最新作『天皇伝説』の過激な内容とは!?
山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭
国民は赤紙一枚で召集され、戦地でリンチを受けながら軍隊教育をされ、人殺しを命じられ、果ては敵に殺され、時には味方によって殺され、または病死したり、餓死したり(全て「名誉の戦死」として片付けられる)惨憺たる状況に置かれたが、軍の上層部、東条や岸などの満洲を取り仕切った連中はアヘンなどでぼろ儲けをし、天皇は戦争で「マネーゲーム」をしていた?731の取引も天皇とマッカーサーの間で極秘裏に多額の金が動いたのではないか?
『日本のいちばん醜い日』474ページより
満州国がアヘンの国であったことを示すデータの1つが細川護貞の『情報天皇に達せず』の中に出てくる。細川護貞は近衛文麿の秘書をしていた。・・・・・
1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2000万円。当時の皇室財産を日銀物価価格(1990年)で計算すると、311倍となり、7912億円。東条の10億円とか15億円がいかに天文学的数字であるかがわかる。
今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。・・・・たとえ流言にしても、近衛文麿の言である。たんなる流言ではあるまい。・・・
アヘンのことは瀋陽の裁判でも取り上げられている!!
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭 、読書日記(海軍どころか外務省も最初から腐敗していたようです)
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論
福島県が標的にされた理由とは?
山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ (心に青雲)
●終戦の詔勅
(原文)
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
(口語文) (4)かくて私は国体を護持した
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
この中の「国体を護持し得たとともに」に注目したい。この終戦の詔書は、敗北宣言ではなく、「国体護持宣言書」なのである。この詔書の中のどこにも、日本は敗北したとは書いていない。まことに調子の良い文章に出来上がっている。
あの玉音放送は天皇ヒロヒトの発案である。・・・
かくて「鶴の一声」は全国津々浦々のみならず、海外にまで流れ、日本人は戦争の終わったことを知らされたのである。・・・・・
「天皇が日本を救った」という神話が戦後になって登場する。その神話を実現するために『日本のいちばん長い日』は創作され、映画化された。この本の欺瞞性を私は徹底的にあばいた。半藤一利に個人的な恨みなど少しも無い。そして、多くの神話が今日でも創作され続けている。私は「聖断」そのもの自体が虚構であると主張したい。天皇は国体護持のためにのみこだわり続け、戦争を長引かせたのである。戦争を長びかせたもう1つの理由を、私は天皇の財宝のスイスへの移しかえの中に見た。
松浦総三の『天皇裕仁と地方都市空襲』を紹介したい。「詭弁・すり替えの『終戦の詔書』」の中の一文である。
・・・・・・・・
「裕仁理論」を見事に打破している。続けてこの人の文章を読んでみよう。
・・・・・・・
裕仁理論=「終戦の詔書」によれば、アジア諸国に対する“侵略”も“防衛戦争”の一環となる。裕仁らはこの“理論”を盾にとって、南京大虐殺、シンガポール虐殺、重慶大爆撃、朝鮮人強制連行、慰安婦問題などを黙殺しようとするのだ。
そのような「防衛戦争」つまり“正義の戦争”も「敵は新に残虐なる爆弾を使用してしきり(頻)に無辜を殺傷す・・・・」というわけで原子爆弾によって「終戦」にせざるを得なくなる。この部分は、裕仁の『昭和天皇独白録』で「ソビエトはすでに満洲で火蓋を切った。これではどうしてもポツダム宣言を受諾せねばならぬ」と本音を言っていることと完全に矛盾する。
歴史的事実としては裕仁がポツダム宣言を受諾したのはソ連参戦によって、ソ連の発言権が強まれば国体・天皇制が危うくなるからである。原子爆弾を投下された8月6日や8月9日には、裕仁は「なるべく早く講和を」といっている。それが、「ソ連参戦」で即時御前会議が開かれるのだ。
というわけで、「正義の戦争」は終戦となる。では戦死者、戦災者、その遺族はどうなるのか。それを思うと朕は「五内為に裂く」とオーバーなことをいう。が、「時運のおもむくところ」「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」というのだ。「五内為に裂く」といっているが、その内容は、被爆者援護法や空襲の補償はしないぞ、ということであろう。
米内海軍大臣が言っている「原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ」の意味をもう一度考え直してみないといけないかもしれない。
ヤルタ会談の秘密条項の中に、ドイツは敗北の3ヵ月後にソヴィエトは日本に参戦するというのがあった。ちょうどその予定日が8月9日であった。天皇と側近たちはスティムソン陸軍長官から、この8月9日のソヴィエト進攻の日を教えられていたのかも知れない。それは極秘情報とされ、近衛文麿にも重光葵や広田弘毅にも知らされていなかった。彼らは天皇の命を受けソヴィエトへの和平工作を持ちかけているからである。・・・・・・・
あの極秘情報を当時知っていたのは、ルーズベルト大統領、ハリマン駐ソ大使、スティムソン陸軍長官ぐらいで、ステテニアス国務長官(ハル国務長官の後任)も知らなかったのである。原爆とソ連の対日戦参入は多分、ワンセットだったにちがいない。原爆投下だけでは日本が戦争をあきらめないと知っていたスティムソン陸軍長官は、長崎の原爆投下とソヴィエトの参戦を同時にセットしたのであろう。そうすれば、確実に日本は戦争をやめると計算したのである。
ヨハンセン(吉田反戦)・グループの極秘ルートで、天皇はその日、8月9日の出来事をスティムソン陸軍長官から知らされていたに違いない。だから、8月9日に御前会議を開いて、「鶴の一声」を初めて発したのであろう。天皇とごく少数の側近がソヴィエトの参戦と長崎への原爆投下の8月9日の同時性を知っていたと見る。だから天皇はあまりの恐ろしさに声をふるわし。頬に涙を伝わらせて終戦の決意を語ったのであろう。
●1975年10月31日の天皇の記者会見
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。・・・・・
秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、
平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
※昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥と高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?
●広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。
山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。
有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。
陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。
(参考)
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。
8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。
では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。
広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。
この2つの本を読んで、私は次のように推論する。
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
・・・・・
もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。
私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)
まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。
●天皇はなぜ広島・長崎の式典に参列しない?天皇と原爆は関係ない?
天皇批判した小川、謝罪も炎上
小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦しみ、命がたくさん奪われた」
日本は戦争中、世界で初めての2発の原爆投下を、経験した。
これは、アメリカが莫大な費用をかけて開発したものだった。
アメリカは実戦の効果を知りたかった。
原爆の子
日本が、本当に「自衛のための戦争」をしていたならば、敗戦後この非人道的な核兵器の被害を、国際社会に訴えることができたはずだ。
ところが、日本は戦争中、中国大陸において、驚くべき残虐な人体実験、細菌戦、毒ガス戦等を展開していた。アメリカは再三日本に「この非人道的な細菌戦、化学戦(毒ガス戦)はやめろ」とと警告を発していた。
日本は自国の戦争犯罪を隠すことに汲々として、アメリカとの取引をし、そして、原爆被害を世界に訴えることなく、全面的に核兵器の効果を調べるためのアメリカの調査に協力した。その結果、その調査によって被爆者は全く治療されなかった。
封印された原爆報告書
1997年の平和宣言で広島市長平岡敬氏は「アメリカの核の傘から日本は抜け出すべきだと政府に要求する」と唱えた。
すると橋本首相は平岡氏に歩み寄ってきた。
「あなたの気持ちはわかるけれども、そんなことはできない。あなたはアメリカの怖さを知らない」と言ったという。
やんばるの白ひげ ~核の傘の下で~(3)
私の想像:もしも日本政府が、アメリカの核戦略から抜け出し、この非人道的な核兵器の廃絶を世界に訴えたら、アメリカは「日本が中国で行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦、三光作戦等をばらすぞ!!」と脅しているのではないかと思う。そしたら今の天皇制はすっ飛んでしまうだろう。
追記:アメリカの怖さとはこれかな?
橋本龍太郎は、1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任した。
このドラマの最初の方で事故調査報告書を受け取っている。
ボイスレコーダー ジャンボ機墜落20年目の真実
米軍が墜落させた?それとも、自衛隊?
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表
橋本首相は続けて言う。
「日米安全保障条約によって支えられている安全保障の仕組みがこの国にとって必要だ。」
私の解釈:だからお互いに過去の非人道的な過ちは隠しておいて、未来志向で、放射能の怖さや遺伝子組み換え操作の怖さにも触れず、未来志向で、日本はアメリカの核戦略・生物化学兵器開発(もちろん日本も密かにやっているのでは?)を危険と知りつつ、進んでいきましょう。そしたら、天皇制も安泰です!!(何時まで続くこの身分差別!!)
原爆を浴び、放射能の恐怖を体験したはずの日本が、原発を50余機持っている。そして文殊はじめ原発関連の施設の維持費は膨らむばかり。国家財政は破綻寸前!!(破綻しているのかな?)、若者の貧困化も深刻!!
・内部被曝を日本の司法は認めているが、日本政府は認めていない?
・日本の医療・教育で、本当に「人間を人間として見る医療・教育がされてきているのだろうか?」
※日本は、戦後東京裁判で731部隊の罪業が裁かれることなくきたために、教育界・医療界でも戦争の反省をすることなく進んでしまった。
その結果、歴史認識の問題や放射能の怖さについても、まともな研究が疎まれ、今の政治状況が生まれている。
広島・長崎で2発の原爆投下を受け、悲惨な状況を経験し、また福島であれだけの原発事故が起き、これまた悲惨な状況にあえいでいるにもかかわらず、原発再稼動に日本は突っ走ろうとしている!!なぜなのか?
日本では、「人間を人間として見る」教育などされていないのでは?
いつも権力者の言うことに慣れ親しんいる。
●畑俊六が記録する南京大虐殺
資料:軍人の発言に見る「南京事件」より
松井大将の後任として、昭和十三年二月十四日より「中支那派遣軍司令官」を勤めた、畑大将の記述です。
『陸軍大将 畑俊六日誌』より
昭和十三年二月十四日 中支那派遣軍司令官
一月二十九日
本日より二月六日まで第七師団、第八師団留守隊の教育状況視察の為北海道、弘前地方に出張。
支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀漸く類廃、掠奪、強姦類の誠に忌はしき行為も少からざる様なれは、此際召集予后備役者を内地に帰らしめ現役兵と交代せしめ、又上海方面にある松井大将も現役者を以て代らしめ、又軍司令官、師団長等の召集者も逐次現役者を以て交代せしむるの必要あり 。
此意見を大臣に進言致しをきたるが、出張前大臣に面会、西尾、梅津両中将を南北軍司令官たらしむるを可とする意見を申述べ出張したる処、意外にも二月五日夕青森に到着したる処本部長より特使あり書状携帯、それによれば次官、軍務局長は余を松井の后任に推薦し、余の后任は西尾を可とする意見なりとの内報に接し聊か面喰ひたる次第なるが、とにかく帰京の上とし六日朝上野に帰着したる処、 中島参本総務部長駅にて待合せ本部長の来信の如き意味を伝へ、次で大臣より面会したしとのことにその足にて官邸に至り大臣に面会したるに、大臣より上述の如き申出あり。
上海は方面軍と二軍司令部との折合兎角面白からず、此際現役者を以て交代せしむるを適当とすべく 、又海軍の長谷川中将には古荘より先任なれば大将を以てしたり。
小磯は大臣が推薦したる処外へ出すことは参謀本部側にて到底承諾せず、中村は病気なり。 又あまり細かすぎ適任ならず。結局余の外なければ行て貰ひたしとのことに考慮を約して辞去したり。
(みすず書房『続・現代史資料4 陸軍(畑俊六日誌)』 P120-P121)
さらに畑は、戦後にこのような回想を残しています。
『南京の虐殺は確かに行われたか』より
昭和十三年二月、私は松井石根大将のあとをうけて上海に到着した。私は直接には兵団と関係がなかつたので、各郷土の特質についてはあまりよく知らないが、上海に到着するまで、南京の虐殺ということは夢にも考えていなかつた。
南京に到着してみても、なんの痕跡もなかつたし、人の耳にも入つていない。ところが、東京裁判が始まると南京虐殺の証拠が山のように出された。
それがために松井石根大将はついに悲惨な最期をとげられた。
それも運命と思えばあきらめられないこともないが、いまにして思えば、南京の虐殺も若干行われたことを私も認めている。そして虐殺ばかりでなく、掠奪もたしかに行われていた。
けれども、これは戦場という特種の環境の下ではたらいた心理作用のなせる業で、平静にかえつたとき、これを責めるのも無理だと思つている。
もともとこの裁判の遠因が、いわゆる復讐のための裁判だつたのだからやむをえないことだろう。
(『丸』エキストラ版 Vol 15 P76)
●731部隊
防疫研究室・731部隊及びアジア各地にあった細菌戦研究所は、現人神・大元帥であった昭和天皇の承認のもと、莫大な国家予算を使い、生体解剖・生体実験等をして、細菌兵器の開発や、毒ガスの研究、凍傷の研究などが行われた。
731部隊には、日本の各大学から優秀な若い教授候補の医学者が集められ、研究が進められた。その人集めに一役買って出たのが石井四郎の恩師、清野謙次だった。
731部隊にも、清野謙次(京大教授)が度々訪れ、いろいろとアドバイスをしていた!!
京都大学は、731部隊の中核を担い、清野をはじめ、その他の教授たちも多くの弟子たちを口説いて731に送り込んでいた!!
京都大学が731部隊の資料を隠すのには訳がある!!
きちんと京大は731部隊のことを展示してほしい!!
「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館
随筆・遺稿(故清野謙次先生記念論文集より)
石井・・・今紹介を受けました石井であります。親孝行したい時には親はなし、先生にまだ御恩を報ずることもできないで誠に残念であります。大学院学生時代に眠り病が起こりまして、各大学が行っているのに京都大学だけが居眠ってると京都大学が眠り大学になるから、一つ京都大学は奮発して、この眠り病の本態を突き止めて頂きたい、とこう申し上げました。先生膝を打って賛成して下されて、あの大編成ができて、丸亀に本拠を置き、香川県の二豊郡に本拠を置いて一切の資料、お墓の屍体まで集めて、渡辺遍さんと共に、この、朝から晩までシャンペランを濾(こ)しまして
、遂に動物実験に成功して、東京に於ける学会に発表して、あらゆる反駁をそこに受けたんでありますが、とうとうまあウィルスであるということが承認されまして、日新医学の原稿(?)になったのはご存知の通りであります。
それからお前洋行して来い、ということを言われ陸軍から外国へ行きました。その時の深い感銘は、学問は日本で出来る、しかしながら世界の大人に会って、この、その偉大な人間が如何なる条件でこういう偉大な事業を成したかというその着眼と、方法とを、ガッチリ握ってきて、日本でやれば必ず出来るという話でした。それから英・米・仏・露、ロシアまで入りまして永くこの観点で見たのでありますが、どうも日本にとっても、一つも手をつけない大きなデフェクトがあるという事がわかりました。即ち日本に於いては非常に日本が偉いと、日清、日露、日独、済南、シベリア、こういう事変を通じてぐんぐん興隆の一途を進んで、日本の中にいる我々は、日本中が一等国であることを自負してましたが、この観点から世界の内面に入って考えると丸で逆であったのであります。それでもう一年も延ばして、これを少し徹底的につかみたいと思いましたが、ひとまず日本へ帰ってきて、内閣の諸侯と軍の首脳に報告しようと思いまして、先生を訪ねました。そりゃいいことをつかんだと、つかめないとこをつかむのがいいんだと。しかしながら、連戦連勝の日本、万世一系の天皇を上に頂いて隆々たる日本の何人もこれを耳にする人はございませんでした。誰も相手にしません。しかし既に、第一、民族の潰されたのが御存知の通りアメリカインディアンであります。第二の潰された、ほとんど潰された民族はモンゴリアンであります。第三番目にジャップであります。先生はこの着想を非常に喜ばれました。これは一つの大きなつかみ所だから、これをものにして将来を計画するのが一番いいということであります。
それでも非常に有頂天になっている日本として一番難しいことでありました。
そこで、自分で中々取り付く島もありませんから、陸軍軍医学校の教官に補せられたのを幸いにして、先生と相談し、又長与先生にも相談し、それから荒木にも相談しましたが皆、この着眼は、出た杭は必ずたたかれることがあるんだから、或いは然らんという考えでございました。
それで、陸軍、内地で全大学にお願いして出来る事と、内地で出来ない事の2種に、軍の再々の会議の結果決定致しまして、そして、内地で出来ないものは何とか別に方法を考えると、その為には、まあ気温の変化、環境が違うから、まあ北極、南極、赤道と3つの大きな、地球儀の大きなものを作って環境の変化を作ってもらう約束をしましたが、日本の力では、当時昭和5年でありましたが、内地に作る技術も無ければ、資力も無いということで、一つは赤道の直下へ行くがいいし、一つは満洲の北端に行けばいいということで、遂に研究所をそこに設けることにしたのであります。それから次々と発展致しまして、まず、戦地が4千キロに発展しまして、北は北満より、南はアンダマン、ジャワ、スマトラまでゆきまして、1年中同時に戦争があるものでありますから、これに対応策として、まず将兵の身体を保護して死亡率罹患率をなくするという国家百年の計をたてることに廟議一定しました。それで如何にして日本の国力を維持するかが問題であります。そこでまず陸軍軍医学校に研究室を作り、それから満洲ハルピンに(ロックフェラー・インスティチュートを中心に)。又南支に中山大学を中心に、その他、逐次研究室を作って行って、遂に324の研究所を作ったのであります。この結果、伝染病並びに伝染病死の率が下がり、大蔵省は非常に喜んで、これではまだ継続できるという結論になったのであります。その為に、ハルピンに大きな、まあ丸ビル14倍半ある研究所を作って頂きまして、それで中に電車もあり、飛行機も、一切のオール総合大学の研究所が出来まして、ここで真剣に研究したのであります。その時に先生が一番力を入れてくれたのが人的要素であります。各大学から一番優秀なプロフェッサー候補者を集めていただいたのがここにたくさん御列席になる石川教授、それから東北大学の岡本教授その他10数名の教授連でございます。そうして先生が、鶴見先生と一緒でございましたと思いますが、研究室をご覧になりまして、これはどうしても国家的なものにして育てねばならんというので、非常に力を入れて頂いたのであります。
その都度簡潔に御報告しますと、今度は、次は、とどこまでも先生が拍車をかけられまして、段々に、最後に大東亜の全面にわたって、この民族線防御の第1次完成をみたのであります。
ところがここで不意に中立条約を破ってソ連が出て来た為に、この敗戦の憂き目を蒙りまして、部隊は爆発し、一切の今までの何十巻にのぼるアルバイトも、感染病理に関する心魂込めて作った資料も全部焼かざるを得ない、悲運に到着したのであります。しかしながら頭に残った経験、残ったこの研究は今病理学会で、岡本教授、石川教授、ちらほらと出ます、又細菌については各教授になられた方が細菌学会でその片鱗を発表しておられますので非常に心強く思っております。
清野先生の構想はどこを叩いてもそれに応ずる反応があったんでありまして、今はよくこれをまとめて国家に奉納して、そして最後の日本の防御、破壊の防御、生々発展、再建にするようにと、わざわざ茨城県から出ていらっしゃいまして、私のうちにお泊りになって、このことを始終案じておられたことであります。(昭和31年9月3日 録音)
●高校教科書(実教出版)に学ぶ
(東京書籍)
戦争裁判・・・(東京)裁判を通して、戦争中の日本軍による侵略行為、残虐行為の実態が、はじめて国民の前に明らかになった。他方でこの裁判には多くの問題点もあった。昭和天皇の責任をこの裁判で問うかどうかは、国際的に議論されたが、天皇制維持による占領政策の円滑な遂行を進めようとしていたアメリカの意向もあって、結局不問にふされ、また731部隊の関係者はアメリカへの資料提供とひきかえに訴追をまぬかれた。連合国側のアメリカによる無差別爆撃や原爆投下、ソ連軍の行為などは問題にされることもなかった。
極東国際軍事裁判とは別に、通例の戦争犯罪の容疑で、BC級戦争犯罪裁判が1945年10月から1951年4月まで、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中国の各国の法令によって実施され、死刑984人、無期刑475人、有期刑2944人の判決が下った。この裁判では、残虐行為を命令した上官ではなく実行した部下のみが責任を問われたり、誤認で刑が下ったこともあったといわれている。有罪となった者の中には、朝鮮人約150人、台湾人約180人が含まれていた。
なぜ、日本政府は731部隊のおこなった生体実験・細菌戦を認めて謝罪しない!?
高校日本史Aの教科書、実教出版を希望が最多 来年度 静岡
高校教科書に学ぶ(?)
731部隊・・・日本陸軍は、細菌戦準備のため1932(昭和7)年に関東軍防疫班を設立し、38年から39年にかけて、中国ハルビン郊外にその本部と実験施設を移転した。ノモンハン事件ではじめて細菌戦を実施した軍は、防疫班の規模を拡張して40年から関東軍防疫給水部と改称した。この細菌戦部隊は731部隊と呼ばれ、ペスト・腸チフス・コレラなどの病原菌を兵器にして、42年からは中国戦線で細菌戦を実施した。また、中国人などを「マルタ」とよんで人体実験をおこない、敗戦時までに3000人あまりを死亡させた。
敗戦後、アメリカは731部隊が開発した技術を入手するためにこの部隊の幹部を免責したため、彼らが公的な責任を問われることはなかった。
安倍のお爺さん、岸信介と731の関係は?情報公開せよ!!
日本人が忘れても、マルタの怨霊は日本の罪業を訴え続けている!!
安倍の行けない中国・韓国では731部隊の研究が盛んになってきている!!
「秘密保護法」の施行を急ぐ安倍政権の閣僚に世界からメッセージが届いています!!
とくとご覧下さい!!
侵華日軍第731部隊罪障陳列館(ハルピン)
中国が教える731部隊
731部隊のことは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター・・・1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、安全の保護を主導する立場にある連邦機関。)のビデオでも紹介され、世界では公然の事実とされている。
インターネットエクスプローラーのグーグルで(グーグルクロームでは映りません。)
http://www.bt.cdc.gov/agent/plague/trainingmodule/1/02wmp.htmをご覧下さい!!
疾病管理予防センター(CDC): 谷川透訳
医学博士、科学博士 ジョアンヌ・コノー
人は中世以来、敵を殺し、敵の能力を奪うため、自然界に存在する生命体を用いてきた。
初期の例の一つは、14世紀にタタール軍が黒海沿岸の城郭都市カファを包囲攻撃したときに起きた。
腺ペストが発生してタタール人に猛威を振るい始めたとき、彼らはペストに罹って死んだ者の死体を投石器で市内に投げ込み、城壁の内部で腺ペストを勃発させることを決めた。
その後まもなく、城市の中で虐殺から身を守っていた人々は、突然ペストに襲われ、イタリアへ逃がれた。
彼らはこの伝染病を、彼ら自身でヨーロッパに運び、それが恐ろしい黒死病の大流行の始まりとなって、ヨーロッパの人口を激減させたのであった。
ペストの流行に関する今日のわれわれの知識によれば、ノミは人体が冷えるとすぐ人体を離れるので、人体を離れたノミによって元々市内に住んでいたネズミが感染し、市内で突然発生したペストが現実にカファ全域に広がった可能性は非常に高い。
日本帝国731部隊は、日本が戦争に動員され準備が整った1930年代と40年代に仕事をした。
この恐ろしい計画の立案者である石井四郎中将は、病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた。
石井は特にペストに魅了されていたが、それはペストによる細菌戦攻撃が自然発生的な伝染病の様相を呈するからであった。
さらに、人から人への感染拡大は、最初に用いる(細菌戦)発動物の量に応じて、病気を発生させることが出来るからであった。
731部隊は、ペスト菌を霧状に散布したり、水に溶かして散布したりすることが出来なかった。そこで彼らは、ペストを感染拡大させるために、天然の病毒媒介昆虫――通常のノミ――を用いた。
感染ノミを搭載した陶器爆弾が中国本土の幾つかの都市に投下され、その住民に多数の感染を引き起こした。
ペストは恐怖心を生み、容易に感染拡大し、人々を迅速に殺すので、兵器として魅力的である。
合衆国の攻撃計画でもペストに関して若干の調査研究を行なったが、同国では完全に武器化することは出来なかった。
ペスト菌を大量に増殖させた時、人はその毒性を持った細菌を保有しつづける魅力に打ち勝つことが出来ない。
ペスト菌は武器であって、伝染力を持っている。われわれは過去を振り返って、そのことを強く感じる。さらに、ペスト菌をエアロゾルにして持ち歩かないよう管理することも問題だし、気象条件によってペスト菌が変異しうることも問題だし、細菌の形をとらなくても非常に感染性が強いことも問題だし、最後にペスト菌がどういう形をとってお終いになるのか、誰もコントロールすることが出来ない。
ペスト菌はきっと、帰ってきて、あなた方に噛みつくことでしょう。
あなた方の軍隊だけでなく、あなた方の友軍や同盟軍にも噛みつくことでしょう。
・・・・・・
「生物兵器による戦争とテロリズム;軍事上および公衆衛生上の対応」(アメリカ食品医薬品局発行、1999年)から脚色
731部隊!!
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
東京中野展感想
中野展感想 8月1日分
70代以上 女
・731部隊展の展示内容を見て
医学と戦争が結び付いた悲劇であり、過去を消すことは出来ませんが、2度とあってはならないことです。遺跡が世界遺産になることを願います。
・731部隊展の運営についてのご意見
宣伝をどの様に行ったのでしょうか。1人でも多くの人に見てもらいたいなと思いました。
(友人を誘いました)
【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅴ私は中国軍の捕虜だった
―総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
われ、ハルピンを脱出せず
そのためには、いかなる経歴といえども、とにかく医師を確保したかったというのが本音であった。
こうして昭和21年5月、私は八路軍軍医となり、松江軍区後方病院(延寿)に勤務することになった。
私が八路軍に入ってからの戦況を、東北(旧満州)地方について概観すると、次のようになる。5月23日、国民党軍は長春(旧新京)を、ついで28日には吉林を占領。東北民主連軍総司令官林彪は、9月、長春、四平街、鉄嶺、鞍山など国民党軍占領下の諸都市への総攻撃を指令。11月30日、東北民主連軍、10個師をもって長春を攻撃。
翌昭和22年1月6日、国民党軍20万、松花江を渡河、長春周辺を攻撃。5月10日、東北民主連軍、吉林攻撃を開始。5月21日、東北民主連軍、長春に突入。7月10日、民主連軍総司令部コミュニケ発表―7月1日までに全東北地域、人口過半数、鉄道の3分の2を支配、遼寧省県城20、河北省7、熱河省5、吉林省4を占領。12月31日、東北民主連軍、「東北人民解放軍」と改称。
昭和23年3月9日、東北人民解放軍、吉林を解放。10月19日、長春を解放。11月1日、豊北人民解放軍、包囲戦の後、瀋陽(旧奉天)総攻撃、入城。以後、主戦場は、華北以南へと移る。
続きは「ノブのノート」で
あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
日常/ #3ドキュメント2013.12.6
グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。
権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっとオープンに公開せよ!!
「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」
安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか?
共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。
※今の日本で「命の教育」などできるのか、疑問だ。過去の日本の残虐行為を全て日本政府からして隠し続け、「日本を取り戻す」、「美しい国」とか、天皇制の強化を唱えている。大人がきちんと過去と向き合っていない!!
第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア
(転載)
●臨時国会開会日(9月29日)の「安倍政権の暴走を止めよう! 国会包囲共同行動」の呼びかけ
9月29日(月)は臨時国会の開会日です。安倍内閣は人々のくらしを脅かし、平和・民主主義・主権在民という国のあり方を根本から覆そうという大暴走を続けています。今回の「国会包囲共同行動」「官邸前行動」は、これまでも国会周辺でさまざまな取り組みをしてきた団体や、「何かしたい」という方がたが思いや要求、怒りを持ち寄る共同の場です。国会に、官邸前に集まって、安倍政権の暴走をSTOPさせましょう。
日時:9月29日(月) 昼の部12:00~13:30(国会包囲)、
夜の部18:30~20:00(官邸前)
◆各運動体が「安倍政権の暴走を止めよう!」のスローガンと、それぞれの独自のスローガンを掲げて、国会周辺のエリアを分担し、各エリアでミニ集会を行いつつ、包囲する。
◆人間の鎖(ヒューマンチェーン)は13:15に行う。
◆国会正門前を共同ステージとして、共同集会を行う。(ゲスト、国会議員らによるスピーチを予定)・国会周辺で各団体によるミニ集会・抗議行動→警察が天皇の臨席を理由に正門前は12:00~14:00閉鎖するとしています。
交渉を続けていますが、19日の相談会で、共同ステージは第2議員会館前に変更。
◆この取り組みは非暴力で参加団体・個人を誹謗しないことを確認しあって開かれます。
主催:「安倍政権の暴走を止めよう! 国会包囲共同行動」実行委員会
連絡先(仮):憲法会議℡03-3261-9007/許すな!憲法改悪・市民連絡会℡
03-3221-4668
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秘密国家日本は裁判を起こして闘わなければ、情報を公開しない!!
防衛省ははじめからあることがわかっていたはずだ!!731の情報をきちんと全部開示せよ!!
防衛省 不開示の文書見つかり謝罪
(NHKニュース)
防衛省は19日、情報公開請求に対し、捜したが見つからなかったとして不開示とした文書の一部を発見したと発表した。開示を求めた訴訟で原告側から指摘を受け、捜し直したところ見つかったという。同省は原告側に謝罪、残る資料も改めて捜し、開示する方針。
文書は幹部自衛官の教育用に発行された雑誌「衛生学校記事」。原告は2011年、「細菌兵器の実験をしたとされる旧日本軍の731部隊について記載された可能性がある」として情報公開請求した。
防衛省が12年に不開示を決定し、原告側が13年に東京地裁に提訴。今年7月に指摘を受けて捜したところ、防衛医科大学校(埼玉県)の図書館と空自三沢基地(青森県)で一部を発見した。見つかった中には731部隊の記述は確認されていないという。
今、多くの若者が長労働、低賃金等、労働条件で悩んでいる!!
大学など中退約8万人 経済的理由が最多
岐阜県職員の自殺は労災 「パワハラ・残業が原因」認定
喪失感と自責、そして経済苦 自殺で親を亡くした若者たち
「貧困ジャーナリズム大賞2014」、大賞を受賞しました
皇族と国民に大きな身分差別が存在する!!(当たり前?)
典子さまへご結婚後に1億675万円 皇室経済会議で一時金決定
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島 Unit 731, Hiroshima/Nagasaki, Chernobyl, Fukushima
●昭和天皇実録!!
権力側が情報を操作して「遅すぎた聖断」の弁明をいくらしても、何にもならないのでは。
本当に真実の歴史を書こうとすれば、情報を全て公開し、第3者が書かなければならないと思う。
もちろんこの本には秘密部隊731については一言も書かれていないだろう?
昭和天皇の姿 浮き彫りに
日本は自国の歴史を書く事が出来るか
「昭和天皇実録」が公開された。全61巻1万2千ページに及ぶ昭和天皇の記録である。実録を見た専門家の話によると、これまでの歴史観を覆すような新事実はないが、終戦直前まで戦勝を祈願していた事が明らかにされる一方、戦後に天皇が側近に戦争について語った「拝聴録」が行方不明とされ、詳しい内容が盛り込まれていないなどの問題があるようだ。
宮内庁は侍従日記などを「私的文書」として扱い、公開に消極的な姿勢を見せているが、実録を作成する基になった資料をできる限り公開しなければ、日本人は自分の頭で自らの国の姿を理解する事が出来なくなると思う。
誠実かつ率直に過去と向かい合うこと・・。 あなたはそれ相応の努力をしてますか?
万世一系とは嘘ではないか?明治・大正といろいろとまずいことがあった?
The Great Dictator- Globe Scene
こっちこそ、『昭和天皇実録』ではないのか?
驚いた!!万世一系は嘘!? え!昭和天皇の父親は大正天皇ではなく、西園寺八郎?
西園寺八郎
毛利元徳の八男。毛利元徳は毛利敬親の養子で公爵。宮内官として主馬頭・宮内省式部次長まで進んだ。
1906(M39)西園寺公望(同墓)の娘の新と結婚し、西園寺家の婿養子となった。翌年、公望が講和大使として渡仏した際に妻と共に随行した。 1921(T10)春、当時皇太子殿下だった昭和天皇が訪英の際、小栗孝三郎海軍中将、高畑誠一らと同行した。この時、プロゴルフの試合を初めて観戦した。1928(S3)12月28日勲一等瑞宝章。 1940(S15)政治界の元老で公爵の西園寺公望が没したため、公爵を継承し西園寺家を継いだ。1940~1946(S15.12~S21.4)公爵として貴族院議員。 八郎の長男は政治家の西園寺公一、三男の貴族院議員を務めた西園寺不二男(同墓)がいる。
西園寺家の墓(2014.9.24撮影 多磨霊園8区 1種 1側 16番)
昭和天皇の出生の疑惑
昭和天皇ヒロヒトの父親は西園寺 八郎、朱貞明皇后咬合との子堕った、昭和の醜卑喰ら卑闇
渡辺監督が語る最新作『天皇伝説』の過激な内容とは!?
山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭
国民は赤紙一枚で召集され、戦地でリンチを受けながら軍隊教育をされ、人殺しを命じられ、果ては敵に殺され、時には味方によって殺され、または病死したり、餓死したり(全て「名誉の戦死」として片付けられる)惨憺たる状況に置かれたが、軍の上層部、東条や岸などの満洲を取り仕切った連中はアヘンなどでぼろ儲けをし、天皇は戦争で「マネーゲーム」をしていた?731の取引も天皇とマッカーサーの間で極秘裏に多額の金が動いたのではないか?
『日本のいちばん醜い日』474ページより
満州国がアヘンの国であったことを示すデータの1つが細川護貞の『情報天皇に達せず』の中に出てくる。細川護貞は近衛文麿の秘書をしていた。・・・・・
1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2000万円。当時の皇室財産を日銀物価価格(1990年)で計算すると、311倍となり、7912億円。東条の10億円とか15億円がいかに天文学的数字であるかがわかる。
今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。・・・・たとえ流言にしても、近衛文麿の言である。たんなる流言ではあるまい。・・・
アヘンのことは瀋陽の裁判でも取り上げられている!!
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭 、読書日記(海軍どころか外務省も最初から腐敗していたようです)
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論
福島県が標的にされた理由とは?
山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ (心に青雲)
●終戦の詔勅
(原文)
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
(口語文) (4)かくて私は国体を護持した
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
この中の「国体を護持し得たとともに」に注目したい。この終戦の詔書は、敗北宣言ではなく、「国体護持宣言書」なのである。この詔書の中のどこにも、日本は敗北したとは書いていない。まことに調子の良い文章に出来上がっている。
あの玉音放送は天皇ヒロヒトの発案である。・・・
かくて「鶴の一声」は全国津々浦々のみならず、海外にまで流れ、日本人は戦争の終わったことを知らされたのである。・・・・・
「天皇が日本を救った」という神話が戦後になって登場する。その神話を実現するために『日本のいちばん長い日』は創作され、映画化された。この本の欺瞞性を私は徹底的にあばいた。半藤一利に個人的な恨みなど少しも無い。そして、多くの神話が今日でも創作され続けている。私は「聖断」そのもの自体が虚構であると主張したい。天皇は国体護持のためにのみこだわり続け、戦争を長引かせたのである。戦争を長びかせたもう1つの理由を、私は天皇の財宝のスイスへの移しかえの中に見た。
松浦総三の『天皇裕仁と地方都市空襲』を紹介したい。「詭弁・すり替えの『終戦の詔書』」の中の一文である。
「終戦の詔書」は全文が詐欺の文章である。筆者は最近10回以上、この文章を読んだが、恐るべき文章である。「全文が詐欺の文章」と書いたが、決して言い過ぎではない。それは、詭弁、すり替え、頬被りの連続で、国体・天皇制を「死守」するためのグロテスクな文章である。
「終戦の詔書」はポツダム宣言の受諾・無条件降伏の文書である。裕仁らが無条件降伏をなぜ「終戦」と言い換えたのか。降伏や敗戦ならば、裕仁らは戦争責任や敗戦責任を負わねばならぬ。しかし「終戦」にするとその辺はアイマイになる。戦争責任をのがれるためである。
裕仁はNHKの記者会見(1975年10月31日)で、「戦争責任は?」と質問されて「そういう文学方面はあまり研究していません」とにべもなく答えている。しかし「終戦」という言葉を発明して、戦争責任をのがれたあたりは相当の「文学方面」に詳しいといわざるをえないのだ。
この文中の1975年の10月31日、日本記者クラブの会見の模様は530頁に既に書いた。
(530頁の部分・・・天皇は原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた。1975年10月31日、日本記者クラブとの会見のとき、アメリカ軍の広島への原爆投下に関する質問が出た。
天皇「エ・・・この・・・・エ・・・エ・・・投下、された、ことに対しては、エ・・・エ・・・こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむを得ないことと私は思っています」
もう1人の記者が戦争責任について質問した。
「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」
これについては批評の書きようもない。「日本のいちばん醜い言葉」の一つであるとのみ書いておく。)
・・・・・・・・・
私は「エ・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・エ・・・・」の中に、直感的に、天皇が8月6日午前8時15分の広島への原爆投下の件を知っていると思った。この考えに私は拘泥し続け、この考えの正しさを証明しようと追求し続けたのである。
さて、続きを読んでみよう。(松浦総三の著書)
そして次に、15年戦争を始めたのは「帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽をともにする」ことであり「帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(こいねがうこと)する」ための防衛戦争だというのだ。なんと図々しい言葉であろうか。
この部分の「裕仁理論」の最大の弱点は、日本人ならば『朝日新聞』とNHKの応援でゴマ化すことはできても、中国や朝鮮やフィリピン、マレーシア、インドネシアなど軍靴で踏みにじられたアジア諸国にとって、裕仁が始めた15年戦争が「侵略でない」などということはとんでもないことであろう。
裕仁を東京裁判の法廷へ引きずり出せなかった東京裁判の裁判長ウェッブでさえ次のように言っている。
「・・・・天皇をも裁かないようなら戦争犯罪人は誰でも死刑にすべきではなかったというのが著者バーガミニの意見であるが、私も同感である」(バーガミニ『天皇の陰謀』)
●1975年10月31日の天皇の記者会見
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。・・・・・
秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、
平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
※昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥と高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?
●広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。
山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。
有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。
陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。
(参考)
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。
8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。
では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。
広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。
この2つの本を読んで、私は次のように推論する。
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
・・・・・
もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。
私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)
まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。
●私にはこの言葉が胸に刺さる!!
ある中隊の元伍長は「もし日本が国民に対して歴史教育をしなかったら、日本は滅びるだろう」と語った。
少年兵の刺殺訓練に・・日本人戦犯8人が抗日戦争中の罪業を語る―中国メディア
●日本とドイツの違い!!
ドイツは、過去と真剣に向き合い、ヨーロッパの国々から信頼されている!!
日本は、過去と向き合うのをずっと避け、汚い出来事は隠し続け、特に中国・韓国から全く相手にされていない!!
日本の医学界の未来は暗い!!山中教授がいくらiPS細胞で業績をあげようと、京大が過去の謝罪をしなければ、いつまでも、731の暗い影はつきまとう!!
文科省は道徳の強化を進めているが、自民党のいう道徳では、過去の日本軍の罪業をどの様に扱うのか?
道徳とは関係ない?過去は無視しろとでもいうのか?
なぜ、731部隊の事実がこれほど明らかになっているのに、日本政府、天皇・皇族、日本医学界、京大・東大のが学者の誰一人、謝罪しない?
2013シンポ731吉中講演
731シンポジウム奈須講演
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」より、「ある医学者の生涯2」
京大・東大は真理を探究する大学ではない!!近現代史、原発の危険性をを追究するものは、冷遇されるか、追放される!!学問の世界も権力・お金に支配されている。地獄の沙汰も金次第!!
斑目「最期の処分地の話は、最後は結局はお金でしょ!!」
斑目春樹と小出裕章
●731部隊
防疫研究室・731部隊及びアジア各地にあった細菌戦研究所は、現人神・大元帥であった昭和天皇の承認のもと、莫大な国家予算を使い、生体解剖・生体実験等をして、細菌兵器の開発や、毒ガスの研究、凍傷の研究などが行われた。
731部隊には、日本の各大学から優秀な若い教授候補の医学者が集められ、研究が進められた。その人集めに一役買って出たのが石井四郎の恩師、清野謙次だった。
731部隊にも、清野謙次(京大教授)が度々訪れ、いろいろとアドバイスをしていた!!
京都大学は、731部隊の中核を担い、清野をはじめ、その他の教授たちも多くの弟子たちを口説いて731に送り込んでいた!!
京都大学が731部隊の資料を隠すのには訳がある!!
きちんと京大は731部隊のことを展示してほしい!!
「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館
随筆・遺稿(故清野謙次先生記念論文集より)
石井・・・今紹介を受けました石井であります。親孝行したい時には親はなし、先生にまだ御恩を報ずることもできないで誠に残念であります。大学院学生時代に眠り病が起こりまして、各大学が行っているのに京都大学だけが居眠ってると京都大学が眠り大学になるから、一つ京都大学は奮発して、この眠り病の本態を突き止めて頂きたい、とこう申し上げました。先生膝を打って賛成して下されて、あの大編成ができて、丸亀に本拠を置き、香川県の二豊郡に本拠を置いて一切の資料、お墓の屍体まで集めて、渡辺遍さんと共に、この、朝から晩までシャンペランを濾(こ)しまして
、遂に動物実験に成功して、東京に於ける学会に発表して、あらゆる反駁をそこに受けたんでありますが、とうとうまあウィルスであるということが承認されまして、日新医学の原稿(?)になったのはご存知の通りであります。
それからお前洋行して来い、ということを言われ陸軍から外国へ行きました。その時の深い感銘は、学問は日本で出来る、しかしながら世界の大人に会って、この、その偉大な人間が如何なる条件でこういう偉大な事業を成したかというその着眼と、方法とを、ガッチリ握ってきて、日本でやれば必ず出来るという話でした。それから英・米・仏・露、ロシアまで入りまして永くこの観点で見たのでありますが、どうも日本にとっても、一つも手をつけない大きなデフェクトがあるという事がわかりました。即ち日本に於いては非常に日本が偉いと、日清、日露、日独、済南、シベリア、こういう事変を通じてぐんぐん興隆の一途を進んで、日本の中にいる我々は、日本中が一等国であることを自負してましたが、この観点から世界の内面に入って考えると丸で逆であったのであります。それでもう一年も延ばして、これを少し徹底的につかみたいと思いましたが、ひとまず日本へ帰ってきて、内閣の諸侯と軍の首脳に報告しようと思いまして、先生を訪ねました。そりゃいいことをつかんだと、つかめないとこをつかむのがいいんだと。しかしながら、連戦連勝の日本、万世一系の天皇を上に頂いて隆々たる日本の何人もこれを耳にする人はございませんでした。誰も相手にしません。しかし既に、第一、民族の潰されたのが御存知の通りアメリカインディアンであります。第二の潰された、ほとんど潰された民族はモンゴリアンであります。第三番目にジャップであります。先生はこの着想を非常に喜ばれました。これは一つの大きなつかみ所だから、これをものにして将来を計画するのが一番いいということであります。
それでも非常に有頂天になっている日本として一番難しいことでありました。
そこで、自分で中々取り付く島もありませんから、陸軍軍医学校の教官に補せられたのを幸いにして、先生と相談し、又長与先生にも相談し、それから荒木にも相談しましたが皆、この着眼は、出た杭は必ずたたかれることがあるんだから、或いは然らんという考えでございました。
それで、陸軍、内地で全大学にお願いして出来る事と、内地で出来ない事の2種に、軍の再々の会議の結果決定致しまして、そして、内地で出来ないものは何とか別に方法を考えると、その為には、まあ気温の変化、環境が違うから、まあ北極、南極、赤道と3つの大きな、地球儀の大きなものを作って環境の変化を作ってもらう約束をしましたが、日本の力では、当時昭和5年でありましたが、内地に作る技術も無ければ、資力も無いということで、一つは赤道の直下へ行くがいいし、一つは満洲の北端に行けばいいということで、遂に研究所をそこに設けることにしたのであります。それから次々と発展致しまして、まず、戦地が4千キロに発展しまして、北は北満より、南はアンダマン、ジャワ、スマトラまでゆきまして、1年中同時に戦争があるものでありますから、これに対応策として、まず将兵の身体を保護して死亡率罹患率をなくするという国家百年の計をたてることに廟議一定しました。それで如何にして日本の国力を維持するかが問題であります。そこでまず陸軍軍医学校に研究室を作り、それから満洲ハルピンに(ロックフェラー・インスティチュートを中心に)。又南支に中山大学を中心に、その他、逐次研究室を作って行って、遂に324の研究所を作ったのであります。この結果、伝染病並びに伝染病死の率が下がり、大蔵省は非常に喜んで、これではまだ継続できるという結論になったのであります。その為に、ハルピンに大きな、まあ丸ビル14倍半ある研究所を作って頂きまして、それで中に電車もあり、飛行機も、一切のオール総合大学の研究所が出来まして、ここで真剣に研究したのであります。その時に先生が一番力を入れてくれたのが人的要素であります。各大学から一番優秀なプロフェッサー候補者を集めていただいたのがここにたくさん御列席になる石川教授、それから東北大学の岡本教授その他10数名の教授連でございます。そうして先生が、鶴見先生と一緒でございましたと思いますが、研究室をご覧になりまして、これはどうしても国家的なものにして育てねばならんというので、非常に力を入れて頂いたのであります。
その都度簡潔に御報告しますと、今度は、次は、とどこまでも先生が拍車をかけられまして、段々に、最後に大東亜の全面にわたって、この民族線防御の第1次完成をみたのであります。
ところがここで不意に中立条約を破ってソ連が出て来た為に、この敗戦の憂き目を蒙りまして、部隊は爆発し、一切の今までの何十巻にのぼるアルバイトも、感染病理に関する心魂込めて作った資料も全部焼かざるを得ない、悲運に到着したのであります。しかしながら頭に残った経験、残ったこの研究は今病理学会で、岡本教授、石川教授、ちらほらと出ます、又細菌については各教授になられた方が細菌学会でその片鱗を発表しておられますので非常に心強く思っております。
清野先生の構想はどこを叩いてもそれに応ずる反応があったんでありまして、今はよくこれをまとめて国家に奉納して、そして最後の日本の防御、破壊の防御、生々発展、再建にするようにと、わざわざ茨城県から出ていらっしゃいまして、私のうちにお泊りになって、このことを始終案じておられたことであります。(昭和31年9月3日 録音)
●高校教科書(実教出版)に学ぶ
(東京書籍)
戦争裁判・・・(東京)裁判を通して、戦争中の日本軍による侵略行為、残虐行為の実態が、はじめて国民の前に明らかになった。他方でこの裁判には多くの問題点もあった。昭和天皇の責任をこの裁判で問うかどうかは、国際的に議論されたが、天皇制維持による占領政策の円滑な遂行を進めようとしていたアメリカの意向もあって、結局不問にふされ、また731部隊の関係者はアメリカへの資料提供とひきかえに訴追をまぬかれた。連合国側のアメリカによる無差別爆撃や原爆投下、ソ連軍の行為などは問題にされることもなかった。
極東国際軍事裁判とは別に、通例の戦争犯罪の容疑で、BC級戦争犯罪裁判が1945年10月から1951年4月まで、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中国の各国の法令によって実施され、死刑984人、無期刑475人、有期刑2944人の判決が下った。この裁判では、残虐行為を命令した上官ではなく実行した部下のみが責任を問われたり、誤認で刑が下ったこともあったといわれている。有罪となった者の中には、朝鮮人約150人、台湾人約180人が含まれていた。
なぜ、日本政府は731部隊のおこなった生体実験・細菌戦を認めて謝罪しない!?
高校日本史Aの教科書、実教出版を希望が最多 来年度 静岡
高校教科書に学ぶ(?)
731部隊・・・日本陸軍は、細菌戦準備のため1932(昭和7)年に関東軍防疫班を設立し、38年から39年にかけて、中国ハルビン郊外にその本部と実験施設を移転した。ノモンハン事件ではじめて細菌戦を実施した軍は、防疫班の規模を拡張して40年から関東軍防疫給水部と改称した。この細菌戦部隊は731部隊と呼ばれ、ペスト・腸チフス・コレラなどの病原菌を兵器にして、42年からは中国戦線で細菌戦を実施した。また、中国人などを「マルタ」とよんで人体実験をおこない、敗戦時までに3000人あまりを死亡させた。
敗戦後、アメリカは731部隊が開発した技術を入手するためにこの部隊の幹部を免責したため、彼らが公的な責任を問われることはなかった。
安倍のお爺さん、岸信介と731の関係は?情報公開せよ!!
日本人が忘れても、マルタの怨霊は日本の罪業を訴え続けている!!
安倍の行けない中国・韓国では731部隊の研究が盛んになってきている!!
「秘密保護法」の施行を急ぐ安倍政権の閣僚に世界からメッセージが届いています!!
とくとご覧下さい!!
侵華日軍第731部隊罪障陳列館(ハルピン)
中国が教える731部隊
生きた人を人体実験、日帝731部隊の恐ろしい蛮行
鉄証:731部隊の罪業
日本人の証言もありますよ!!
語り部フォーラム
韓国人「中国が731部隊の残虐行為証拠資料を公開、幼い子供にも人体実験していた日本」
731部隊のことは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター・・・1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、安全の保護を主導する立場にある連邦機関。)のビデオでも紹介され、世界では公然の事実とされている。
インターネットエクスプローラーのグーグルで(グーグルクロームでは映りません。)
http://www.bt.cdc.gov/agent/plague/trainingmodule/1/02wmp.htmをご覧下さい!!
疾病管理予防センター(CDC): 谷川透訳
医学博士、科学博士 ジョアンヌ・コノー
人は中世以来、敵を殺し、敵の能力を奪うため、自然界に存在する生命体を用いてきた。
初期の例の一つは、14世紀にタタール軍が黒海沿岸の城郭都市カファを包囲攻撃したときに起きた。
腺ペストが発生してタタール人に猛威を振るい始めたとき、彼らはペストに罹って死んだ者の死体を投石器で市内に投げ込み、城壁の内部で腺ペストを勃発させることを決めた。
その後まもなく、城市の中で虐殺から身を守っていた人々は、突然ペストに襲われ、イタリアへ逃がれた。
彼らはこの伝染病を、彼ら自身でヨーロッパに運び、それが恐ろしい黒死病の大流行の始まりとなって、ヨーロッパの人口を激減させたのであった。
ペストの流行に関する今日のわれわれの知識によれば、ノミは人体が冷えるとすぐ人体を離れるので、人体を離れたノミによって元々市内に住んでいたネズミが感染し、市内で突然発生したペストが現実にカファ全域に広がった可能性は非常に高い。
日本帝国731部隊は、日本が戦争に動員され準備が整った1930年代と40年代に仕事をした。
この恐ろしい計画の立案者である石井四郎中将は、病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた。
石井は特にペストに魅了されていたが、それはペストによる細菌戦攻撃が自然発生的な伝染病の様相を呈するからであった。
さらに、人から人への感染拡大は、最初に用いる(細菌戦)発動物の量に応じて、病気を発生させることが出来るからであった。
731部隊は、ペスト菌を霧状に散布したり、水に溶かして散布したりすることが出来なかった。そこで彼らは、ペストを感染拡大させるために、天然の病毒媒介昆虫――通常のノミ――を用いた。
感染ノミを搭載した陶器爆弾が中国本土の幾つかの都市に投下され、その住民に多数の感染を引き起こした。
ペストは恐怖心を生み、容易に感染拡大し、人々を迅速に殺すので、兵器として魅力的である。
合衆国の攻撃計画でもペストに関して若干の調査研究を行なったが、同国では完全に武器化することは出来なかった。
ペスト菌を大量に増殖させた時、人はその毒性を持った細菌を保有しつづける魅力に打ち勝つことが出来ない。
ペスト菌は武器であって、伝染力を持っている。われわれは過去を振り返って、そのことを強く感じる。さらに、ペスト菌をエアロゾルにして持ち歩かないよう管理することも問題だし、気象条件によってペスト菌が変異しうることも問題だし、細菌の形をとらなくても非常に感染性が強いことも問題だし、最後にペスト菌がどういう形をとってお終いになるのか、誰もコントロールすることが出来ない。
ペスト菌はきっと、帰ってきて、あなた方に噛みつくことでしょう。
あなた方の軍隊だけでなく、あなた方の友軍や同盟軍にも噛みつくことでしょう。・・・・・
「生物兵器による戦争とテロリズム;軍事上および公衆衛生上の対応」(アメリカ食品医薬品局発行、1999年)から脚色
731部隊!!
夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
東京中野展感想
中野展感想 8月1日分
1、年齢 70代以上 女
・731部隊展の展示内容を見て
本当にひどいですね。非人間的だと思いました。
・731部隊展の運営についてのご意見
戦争とはつまらないからやめよと言いたい。
それだけの知恵を他の研究に使って欲しい。
【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅴ私は中国軍の捕虜だった
―総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
われ、ハルピンを脱出せず
満州各地では日本軍の降伏後、中国共産党のいわゆる第八路軍と蒋介石の国民党軍との間に、新生中国の指導権をめぐって激しい戦いが始まっていた。林彪の率いる東北民主連軍は、八路軍の1軍団であった。
当時、八路軍には、医師をはじめとして技術者が極端に不足していた。そのため、ハルピンに入った東北民主連軍も、直ちに日本人技術者に対する参軍の呼びかけを行なった。
難民委員会診療所で働いていた我々医師にも、「八路軍衛生部に出頭せよ」という通達があった。出頭すると、彼らは中国革命の意義を諄々として説き、革命の為に是非自分たちを援助して欲しい、と要請するのであった。
説得は、ていねいではあったが、執拗であった。最初のうちは、固辞し、渋っていた私も、しまいいには、根負けして、面倒くさくなり、「仕方ありません、やりましょう」ということになってしまった。だが、決して強制ということではなかった。現に、私の同僚だったある女医は、机にしがみつくようにして泣いて拒否したところ「お引取りになって結構です」ということになった。
私は、八路軍が私の元731部隊員という経歴をどう判断するか興味があったが、彼らは、全く関心を示さなかった。というよりも、訊かないのである。彼らにとっては、まず当面する国共内戦にどうしたら勝利するかが、大問題だったのである。
続きは「ノブのノート」で
あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
日常/ #3ドキュメント2013.12.6
グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。
権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっとオープンに公開せよ!!
「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」
安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか?
共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。
※今の日本で「命の教育」などできるのか、疑問だ。過去の日本の残虐行為を全て日本政府からして隠し続け、「日本を取り戻す」、「美しい国」とか、天皇制の強化を唱えている。大人がきちんと過去と向き合っていない!!
第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア
(転載)
●臨時国会開会日(9月29日)の「安倍政権の暴走を止めよう! 国会包囲共同行動」の呼びかけ
9月29日(月)は臨時国会の開会日です。安倍内閣は人々のくらしを脅かし、平和・民主主義・主権在民という国のあり方を根本から覆そうという大暴走を続けています。今回の「国会包囲共同行動」「官邸前行動」は、これまでも国会周辺でさまざまな取り組みをしてきた団体や、「何かしたい」という方がたが思いや要求、怒りを持ち寄る共同の場です。国会に、官邸前に集まって、安倍政権の暴走をSTOPさせましょう。
日時:9月29日(月) 昼の部12:00~13:30(国会包囲)、
夜の部18:30~20:00(官邸前)
◆各運動体が「安倍政権の暴走を止めよう!」のスローガンと、それぞれの独自のスローガンを掲げて、国会周辺のエリアを分担し、各エリアでミニ集会を行いつつ、包囲する。
◆人間の鎖(ヒューマンチェーン)は13:15に行う。
◆国会正門前を共同ステージとして、共同集会を行う。(ゲスト、国会議員らによるスピーチを予定)・国会周辺で各団体によるミニ集会・抗議行動→警察が天皇の臨席を理由に正門前は12:00~14:00閉鎖するとしています。
交渉を続けていますが、19日の相談会で、共同ステージは第2議員会館前に変更。
◆この取り組みは非暴力で参加団体・個人を誹謗しないことを確認しあって開かれます。
主催:「安倍政権の暴走を止めよう! 国会包囲共同行動」実行委員会
連絡先(仮):憲法会議℡03-3261-9007/許すな!憲法改悪・市民連絡会℡
03-3221-4668
●気になるニュース
731部隊、医師の責任問う 滋賀医大名誉教授が著書
細菌兵器を開発した旧関東軍731部隊など、戦争に加担した医師の責任を探る著書「戦争と医学」を、滋賀医科大の西山勝夫名誉教授(72)がまとめた。人体実験の実態や、戦後も検証が進んでいないことを取り上げ、医師の倫理を問いかけている。
■人体実験、進まぬ検証
西山さんは社会医学が専門で、2000年に発足した「15年戦争と日本の医学医療研究会」の事務局長。文献の検証や中国での現地調査を重ね、医師と戦争の関わりを追及してきた。来年春に関西で開催される「第29回日本医学会総会」を前に、これまでの集大成として出版した。
著書では、731部隊に京都大出身の医師らが関与し、中国人捕虜の人体実験が行われたことなどを説明。終戦後は、「731部隊の実験結果を必要とした米国の思惑から、戦犯を免責された」という。戦後、同部隊の関係者らが、人体実験の結果を学位論文の資料に流用していることも指摘した。
07年に開かれた日本医学会総会で、西山さんらが医師の戦争加担を取り上げるように働きかけたが、実現しなかった経緯なども振り返っている。
西山さんは「二度と医師が戦争に巻き込まれ非人道的な行為に加担しないように、医学会自らが反省することが必要だ。来年の医学会総会でも議論してほしい」と訴えている。
文理閣刊。A5判、400ページ。3024円(税込み)
8月以来の日中外相会談、首脳会談実現では同意できず―米ニューヨーク市
韓国大統領、日中に配慮し発言削除=その敏感な内容とは?―中国メディア
日中関係改善の鍵は「日本側が誠意見せられるか」、中国外交部報道官が強調―中国
蝋人形で審判風景を再現、日本戦犯審判法廷旧跡陳列館で設置完了―中国メディア
長崎)佐世保高1殺害、県教委報告 問題行動認識に差
エボラ熱死者、3000人突破
ただの自殺にしたくない!! 東電・原発問題は、いまの社会のすべての矛盾が集約されている!
新安全基準は世界一厳しい?
第86~89回小出裕章ジャーナル
731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島
秘密国家日本は裁判を起こして闘わなければ、情報を公開しない!!
防衛省ははじめからあることがわかっていたはずだ!!731の情報をきちんと全部開示せよ!!
防衛省 不開示の文書見つかり謝罪
(NHKニュース)
防衛省は19日、情報公開請求に対し、捜したが見つからなかったとして不開示とした文書の一部を発見したと発表した。開示を求めた訴訟で原告側から指摘を受け、捜し直したところ見つかったという。同省は原告側に謝罪、残る資料も改めて捜し、開示する方針。
文書は幹部自衛官の教育用に発行された雑誌「衛生学校記事」。原告は2011年、「細菌兵器の実験をしたとされる旧日本軍の731部隊について記載された可能性がある」として情報公開請求した。
防衛省が12年に不開示を決定し、原告側が13年に東京地裁に提訴。今年7月に指摘を受けて捜したところ、防衛医科大学校(埼玉県)の図書館と空自三沢基地(青森県)で一部を発見した。見つかった中には731部隊の記述は確認されていないという。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島 Unit 731, Hiroshima/Nagasaki, Chernobyl, Fukushima
●昭和天皇実録!!
権力側が情報を操作して「遅すぎた聖断」の弁明をいくらしても、何にもならないのでは。
本当に真実の歴史を書こうとすれば、情報を全て公開し、第3者が書かなければならないと思う。
もちろんこの本には秘密部隊731については一言も書かれていないだろう?
昭和天皇の姿 浮き彫りに
「昭和天皇実録」公表 太平洋戦争終結への思いなど克明に
「人民を破局より救い、世界人類の幸福のために、ポツダム宣言を受諾することを決心した旨を仰せになる」と記している。終戦を、自らの声で伝えた昭和天皇。
社説[昭和天皇実録]戦後史の理不尽を正せ
沖縄に関係する記述の中で注目されるのは「天皇メッセージ」について触れている点だ。
1947年9月19日、昭和天皇と面会した宮内庁の寺崎英成御用掛は、その日に連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長を訪ね、米国による沖縄占領について天皇の意向を伝えた。シーボルトは翌20日、その内容を文書でマッカーサー最高司令官に報告した。これが「天皇メッセージ」と呼ばれているものである。・・・・
実録で昭和天皇の生の言葉が紹介されているわけではなく、新事実が盛り込まれているわけでもないが、シーボルトの報告書が存在することを正式に認め、その内容を引用したということは、大きな意味を持つ。
昭和天皇実録 資料公開に注目
近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「天皇に関する資料は公益性が高く、内部資料であっても公開し、記述の検証や今後の研究に使えるようにすべきだ。日記など個人の資料も所有者の理解を得たうえで、なるべく早く公開してもらいたい」と話しています。
日本は自国の歴史を書く事が出来るか
「昭和天皇実録」が公開された。全61巻1万2千ページに及ぶ昭和天皇の記録である。実録を見た専門家の話によると、これまでの歴史観を覆すような新事実はないが、終戦直前まで戦勝を祈願していた事が明らかにされる一方、戦後に天皇が側近に戦争について語った「拝聴録」が行方不明とされ、詳しい内容が盛り込まれていないなどの問題があるようだ。
宮内庁は侍従日記などを「私的文書」として扱い、公開に消極的な姿勢を見せているが、実録を作成する基になった資料をできる限り公開しなければ、日本人は自分の頭で自らの国の姿を理解する事が出来なくなると思う。
誠実かつ率直に過去と向かい合うこと・・。 あなたはそれ相応の努力をしてますか?
万世一系とは嘘ではないか?明治・大正といろいろとまずいことがあった?
こっちこそ、『昭和天皇実録』ではないのか?
驚いた!!万世一系は嘘!? え!昭和天皇の父親は大正天皇ではなく、西園寺八郎?
西園寺八郎
毛利元徳の八男。毛利元徳は毛利敬親の養子で公爵。宮内官として主馬頭・宮内省式部次長まで進んだ。
1906(M39)西園寺公望(同墓)の娘の新と結婚し、西園寺家の婿養子となった。翌年、公望が講和大使として渡仏した際に妻と共に随行した。 1921(T10)春、当時皇太子殿下だった昭和天皇が訪英の際、小栗孝三郎海軍中将、高畑誠一らと同行した。この時、プロゴルフの試合を初めて観戦した。1928(S3)12月28日勲一等瑞宝章。 1940(S15)政治界の元老で公爵の西園寺公望が没したため、公爵を継承し西園寺家を継いだ。1940~1946(S15.12~S21.4)公爵として貴族院議員。 八郎の長男は政治家の西園寺公一、三男の貴族院議員を務めた西園寺不二男(同墓)がいる。
西園寺家の墓(2014.9.24撮影 多磨霊園8区 1種 1側 16番)
昭和天皇の出生の疑惑
昭和天皇ヒロヒトの父親は西園寺 八郎、朱貞明皇后咬合との子堕った、昭和の醜卑喰ら卑闇
渡辺監督が語る最新作『天皇伝説』の過激な内容とは!?
山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭
国民は赤紙一枚で召集され、戦地でリンチを受けながら軍隊教育をされ、人殺しを命じられ、果ては敵に殺され、時には味方によって殺され、または病死したり、餓死したり(全て「名誉の戦死」として片付けられる)惨憺たる状況に置かれたが、軍の上層部、東条や岸などの満洲を取り仕切った連中はアヘンなどでぼろ儲けをし、天皇は戦争で「マネーゲーム」をしていた?731の取引も天皇とマッカーサーの間で極秘裏に多額の金が動いたのではないか?
『日本のいちばん醜い日』474ページより
満州国がアヘンの国であったことを示すデータの1つが細川護貞の『情報天皇に達せず』の中に出てくる。細川護貞は近衛文麿の秘書をしていた。・・・・・
1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2000万円。当時の皇室財産を日銀物価価格(1990年)で計算すると、311倍となり、7912億円。東条の10億円とか15億円がいかに天文学的数字であるかがわかる。
今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。・・・・たとえ流言にしても、近衛文麿の言である。たんなる流言ではあるまい。・・・
アヘンのことは瀋陽の裁判でも取り上げられている!!
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭 、読書日記(海軍どころか外務省も最初から腐敗していたようです)
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論
福島県が標的にされた理由とは?
山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ (心に青雲)
●終戦の詔勅
(原文)
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
(口語訳)(1)戦争の大義(タイトルは鬼塚氏がつけられた)
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
天皇ヒロヒトが戦争を開始した、と見事に宣誓している文章である。誰が始めた戦争でもなかったのである。「アジアの安定」も偽りであることは、すでに書いた。朝鮮や中国の領土を侵略した。特に満州国の創立はアヘンによる「満業」であった。その満州国の維持費の半分以上はアヘン密売からの収入であった。
(原文)
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
(口語訳)(2)原爆投下による終戦
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
私は大井篤の「手記」などを引用し、皇太后が6月中旬頃に原爆投下を知っていたことを書いた。8月6日午前8時15分の広島の原爆投下についても具体的に論じた。この詔勅の内容は欺瞞以外のなにものでもない。
(参考)
・・・
次に、外務省編『終戦史録(5)』の中に掲載されている「大井篤手記ー天皇制と太平洋戦争」から引用する。
文中の「彼等」とは偽装クーデターを計画、実行した畑中少佐らのことである。
「彼等は、天皇は間違っていると考えました。彼等には驚くべきまでに、機微な情報がーその真実性は私には判りませんがー入手されていました。彼等の見るところでは、天皇は弱虫だから終戦をいそいでいるのである。原子爆弾が怖いのだ。その弱虫をさらに皇太后が焚きつけている。皇太后は御所内に堅固な防空壕を作ってくれと軍に催促されるが、資材不足でそれが出来ずにいる。そこへ原子爆弾の話が、尾ひれをはやして皇太后の耳に入ってくる。ジッとしておれなくなって天皇に訴える。彼等はこの情報を信じておりましたし、又陸軍では一般に原子爆弾はそう恐ろしいものではないと信じられておりました。」
・・・・
木戸幸一も天皇も同じく、数十万の人々が死傷したのに、悲しみの感情を持っていないのである。ただ、ただ、終戦に好都合だと語るのである。終戦に好都合なように、原爆投下を受け入れるべく、天皇と木戸とヨハンセン・グループは7月のあるときから、スティムソン陸軍大臣の手下のグルー国務次官と秘密のルートで動いたに違いないのである。それが8月6日午前8時15分の広島の原爆投下となったのである。
・・・・・
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。
8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。
では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。
広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。
この2つの本を読んで、私は次のように推論する。
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
・・・・・
もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。
私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)
まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。
(原文)
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
(口語訳) (3)人類永遠の真理と平和の実現
私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
まことに勝手な文章である。天皇ヒロヒトが、国家予算(平成の今日においても)を上回る秘密資金をスイスの秘密口座に残していることは外国人の多くの学者たちが書いている。日本人はこのことを知らされないようになっている。まことに「朕」ヒロヒトが語るように、「今後我が国が受けるであろう苦難は筆舌に尽くし難い」ものとなったのである。
どうしてこんな天皇ヒロヒトが、「人類永遠の真理である平和の実現」をはかることができようか。結果は歴然たる事実である。日本は、アメリカと国際金融同盟の配下におかれたままである。
●1975年10月31日の天皇の記者会見
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。・・・・・
秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、
平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
※昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥と高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?
●私にはこの言葉が胸に刺さる!!
ある中隊の元伍長は「もし日本が国民に対して歴史教育をしなかったら、日本は滅びるだろう」と語った。
少年兵の刺殺訓練に・・日本人戦犯8人が抗日戦争中の罪業を語る―中国メディア
●具志堅幸司さん、あなたはオリンピックではセンターポールに「日の丸」、そして「君が代」が流れるのを夢見ていたかも知れないが、この旗・歌によって、戦前、戦中の残酷な歴史が蘇ってくる人も多くいることも忘れないでほしい!!
「日の丸」見たくもない!!
「君が代」歌えない!!
政府・教育委員会は「思想・信条・良心の自由」を侵害するな!!
日の丸・君が代訴訟
●教育委員会は、「日本史教科書」の採択妨害をするな!!
教科書・市民フォーラムNEWS 第23号より 2014.9.16発行
●日本とドイツの違い!!
ドイツは、過去と真剣に向き合い、ヨーロッパの国々から信頼されている!!
日本は、過去と向き合うのをずっと避け、汚い出来事は隠し続け、特に中国・韓国から全く相手にされていない!!
日本の医学界の未来は暗い!!山中教授がいくらiPS細胞で業績をあげようと、京大が過去の謝罪をしなければ、いつまでも、731の暗い影はつきまとう!!
文科省は道徳の強化を進めているが、自民党のいう道徳では、過去の日本軍の罪業をどの様に扱うのか?
道徳とは関係ない?過去は無視しろとでもいうのか?
なぜ、731部隊の事実がこれほど明らかになっているのに、日本政府、天皇・皇族、日本医学界、京大・東大のが学者の誰一人、謝罪しない?
2013シンポ731吉中講演
731シンポジウム奈須講演
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」より、「ある医学者の生涯2」
京大・東大は真理を探究する大学ではない!!近現代史、原発の危険性をを追究するものは、冷遇されるか、追放される!!学問の世界も権力・お金に支配されている。地獄の沙汰も金次第!!
斑目「最期の処分地の話は、最後は結局はお金でしょ!!」
斑目春樹と小出裕章
●731部隊
防疫研究室・731部隊及びアジア各地にあった細菌戦研究所は、現人神・大元帥であった昭和天皇の承認のもと、莫大な国家予算を使い、生体解剖・生体実験等をして、細菌兵器の開発や、毒ガスの研究、凍傷の研究などが行われた。
731部隊には、日本の各大学から優秀な若い教授候補の医学者が集められ、研究が進められた。その人集めに一役買って出たのが石井四郎の恩師、清野謙次だった。
731部隊にも、清野謙次(京大教授)が度々訪れ、いろいろとアドバイスをしていた!!
京都大学は、731部隊の中核を担い、清野をはじめ、その他の教授たちも多くの弟子たちを口説いて731に送り込んでいた!!
京都大学が731部隊の資料を隠すのには訳がある!!
きちんと京大は731部隊のことを展示してほしい!!
「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館
随筆・遺稿(故清野謙次先生記念論文集より)
石井・・・今紹介を受けました石井であります。親孝行したい時には親はなし、先生にまだ御恩を報ずることもできないで誠に残念であります。大学院学生時代に眠り病が起こりまして、各大学が行っているのに京都大学だけが居眠ってると京都大学が眠り大学になるから、一つ京都大学は奮発して、この眠り病の本態を突き止めて頂きたい、とこう申し上げました。先生膝を打って賛成して下されて、あの大編成ができて、丸亀に本拠を置き、香川県の二豊郡に本拠を置いて一切の資料、お墓の屍体まで集めて、渡辺遍さんと共に、この、朝から晩までシャンペランを濾(こ)しまして
、遂に動物実験に成功して、東京に於ける学会に発表して、あらゆる反駁をそこに受けたんでありますが、とうとうまあウィルスであるということが承認されまして、日新医学の原稿(?)になったのはご存知の通りであります。
それからお前洋行して来い、ということを言われ陸軍から外国へ行きました。その時の深い感銘は、学問は日本で出来る、しかしながら世界の大人に会って、この、その偉大な人間が如何なる条件でこういう偉大な事業を成したかというその着眼と、方法とを、ガッチリ握ってきて、日本でやれば必ず出来るという話でした。それから英・米・仏・露、ロシアまで入りまして永くこの観点で見たのでありますが、どうも日本にとっても、一つも手をつけない大きなデフェクトがあるという事がわかりました。即ち日本に於いては非常に日本が偉いと、日清、日露、日独、済南、シベリア、こういう事変を通じてぐんぐん興隆の一途を進んで、日本の中にいる我々は、日本中が一等国であることを自負してましたが、この観点から世界の内面に入って考えると丸で逆であったのであります。それでもう一年も延ばして、これを少し徹底的につかみたいと思いましたが、ひとまず日本へ帰ってきて、内閣の諸侯と軍の首脳に報告しようと思いまして、先生を訪ねました。そりゃいいことをつかんだと、つかめないとこをつかむのがいいんだと。しかしながら、連戦連勝の日本、万世一系の天皇を上に頂いて隆々たる日本の何人もこれを耳にする人はございませんでした。誰も相手にしません。しかし既に、第一、民族の潰されたのが御存知の通りアメリカインディアンであります。第二の潰された、ほとんど潰された民族はモンゴリアンであります。第三番目にジャップであります。先生はこの着想を非常に喜ばれました。これは一つの大きなつかみ所だから、これをものにして将来を計画するのが一番いいということであります。
それでも非常に有頂天になっている日本として一番難しいことでありました。
そこで、自分で中々取り付く島もありませんから、陸軍軍医学校の教官に補せられたのを幸いにして、先生と相談し、又長与先生にも相談し、それから荒木にも相談しましたが皆、この着眼は、出た杭は必ずたたかれることがあるんだから、或いは然らんという考えでございました。
それで、陸軍、内地で全大学にお願いして出来る事と、内地で出来ない事の2種に、軍の再々の会議の結果決定致しまして、そして、内地で出来ないものは何とか別に方法を考えると、その為には、まあ気温の変化、環境が違うから、まあ北極、南極、赤道と3つの大きな、地球儀の大きなものを作って環境の変化を作ってもらう約束をしましたが、日本の力では、当時昭和5年でありましたが、内地に作る技術も無ければ、資力も無いということで、一つは赤道の直下へ行くがいいし、一つは満洲の北端に行けばいいということで、遂に研究所をそこに設けることにしたのであります。それから次々と発展致しまして、まず、戦地が4千キロに発展しまして、北は北満より、南はアンダマン、ジャワ、スマトラまでゆきまして、1年中同時に戦争があるものでありますから、これに対応策として、まず将兵の身体を保護して死亡率罹患率をなくするという国家百年の計をたてることに廟議一定しました。それで如何にして日本の国力を維持するかが問題であります。そこでまず陸軍軍医学校に研究室を作り、それから満洲ハルピンに(ロックフェラー・インスティチュートを中心に)。又南支に中山大学を中心に、その他、逐次研究室を作って行って、遂に324の研究所を作ったのであります。この結果、伝染病並びに伝染病死の率が下がり、大蔵省は非常に喜んで、これではまだ継続できるという結論になったのであります。その為に、ハルピンに大きな、まあ丸ビル14倍半ある研究所を作って頂きまして、それで中に電車もあり、飛行機も、一切のオール総合大学の研究所が出来まして、ここで真剣に研究したのであります。その時に先生が一番力を入れてくれたのが人的要素であります。各大学から一番優秀なプロフェッサー候補者を集めていただいたのがここにたくさん御列席になる石川教授、それから東北大学の岡本教授その他10数名の教授連でございます。そうして先生が、鶴見先生と一緒でございましたと思いますが、研究室をご覧になりまして、これはどうしても国家的なものにして育てねばならんというので、非常に力を入れて頂いたのであります。
その都度簡潔に御報告しますと、今度は、次は、とどこまでも先生が拍車をかけられまして、段々に、最後に大東亜の全面にわたって、この民族線防御の第1次完成をみたのであります。
ところがここで不意に中立条約を破ってソ連が出て来た為に、この敗戦の憂き目を蒙りまして、部隊は爆発し、一切の今までの何十巻にのぼるアルバイトも、感染病理に関する心魂込めて作った資料も全部焼かざるを得ない、悲運に到着したのであります。しかしながら頭に残った経験、残ったこの研究は今病理学会で、岡本教授、石川教授、ちらほらと出ます、又細菌については各教授になられた方が細菌学会でその片鱗を発表しておられますので非常に心強く思っております。
清野先生の構想はどこを叩いてもそれに応ずる反応があったんでありまして、今はよくこれをまとめて国家に奉納して、そして最後の日本の防御、破壊の防御、生々発展、再建にするようにと、わざわざ茨城県から出ていらっしゃいまして、私のうちにお泊りになって、このことを始終案じておられたことであります。(昭和31年9月3日 録音)
●高校教科書(実教出版)に学ぶ
歴史のまど・・・1937年12月、日本軍は、国民政府の首都南京を占領した。その前後数週間の間に、日本軍は、南京市内外で捕虜・投降兵をはじめ婦女子を含む中国人推計約20万人を殺害し、略奪・放火や婦女への暴行をおこなった。当時の中島師団長は、12月13日の日記に、捕虜にはしない方針であり、佐々木部隊だけで約1万5千人を「処理」したと記している。
南京での大虐殺事件は、日本国内には知らされず、東京・名古屋・大阪などでは「南京陥落」を祝って提灯(ちょうちん)行列がおこなわれていた。しかし欧米では『ニューヨークタイムズ』などによって「捕虜全員殺される」と報道され、国際的非難が沸き上がった。(※南京大虐殺)
※現在、中国南京市郊外の虐殺現場には侵華日軍南京大遇難同胞記念館(1985年8月15日開館)がある。中国側は、市民や武器を捨てた兵士など30万人以上の人々が日本軍によって虐殺されたと発表している。なお、日本国内では虐殺数について「10数万人」など他の説もある。
・・中国軍民の抵抗に直面した日本軍は、1940~43年にかけて、華北の抗日根拠地への攻撃をおこなった。この作戦は「焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす」という意味で「三光作戦」と非難された。また、ハルビンの731部隊などでは、細菌戦・毒ガス戦の研究で、3000人ともいわれる中国人ロシア人を実験材料(マルタと呼んだ)にし、しばしば中国各地で細菌・毒ガスを使った作戦を実行した。さらにアヘンを生産して中国占領地で販売したりした。
実教出版の教科書、都教委「不適切」 日本史の記述で
「不適切」とするのは「高校日本史A」と「高校日本史B」。国旗掲揚や国歌斉唱に関して「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という記述について、都教委は「国旗掲揚と国歌の起立斉唱は教員の責務であるとする都教委の考え方と異なる」としている。
(東京書籍)
戦争裁判・・・(東京)裁判を通して、戦争中の日本軍による侵略行為、残虐行為の実態が、はじめて国民の前に明らかになった。他方でこの裁判には多くの問題点もあった。昭和天皇の責任をこの裁判で問うかどうかは、国際的に議論されたが、天皇制維持による占領政策の円滑な遂行を進めようとしていたアメリカの意向もあって、結局不問にふされ、また731部隊の関係者はアメリカへの資料提供とひきかえに訴追をまぬかれた。連合国側のアメリカによる無差別爆撃や原爆投下、ソ連軍の行為などは問題にされることもなかった。
極東国際軍事裁判とは別に、通例の戦争犯罪の容疑で、BC級戦争犯罪裁判が1945年10月から1951年4月まで、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中国の各国の法令によって実施され、死刑984人、無期刑475人、有期刑2944人の判決が下った。この裁判では、残虐行為を命令した上官ではなく実行した部下のみが責任を問われたり、誤認で刑が下ったこともあったといわれている。有罪となった者の中には、朝鮮人約150人、台湾人約180人が含まれていた。
なぜ、日本政府は731部隊のおこなった生体実験・細菌戦を認めて謝罪しない!?
高校日本史Aの教科書、実教出版を希望が最多 来年度 静岡
高校教科書から学ぶ(?)
731部隊・・・日本陸軍は、細菌戦準備のため1932(昭和7)年に関東軍防疫班を設立し、38年から39年にかけて、中国ハルビン郊外にその本部と実験施設を移転した。ノモンハン事件ではじめて細菌戦を実施した軍は、防疫班の規模を拡張して40年から関東軍防疫給水部と改称した。この細菌戦部隊は731部隊と呼ばれ、ペスト・腸チフス・コレラなどの病原菌を兵器にして、42年からは中国戦線で細菌戦を実施した。また、中国人などを「マルタ」とよんで人体実験をおこない、敗戦時までに3000人あまりを死亡させた。
敗戦後、アメリカは731部隊が開発した技術を入手するためにこの部隊の幹部を免責したため、彼らが公的な責任を問われることはなかった。
安倍のお爺さん、岸信介と731の関係は?情報公開せよ!!
日本人が忘れても、マルタの怨霊は日本の罪業を訴え続けている!!
安倍の行けない中国・韓国では731部隊の研究が盛んになってきている!!
「秘密保護法」の施行を急ぐ安倍政権の閣僚に世界からメッセージが届いています!!
とくとご覧下さい!!
侵華日軍第731部隊罪障陳列館(ハルピン)
中国が教える731部隊
生きた人を人体実験、日帝731部隊の恐ろしい蛮行
鉄証:731部隊の罪業
日本人の証言もありますよ!!
語り部フォーラム
韓国人「中国が731部隊の残虐行為証拠資料を公開、幼い子供にも人体実験していた日本」
731部队的真相(英文)2/5 731部隊の真実 the truth of Harbin Unit 731(English Narration)
731部隊のことは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター・・・1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、安全の保護を主導する立場にある連邦機関。)のビデオでも紹介され、世界では公然の事実とされている。
インターネットエクスプローラーのグーグルで(グーグルクロームでは映りません。)
http://www.bt.cdc.gov/agent/plague/trainingmodule/1/02wmp.htmをご覧下さい!!
疾病管理予防センター(CDC): 谷川透訳
医学博士、科学博士 ジョアンヌ・コノー
人は中世以来、敵を殺し、敵の能力を奪うため、自然界に存在する生命体を用いてきた。
初期の例の一つは、14世紀にタタール軍が黒海沿岸の城郭都市カファを包囲攻撃したときに起きた。
腺ペストが発生してタタール人に猛威を振るい始めたとき、彼らはペストに罹って死んだ者の死体を投石器で市内に投げ込み、城壁の内部で腺ペストを勃発させることを決めた。
その後まもなく、城市の中で虐殺から身を守っていた人々は、突然ペストに襲われ、イタリアへ逃がれた。
彼らはこの伝染病を、彼ら自身でヨーロッパに運び、それが恐ろしい黒死病の大流行の始まりとなって、ヨーロッパの人口を激減させたのであった。
ペストの流行に関する今日のわれわれの知識によれば、ノミは人体が冷えるとすぐ人体を離れるので、人体を離れたノミによって元々市内に住んでいたネズミが感染し、市内で突然発生したペストが現実にカファ全域に広がった可能性は非常に高い。
日本帝国731部隊は、日本が戦争に動員され準備が整った1930年代と40年代に仕事をした。
この恐ろしい計画の立案者である石井四郎中将は、病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた。
石井は特にペストに魅了されていたが、それはペストによる細菌戦攻撃が自然発生的な伝染病の様相を呈するからであった。
さらに、人から人への感染拡大は、最初に用いる(細菌戦)発動物の量に応じて、病気を発生させることが出来るからであった。
731部隊は、ペスト菌を霧状に散布したり、水に溶かして散布したりすることが出来なかった。そこで彼らは、ペストを感染拡大させるために、天然の病毒媒介昆虫――通常のノミ――を用いた。
感染ノミを搭載した陶器爆弾が中国本土の幾つかの都市に投下され、その住民に多数の感染を引き起こした。
ペストは恐怖心を生み、容易に感染拡大し、人々を迅速に殺すので、兵器として魅力的である。
合衆国の攻撃計画でもペストに関して若干の調査研究を行なったが、同国では完全に武器化することは出来なかった。
ペスト菌を大量に増殖させた時、人はその毒性を持った細菌を保有しつづける魅力に打ち勝つことが出来ない。
ペスト菌は武器であって、伝染力を持っている。われわれは過去を振り返って、そのことを強く感じる。さらに、ペスト菌をエアロゾルにして持ち歩かないよう管理することも問題だし、気象条件によってペスト菌が変異しうることも問題だし、細菌の形をとらなくても非常に感染性が強いことも問題だし、最後にペスト菌がどういう形をとってお終いになるのか、誰もコントロールすることが出来ない。
ペスト菌はきっと、帰ってきて、あなた方に噛みつくことでしょう。
あなた方の軍隊だけでなく、あなた方の友軍や同盟軍にも噛みつくことでしょう。・・・・
「生物兵器による戦争とテロリズム;軍事上および公衆衛生上の対応」(アメリカ食品医薬品局発行、1999年)から脚色
731部隊!!
夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅴ私は中国軍の捕虜だった
―総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
われ、ハルピンを脱出せず
もう1つ、私には、ハルピンに留まる理由があった。私が、昭和19年4月に、ハルピンで結婚したことは、前に述べた。妻となったのは、ハルピンのあるホテルの支配人の娘であった。
敗戦後も、彼女の一家は、ハルピンに留まることなった。私としては、妻の家族を残して、自分たちだけハルピンを脱出することはできなかったのである。
ソ連軍のハルピン進駐は、翌昭和21年4月まで続いた。その間、ソ連軍は軍政を敷いた。幸い、ソ連軍は戦犯追及にまで手が回らなかったようである。
私は、ハルピン市南崗(なんがん)にあった開拓団中央病院に設けられた日本人難民委員会診療所で、医師として忙しい毎日を送っていた。当時、ハルピンには、奥地の町や開拓団村から避難してきた人や引き揚げずに残留していた人など、かなりな数の日本人がいた。敗戦という苛酷な状況下にあって、病人や怪我人も多かった。忙しくはあったが、医師として、私は、充実した気持ちで一杯であった。
昭和21年4月3日、ソ連軍がいっせいにハルピン市内から撤退すると、周囲を取り囲んでいた林彪(りんぴょう)麾下(きか)の東北民主蓮軍(共産党系)が、入れ替わるように、ハルピンに入城してきた。
続きは「ノブのノート」で
あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる” 日常/ #3ドキュメント2013.12.6 グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。 権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。 情報をもっとオープンに公開せよ!! 「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」 安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか? 共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。 ※今の日本で「命の教育」などできるのか、疑問だ。過去の日本の残虐行為を全て日本政府からして隠し続け、「日本を取り戻す」、「美しい国」とか、天皇制の強化を唱えている。大人がきちんと過去と向き合っていない!! 第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア (転載) ●臨時国会開会日(9月29日)の「安倍政権の暴走を止めよう! 国会包囲共同行動」の呼びかけ 9月29日(月)は臨時国会の開会日です。安倍内閣は人々のくらしを脅かし、平和・民主主義・主権在民という国のあり方を根本から覆そうという大暴走を続けています。今回の「国会包囲共同行動」「官邸前行動」は、これまでも国会周辺でさまざまな取り組みをしてきた団体や、「何かしたい」という方がたが思いや要求、怒りを持ち寄る共同の場です。国会に、官邸前に集まって、安倍政権の暴走をSTOPさせましょう。 日時:9月29日(月) 昼の部12:00~13:30(国会包囲)、 夜の部18:30~20:00(官邸前) ◆各運動体が「安倍政権の暴走を止めよう!」のスローガンと、それぞれの独自のスローガンを掲げて、国会周辺のエリアを分担し、各エリアでミニ集会を行いつつ、包囲する。 ◆人間の鎖(ヒューマンチェーン)は13:15に行う。 ◆国会正門前を共同ステージとして、共同集会を行う。(ゲスト、国会議員らによるスピーチを予定)・国会周辺で各団体によるミニ集会・抗議行動→警察が天皇の臨席を理由に正門前は12:00~14:00閉鎖するとしています。 交渉を続けていますが、19日の相談会で、共同ステージは第2議員会館前に変更。 ◆この取り組みは非暴力で参加団体・個人を誹謗しないことを確認しあって開かれます。 主催:「安倍政権の暴走を止めよう! 国会包囲共同行動」実行委員会 連絡先(仮):憲法会議℡03-3261-9007/許すな!憲法改悪・市民連絡会℡ 03-3221-4668 ●気になるニュース 731部隊、医師の責任問う 滋賀医大名誉教授が著書 細菌兵器を開発した旧関東軍731部隊など、戦争に加担した医師の責任を探る著書「戦争と医学」を、滋賀医科大の西山勝夫名誉教授(72)がまとめた。人体実験の実態や、戦後も検証が進んでいないことを取り上げ、医師の倫理を問いかけている。 ■人体実験、進まぬ検証 西山さんは社会医学が専門で、2000年に発足した「15年戦争と日本の医学医療研究会」の事務局長。文献の検証や中国での現地調査を重ね、医師と戦争の関わりを追及してきた。来年春に関西で開催される「第29回日本医学会総会」を前に、これまでの集大成として出版した。 著書では、731部隊に京都大出身の医師らが関与し、中国人捕虜の人体実験が行われたことなどを説明。終戦後は、「731部隊の実験結果を必要とした米国の思惑から、戦犯を免責された」という。戦後、同部隊の関係者らが、人体実験の結果を学位論文の資料に流用していることも指摘した。 07年に開かれた日本医学会総会で、西山さんらが医師の戦争加担を取り上げるように働きかけたが、実現しなかった経緯なども振り返っている。 西山さんは「二度と医師が戦争に巻き込まれ非人道的な行為に加担しないように、医学会自らが反省することが必要だ。来年の医学会総会でも議論してほしい」と訴えている。 文理閣刊。A5判、400ページ。3024円(税込み) 私も不快だ!! 孫楊が謝罪と釈明=「日本国歌は不快」発言で―アジア大会・競泳 日韓外相会談、韓国は慰安婦の解決を求め、日本は「49年前に解決済み」を強調―韓国メディア (朝鮮日報日本語版) 韓日外相会談、歴史問題めぐり平行線 長崎)佐世保高1殺害、県教委報告 問題行動認識に差 エボラ熱死者、3000人突破 ただの自殺にしたくない!! 東電・原発問題は、いまの社会のすべての矛盾が集約されている! 安倍氏の「積極的平和主義」は二重の違憲 秘密国家日本は裁判を起こして闘わなければ、情報を公開しない!! 防衛省ははじめからあることがわかっていたはずだ!!731の情報をきちんと全部開示せよ!! 防衛省 不開示の文書見つかり謝罪 (NHKニュース) 防衛省は19日、情報公開請求に対し、捜したが見つからなかったとして不開示とした文書の一部を発見したと発表した。開示を求めた訴訟で原告側から指摘を受け、捜し直したところ見つかったという。同省は原告側に謝罪、残る資料も改めて捜し、開示する方針。 文書は幹部自衛官の教育用に発行された雑誌「衛生学校記事」。原告は2011年、「細菌兵器の実験をしたとされる旧日本軍の731部隊について記載された可能性がある」として情報公開請求した。 防衛省が12年に不開示を決定し、原告側が13年に東京地裁に提訴。今年7月に指摘を受けて捜したところ、防衛医科大学校(埼玉県)の図書館と空自三沢基地(青森県)で一部を発見した。見つかった中には731部隊の記述は確認されていないという。 ●私にはこの言葉が胸に刺さる!! ある中隊の元伍長は「もし日本が国民に対して歴史教育をしなかったら、日本は滅びるだろう」と語った。 少年兵の刺殺訓練に・・日本人戦犯8人が抗日戦争中の罪業を語る―中国メディア ●具志堅幸司さん、あなたはオリンピックではセンターポールに「日の丸」、そして「君が代」が流れるのを夢見ていたかも知れないが、この旗・歌によって、戦前、戦中の残酷な歴史が蘇ってくる人も多くいることも忘れないでほしい!! 「日の丸」見たくもない!! 「君が代」歌えない!! 政府・教育委員会は「思想・信条・良心の自由」を侵害するな!! 日の丸・君が代訴訟 ●教育委員会は、「日本史教科書」の採択妨害をするな!! 教科書・市民フォーラムNEWS 第23号より 2014.9.16発行 なぜ、政府・自民党・教育委員会は歴史を塗り替えようとする!? 実教出版への弾圧をやめよ!! (平和教育通信第113号より) 許すな!!教育委員会の不当介入!! たしか、「日の丸・君が代」を国会で決めたとき、「国民の思想・信条は尊重する」と言っていたが、これも嘘だった。 神奈川県立高、実教出版の日本史教科書使用希望ゼロ 学習指導要領で指導を義務付けられている国旗掲揚、国歌斉唱を「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述した実教出版(東京)の高校日本史教科書の使用を来年度に希望する県立高がゼロだったことが19日、分かった。 実教教科書 広がる自主規制 「校長指示で選定覆る」 ●日本とドイツの違い!! ドイツは、過去と真剣に向き合い、ヨーロッパの国々から信頼されている!! 日本は、過去と向き合うのをずっと避け、汚い出来事は隠し続け、特に中国・韓国から全く相手にされていない!! 日本の医学界の未来は暗い!!山中教授がいくらiPS細胞で業績をあげようと、京大が過去の謝罪をしなければ、いつまでも、731の暗い影はつきまとう!! 文科省は道徳の強化を進めているが、自民党のいう道徳では、過去の日本軍の罪業をどの様に扱うのか? 道徳とは関係ない?過去は無視しろとでもいうのか? なぜ、731部隊の事実がこれほど明らかになっているのに、日本政府、天皇・皇族、日本医学界、京大・東大のが学者の誰一人、謝罪しない? 2013シンポ731吉中講演 731シンポジウム奈須講演 知ってるつもり「731部隊と医学者たち」より、「ある医学者の生涯2」 京大・東大は真理を探究する大学ではない!!近現代史、原発の危険性をを追究するものは、冷遇されるか、追放される!!学問の世界も権力・お金に支配されている。地獄の沙汰も金次第!! 斑目「最期の処分地の話は、最後は結局はお金でしょ!!」 斑目春樹と小出裕章 ●731部隊 防疫研究室・731部隊及びアジア各地にあった細菌戦研究所は、現人神・大元帥であった昭和天皇の承認のもと、莫大な国家予算を使い、生体解剖・生体実験等をして、細菌兵器の開発や、毒ガスの研究、凍傷の研究などが行われた。 731部隊には、日本の各大学から優秀な若い教授候補の医学者が集められ、研究が進められた。その人集めに一役買って出たのが石井四郎の恩師、清野謙次だった。 731部隊にも、清野謙次(京大教授)が度々訪れ、いろいろとアドバイスをしていた!! 京都大学は、731部隊の中核を担い、清野をはじめ、その他の教授たちも多くの弟子たちを口説いて731に送り込んでいた!! 京都大学が731部隊の資料を隠すのには訳がある!! きちんと京大は731部隊のことを展示してほしい!! 「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館 随筆・遺稿(故清野謙次先生記念論文集より) 石井・・・今紹介を受けました石井であります。親孝行したい時には親はなし、先生にまだ御恩を報ずることもできないで誠に残念であります。大学院学生時代に眠り病が起こりまして、各大学が行っているのに京都大学だけが居眠ってると京都大学が眠り大学になるから、一つ京都大学は奮発して、この眠り病の本態を突き止めて頂きたい、とこう申し上げました。先生膝を打って賛成して下されて、あの大編成ができて、丸亀に本拠を置き、香川県の二豊郡に本拠を置いて一切の資料、お墓の屍体まで集めて、渡辺遍さんと共に、この、朝から晩までシャンペランを濾(こ)しまして 、遂に動物実験に成功して、東京に於ける学会に発表して、あらゆる反駁をそこに受けたんでありますが、とうとうまあウィルスであるということが承認されまして、日新医学の原稿(?)になったのはご存知の通りであります。 それからお前洋行して来い、ということを言われ陸軍から外国へ行きました。その時の深い感銘は、学問は日本で出来る、しかしながら世界の大人に会って、この、その偉大な人間が如何なる条件でこういう偉大な事業を成したかというその着眼と、方法とを、ガッチリ握ってきて、日本でやれば必ず出来るという話でした。それから英・米・仏・露、ロシアまで入りまして永くこの観点で見たのでありますが、どうも日本にとっても、一つも手をつけない大きなデフェクトがあるという事がわかりました。即ち日本に於いては非常に日本が偉いと、日清、日露、日独、済南、シベリア、こういう事変を通じてぐんぐん興隆の一途を進んで、日本の中にいる我々は、日本中が一等国であることを自負してましたが、この観点から世界の内面に入って考えると丸で逆であったのであります。それでもう一年も延ばして、これを少し徹底的につかみたいと思いましたが、ひとまず日本へ帰ってきて、内閣の諸侯と軍の首脳に報告しようと思いまして、先生を訪ねました。そりゃいいことをつかんだと、つかめないとこをつかむのがいいんだと。しかしながら、連戦連勝の日本、万世一系の天皇を上に頂いて隆々たる日本の何人もこれを耳にする人はございませんでした。誰も相手にしません。しかし既に、第一、民族の潰されたのが御存知の通りアメリカインディアンであります。第二の潰された、ほとんど潰された民族はモンゴリアンであります。第三番目にジャップであります。先生はこの着想を非常に喜ばれました。これは一つの大きなつかみ所だから、これをものにして将来を計画するのが一番いいということであります。 それでも非常に有頂天になっている日本として一番難しいことでありました。 そこで、自分で中々取り付く島もありませんから、陸軍軍医学校の教官に補せられたのを幸いにして、先生と相談し、又長与先生にも相談し、それから荒木にも相談しましたが皆、この着眼は、出た杭は必ずたたかれることがあるんだから、或いは然らんという考えでございました。 それで、陸軍、内地で全大学にお願いして出来る事と、内地で出来ない事の2種に、軍の再々の会議の結果決定致しまして、そして、内地で出来ないものは何とか別に方法を考えると、その為には、まあ気温の変化、環境が違うから、まあ北極、南極、赤道と3つの大きな、地球儀の大きなものを作って環境の変化を作ってもらう約束をしましたが、日本の力では、当時昭和5年でありましたが、内地に作る技術も無ければ、資力も無いということで、一つは赤道の直下へ行くがいいし、一つは満洲の北端に行けばいいということで、遂に研究所をそこに設けることにしたのであります。それから次々と発展致しまして、まず、戦地が4千キロに発展しまして、北は北満より、南はアンダマン、ジャワ、スマトラまでゆきまして、1年中同時に戦争があるものでありますから、これに対応策として、まず将兵の身体を保護して死亡率罹患率をなくするという国家百年の計をたてることに廟議一定しました。それで如何にして日本の国力を維持するかが問題であります。そこでまず陸軍軍医学校に研究室を作り、それから満洲ハルピンに(ロックフェラー・インスティチュートを中心に)。又南支に中山大学を中心に、その他、逐次研究室を作って行って、遂に324の研究所を作ったのであります。この結果、伝染病並びに伝染病死の率が下がり、大蔵省は非常に喜んで、これではまだ継続できるという結論になったのであります。その為に、ハルピンに大きな、まあ丸ビル14倍半ある研究所を作って頂きまして、それで中に電車もあり、飛行機も、一切のオール総合大学の研究所が出来まして、ここで真剣に研究したのであります。その時に先生が一番力を入れてくれたのが人的要素であります。各大学から一番優秀なプロフェッサー候補者を集めていただいたのがここにたくさん御列席になる石川教授、それから東北大学の岡本教授その他10数名の教授連でございます。そうして先生が、鶴見先生と一緒でございましたと思いますが、研究室をご覧になりまして、これはどうしても国家的なものにして育てねばならんというので、非常に力を入れて頂いたのであります。 その都度簡潔に御報告しますと、今度は、次は、とどこまでも先生が拍車をかけられまして、段々に、最後に大東亜の全面にわたって、この民族線防御の第1次完成をみたのであります。 ところがここで不意に中立条約を破ってソ連が出て来た為に、この敗戦の憂き目を蒙りまして、部隊は爆発し、一切の今までの何十巻にのぼるアルバイトも、感染病理に関する心魂込めて作った資料も全部焼かざるを得ない、悲運に到着したのであります。しかしながら頭に残った経験、残ったこの研究は今病理学会で、岡本教授、石川教授、ちらほらと出ます、又細菌については各教授になられた方が細菌学会でその片鱗を発表しておられますので非常に心強く思っております。 清野先生の構想はどこを叩いてもそれに応ずる反応があったんでありまして、今はよくこれをまとめて国家に奉納して、そして最後の日本の防御、破壊の防御、生々発展、再建にするようにと、わざわざ茨城県から出ていらっしゃいまして、私のうちにお泊りになって、このことを始終案じておられたことであります。(昭和31年9月3日 録音) ●昭和天皇実録!! 権力側が情報を操作して「遅すぎた聖断」の弁明をいくらしても、何にもならないのでは。 本当に真実の歴史を書こうとすれば、情報を全て公開し、第3者が書かなければならないと思う。 もちろんこの本には秘密部隊731については一言も書かれていないだろう? 昭和天皇の姿 浮き彫りに 「昭和天皇実録」公表 太平洋戦争終結への思いなど克明に 「人民を破局より救い、世界人類の幸福のために、ポツダム宣言を受諾することを決心した旨を仰せになる」と記している。終戦を、自らの声で伝えた昭和天皇。 社説[昭和天皇実録]戦後史の理不尽を正せ 沖縄に関係する記述の中で注目されるのは「天皇メッセージ」について触れている点だ。 1947年9月19日、昭和天皇と面会した宮内庁の寺崎英成御用掛は、その日に連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長を訪ね、米国による沖縄占領について天皇の意向を伝えた。シーボルトは翌20日、その内容を文書でマッカーサー最高司令官に報告した。これが「天皇メッセージ」と呼ばれているものである。・・・・ 実録で昭和天皇の生の言葉が紹介されているわけではなく、新事実が盛り込まれているわけでもないが、シーボルトの報告書が存在することを正式に認め、その内容を引用したということは、大きな意味を持つ。 昭和天皇実録 資料公開に注目 近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「天皇に関する資料は公益性が高く、内部資料であっても公開し、記述の検証や今後の研究に使えるようにすべきだ。日記など個人の資料も所有者の理解を得たうえで、なるべく早く公開してもらいたい」と話しています。 日本は自国の歴史を書く事が出来るか 「昭和天皇実録」が公開された。全61巻1万2千ページに及ぶ昭和天皇の記録である。実録を見た専門家の話によると、これまでの歴史観を覆すような新事実はないが、終戦直前まで戦勝を祈願していた事が明らかにされる一方、戦後に天皇が側近に戦争について語った「拝聴録」が行方不明とされ、詳しい内容が盛り込まれていないなどの問題があるようだ。 宮内庁は侍従日記などを「私的文書」として扱い、公開に消極的な姿勢を見せているが、実録を作成する基になった資料をできる限り公開しなければ、日本人は自分の頭で自らの国の姿を理解する事が出来なくなると思う。 誠実かつ率直に過去と向かい合うこと・・。 あなたはそれ相応の努力をしてますか? 万世一系とは嘘ではないか?明治・大正といろいろとまずいことがあった? The Great Dictator- Globe Scene こっちこそ、『昭和天皇実録』ではないのか? 驚いた!!万世一系は嘘!? え!昭和天皇の父親は大正天皇ではなく、西園寺八郎? 西園寺八郎 毛利元徳の八男。毛利元徳は毛利敬親の養子で公爵。宮内官として主馬頭・宮内省式部次長まで進んだ。 1906(M39)西園寺公望(同墓)の娘の新と結婚し、西園寺家の婿養子となった。翌年、公望が講和大使として渡仏した際に妻と共に随行した。 1921(T10)春、当時皇太子殿下だった昭和天皇が訪英の際、小栗孝三郎海軍中将、高畑誠一らと同行した。この時、プロゴルフの試合を初めて観戦した。1928(S3)12月28日勲一等瑞宝章。 1940(S15)政治界の元老で公爵の西園寺公望が没したため、公爵を継承し西園寺家を継いだ。1940~1946(S15.12~S21.4)公爵として貴族院議員。 八郎の長男は政治家の西園寺公一、三男の貴族院議員を務めた西園寺不二男(同墓)がいる。 西園寺家の墓(2014.9.24撮影 多磨霊園8区 1種 1側 16番) 昭和天皇の出生の疑惑 昭和天皇ヒロヒトの父親は西園寺 八郎、朱貞明皇后咬合との子堕った、昭和の醜卑喰ら卑闇 渡辺監督が語る最新作『天皇伝説』の過激な内容とは!? 山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない 日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭 国民は赤紙一枚で召集され、戦地でリンチを受けながら軍隊教育をされ、人殺しを命じられ、果ては敵に殺され、時には味方によって殺され、または病死したり、餓死したり(全て「名誉の戦死」として片付けられる)惨憺たる状況に置かれたが、軍の上層部、東条や岸などの満洲を取り仕切った連中はアヘンなどでぼろ儲けをし、天皇は戦争で「マネーゲーム」をしていた?731の取引も天皇とマッカーサーの間で極秘裏に多額の金が動いたのではないか? 『日本のいちばん醜い日』474ページより 満州国がアヘンの国であったことを示すデータの1つが細川護貞の『情報天皇に達せず』の中に出てくる。細川護貞は近衛文麿の秘書をしていた。・・・・・ 1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2000万円。当時の皇室財産を日銀物価価格(1990年)で計算すると、311倍となり、7912億円。東条の10億円とか15億円がいかに天文学的数字であるかがわかる。 今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。・・・・たとえ流言にしても、近衛文麿の言である。たんなる流言ではあるまい。・・・ アヘンのことは瀋陽の裁判でも取り上げられている!! 瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」 日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭 、読書日記(海軍どころか外務省も最初から腐敗していたようです) 日本の真相4 こじつけの天皇無罪論 福島県が標的にされた理由とは? 山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ (心に青雲) |
●終戦の詔勅
(原文)
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
(口語訳)
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
(1)戦争の大義
天皇ヒロヒトが戦争を開始した、と見事に宣誓している文章である。誰が始めた戦争でもなかったのである。「アジアの安定」も偽りであることは、すでに書いた。朝鮮や中国の領土を侵略した。特に満州国の創立はアヘンによる「満業」であった。その満州国の維持費の半分以上はアヘン密売からの収入であった。
(原文)
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
(口語訳)
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
(2)原爆投下による終戦
私は大井篤の「手記」などを引用し、皇太后が6月中旬頃に原爆投下を知っていたことを書いた。8月6日午前8時15分の広島の原爆投下についても具体的に論じた。この詔勅の内容は欺瞞以外のなにものでもない。
(参考)
・・・
次に、外務省編『終戦史録(5)』の中に掲載されている「大井篤手記ー天皇制と太平洋戦争」から引用する。
文中の「彼等」とは偽装クーデターを計画、実行した畑中少佐らのことである。
「彼等は、天皇は間違っていると考えました。彼等には驚くべきまでに、機微な情報がーその真実性は私には判りませんがー入手されていました。彼等の見るところでは、天皇は弱虫だから終戦をいそいでいるのである。原子爆弾が怖いのだ。その弱虫をさらに皇太后が焚きつけている。皇太后は御所内に堅固な防空壕を作ってくれと軍に催促されるが、資材不足でそれが出来ずにいる。そこへ原子爆弾の話が、尾ひれをはやして皇太后の耳に入ってくる。ジッとしておれなくなって天皇に訴える。彼等はこの情報を信じておりましたし、又陸軍では一般に原子爆弾はそう恐ろしいものではないと信じられておりました。」
・・・・
木戸幸一も天皇も同じく、数十万の人々が死傷したのに、悲しみの感情を持っていないのである。ただ、ただ、終戦に好都合だと語るのである。終戦に好都合なように、原爆投下を受け入れるべく、天皇と木戸とヨハンセン・グループは7月のあるときから、スティムソン陸軍大臣の手下のグルー国務次官と秘密のルートで動いたに違いないのである。それが8月6日午前8時15分の広島の原爆投下となったのである。
・・・・・
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。
8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。
では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。
広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。
この2つの本を読んで、私は次のように推論する。
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
・・・・・
もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。
私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)
まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。
●高校教科書から学ぶ
・・中国軍民の抵抗に直面した日本軍は、1940~43年にかけて、華北の抗日根拠地への攻撃をおこなった。この作戦は「焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす」という意味で「三光作戦」と非難された。また、ハルビンの731部隊などでは、細菌戦・毒ガス戦の研究で、3000人ともいわれる中国人ロシア人を実験材料(マルタと呼んだ)にし、しばしば中国各地で細菌・毒ガスを使った作戦を実行した。さらにアヘンを生産して中国占領地で販売したりした。
実教出版の教科書、都教委「不適切」 日本史の記述で
「不適切」とするのは「高校日本史A」と「高校日本史B」。国旗掲揚や国歌斉唱に関して「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という記述について、都教委は「国旗掲揚と国歌の起立斉唱は教員の責務であるとする都教委の考え方と異なる」としている。
(東京書籍)
戦争裁判・・・(東京)裁判を通して、戦争中の日本軍による侵略行為、残虐行為の実態が、はじめて国民の前に明らかになった。他方でこの裁判には多くの問題点もあった。昭和天皇の責任をこの裁判で問うかどうかは、国際的に議論されたが、天皇制維持による占領政策の円滑な遂行を進めようとしていたアメリカの意向もあって、結局不問にふされ、また731部隊の関係者はアメリカへの資料提供とひきかえに訴追をまぬかれた。連合国側のアメリカによる無差別爆撃や原爆投下、ソ連軍の行為などは問題にされることもなかった。
極東国際軍事裁判とは別に、通例の戦争犯罪の容疑で、BC級戦争犯罪裁判が1945年10月から1951年4月まで、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中国の各国の法令によって実施され、死刑984人、無期刑475人、有期刑2944人の判決が下った。この裁判では、残虐行為を命令した上官ではなく実行した部下のみが責任を問われたり、誤認で刑が下ったこともあったといわれている。有罪となった者の中には、朝鮮人約150人、台湾人約180人が含まれていた。
なぜ、日本政府は731部隊のおこなった生体実験・細菌戦を認めて謝罪しない!?
高校日本史Aの教科書、実教出版を希望が最多 来年度 静岡
高校教科書から学ぶ(?)
731部隊・・・日本陸軍は、細菌戦準備のため1932(昭和7)年に関東軍防疫班を設立し、38年から39年にかけて、中国ハルビン郊外にその本部と実験施設を移転した。ノモンハン事件ではじめて細菌戦を実施した軍は、防疫班の規模を拡張して40年から関東軍防疫給水部と改称した。この細菌戦部隊は731部隊と呼ばれ、ペスト・腸チフス・コレラなどの病原菌を兵器にして、42年からは中国戦線で細菌戦を実施した。また、中国人などを「マルタ」とよんで人体実験をおこない、敗戦時までに3000人あまりを死亡させた。
敗戦後、アメリカは731部隊が開発した技術を入手するためにこの部隊の幹部を免責したため、彼らが公的な責任を問われることはなかった。
安倍のお爺さん、岸信介と731の関係は?情報公開せよ!!
日本人が忘れても、マルタの怨霊は日本の罪業を訴え続けている!!
安倍の行けない中国・韓国では731部隊の研究が盛んになってきている!!
「秘密保護法」の施行を急ぐ安倍政権の閣僚に世界からメッセージが届いています!!
とくとご覧下さい!!
侵華日軍第731部隊罪障陳列館(ハルピン)
中国が教える731部隊
生きた人を人体実験、日帝731部隊の恐ろしい蛮行
鉄証:731部隊の罪業
日本人の証言もありますよ!!
語り部フォーラム
韓国人「中国が731部隊の残虐行為証拠資料を公開、幼い子供にも人体実験していた日本」
731部队的真相(英文)2/5 731部隊の真実 the truth of Harbin Unit 731(English Narration)
731部隊のことは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター・・・1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、安全の保護を主導する立場にある連邦機関。)のビデオでも紹介され、世界では公然の事実とされている。
インターネットエクスプローラーのグーグルで(グーグルクロームでは映りません。)
http://www.bt.cdc.gov/agent/plague/trainingmodule/1/02wmp.htmをご覧下さい!!
疾病管理予防センター(CDC): 谷川透訳
医学博士、科学博士 ジョアンヌ・コノー
人は中世以来、敵を殺し、敵の能力を奪うため、自然界に存在する生命体を用いてきた。
初期の例の一つは、14世紀にタタール軍が黒海沿岸の城郭都市カファを包囲攻撃したときに起きた。
腺ペストが発生してタタール人に猛威を振るい始めたとき、彼らはペストに罹って死んだ者の死体を投石器で市内に投げ込み、城壁の内部で腺ペストを勃発させることを決めた。
その後まもなく、城市の中で虐殺から身を守っていた人々は、突然ペストに襲われ、イタリアへ逃がれた。
彼らはこの伝染病を、彼ら自身でヨーロッパに運び、それが恐ろしい黒死病の大流行の始まりとなって、ヨーロッパの人口を激減させたのであった。
ペストの流行に関する今日のわれわれの知識によれば、ノミは人体が冷えるとすぐ人体を離れるので、人体を離れたノミによって元々市内に住んでいたネズミが感染し、市内で突然発生したペストが現実にカファ全域に広がった可能性は非常に高い。
日本帝国731部隊は、日本が戦争に動員され準備が整った1930年代と40年代に仕事をした。
この恐ろしい計画の立案者である石井四郎中将は、病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた。
石井は特にペストに魅了されていたが、それはペストによる細菌戦攻撃が自然発生的な伝染病の様相を呈するからであった。
さらに、人から人への感染拡大は、最初に用いる(細菌戦)発動物の量に応じて、病気を発生させることが出来るからであった。
731部隊は、ペスト菌を霧状に散布したり、水に溶かして散布したりすることが出来なかった。そこで彼らは、ペストを感染拡大させるために、天然の病毒媒介昆虫――通常のノミ――を用いた。
感染ノミを搭載した陶器爆弾が中国本土の幾つかの都市に投下され、その住民に多数の感染を引き起こした。
ペストは恐怖心を生み、容易に感染拡大し、人々を迅速に殺すので、兵器として魅力的である。
合衆国の攻撃計画でもペストに関して若干の調査研究を行なったが、同国では完全に武器化することは出来なかった。
ペスト菌を大量に増殖させた時、人はその毒性を持った細菌を保有しつづける魅力に打ち勝つことが出来ない。
ペスト菌は武器であって、伝染力を持っている。われわれは過去を振り返って、そのことを強く感じる。さらに、ペスト菌をエアロゾルにして持ち歩かないよう管理することも問題だし、気象条件によってペスト菌が変異しうることも問題だし、細菌の形をとらなくても非常に感染性が強いことも問題だし、最後にペスト菌がどういう形をとってお終いになるのか、誰もコントロールすることが出来ない。
ペスト菌はきっと、帰ってきて、あなた方に噛みつくことでしょう。
あなた方の軍隊だけでなく、あなた方の友軍や同盟軍にも噛みつくことでしょう。
しかしながら、ソビエトの兵器工場では、ペスト菌はその伝染性ゆえにお気に入りの生命体である。
ソビエト軍は、米軍の経験した毒性の問題を克服した。
ソビエトの亡命者アリベック博士とのインタビューによれば、彼らは1,500トンのペスト菌をいつ如何なる時でも手にしており、それを大陸間弾道弾に搭載する準備が出来ているとのことである。
保管の問題のため、彼らは頻繁にペスト菌の備蓄を廃棄して、新しいものに替えるという。
われわれはテロリストによるペスト菌の使用に非常に関心がある。というのは、ペスト菌が自然界に見いだされるだけでなく、世界中の数多くの生物学資料供給所で入手できるからである。
「生物兵器による戦争とテロリズム;軍事上および公衆衛生上の対応」(アメリカ食品医薬品局発行、1999年)から脚色
731部隊!!
聞け、この沈黙の慟哭を
平房の涙、地底の叫びを
見よ、この虐げられた大地を
名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている
記憶は人間の地底を永劫に流れ続ける
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅴ私は中国軍の捕虜だった
―総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
われ、ハルピンを脱出せず
中村准尉以下の最後の731部隊員がトラックでハルピンを脱出した2日後に、8月23日、ソ連軍戦車隊がハルピンに入城した。
私は、ただ唯1人の731部隊員として、ハルピンに留まっていた。そのことに、全く不安がなかったわけではない。しかし、私には、不思議と犯罪者意識はなかった。実際に手を汚していない、という自負もあった。もちろん、私にロシア語の素養がなく、1軍医として731部隊に勤務し、実験を命ぜられていたら、私も、間違いなく「手を汚す」ことを下に違いなかった。
したがって、私が731部隊の軍医でありながら、手を汚さずにすんだのは、全くの僥倖(ぎょうこう)にすぎなかったといえる。わずか1年ちょっとの部隊勤務ではあったが、いざ敗戦となってみると、その僥倖は、得がたいものであった。
と同時にこのことが、私に、ハルピンに留まることへの勇気を与えてくれた。私は、731部隊の軍医であったこと自体を問われたら、堂々と自己の信念に従って、裁きを受け入れる覚悟であった。
続きは「ノブのノート」で
あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる” 日常/ #3ドキュメント2013.12.6 グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。 権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。 情報をもっとオープンに公開せよ!! 「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」 安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか? 共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。 ※今の日本で「命の教育」などできるのか、疑問だ。過去の日本の残虐行為を全て日本政府からして隠し続け、「日本を取り戻す」、「美しい国」とか、天皇制の強化を唱えている。大人がきちんと過去と向き合っていない!! 第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア (転載) ●臨時国会開会日(9月29日)の「安倍政権の暴走を止めよう! 国会包囲共同行動」の呼びかけ 9月29日(月)は臨時国会の開会日です。安倍内閣は人々のくらしを脅かし、平和・民主主義・主権在民という国のあり方を根本から覆そうという大暴走を続けています。今回の「国会包囲共同行動」「官邸前行動」は、これまでも国会周辺でさまざまな取り組みをしてきた団体や、「何かしたい」という方がたが思いや要求、怒りを持ち寄る共同の場です。国会に、官邸前に集まって、安倍政権の暴走をSTOPさせましょう。 日時:9月29日(月) 昼の部12:00~13:30(国会包囲)、 夜の部18:30~20:00(官邸前) ◆各運動体が「安倍政権の暴走を止めよう!」のスローガンと、それぞれの独自のスローガンを掲げて、国会周辺のエリアを分担し、各エリアでミニ集会を行いつつ、包囲する。 ◆人間の鎖(ヒューマンチェーン)は13:15に行う。 ◆国会正門前を共同ステージとして、共同集会を行う。(ゲスト、国会議員らによるスピーチを予定)・国会周辺で各団体によるミニ集会・抗議行動→警察が天皇の臨席を理由に正門前は12:00~14:00閉鎖するとしています。 交渉を続けていますが、19日の相談会で、共同ステージは第2議員会館前に変更。 ◆この取り組みは非暴力で参加団体・個人を誹謗しないことを確認しあって開かれます。 主催:「安倍政権の暴走を止めよう! 国会包囲共同行動」実行委員会 連絡先(仮):憲法会議℡03-3261-9007/許すな!憲法改悪・市民連絡会℡ 03-3221-4668 ●気になるニュース 731部隊、医師の責任問う 滋賀医大名誉教授が著書 細菌兵器を開発した旧関東軍731部隊など、戦争に加担した医師の責任を探る著書「戦争と医学」を、滋賀医科大の西山勝夫名誉教授(72)がまとめた。人体実験の実態や、戦後も検証が進んでいないことを取り上げ、医師の倫理を問いかけている。 ■人体実験、進まぬ検証 西山さんは社会医学が専門で、2000年に発足した「15年戦争と日本の医学医療研究会」の事務局長。文献の検証や中国での現地調査を重ね、医師と戦争の関わりを追及してきた。来年春に関西で開催される「第29回日本医学会総会」を前に、これまでの集大成として出版した。 著書では、731部隊に京都大出身の医師らが関与し、中国人捕虜の人体実験が行われたことなどを説明。終戦後は、「731部隊の実験結果を必要とした米国の思惑から、戦犯を免責された」という。戦後、同部隊の関係者らが、人体実験の結果を学位論文の資料に流用していることも指摘した。 07年に開かれた日本医学会総会で、西山さんらが医師の戦争加担を取り上げるように働きかけたが、実現しなかった経緯なども振り返っている。 西山さんは「二度と医師が戦争に巻き込まれ非人道的な行為に加担しないように、医学会自らが反省することが必要だ。来年の医学会総会でも議論してほしい」と訴えている。 文理閣刊。A5判、400ページ。3024円(税込み) 安倍首相の遠交近攻は見込み違い、「独り相撲」は止めるべき―中国専門家 朴大統領、「慰安婦」間接的に日本牽制 対話モードも歴史認識変わらず 韓国、日本の常任理事国入りを事実上反対=韓国ネット「日本が入ったら韓国は脱退」「また日本の顔色を…」 首相、常任理事国入り強調 慰安婦問題にらんだ言説も 国連一般討論演説 「核のゴミ」保管施設 再稼働条件にすべき 首相が国連演説 国連改革や平和国家アピール 朴大統領「日本は歴史問題で前向きな対応を」、首脳会談には慎重姿勢―SP華字紙 日本の右傾化、北東アジアをブラックホールに=中韓は「バランスのとれた外交」展開を―中国メディア 秘密国家日本は裁判を起こして闘わなければ、情報を公開しない!! 防衛省ははじめからあることがわかっていたはずだ!!731の情報をきちんと全部開示せよ!! 防衛省 不開示の文書見つかり謝罪 (NHKニュース) 防衛省は19日、情報公開請求に対し、捜したが見つからなかったとして不開示とした文書の一部を発見したと発表した。開示を求めた訴訟で原告側から指摘を受け、捜し直したところ見つかったという。同省は原告側に謝罪、残る資料も改めて捜し、開示する方針。 文書は幹部自衛官の教育用に発行された雑誌「衛生学校記事」。原告は2011年、「細菌兵器の実験をしたとされる旧日本軍の731部隊について記載された可能性がある」として情報公開請求した。 防衛省が12年に不開示を決定し、原告側が13年に東京地裁に提訴。今年7月に指摘を受けて捜したところ、防衛医科大学校(埼玉県)の図書館と空自三沢基地(青森県)で一部を発見した。見つかった中には731部隊の記述は確認されていないという。 今、多くの若者が長労働、低賃金等、労働条件で悩んでいる!! 大学など中退約8万人 経済的理由が最多 岐阜県職員の自殺は労災 「パワハラ・残業が原因」認定 喪失感と自責、そして経済苦 自殺で親を亡くした若者たち 「貧困ジャーナリズム大賞2014」、大賞を受賞しました 皇族と国民に大きな身分差別が存在する!!(当たり前?) 典子さまへご結婚後に1億675万円 皇室経済会議で一時金決定 佐世保・高1殺害:被害生徒両親が手記「決して許せぬ」 ・吉林省公文書館が新たに掘り起こした中国侵略関連の日本軍文書は、日本軍による戦時中の慰安婦強制連行が日本政府の行為だったことをはっきりと示している。 ●私にはこの言葉が胸に刺さる!! ある中隊の元伍長は「もし日本が国民に対して歴史教育をしなかったら、日本は滅びるだろう」と語った。 少年兵の刺殺訓練に・・日本人戦犯8人が抗日戦争中の罪業を語る―中国メディア ●具志堅幸司さん、あなたはオリンピックではセンターポールに「日の丸」、そして「君が代」が流れるのを夢見ていたかも知れないが、この旗・歌によって、戦前、戦中の残酷な歴史が蘇ってくる人も多くいることも忘れないでほしい!! 「日の丸」見たくもない!! 「君が代」歌えない!! 政府・教育委員会は「思想・信条・良心の自由」を侵害するな!! 日の丸・君が代訴訟 ●教育委員会は、「日本史教科書」の採択妨害をするな!! 教科書・市民フォーラムNEWS 第23号より 2014.9.16発行 なぜ、政府・自民党・教育委員会は歴史を塗り替えようとする!? 実教出版への弾圧をやめよ!! (平和教育通信第113号より) ●日本とドイツの違い!! ドイツは、過去と真剣に向き合い、ヨーロッパの国々から信頼されている!! 日本は、過去と向き合うのをずっと避け、汚い出来事は隠し続け、特に中国・韓国から全く相手にされていない!! 日本の医学界の未来は暗い!!山中教授がいくらiPS細胞で業績をあげようと、京大が過去の謝罪をしなければ、いつまでも、731の暗い影はつきまとう!! 文科省は道徳の強化を進めているが、自民党のいう道徳では、過去の日本軍の罪業をどの様に扱うのか? 道徳とは関係ない?過去は無視しろとでもいうのか? なぜ、731部隊の事実がこれほど明らかになっているのに、日本政府、天皇・皇族、日本医学界、京大・東大のが学者の誰一人、謝罪しない? 2013シンポ731吉中講演 731シンポジウム奈須講演 知ってるつもり「731部隊と医学者たち」より、「ある医学者の生涯2」 京大・東大は真理を探究する大学ではない!!近現代史、原発の危険性をを追究するものは、冷遇されるか、追放される!!学問の世界も権力・お金に支配されている。地獄の沙汰も金次第!! 斑目「最期の処分地の話は、最後は結局はお金でしょ!!」 斑目春樹と小出裕章 ●731部隊 防疫研究室・731部隊及びアジア各地にあった細菌戦研究所は、現人神・大元帥であった昭和天皇の承認のもと、莫大な国家予算を使い、生体解剖・生体実験等をして、細菌兵器の開発や、毒ガスの研究、凍傷の研究などが行われた。 731部隊には、日本の各大学から優秀な若い教授候補の医学者が集められ、研究が進められた。その人集めに一役買って出たのが石井四郎の恩師、清野謙次だった。 731部隊にも、清野謙次(京大教授)が度々訪れ、いろいろとアドバイスをしていた!! 京都大学は、731部隊の中核を担い、清野をはじめ、その他の教授たちも多くの弟子たちを口説いて731に送り込んでいた!! 京都大学が731部隊の資料を隠すのには訳がある!! きちんと京大は731部隊のことを展示してほしい!! 「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館 随筆・遺稿(故清野謙次先生記念論文集より) 石井・・・今紹介を受けました石井であります。親孝行したい時には親はなし、先生にまだ御恩を報ずることもできないで誠に残念であります。大学院学生時代に眠り病が起こりまして、各大学が行っているのに京都大学だけが居眠ってると京都大学が眠り大学になるから、一つ京都大学は奮発して、この眠り病の本態を突き止めて頂きたい、とこう申し上げました。先生膝を打って賛成して下されて、あの大編成ができて、丸亀に本拠を置き、香川県の二豊郡に本拠を置いて一切の資料、お墓の屍体まで集めて、渡辺遍さんと共に、この、朝から晩までシャンペランを濾(こ)しまして 、遂に動物実験に成功して、東京に於ける学会に発表して、あらゆる反駁をそこに受けたんでありますが、とうとうまあウィルスであるということが承認されまして、日新医学の原稿(?)になったのはご存知の通りであります。 それからお前洋行して来い、ということを言われ陸軍から外国へ行きました。その時の深い感銘は、学問は日本で出来る、しかしながら世界の大人に会って、この、その偉大な人間が如何なる条件でこういう偉大な事業を成したかというその着眼と、方法とを、ガッチリ握ってきて、日本でやれば必ず出来るという話でした。それから英・米・仏・露、ロシアまで入りまして永くこの観点で見たのでありますが、どうも日本にとっても、一つも手をつけない大きなデフェクトがあるという事がわかりました。即ち日本に於いては非常に日本が偉いと、日清、日露、日独、済南、シベリア、こういう事変を通じてぐんぐん興隆の一途を進んで、日本の中にいる我々は、日本中が一等国であることを自負してましたが、この観点から世界の内面に入って考えると丸で逆であったのであります。それでもう一年も延ばして、これを少し徹底的につかみたいと思いましたが、ひとまず日本へ帰ってきて、内閣の諸侯と軍の首脳に報告しようと思いまして、先生を訪ねました。そりゃいいことをつかんだと、つかめないとこをつかむのがいいんだと。しかしながら、連戦連勝の日本、万世一系の天皇を上に頂いて隆々たる日本の何人もこれを耳にする人はございませんでした。誰も相手にしません。しかし既に、第一、民族の潰されたのが御存知の通りアメリカインディアンであります。第二の潰された、ほとんど潰された民族はモンゴリアンであります。第三番目にジャップであります。先生はこの着想を非常に喜ばれました。これは一つの大きなつかみ所だから、これをものにして将来を計画するのが一番いいということであります。 それでも非常に有頂天になっている日本として一番難しいことでありました。 そこで、自分で中々取り付く島もありませんから、陸軍軍医学校の教官に補せられたのを幸いにして、先生と相談し、又長与先生にも相談し、それから荒木にも相談しましたが皆、この着眼は、出た杭は必ずたたかれることがあるんだから、或いは然らんという考えでございました。 それで、陸軍、内地で全大学にお願いして出来る事と、内地で出来ない事の2種に、軍の再々の会議の結果決定致しまして、そして、内地で出来ないものは何とか別に方法を考えると、その為には、まあ気温の変化、環境が違うから、まあ北極、南極、赤道と3つの大きな、地球儀の大きなものを作って環境の変化を作ってもらう約束をしましたが、日本の力では、当時昭和5年でありましたが、内地に作る技術も無ければ、資力も無いということで、一つは赤道の直下へ行くがいいし、一つは満洲の北端に行けばいいということで、遂に研究所をそこに設けることにしたのであります。それから次々と発展致しまして、まず、戦地が4千キロに発展しまして、北は北満より、南はアンダマン、ジャワ、スマトラまでゆきまして、1年中同時に戦争があるものでありますから、これに対応策として、まず将兵の身体を保護して死亡率罹患率をなくするという国家百年の計をたてることに廟議一定しました。それで如何にして日本の国力を維持するかが問題であります。そこでまず陸軍軍医学校に研究室を作り、それから満洲ハルピンに(ロックフェラー・インスティチュートを中心に)。又南支に中山大学を中心に、その他、逐次研究室を作って行って、遂に324の研究所を作ったのであります。この結果、伝染病並びに伝染病死の率が下がり、大蔵省は非常に喜んで、これではまだ継続できるという結論になったのであります。その為に、ハルピンに大きな、まあ丸ビル14倍半ある研究所を作って頂きまして、それで中に電車もあり、飛行機も、一切のオール総合大学の研究所が出来まして、ここで真剣に研究したのであります。その時に先生が一番力を入れてくれたのが人的要素であります。各大学から一番優秀なプロフェッサー候補者を集めていただいたのがここにたくさん御列席になる石川教授、それから東北大学の岡本教授その他10数名の教授連でございます。そうして先生が、鶴見先生と一緒でございましたと思いますが、研究室をご覧になりまして、これはどうしても国家的なものにして育てねばならんというので、非常に力を入れて頂いたのであります。 その都度簡潔に御報告しますと、今度は、次は、とどこまでも先生が拍車をかけられまして、段々に、最後に大東亜の全面にわたって、この民族線防御の第1次完成をみたのであります。 ところがここで不意に中立条約を破ってソ連が出て来た為に、この敗戦の憂き目を蒙りまして、部隊は爆発し、一切の今までの何十巻にのぼるアルバイトも、感染病理に関する心魂込めて作った資料も全部焼かざるを得ない、悲運に到着したのであります。しかしながら頭に残った経験、残ったこの研究は今病理学会で、岡本教授、石川教授、ちらほらと出ます、又細菌については各教授になられた方が細菌学会でその片鱗を発表しておられますので非常に心強く思っております。 清野先生の構想はどこを叩いてもそれに応ずる反応があったんでありまして、今はよくこれをまとめて国家に奉納して、そして最後の日本の防御、破壊の防御、生々発展、再建にするようにと、わざわざ茨城県から出ていらっしゃいまして、私のうちにお泊りになって、このことを始終案じておられたことであります。(昭和31年9月3日 録音) |
●南京大虐殺!!
名古屋から世界へ向けてのメッセージ!!
戦前・戦中、国家神道は日本の精神的支柱となり、国民は教育で洗脳され続けた!!
そこでは、天皇は絶対的な存在だった!!神であった!!
戦後、一旦は「国家神道」は占領軍によって廃止されたが、天皇制が存続したため、その「国家神道」の思想は今でも多くの国民に影響を及ぼしている!!
それも国歌・国旗が正式に制定されてからは、一段と強くなった!!「思想・信条の自由」は侵害されている!!
式年遷宮、年始の参拝等には、多くの政治家、国民が伊勢神宮を参拝し、天皇を崇拝している人が多い。
今のほとんどの政治家、企業家、学者等多くは今も「天皇は神である!!」ことを固く信じ込んでいる!!
神は悪いことをしない!!いやしてはいけないのだ!!天皇制の存続も危ぶまれる!!
だから、天皇・軍部の犯した罪を、歴史の真実を「秘密保護法」を作って隠す!!
「南京大虐殺はなかった!!」「731部隊は存在したけれども、生体実験、細菌戦等は資料が無いのでわかりません!!」等々、しらばっくれている!!(ノブ)
新野和暢氏講演!!
あの傑僧、沢木興道もこんなことを書いていたのか!!
「杉本五郎中佐はこの煩悩という2字を朝敵と訳したが痛快である。時局がらこういう工夫も悪くない」と書いた。
〔確か、沢木興道は日露戦争へ従軍して、金鵄勲章をもらっている。〕(ノブ)
「禅と戦争責任」
澤木興道
(参考)
『生きている兵隊』(石川達三著=中公文庫61ページ)より
いま、夜の焚火にあたって飯を炊きながらさっきの殺戮の事を思い出しても玄澄の良心は少しも痛まない、むしろ爽快な気持ちでさえもあった。従軍層はどこの部隊にもついているが、彼ほど勇敢に敵を殺す僧はどの部隊にも居なかった。
「片山さんも帰ったら一つ金鵄勲章をもらわんといかんな」と通訳が笑うほど彼の戦闘は勇敢であった。しかも彼は拳銃も剣も持たない、武器はいつも有りあわせのものであった。北支の戦場で彼が殺した人数は20人を下らなかった。
北支に居たころ、西沢部隊長から問われたことがあった。
「従軍僧はなかなか勇敢に敵を殺すそうだね」
「はあ、そりゃあ、殺(や)ります」と彼は兵のように姿勢を正して答えた。
「ふむ。敵の戦死者はやはり一応弔ってやるのかね」
「いや、やっている従軍僧もあるようですが自分はやりません」
「生きているのは殺さなきゃなるまいが、戦死した兵は弔ってやってもいいだろうじゃないか」
「はあ、しかし、自分にはどうもそういう気持ちになれませんな。やっぱり戦友の仇だと思うと憎いですな」
・・・・・・・・
従軍僧自身にあっては、自分の寺で平和に勤行をやっているときにはこの宗教が国境を超越したものであることを信じていた。印度において支那において日本において、同じ宗教が同じように信仰されて来たことはそれを証明すると思っていた。簡単な信じ方であった。また従軍を志願して寺を出るときには支那軍の戦死者を弔ってやるつもりはあった。しかし戦場へ来て見るとそういう気にはなれなかった。
戦場というところはあらゆる戦闘員をいつの間にか同じ性格にしてしまい、同じ程度のことしか考えない、同じ要求しか持たないものにしてしまう不思議に強力な作用をもっているもののようであった。医学士の近藤一等兵がそのインテリジェンスを失ったように、片山玄澄もまたその宗教を失ったもののようであった。ただ彼に残っている宗教家の名残りは、経文を知り葬式の形式を知って居るというだけである。彼は僧衣を脱いで兵の服を着ると同時に、僧の心を失って兵の心に同化していたのであった。
しかしそれは必ずしも片山従軍僧の責任とは言えないものであった。平和な時には彼の宗教は国境を越えるだけのひろさをもっていた。戦時にあってそれが出来なくなったのは、宗教が無力になったというよりも、国境が越え難く高いものになって来たのであった。
※石川がこの本を昭和13年に出すと、すぐに内務省は発売禁止を通告してきた。その後「虚構の事実をあたかも事実の如くに空想して執筆したのは安寧秩序を紊すもの」との理由で、「新聞紙法違反」と罪に問われて起訴されてしまう。判決は2回の公判で早くも下され「禁錮4年、執行猶予3年」の刑であった。
●昭和天皇実録!!
権力側が情報を操作して「遅すぎた聖断」の弁明をいくらしても、何にもならないのでは。
本当に真実の歴史を書こうとすれば、情報を全て公開し、第3者が書かなければならないと思う。
もちろんこの本には秘密部隊731については一言も書かれていないだろう?
昭和天皇の姿 浮き彫りに
「昭和天皇実録」公表 太平洋戦争終結への思いなど克明に
「人民を破局より救い、世界人類の幸福のために、ポツダム宣言を受諾することを決心した旨を仰せになる」と記している。終戦を、自らの声で伝えた昭和天皇。
社説[昭和天皇実録]戦後史の理不尽を正せ
沖縄に関係する記述の中で注目されるのは「天皇メッセージ」について触れている点だ。
1947年9月19日、昭和天皇と面会した宮内庁の寺崎英成御用掛は、その日に連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長を訪ね、米国による沖縄占領について天皇の意向を伝えた。シーボルトは翌20日、その内容を文書でマッカーサー最高司令官に報告した。これが「天皇メッセージ」と呼ばれているものである。・・・・
実録で昭和天皇の生の言葉が紹介されているわけではなく、新事実が盛り込まれているわけでもないが、シーボルトの報告書が存在することを正式に認め、その内容を引用したということは、大きな意味を持つ。
昭和天皇実録 資料公開に注目
近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「天皇に関する資料は公益性が高く、内部資料であっても公開し、記述の検証や今後の研究に使えるようにすべきだ。日記など個人の資料も所有者の理解を得たうえで、なるべく早く公開してもらいたい」と話しています。
日本は自国の歴史を書く事が出来るか
「昭和天皇実録」が公開された。全61巻1万2千ページに及ぶ昭和天皇の記録である。実録を見た専門家の話によると、これまでの歴史観を覆すような新事実はないが、終戦直前まで戦勝を祈願していた事が明らかにされる一方、戦後に天皇が側近に戦争について語った「拝聴録」が行方不明とされ、詳しい内容が盛り込まれていないなどの問題があるようだ。
宮内庁は侍従日記などを「私的文書」として扱い、公開に消極的な姿勢を見せているが、実録を作成する基になった資料をできる限り公開しなければ、日本人は自分の頭で自らの国の姿を理解する事が出来なくなると思う。
誠実かつ率直に過去と向かい合うこと・・。 あなたはそれ相応の努力をしてますか?
万世一系とは嘘ではないか?明治・大正といろいろとまずいことがあった?
The Great Dictator- Globe Scene
こっちこそ、『昭和天皇実録』ではないのか?
驚いた!!万世一系は嘘!? え!昭和天皇の父親は大正天皇ではなく、西園寺八郎?
西園寺八郎
毛利元徳の八男。毛利元徳は毛利敬親の養子で公爵。宮内官として主馬頭・宮内省式部次長まで進んだ。
1906(M39)西園寺公望(同墓)の娘の新と結婚し、西園寺家の婿養子となった。翌年、公望が講和大使として渡仏した際に妻と共に随行した。 1921(T10)春、当時皇太子殿下だった昭和天皇が訪英の際、小栗孝三郎海軍中将、高畑誠一らと同行した。この時、プロゴルフの試合を初めて観戦した。1928(S3)12月28日勲一等瑞宝章。 1940(S15)政治界の元老で公爵の西園寺公望が没したため、公爵を継承し西園寺家を継いだ。1940~1946(S15.12~S21.4)公爵として貴族院議員。 八郎の長男は政治家の西園寺公一、三男の貴族院議員を務めた西園寺不二男(同墓)がいる。
西園寺家の墓(2014.9.24撮影 多磨霊園8区 1種 1側 16番)
昭和天皇の出生の疑惑
昭和天皇ヒロヒトの父親は西園寺 八郎、朱貞明皇后咬合との子堕った、昭和の醜卑喰ら卑闇
渡辺監督が語る最新作『天皇伝説』の過激な内容とは!?
山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭
国民は赤紙一枚で召集され、戦地でリンチを受けながら軍隊教育をされ、人殺しを命じられ、果ては敵に殺され、時には味方によって殺され、または病死したり、餓死したり(全て「名誉の戦死」として片付けられる)惨憺たる状況に置かれたが、軍の上層部、東条や岸などの満洲を取り仕切った連中はアヘンなどでぼろ儲けをし、天皇は戦争で「マネーゲーム」をしていた?731の取引も天皇とマッカーサーの間で極秘裏に多額の金が動いたのではないか?
『日本のいちばん醜い日』474ページより
満州国がアヘンの国であったことを示すデータの1つが細川護貞の『情報天皇に達せず』の中に出てくる。細川護貞は近衛文麿の秘書をしていた。・・・・・
1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2000万円。当時の皇室財産を日銀物価価格(1990年)で計算すると、311倍となり、7912億円。東条の10億円とか15億円がいかに天文学的数字であるかがわかる。
今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。・・・・たとえ流言にしても、近衛文麿の言である。たんなる流言ではあるまい。・・・
アヘンのことは瀋陽の裁判でも取り上げられている!!
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭 、読書日記(海軍どころか外務省も最初から腐敗していたようです)
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論
福島県が標的にされた理由とは?
山口県田布施町の怪 ~日本国家の真相~ (心に青雲)
●終戦の詔勅
(原文)
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
(口語訳)
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
(1)戦争の大義
天皇ヒロヒトが戦争を開始した、と見事に宣誓している文章である。誰が始めた戦争でもなかったのである。「アジアの安定」も偽りであることは、すでに書いた。朝鮮や中国の領土を侵略した。特に満州国の創立はアヘンによる「満業」であった。その満州国の維持費の半分以上はアヘン密売からの収入であった。
●高校教科書から学ぶ
・・中国軍民の抵抗に直面した日本軍は、1940~43年にかけて、華北の抗日根拠地への攻撃をおこなった。この作戦は「焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす」という意味で「三光作戦」と非難された。また、ハルビンの731部隊などでは、細菌戦・毒ガス戦の研究で、3000人ともいわれる中国人ロシア人を実験材料(マルタと呼んだ)にし、しばしば中国各地で細菌・毒ガスを使った作戦を実行した。さらにアヘンを生産して中国占領地で販売したりした。
実教出版の教科書、都教委「不適切」 日本史の記述で
「不適切」とするのは「高校日本史A」と「高校日本史B」。国旗掲揚や国歌斉唱に関して「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という記述について、都教委は「国旗掲揚と国歌の起立斉唱は教員の責務であるとする都教委の考え方と異なる」としている。
(東京書籍)
戦争裁判・・・(東京)裁判を通して、戦争中の日本軍による侵略行為、残虐行為の実態が、はじめて国民の前に明らかになった。他方でこの裁判には多くの問題点もあった。昭和天皇の責任をこの裁判で問うかどうかは、国際的に議論されたが、天皇制維持による占領政策の円滑な遂行を進めようとしていたアメリカの意向もあって、結局不問にふされ、また731部隊の関係者はアメリカへの資料提供とひきかえに訴追をまぬかれた。連合国側のアメリカによる無差別爆撃や原爆投下、ソ連軍の行為などは問題にされることもなかった。
極東国際軍事裁判とは別に、通例の戦争犯罪の容疑で、BC級戦争犯罪裁判が1945年10月から1951年4月まで、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中国の各国の法令によって実施され、死刑984人、無期刑475人、有期刑2944人の判決が下った。この裁判では、残虐行為を命令した上官ではなく実行した部下のみが責任を問われたり、誤認で刑が下ったこともあったといわれている。有罪となった者の中には、朝鮮人約150人、台湾人約180人が含まれていた。
なぜ、日本政府は731部隊のおこなった生体実験・細菌戦を認めて謝罪しない!?
高校日本史Aの教科書、実教出版を希望が最多 来年度 静岡
高校教科書から学ぶ(?)
731部隊・・・日本陸軍は、細菌戦準備のため1932(昭和7)年に関東軍防疫班を設立し、38年から39年にかけて、中国ハルビン郊外にその本部と実験施設を移転した。ノモンハン事件ではじめて細菌戦を実施した軍は、防疫班の規模を拡張して40年から関東軍防疫給水部と改称した。この細菌戦部隊は731部隊と呼ばれ、ペスト・腸チフス・コレラなどの病原菌を兵器にして、42年からは中国戦線で細菌戦を実施した。また、中国人などを「マルタ」とよんで人体実験をおこない、敗戦時までに3000人あまりを死亡させた。
敗戦後、アメリカは731部隊が開発した技術を入手するためにこの部隊の幹部を免責したため、彼らが公的な責任を問われることはなかった。
安倍のお爺さん、岸信介と731の関係は?情報公開せよ!!
日本人が忘れても、マルタの怨霊は日本の罪業を訴え続けている!!
安倍の行けない中国・韓国では731部隊の研究が盛んになってきている!!
「秘密保護法」の施行を急ぐ安倍政権の閣僚に世界からメッセージが届いています!!
とくとご覧下さい!!
侵華日軍第731部隊罪障陳列館(ハルピン)
中国が教える731部隊
生きた人を人体実験、日帝731部隊の恐ろしい蛮行
鉄証:731部隊の罪業
日本人の証言もありますよ!!
語り部フォーラム
韓国人「中国が731部隊の残虐行為証拠資料を公開、幼い子供にも人体実験していた日本」
731部队的真相(英文)2/5 731部隊の真実 the truth of Harbin Unit 731(English Narration)
731部隊のことは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター・・・1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、安全の保護を主導する立場にある連邦機関。)のビデオでも紹介され、世界では公然の事実とされている。
インターネットエクスプローラーのグーグルで(グーグルクロームでは映りません。)
http://www.bt.cdc.gov/agent/plague/trainingmodule/1/02wmp.htmをご覧下さい!!
疾病管理予防センター(CDC): 谷川透訳
医学博士、科学博士 ジョアンヌ・コノー
人は中世以来、敵を殺し、敵の能力を奪うため、自然界に存在する生命体を用いてきた。
初期の例の一つは、14世紀にタタール軍が黒海沿岸の城郭都市カファを包囲攻撃したときに起きた。
腺ペストが発生してタタール人に猛威を振るい始めたとき、彼らはペストに罹って死んだ者の死体を投石器で市内に投げ込み、城壁の内部で腺ペストを勃発させることを決めた。
その後まもなく、城市の中で虐殺から身を守っていた人々は、突然ペストに襲われ、イタリアへ逃がれた。
彼らはこの伝染病を、彼ら自身でヨーロッパに運び、それが恐ろしい黒死病の大流行の始まりとなって、ヨーロッパの人口を激減させたのであった。
ペストの流行に関する今日のわれわれの知識によれば、ノミは人体が冷えるとすぐ人体を離れるので、人体を離れたノミによって元々市内に住んでいたネズミが感染し、市内で突然発生したペストが現実にカファ全域に広がった可能性は非常に高い。
日本帝国731部隊は、日本が戦争に動員され準備が整った1930年代と40年代に仕事をした。
この恐ろしい計画の立案者である石井四郎中将は、病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた。
石井は特にペストに魅了されていたが、それはペストによる細菌戦攻撃が自然発生的な伝染病の様相を呈するからであった。
さらに、人から人への感染拡大は、最初に用いる(細菌戦)発動物の量に応じて、病気を発生させることが出来るからであった。
731部隊は、ペスト菌を霧状に散布したり、水に溶かして散布したりすることが出来なかった。そこで彼らは、ペストを感染拡大させるために、天然の病毒媒介昆虫――通常のノミ――を用いた。
感染ノミを搭載した陶器爆弾が中国本土の幾つかの都市に投下され、その住民に多数の感染を引き起こした。
ペストは恐怖心を生み、容易に感染拡大し、人々を迅速に殺すので、兵器として魅力的である。
合衆国の攻撃計画でもペストに関して若干の調査研究を行なったが、同国では完全に武器化することは出来なかった。
ペスト菌を大量に増殖させた時、人はその毒性を持った細菌を保有しつづける魅力に打ち勝つことが出来ない。
ペスト菌は武器であって、伝染力を持っている。われわれは過去を振り返って、そのことを強く感じる。さらに、ペスト菌をエアロゾルにして持ち歩かないよう管理することも問題だし、気象条件によってペスト菌が変異しうることも問題だし、細菌の形をとらなくても非常に感染性が強いことも問題だし、最後にペスト菌がどういう形をとってお終いになるのか、誰もコントロールすることが出来ない。
ペスト菌はきっと、帰ってきて、あなた方に噛みつくことでしょう。
あなた方の軍隊だけでなく、あなた方の友軍や同盟軍にも噛みつくことでしょう。・・・・
「生物兵器による戦争とテロリズム;軍事上および公衆衛生上の対応」(アメリカ食品医薬品局発行、1999年)から脚色
731部隊!!
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅴ私は中国軍の捕虜だった
―総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
あの兵器は、陛下がお許しにならぬ
そのうち、平房に持っていった鼠はどんどん焼却している、という話が伝わってきた。また「死んだ鼠でもよい。生きていればなおよい」という風に指示も変わってきた。
そうなると、いったい何のための捕鼠か分からなくなってしまった。ペスト蚤生産のためでないとしたら、カモフラージュのためなのか。「丸太」を使って実験しているという事実を隠蔽するための偽装ではないかと思ったりした。後になると、部隊本部から大量の衛生ゴムが支給されたりした。ハルピンの花柳街や料理屋に出入して「鼠をとっている」と吹聴せよということだった。
だんだん馬鹿らしくなり、ブラブラして過ごすことが多くなった。8月10日、ハルピン市内で、石井部隊長副官の難波衛生中尉にバッタリ出会った。
「お前たち、何をしているのだ。部隊は朝鮮に転出することになった。すでにそのための処理が始まっている。はやく本部に帰れ」「自分たちは、違う命令系統で動いていますから」「何を言っておるか。俺が責任を持つから、とにかく帰れ」
彼らは、そのまま任務を放棄して、翌8月11日に、平房の本部に帰った、というのである。
彼らは、総務部長太田大佐に申告して出動したという。私の場合も、石光調査課長の上司は、太田総務部長であった。ということは、731部隊は、独自に捕鼠計画を進めながら、さらに関東軍を巻き込んで、大規模に事を運ぼうとしたのであろう。関東軍に拒否され、さらに敗戦色が濃厚になったため、計画は宙に浮き、混乱し、分解してしまったというのが真相に近いのではなかったのか。
続きは「ノブのノート」で
あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?