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国家犯罪!731から辺野古まで!!

2016-03-15 07:28:41 | Weblog

●昭和天皇と731部隊
昭和天皇と731部隊のことを考えています。

※竹田宮は731部隊とのつながりを持っていたし、三笠宮などの皇族も部隊本部を訪れている。
天皇は知っていた!! 

1938(昭和13)年5月国家総動員法発令

※多くの医学者が、731に集められた。また、陸軍軍医学校防疫研究室には、京大や東大、慶大などの教授が、嘱託として勤め、731部隊にいろいろとアドバイスをした。その防疫研究室を仕切っていたのは、戦後、「薬害エイズ事件」をおこすミドリ十字を創設した内藤良一だった。
※秋元博士が書いた『医の倫理を問う』という本には731部隊に先に行っていた同じく東京帝大出身の同僚のかわりはてた姿が描かれている。
『医の倫理を問う』(秋元寿恵夫著:勁草書房)より
2、吉田の源さん
・・・
それは、私が昭和19年(1944)5月末、その前年の9月に再婚したばかりの妻を伴って任地へ赴く途中、満州国での第一夜を過したハルビンの宿に、歓迎の意を伝えるべく訪れてくれた旧友の口からはじめて、部隊の秘密をおぼろげながら聞き知ったときのことである。
その旧友というのは吉田源二陸軍技師であり、この人は旧制第一高等学校を経て昭和9年(1934)に東京大学医学部を卒業後、いつ頃から第731部隊に勤務するようになったのかは知らないが、当時は第4部二木班に所属していた。
この吉田技師を旧友とよぶ所以は、かつて私は昭和4年(1929)4月、一高に再入学した時には同校の3年生であったばかりでなく、彼はその頃誰知らぬ者がなかったほどの向陵(一高)切っての名物男でもあったからである。
だが、彼にハルビンの宿で久し振りに再会した私が、何よりもまず衝撃を受けたのは、(君が来てくれたのはうれしいが、それにしてもとんでもないところにやってきてしまったもんだなあ。君は知っていたのか、知らずにか)という彼からの質問がきっかけで始まった部隊の話であったが、それにもまして驚かされたのは、彼の変わり果てた面影であった。
私の記憶の中で生きていた吉田の源さんは、豪放らい落を絵に描いたような、典型的な一高健児であった。そして、数々の向陵物語でおなじみな記念祭とか、全寮茶話会とか、あるいはまた一高三高対抗野球戦とか、寄宿寮ストームなどでは、必ずと言ってよいくらい高吟乱舞をほしいままにしていた彼の姿を見るたびに、私は「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」という寮歌の一節がそのままのかたちで演じられている感に迫られたものであった。
それがどうであったろう。ハルビンの宿で目前にした吉田技師は、相手をまともに見ることはせず、いつも伏し目勝ちで、話す言葉には弾みがないのでぼそぼそと聞きづらく、あまつさえその口もとにはうすら笑いさえ浮かべていたのである。
しかもそれは相手に対してというよりは、多分に自分自身へ向けての侮蔑の現われであることはたやすくみてとれた。それにしても、かつては豪傑笑いとよく噂された、明るい、いかにも屈託のなさそうな彼のあの笑いがいつも間に、こんな後ろめたい、謎めいたものに変わってしまったのか。
そのほか、彼の身のこなし方にも以前とはすっかり違ってしまっているところがあるのに気がついた。たとえば、両肩をすぼめ、前かがみになって歩く彼の後ろ姿などは、その身につけているカーキ色の軍属服とはおよそちぐはぐな感じであったし、それやこれやが重なり合った彼の変わりようは、(これがあの源さんなのか)と、しばしわが目を疑いたくなったほどのものであった。
私はその後も、しばしば彼とは話し合ったこともあり、それに間もなく彼が二木班でどのようなことをやっていたのかを知るに及んで、初めてすべてが残りくまなく解き明かされたのである。そして私は改めて、ドイツ浪漫派作家が好んで題材にしたあの「悪魔に影を売り渡した男」は現実にも存在しているのであって、決してとりとめもない空想の産物などではないことを思い知ったのであった。

1939(昭和14)年 ノモンハン事変で石井部隊細菌戦を行う。関東軍より感謝状、陸軍技術有効賞受賞。
1940(昭和15)年10月、裕仁の朝廷は、戦争が敗北に終った場合に天皇制を守ることを目的とした後方計画を開始した。
第1段階は皇族を責任ある地位から退ける事であった。
第2段階は彼らが戦争準備の過程で何の役割も演じなかったかのように見せかける表向きの筋書きをつくることであった。
菊の垂幕の背後への引退は、10月3日に・・・・75歳の閑院宮が、陸軍参謀総長の職を辞した時に始まった。・・・『天皇の陰謀』下 バーガミニ著p134 




自衛隊では毒ガスの製造が明らかになりましたが、生物兵器、核兵器の製造はしていませんか?


2016年3月9日、東京都世田谷区にある三宿駐屯地の自衛隊衛生学校の彰古館(しょうこかん)に元衛生学校校長の金原節三氏の寄贈した『金原文書』を探しに行ってきた。私は前回1月に行ったので2回目である。戦前、戦中731部隊で生物兵器を開発し、実戦に使用しているので、戦後の自衛隊ではどうなっているのかを調べるためである。『衛生学校記事』の第1号には生物戦に関する翻訳記事が実際に載っている。
なぜ、『金原文書』を探すのかといえば、その中に、731部隊関連資料で私たちが公開を求めている『衛生学校記事』(「金原寄贈目録」には延べ冊数88冊)が含まれているからである。
『衛生学校記事』は、最初、「情報公開法」に基づき、開示請求したが、防衛大臣が、「保有していない」ことを理由に、不開示にした。こんなことが世間であるだろうか?
『衛生学校記事』を発行しているのは、自衛隊の衛生学校である。なぜ発行元が1冊も保有していない?おかしくないですか。
それで、公開されないもんだから、なんと裁判にまで、訴えて、公開を求めているのである。
1昨年(2014年)、裁判の途中で被告の防衛省側から「『衛生学校記事』の一部(28冊)が見つかりました。発見された文書には731の記述はありませんでした。」という回答が口頭であった。だが、見つかった場所は、発行元ではない「防衛医科大学の図書室」からである。これも色々考えると、さもありなんなんか?医科大学で生物兵器の研究?731 の記述はないが生物戦の記述はどうだったのか?文書での回答はない。
前回、1月に行って調べた時にも、「金原寄贈目録」2028点のうち防衛省は641は彰古館にあると回答していたが、我々が調べるとその他にも16点見つかった。そして昨日行ったらまた、何点か見つかった。資料の管理はどうなっているのだろうか?
そもそも、自衛隊の衛生学校の元校長が寄贈したものを、衛生学校が一部を廃棄するとは考えられない。国民の税金で、運営されている機関であれば、そんなことは絶対あってはならない。縦社会の厳しい自衛隊で、元校長が寄贈した物を簡単に廃棄するとは考えられない!!
ましてや、外務省や防衛省などは、色々な情報を国民に積極的に開示しなければならない機関だと思う。戦争を防ぐためにも。
※金原節三は戦時中、1941年当時陸軍省医事課長として731部隊細菌戦に深く関与していた軍医大佐であり、戦後自衛隊衛生学校の校長にもなった。
※『衛生学校記事』は1957(昭和32)年7月~1959(昭和34)年まで月刊で18号出版され、その後、1961(昭和36)~1967(昭和42)年までは季刊本で24冊、出版された。
その後は、誌名を『ふかみどり』に変更し、1971(昭和46)年からは、衛生学校にきちんと保管されている。しかし、『ふかみどり』の1~15巻は、無い。「30年保存なので、満期になったものから徐々に廃棄しました」という回答。何で廃棄する?
※衛生学校に行ったら、教範(自衛隊の教科書)は情報公開請求しないと見せてくれないと言う。何で自国民に見せてくれないのだろうか。「武器の性能などがばれると、まずい」と言う。自衛隊は、サリン等の毒ガスを作っておきながら、それも伏せていた。影で、化学兵器、生物兵器、核兵器開発の「防護」のためと言って、何をやっているのか、国民は全く知らされていない!!
いや、シビリアンコントロールするはずの政府でさえ、自衛隊が何をしているのか、詳しくは知らないのではないか?
※『化学学校記事』の公開も求めているが、防衛省からのいまだに回答がない。疑問が膨らむばかりである。




●日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗






自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?

死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)

・自衛隊では、サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
・1973年、自衛隊は、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。

週間金曜日 2013年5月24日号
自衛隊とサリン 第2回
元陸自化学学校長が毒ガス製造を認めた!
・サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
※国威発揚のオリンピックと戦争は大いに関係した。(1940年の東京オリンピック、日中戦争の影響等から日本政府が開催権を返上、実現には至らなかった。この年皇紀2600年の記念行事として準備が進められていた。)
・1973年、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。

毒ガス第2世代
第1次世界大戦(1914~18年)は「世界初の毒ガス戦争」とも言われる。・・・・
こうして1918年に終結した第1次世界大戦の中では、市民も含めて100万人以上が毒ガスを浴び、その1割に当たる約10万人が死亡したとされる。
その後も毒ガスの研究・開発は進み、第2次世界大戦(1939~45年)の前あるいは大戦中にナチス・ドイツが相次いで開発した毒ガスが「第2世代の毒ガス」と呼ばれるものだ。殺虫剤研究の中で1936年発見された「タブン」、そのタブンの2倍の毒性を持つと言われる「サリン」(1938年)、極秘に開発され第2次大戦終了後まで知られることはなかった「ソマン」(1944年)などである。

※サリンなどの毒ガス製造が「防護目的」であれば、つまり兵器として使用しなければその製造が許されるとしたら、同じ理屈で核兵器の「防護研究」も可能ということになる。

それとも、自民党も毒ガスの製造、貯蔵のことを知っていたが、嘘を言って国民をだましているのか?
戦争前は「防護目的」、戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、核兵器!!






機密ばかりが多いと、国民はいつもだまされる?
・非核3原則も嘘だった!!
佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ
本来、アメリカが出すべきお金を、日本政府が肩代わりして出していた現実!!
こんな問題もあった!!沖縄密約
沖縄毒ガス 

日本軍の毒ガス被害

昭和天皇の“沖縄メッセージ”







●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!

特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)

ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より


第二章国家機密の構造

国家機密と軍事機密
厖大な秘密文書 
最近発足した環境庁でさえ、71年7月1日に定めた「秘密保全に関する訓令」を、53年甲合せにもとづいて作成している。これにはさすがの竹下官房長官も 「追跡調査がきわめて欠けておった。そういう残念な事実も確かにある」と認めざるをえなかった(参院法務委72・4・20)が、こうした事実はたんに秘密主義に執着する官僚の体質をしめしているだけでなく、政府の意図的な政治的方向を暴露しているのである。沖縄密約問題でその秘密主義を追及された政府は、72年4月13日の次官会議において65年申合せを再確認しただけでお茶をにごす一方、「外務省、防衛庁は秘密文書の性格が違うので別個にきちんとしたものにする」(竹下官房長官)と、かえって国家機密保全体制強化の方向さえ打ち出したのである。


南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景






●南京大虐殺
・証言
日本軍が南京で大虐殺をする前には、私たちは門東三条営40号に住んでいて、異郷へ逃げて生きて行こうと思っていましたが、叔父さん叔母さんに息子も娘も無く、年も取っていたので、2人を打っちゃるに忍びなく、2人を連れて上海路永慶里一帯の難民キャンプに逃げて行って住まうしかありませんでした。日本軍が毎日人を殺し火を放つのを目の当たりにして、私たちは一日中びくびくし、災いが天から降って来やしないかと心配していました。ところが不幸なことが、とうとう私たちの頭上に降りかかって来ました。ある日、日本軍が突然難民キャンプを捜査し、私が兵隊だったと言い張るので、私は再三にわたって言い争い、日本軍は私を兵隊らしくないと見て、火事場泥棒に切り換え、家にわずかにあった銀貨30元と、新しい掛け布団1枚と、銅の壷1つとをかっぱらって行って、やっと私の命を保ちました。
実は姉は、あの年40歳で、家は水西門の上司廟でした。日本軍に侮辱されるのを恐れて、1日中灰を顔に塗り、あちこち隠れましたが、やはり日本の賊の魔の手は逃れられず、1度物を取りに家に戻る道で、日本軍に強姦されてしまいました。(明日に続く:廖美慶が記録)
難民区には、私たちの住まいの後ろには池があって、ある日私は3人の人(男2人に女1人)が池の辺の踏み板の上で衣服や菜を洗っていたのを、日本軍が射撃練習の活きた標的とみなして、同胞3名を沼の中へと撃ち殺したのを見ました。日中彼らは難民区のいたるところでホアクーニャン(=若い娘)を尋ね探し、私は中国の婦女7、8名が白日の下で、強姦されてしまったのを見ました。それにもう1人の難民が何事が中で起こっているか知らないで、戸の隙間から中をちょっとのぞいたら、日本軍に2太刀つつかれ、外に引っ張られて銃殺されてしまいました。ある時は日本兵が夜の時間を利用して、トラックいっぱいに婦女を引きずって行き、日本軍のお頭(将校)の蹂躙に供し、明くる日の朝放って戻して寄こしました。中国の婦女が1人強姦されて死んだ後、顔が黒ずんで来て、下半身に瓶が突っ込まれているのを見ましたが、何とも見るに忍びないすさまじさでした。(廖美慶が記録)


南京大虐殺 世界記憶遺産登録で世界の教科書に掲載可能性も







●731問題
・「ABC企画NEWS第100号」より
―写真で学ぶ『高知と戦争』展―
関心を集めた「731部隊と高知」
平和資料館・草の家 副館長:岡村啓佐
・・・・
・四国4県出身兵士が731部隊を支えた事実に衝撃


『731部隊と高知』では、731部隊で安達(アンダー)での野外実験など様々な生体実験に関わった(故)尾原竹善さんの証言は参加者に衝撃となって、改めて戦争とは何かを感じ取っていただいたようです。尾原さんの証言をまとめた資料は追加印刷しその数は800セットを超えました。
また731部隊には6つの中心支隊・機関が存在し、その支隊に高知県人で編成されたハイラル支部(543部隊)があり、4名の部隊員の「ネズミを捕まえ、飼育する」「ネズミを入れる籠を作り、この籠にペスト菌を注射したネズミを入れて731部隊に送った」との証言も熱心に読んでいました。
そして、林口に「162部隊」(香川県出身)、孫呉に「673部隊」(徳島県出身)、海林に「643部隊」(愛媛県出身)などの各支部があり、731部隊が四国4県の兵士らによって支えられていた事実に皆一様に衝撃的に受け止められたようです。



終戦50周年731部隊1


終戦50周年731部隊2



731部隊→ABCC(被爆者は治療もされずに、原爆の影響を調べられた。・・・731部隊員の協力)→放影研→重松逸造・・チェルノブイリ原発事故について・・・汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない。→福島原発事故・・原子力を進めてきた人たちは、福島で今、甲状腺がんが多発しているけれども、それは被曝との因果関係はないと主張している。







なぜ、日本政府は、731部隊の生体実験、細菌戦を認め、謝罪しないのか?
731部隊のドキュメンタリー 




アメリカは、将来の戦争で毒ガスや細菌兵器を有効な手段として使うかもしれないということで、東京裁判では、毒ガス・細菌戦などは追及しなかった!!
毒ガス戦はなぜさばかれなかったのか?

※しかし、これは、アメリカにとって「後日、深刻な問題をもたらす」ことになるのではないか?
・但是,如果这是不是成为“在以后的日子,造成了严重的问题”的事情对美国?
・그러나 이것은 미국에게 "나중에 심각한 문제를 초래"하게되는 것은 아닐까?
・However, if this is not to become "at a later date, resulting in a serious problem"thing for the United States?
・Однако, если это не становится "на более поздний срок, в результате чего серьезные проблемы" вещь для Соединенных Штатов?
・Jednakże, jeśli nie jest to, aby stać się "w późniejszym terminie, w wyniku poważnych problemów" rzecz dla Stanów Zjednoczonych?
・Wenn dies jedoch nicht, sich "zu einem späteren Zeitpunkt, was zu einem ernsten Problem", was für die Vereinigten Staaten?
・Toutefois, si cela ne veut pas devenir ≪à une date ultérieure, résultant en un problème grave" chose pour les États-Unis?

アメリカは、ハルピンの731部隊に於ける人体実験、生体解剖、奉天の捕虜収容所における731部隊員による米兵らに対する人体実験、また、化学戦部隊516、526部隊等と組んで行った悲惨極まりない毒ガスの人体実験を、東京裁判で裁くことなく見逃してしまったからだ!!
ドイツのニュルンベルクの裁判では、人体実験に加担した医学者が厳しく裁かれた。ところが、東京では、戦犯免責だ!!このダブルスタンダード!!


「結局、ワシントンは「国家の安全」を理由に731部隊の免責を是認した。免責付与是非を論じる米軍高官の覚書の中にはこんな一文がある。

彼(石井)らの人体実験は、本政府が目下ニュルンベルクで、ドイツの科学者および医学者をそれゆえに訴追している人体実験とはそう違わないものである」


(『731免責の系譜』太田昌克著より)



・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!

夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
恐るべき遠足


研究所の門を出て、しばらく待っていると、農耕に従事している同僚たちが十数人、わいわいはしゃぎながら宿舎の方から駆け出してくる。
「遠足だ、遠足だ」
「何処へ行くんだろうな?」
などと話す声が聞こえる。
「じゃ、借りて行きますよ」
と、佐川技手が教育部の大角雇員にいい、
「頼みます」
と、大角雇員が答えた。
炊事にいって弁当を作ってもらい、水筒を満たし、飴菓子などをめいめい渡されて部隊を出たのは9時頃であった。
塀の外は、視界をさえぎるものとてない一面の草原である。遠い地平線は、立ち上る陽炎のせいで、わななくように揺れている。
「目的地は、ここから2里ばかり先の満人だ。もう少し歩くと見えるだろう」
と、佐川技手が北西の方を指して言った。
平房駅の方から続く道路らしいものがあって、そこだけ、はげているのだが、私達は許しがあって、勝手に道草を食いながら三々五々のろのろ歩いた。




厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。

・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。



真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
金成民氏講演


ガン治療のウラ 7/8


「クスリを飲んではいけない」船瀬俊介の船瀬塾



●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第13章 遅すぎた降伏
何ヵ月も前、近衛は天皇の弟の高松宮に、陸軍は統制派という「癌」にかかっていると話していた。しかし「『木戸』其他」は近衛とは見方が異なり、「陛下も思想問題には比較的関心深くあられない」と近衛は感じていた。近衛はさらに続けて、この4年間、天皇は「皇道派は危険」であると周囲から聞かされ続け、いまもそのように信じている。しかしながら、自分から見れば国体にとって真に危険なのは、統制派であり、戦争が悪化すれば、統制派は国体を変革しかねないと付け加えた。





●『天皇の陰謀』

天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた


ディビット・バーガミニ 著
松崎  元 訳より

第三章

敗戦
(その1)

婦女と狼人間

中等教育の物理教員には、日本の既存の工場がすべて破壊された場合にそなえ、武器製造技術の復活のための青写真が任されていた。日本海軍兵学校のわずか沖合いの金輪島には、20世紀の日本文明のタイムカプセルであるかの如く、幾百もの地下トンネルの棚にさまざまな物品が貯蔵されていた(9)。その貯蔵物の中には、たとえば、数反の布、シベリア産毛皮、中国製陶器、モンゴル産皮革、あらゆる種類の計器やモーター類、カメラやレンズ、ラジオや録音機、化学試薬、くわ、るつぼ、溶接棒、金属プレス機など、人類に知られるべきほとんどすべての有用物が丁寧にラベルを付されて貯蔵されていた。



全文は「ノブのノート」で!!

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-05-11 21:11:25
本当のクラスターはワクチンを打ってからスタートだと証明されました。

ジョンズホプキンス大学は「自己拡散」ワクチンが本物であることを確認しています。
https://afinalwarning.com/516895.html
返信する
Unknown (Unknown)
2021-05-16 14:57:10
wクチン接種あと自然免疫の低下、、(抗菌剤が効くことも、、、)

*インドで致死率50%の真菌感染症が流行っているそうです、、
気道を通って鼻の組織を死滅させ、眼を損傷させた後、脳に入ってアッという間に死に至らしめるとのこと   不衛生なマスクで真菌感染が増えているのでは、、、、

*2008年の研究では、1918年のスペイン風邪での死者の大半はバクテリア2次感染の肺炎によるものであったとされる。共著者ファウチ氏」

*新発見の恐るべき真菌、カンジダ・アウリス
 真菌とはカビのこと。真菌が起こす病気を真菌症と呼び、最も有名なものは白癬菌による水虫だが、患部が皮膚にとどまらず全身の感染症を生じる例もある。
 カンジダ・アウリス(Candida auris)は、2009年に日本から報告された新しい真菌である。70歳の女性の耳だれから見つかったため、ラテン語で耳を意味するaurisと名付けられた。発見当初は高齢者で外耳道炎を起こす程度で、病原性は高くないと思われていたが、今やこの真菌が各国の病院や老人施設で死亡例を含む集団感染を引き起こし、世界的流行(パンデミックと呼ばれる)となっている。発見者である帝京大学大学院医真菌学教授の槇村浩一氏に話を聞いた。
 槇村氏は、病気を引き起こす真菌を専門とする日本では数少ない医真菌学者だ。「カンジダ属の代表であり、カンジダ症の最大の原因となるカンジダ・アルビカンスは丸くて大きいが、日本で見つかるアウリスは小さくて形はいびつだ」と言う。アウリスが重篤な全身感染症の原因となることを、初めて報告したのは韓国である。2011年、アウリスが血液を介して全身に広がる敗血症の原因となった3例を見つけたのだ。その後の拡散は速やかで、インド、パキスタン、南アフリカ、ベネズエラ、英国、米国、クウェート、イスラエル、コロンビア、中国などから続々と報告されるようになった。
*アウリスは発見も消毒も治療も困難
 アウリスには厄介な問題点が幾つもある。まず、免疫機能の低下した例において重症の全身性感染症を引き起こす点だ。死亡率は30〜40%と推定されている。その最大の理由は、抗真菌薬の効かない菌が多いこと。アウリスの9割は最もよく使われる抗真菌薬のフルコナゾールに耐性を示し、5割は複数の抗真菌薬が効かない多剤耐性、4%はどの薬も効かないといわれている。
 第二に、菌種の特定が困難な点が挙げられる。この真菌は新種であるため、従来の検査法では見つけることができない。アウリスを意識して特殊な方法を取らないと、見つからないのである。発見の遅れは、治療の遅れ、拡散防止の遅れに直結する。槇村氏は、大学にカンジダ・アウリス・レファレンスセンターを立ち上げた。怪しい真菌を送ってもらえれば、同定や分析を引き受けるという。
 第三の問題点は、環境に定着しやすく消毒が困難な点だ。今年(2019年)4月、ニューヨーク・タイムズに掲載された記事によると、ブルックリンのマウント・サイナイ病院でアウリスに感染した高齢の男性が亡くなったが、病室の至るところにこの菌が残っており、病院は根絶のため「天井やタイルの一部を剝がした!」という。にわかに信じ難い話だが、アウリスはそうした環境でも数週間は生きられることが確認されているという。
*日本もアウトブレイク対策を怠るな
 日本では強い病原性を示さなかったアウリスが、海外で多くの死者を出しているのはなぜか。槇村氏は、遺伝子型の違いを指摘する。米疾病対策センター(CDC)がゲノムシークエンスという方法で詳細に分析したところ、アウリスには4つのタイプがあることが分かった。東アジア株、インド株、南アフリカ株、南米株である。その違いは大きく、病原性や薬剤耐性にも影響を与えている。
 日本や韓国の東アジア株は、病原性は低く、抗真菌薬が比較的効果を発揮する。これに対してインド株は、致命率も耐性率も高い。英国でも米国でも多くの施設でアウリスの院内感染が発生しているが、南アフリカ株が主体の英国では今のところ死者は出ていない。これに対し米国では、州によって異なるもののインド株が多いとされ、死亡例も発生しているという。
 米国での感染例に関しては、最近、インドや南アフリカ共和国、ベネズエラなどで医療機関に滞在した人が関与しているとの報告がある。となると、気になるのが中国で昨年、インド株によるアウトブレイクが起きた点だ。中国人観光客の増加や医療ツーリズムの流行を考えると、日本でのアウリスのアウトブレイクは間近に迫っていると同氏は指摘する。
「アウトブレイクが起き、死者が出てから大騒ぎするのではなく、今できる準備をしておこう」と呼びかける。大事なのは、高病原性のアウリスが国内に最初に現れたとき、そこで封じ込めること。CDCの真菌部門の責任者であるチラー氏は、「アウリスは一度、環境に定着してしまうと本当に大変。最初に抑え込むべきだ」と語ったという。そのためには、まず、医療従事者に対する啓発を進めること、そしてガイドラインを整備し、いざというときへの備えを固めておくべきだと、同氏は提言している。

(ウィルスは、、、型  真菌は、、、株  変異型ではなく変異株、、、)
返信する

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