「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる。!!
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
膨大な細菌戦部隊の設立
1、731部隊の編成
平房特別軍事区域にある731部隊の施設は完備し、人員が多く、本部機構、各実験室、特設監獄、専用飛行場、少年隊舎、隊員家族区と教育区、娯楽区などがあり、1941年には、総数3000人に達した。
「731部隊」編成表(近藤昭ニ氏が作成・提供)
※表に出来ないので大よそを列記します。
●部隊長:石井四郎、北野政次、石井四郎
●総務部:川島清、村上隆、今津綱幹、中留金蔵、太田澄
・副官室
・調査課(通訳班、印刷班、撮影班、兵要地誌班、調査班、図書 室)
・人事課
・庶務課(労務室、庶務室、食堂、売店、学校)
・企画課
・経理課
・管理課(建設班、工務班、動力班、電話班)
・軍需課
●第1部(基礎研究:田部井和、北川正隆、菊池斎)
・第1課(腸チフス)
・第2課(コレラ)
・第3課(生理・捕虜管理) 吉村寿人(吉村班、宮川班、栗秋班、在田班、石井班、蓬田班、志村班、特別班)
・第4課(赤痢)
・第5課(ペスト)
・第6課(病理)
・石川班(病理)
・第8課(病毒)
・第9課(水棲昆虫)
・第10課(血清)
内海班(血清)
・小滝班(結核菌)
・第11課(結核)
・肥之藤班【脾脱疽(ひだっそ)】
・桶渡班
・降旗班(ペスト)
・金沢班
・太田班(脾脱疽)
・貴宝院班(天然痘)
●第2部(実践研究:早川正敏、太田澄、村上隆、碇常重)
・第1課(庶務、操縦班)
・第2課(技術班、気象班、無線班、運輸班)
・田中班(昆虫)
・篠田班(昆虫)
・八木沢班(植物菌)
・第5課(安達実験場)
●第3部(防疫給水:今瀬一夫、江口豊潔、増田知貞)
・庶務課
・第1課(検索)
・第2課(毒物検知)
・第3課(濾水班、給水班、運輸班、焼成班、工作班)
・濾水機(弾筒製造窯)
●第4部(細菌製造:川島清、太田澄)
・第1課(培養生産)
・第2課(ワクチン?脾脱疽)
・第3課(乾燥菌・ワクチン)
・第4課(ワクチン)
・有田班(腸チフスワクチン)
・植村班【ガス壊疽(えそ)・脾脱疽】
●教育部(園田太郎、西俊英)
・庶務課
・教育課
・衛生兵
・炊事班
・診療所
・訓練隊
・少年隊
●器材部(大谷章一、紫野金吾)
・庶務課
・第1課(薬品合成)・・・山口班(細菌弾)・堀口班(ガラス)
・第2課(購買補給)
・第3課(濾水機)
・第4課(倉庫)
・第5課(兵器保管)
・第6課(動物飼育)
●診療部(永三太郎)
・伝染病棟(南棟)
・診療室
・家族診療室
●憲兵部(乙津一彦、田坂千晴、酒井○○)
・保機隊
●牡丹江支隊(通称643)
●林口支隊(通称162)
●孫呉支隊(通称673)
●ハイラル支隊(通称543)
●大連支隊(通称319)
※日本軍の細菌兵器研究で中心となる731部隊は、機構が膨大で、人員が多く、編成人数は3000人。その下には研究と生産担当の8部、4支隊と大連衛生研究所がある。
※名前不詳の場合は○○とする。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
中山門外の東側郊外一帯での集団虐殺
王志福(男、61歳)の証言
(昨日の続き)日本軍は人々の群から若くて力の強いのを引きずり出し、着ている物の衿(えり)を引き裂き、手を開かせ、1人1人調べて、許老五、王立順、王志○、施仁喜、張広洞、王老巴子と任小順子など、みんな職人でしたが、一斉に引っ張って行かれ、家でどんなに頼んでも聞かれませんでした!
それから、日本軍はまた王志標、王志生、王志中、王立江、王志木、王志成、曹応宏、任志才、王立汛、王立景、王立桂、王志龍と私とに、鶏を持たせたり、鍋を担がせたりして、東の方へ行かせたのですが、私はやっと13歳で、日本軍が略奪してきた掛け布団と敷布団とを私の肩に乗っけたので、道々私は押しつぶされそうでふらふら汗をかき通しでした。
向前に着いて、日本軍が休憩していた時、私が年が小さいと見て、放ち帰らせました。帰ってくる道で、ずっと遠くから陳家窯や徐崗頭や長林郷などの村々から真っ黒い煙がもくもく噴き上がり、家がたくさん焼き払われるのが見えました。私が陳家窯村の前のカササギの尻尾まで行ったら、道の脇に高く盛り上がっている田に、死体が何十とごろごろ転がっているのしか見えませんでした。
私達は引っ張られて前を走っていて、日本軍は後ろで疑わしいと見たのを対象に機関銃で掃射し、この時だけで私達中国人4,50人が撃ち殺されたのです!
私達の村の 王志○、許老五、王立順、施仁喜、張広洞、王老巴子と任老順子がここで撃ち殺されたのでした。
崗下村はその頃全く惨めでした。若い人たちの死体は、見分けのつかないほど崩れていましたし、生きている人は天に叫び地を打ちたたき、嘆き悲しみ慟哭(どうこく)してやみませんでした。王志標と王志生と王志中とは、捕まって行ったきり帰って来ず、便りも杳(よう)としてありませんでした。日本軍が村にやって来て、崗下は災禍に見舞われたのです!(甘家小学校の李家坤が記録)
※○は日本の漢字に見当たらない字
「Imagine9」【合同出版】より
MESSAGE(メッセージ)
環境が豊かで、平和で公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。
人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、一歩ずつ、一つずつ、実現してきました。
あともどりせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
すべての国が憲法9条をもつ世界へ。
ワンガリ・マータイ(ケニア/グリーンベルト運動代表、ノーベル平和賞受賞者)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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