歴史の改ざんを許すな!!
Suopei №79より
歴史の正視なしに、日本は友好を得られず=香港メディア
情けない書き込み!!
鳩山元首相が「南京大虐殺記念館」訪問して謝罪
日本の鳩山元首相が訪中「南京大虐殺を謝罪、尖閣は係争地」=韓国
南京大虐殺を謝罪した鳩山氏…元首相では3人目
「犠牲者は何人?」南京大虐殺記念館を訪問の鳩山元首相、館長の回答に絶句―本日の中国TOPニュース
鳩山由紀夫―南京大虐殺を謝罪
フクシマを植民地支配するナガサキの医学者達-731部隊の現代版
今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!
すべての紛争を平和的な手段によって解決できないものだろうか?
原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニアは要らない!!
税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!!
憲法9条を世界へ!!
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●祈り1
●祈り2
戦略的互恵関係と声高に叫んでも、歴史的事実をきちんと見つめ、謝罪しなければ、真の信頼関係は築けないではないか!!
まだまだ癒えぬ戦争の傷跡!!戦後補償問題にきちんと取り組め!!
Suopei №79より
韓国の空港で切腹!安倍首相特使の訪韓に抗議
中国の反日感情の表れ!!
黒竜江省・ハルピン/中日友好園林(日本人公墓)2012年6月21日(木)
南京大虐殺
12月13日 南京陥落
中国、「安倍内閣牽制」に利用も 鳩山元首相が「南京大虐殺記念館」訪問
鳩山氏、南京大虐殺記念館を訪問 館長におわび伝える
かわいそうなことを…南京大虐殺記念館で鳩山氏
米国のカーター元大統領が南京大虐殺紀念館を訪問
「歴史の真相変えられない」 南京大虐殺75年で式典 市民9千人参加 日中合唱団合唱
南京事件75年、追悼式典に9千人 日本人記者へ暴行も
南京大虐殺犠牲者に哀悼、国内外から数千人参加―江蘇省南京市
南京大虐殺の新たな資料46点が南京大虐殺紀念館に 日本兵の日記など
「南京大虐殺全史」を刊行、多くの史料で日本の右翼に反撃―中国メディア
衆院選:河野元衆院議長ら、日本の右傾化を懸念
(朝鮮日報日本語版) 南京大虐殺:75周年の行事中、中国機が尖閣へ
韓国、慰安婦問題の国連総会に提起も、野田首相の「証拠ない」発言に反発―SP華字紙
“慰安婦“は日本軍側の視点、“性奴隷”に変更すべし!=中国歴史学者―北京市
問6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。
『わが南京プラトーン』(一召集兵の体験した南京大虐殺)東史郎著より:青木書店
前線からの手紙
12月22日発(南京にて)
・・・・
一昨日、七千の捕虜の警戒に行く。彼等は逃げ場なく、戦いて見込みなく遂に白旗を立てるなり。吾等が行きし時、白旗三本を立てたるなり。白旗を木の枝に飜るがえし道路に居たるなれば、此れを田の中へ入れ、坐らしめ武器をとりあげる、其の頭目は軍医大尉なり。
支那兵は敗残兵となるや否や地方民の服装に変装する為に正否を判ずるに困難なり。
此の七千の敗残兵は各中隊に分配し、射殺するものなり。公然と白旗をかかげし捕虜を殺すは人道的に如何と思われしが、上司の命なれば致し方もなし。食糧なき為に殺すものならん。
解放すれば、何をするやも知れざる支那兵なり。吾等さえ食に困らんとするに彼等を養う糧秣もとよりなく、七千の捕虜の集合せるは凄き壮観なり。
戦況密に報じたけれども報じ難し、故郷へ帰りたるを得ばあれも語らん、これも語らん。・・・・・・・・・
1月23日(1938年)
・・・・・
巨大な生物、海の息子―揚子江が横たわる。
ガラガラと音高い御用船の起重機の音と共に、夜がすっかり明けた。
夜が明けると、私たちの眼前に凄惨な光景が展開した。岩壁に牛や豚のように虐殺され放り込まれた敵兵の死体―私たちが今日まで、常に見かけた特有のドス黒い色の死体、はち切れるほど空気を入れたかと思われるほどの、膨張しきってふくれ上がった黒い死体が、揚子江のなぎさに山となって転がっている。
全くよく肥えた豚のような死体だ。この汚ない黒い死体の上を、黄色い河水がひたひたと洗っている。ある死体は流された丸太棒のように水にゆられている。ある死体は連絡船の下敷きになっている。兵士たちは、踏めばぐしゃりと腐った泥の臭いのする臓物の出て来そうな、はれあがった死体の上を、飛石ででもあるかのように、鉄の鋲の打った堅い靴で、ポンポンポンと飛んで、連絡船に乗る。
蒋介石の忠勇なる兵士、抗日の英雄戦士、我々に銃口を向けていた戦士たちの最期が、捨てられた塵芥(ちりあくた)のそれである。
水上工兵たちは、ボートの上から長い柄の先のついた鉄の鉤(かぎ)に、これらの死体を、腐った大根にでもするようにグイと引っかけて、沖へ流しに行く。ハレもののように体全体がむくみあがった死体に、工兵たちの鉤がぶすりと刺し込まれ、1人の工兵が1個ずつ計5個がボートに引っぱられていく。
岩壁に1人の兵士が立っていた。彼は、
「毎日トラックで一杯、敗残兵を積んで来た奴を、波止場にずらりと並べて置いて、河の中へ突き落とし、泳ぐ奴をズドンズドンと射ち殺すのだ。これが俺の毎日の仕事だよ」
と、グッと顎をしゃくっていった。
嫌な仕事だ。ペッと私は唾を吐いて、彼の顔を、顎のあがった顔を眺めた。
波止場に酒保があった。それは倉庫の中である。私の足は、何がなしにそっちへ向かった。
水色の綿入れ軍服を着た捕虜たちが、工兵たちにしかりとばされながら、大きな荷物を運んでいた。奴隷のように捕虜たちは働いていた。
私は彼らを憎む気にはなれなかった。私が酒保で買ったミカンの缶詰を食っていると、使役に使われている1人の捕虜が、飢えた物欲しそうな目で、缶詰と私の口元を見つめていた。
彼の目、彼の口と鼻は物欲しさで一杯であった。彼の絶望的な光りの無い瞳から、私は戦争の悲惨さを感じた。もし、この戦さの勝負が逆であったら―。この哀れな捕虜の姿は、私自身の姿であるかもしれない。
私は食う手を止め、この捕虜に、ミカンの缶詰とタバコ3本を与えた。
「謝(シェ)!謝(シェ)!大人(タイレン)!」
彼は相好を崩し、くり返しくり返し頭を下げ、もう1人の捕虜とともに缶詰をむさぼり食った。・・・・・・・
3月12日
・・・
徒労のスパイ狩りかも戻り、内地から届いた『週刊朝日』をめくる。1月16日発行の増大号である。
この中で、楚人冠氏の「山中説法」なる欄にいわく―。
「南京陥落の当時、支那が無用の抵抗を最後まで試みた為め、南京は殆ど焦土と化し、何万といふ人が殺された・・・・云々」
南京大虐殺
20121207 報道するラジオ「就活学生に聞く総選挙の争点・日本の戦争責任」
南京アトロシティーズ
日本人は記憶に無い?これでいいのだろうか?(一部の731部隊員は証言したが、殆どの隊員は戦後口を閉ざした!!)
中国では、慰霊祭が行なわれている!!
2012・11・18付けの淅中新報 崇山村細菌戦70周年
2012・11・21付けの淅江晩報 金華のペスト
2012・11・23付けの金華日報 金華のペスト
裁判における細菌戦被害(1940年~1942年当時)
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