細菌戦の系譜!!

2020-05-21 08:35:23 | Weblog

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細菌戦争2(1952年 元731部隊員)
細菌戦争1(1952年 元731部隊員)
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
細菌戦の被害を受けた中国の地域は、判明しているだけでも驚くほど広い。本裁判で訴えている被害は浙江省と湖南省だけであるが、細菌戦尾全被害地はもっと広い範囲に及んでいる。何百万人、否、何千万人が住む中国の各地に広がっている。細菌戦は、これらの地域で疫病を流行させ、多数の犠牲者を出した。死傷者だけでも数十万人に上るであろう。疫病の感染者を出して家庭崩壊などの悲惨な被害に遭った人々は何百万人もいるだろう。また村落や家庭を破壊させ、人々から住む家を奪い、ペスト菌などで長期に環境を破壊した。
細菌戦は、どこに、いつ、どの種類の細菌兵器が用いられたか明らかにできないため、実際の被害は現在判明している以上であろう。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

黒川検事長が辞意 賭けマージャン、法務省調査に認める

緊急事態宣言、首都圏4都県や北海道は継続

安倍首相へ…元内閣官房参与の直言「政権が腐敗してしまった」

院内感染78人、異例の3度目立ち入り調査 聖マリ西部


安倍首相らの告発状提出へ「桜見る会」巡り寄付疑い


自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
.com/politics/news/200315/plt2003150004-n1.html">河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村


大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

8. 印象的なのは、南京事件。(男、70、市内、記事)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
15、この映画はひろしまの真実を語っていると思います。母から聞いていた内容と全て一致しています。もっとよく聞いておけば良かったと後悔しています。NHKで放映されたものを子供、孫達にも見せたいと思います。ただ見せない方がいいかも。(両親は長崎で被爆しました。)映画最初の場面女学生が鼻血を出した映像は私の小学生の時の体験と同一です。(2世も苦しんでいます。)
(男性・60代・市内・朝日新聞)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

我々の5課は、ペスト菌を用いた攻撃・実戦担当であった。そのため、「実戦」出動も行なった。
昭和19年5月のことであった。私は選抜されて、「実戦」に出動した。軍医大尉を長に、7、8名の編成であった。すでに目的地は、地図を細密に調べて選定されていたが、我々には知らされなかった。兵隊の恰好(ふだん、部隊では軍属服)をした我々は、部隊の飛行場から呑龍(どんりゅう)爆撃機で出撃した。目的地に近い飛行場で降りると、今度は車に乗り換える。どうやら、ソ満国境付近の町を目指しているようであった。
町に着くと、分散して行動することになった。私は、町の貧民窟(ひんみんくつ)みたいな所に行き、歩きながら、手中に隠した容器内のペスト菌を、密かにあたりにばら撒いた。終わると急いでそこを離脱し、町なかにあらかじめ決められていた連絡所に戻った。全員が戻って来た。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

人体実験の結果は、超音波ワクチンの効力が特に優れていることを証明するものだった。超音波ワクチンを接種した人は皆元気で、1人だけ軽い頭痛と腹痛を覚えたが、3日目には回復した。しかし軍医学校製ののワクチンを注射した人は、その多くが下痢をし、うち3名は重症、1名が死亡した。対照用の4人はいずれも発病し、3日目に全員死亡した。石井四郎は超音波ワクチンに効果があると知って、我々に大量に生産する様命令した。9月下旬、長春でペストが発生すると、石井四郎はいわゆる防疫、ワクチン班を組織し、昼も夜もペスト菌(イムノゲン)を製造させた。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け
しかし、1915(大正4)年に入って大戦が機動戦から陣地戦へ移行し、両軍とも堅固な陣地を築いて対峙するようになると、その突破は困難な状況となった。そこでドイツ軍は、大量の有毒ガスをボンベから放射して風下の敵陣地を覆うという使用方法を発案し、15年4月22日にベルギーのイープル付近でイギリス・フランス軍に対して大量の塩素を使用したのである。
塩素ガスの雲の中で逃げ場もなく、多くの兵士が呼吸困難で苦しみ悶えてから死亡した衝撃から、連合国はこの日を「イープルの暗黒の日」と呼び、毒ガス戦の幕開けとなった。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
8月16日、大久野島の毒ガス工場は突然1つの命令を受け取る。1941年に建設されたシアン化水素酸工場を焼却せよというのである。この工場は当時島で最も先進的設備を誇るところであり、また最も秘密にされたところでもあった。平素から関係の無い者が近づくことは厳重に禁止されており、軍人たちですら勝手に入ることはできなかった。そこを徹底的に焼却しようというのである。この中に特に重要な秘密が隠されていたのは明らかである。


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

「少尉殿、やってもいいですか」
日本刀を抜きながら小林の横顔に声をかけた。小笠原軍医と土倉衛生曹長が、いろいろな解剖道具を出しているのを見ていた小林は、のそのそと青年に近づいた。青年は立ち上がりざま「カッ」と血の塊りを小林に吐きかけた。
「アッ」と叫び、あわててよろけた小林の服に血痰がへばりついた。さっと土色に顔を変えた小林は、「コン畜生、き、斬れ」と金切り声をあげた。
じりじりとしていた小美野は、バサーッと青年の首を斬り落とした。サッと吹き上がる血潮は草むらを染め、前のめりになった胴体を穴に蹴りこんだ。小美野はすっかり逆上していた。桐原軍曹が引きずってきた40歳くらいの中国人を、「こいつも斬らせてくれ」と言ったかと思うと、次の瞬間には血刀を振り下ろしていた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第3『化学学校記事』裁判の問題点と争点

そのために、被告は、1969年12月発行の『化学学校史 昭和43年度』以降、『化学学校記事』発行の事実を記載せず秘匿したのであり、1970年4月以降の発行になる1969(昭和44)年度版『防衛庁図書目録』以降、前年度まで掲載していた『化学学校記事』保管の事実を記載しなくなりました。
この点に関連し、故藤井治夫氏(軍事評論家)は、自身の著書の中で次のように述べていました。
即ち、「防衛庁図書館(国立国会図書館防衛庁分館)の毎年度の『図書目録』を見ていると、公刊資料が次々に姿を消しているのがわかる。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
正体つかめぬ生物兵器

第1世界大戦では、ドイツのスパイがアメリカから積み出された牛馬に病原菌を注射して疫病を流行させ、また、ルーマニアでは馬に馬鼻疽を流行させて戦力を低下させた。
生物兵器による攻撃は、いつ誰がやったのか判断しにくい上に、人為的なものと自然発生な流行との判別もほとんど不可能である。そのためもあって従来余り問題にされなかった傾向がある。それでも第2次世界大戦中とそれ以降委は、生物兵器の研究が急速に進み本格的な生物兵器時代に入る。しかし生物兵器の研究・使用は各国ともに極秘であるため、その資料は秘密のベールに閉ざされたままである。 


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


9月15日、杉山参謀長が第2回目となるガダルカナル島への〔川口〕支隊の派遣とその総攻撃の失態について上奏をした。この攻撃には「多くを期待できなかった」と杉山が述べたのに対し、昭和天皇は陸軍航空部隊の戦闘への投入を要求し、いつになればニューギニア東端のラビを占領できるかと、飛躍した提案を行った。ガダルカナルを懸念する一方で、昭和天皇はすでにニューギニアでの新たな攻勢を考えていた。

           "

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

炭酸ガスの身になるべきだ。罪もないのに、これだけ悪者にされて、かわいそうだ。IPCCの会議が終わると、皆ビールで乾杯しているが、あれは、炭酸ガスがぶくぶく出ている飲み物だというのに。

温暖化で山火事が起こる?

近年アメリカで山火事が増え、大災害化していると騒がれるが、これは誤報の最たるもの。英語では、山火事をワイルドファイアという。1988年のイエローストーン・ワイルドファイアでは、158万エーカーという焼失面積を記録して温暖化のせいだと騒がれたが、アメリカ火災局の記録では、それよりはるか昔の1910年のグレート・アイダホ・ワイルドファイアではその2倍の300万エーカーが焼失している。それより前の19世紀には、1894年のウィスコンシン・ワイルドファイアで数百万エーカー、1871年のペシュティゴ・ワイルドファイアで378万エーカーと、はるかに大規模な山火事が頻発している。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
フランス
サハラ砂漠での核実験
1960年2月13日 初の原爆実験(ジェルボアーズ・ブルー)。イスラエルの科学者が同席。事実上イスラエルとの共同実験。
1968年8月24日 初の水爆実験。
フレンチポリネシアでの核実験。
1966年から1996年1月までに約200回実施。
詳細は「フランスの大量破壊兵器」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-20 09:26:34 | Weblog

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ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
2、本判決は、国際法については19世紀までの理論に固執してハーグ陸戦条約3条は個人請求権を認めたものではないと解釈した。他方、国内法に関しては国家無答責の法理即ち国の権力作用による被害者は国に損害賠償できないという天皇主権の明治憲法下の原則を適用した。
このように本判決の理論は、徹頭徹尾、正義と公平の理論に反するものである。まさに旧体制下の古い法理論に他ならない。
そもそも日本は、一般住民の大量殺戮を企図し、軍医や医学者に細菌兵器を開発させ、中国で実際に細菌戦を実行した。その結果、ペスト菌やコレラ菌等による疫病を大流行させた。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

宇宙軍もいらない!!
自衛隊で初「宇宙作戦隊」発足 不審な人工衛星など監視へ

何で戦力不保持の国がミサイルを作るの???
最新鋭ミサイルの性能情報漏洩か 三菱電機サイバー攻撃

治療薬アビガン、有効性示せず 月内承認への「前のめり」指摘

アベノマスクいつ届く 安倍首相の地元山口県 店舗では既に山積み販売 「今さら要らない」の声も

田原総一朗「コロナで延命の安倍内閣が見せた無神経な“黒川事件”」〈週刊朝日〉

感染制御に向け・・・、PCR「全員検査」を提言

違法報酬の認識「ない」 公選法違反事件で―自民・河井案里氏
外交青書 過去期待外れも徴用工解決へ自覚促す 習氏国賓表記に反発必至池袋暴走遺族が手の震え告白安倍首相らの告発状提出へ「桜見る会」巡り寄付疑い
大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

7. 知らない事だらけで全て印象的。大変勉強になりました。(男、60、横須賀、偶然)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
14、残酷、残酷、残酷、この映画は大変残酷だ。しかし現実の方がもっと残酷だ。最後の遠藤さんに救われた。ニューヨークのスミソニアンの第2次大戦の日本コーナーでは「原爆でアメリカは戦争を終わらせた。」と一言。頑張って下さい。
(男性・80代以上・市内・朝日新聞)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

7棟・8棟に勤務している特別班員たちは、毎日毎日、おぞましい光景をいやでも目にせざるを得なかった。「丸太」を生身の人間として見たら、とても神経が耐えられない。彼らは、「丸太」を物として、材料として見ようと努力した。それでも時には、消毒用の無水アルコールを水で割った酒を飲ませてやったり、煙草をやったりしたそうである。私は、安達出張の帰りが汽車の場合は、安達駅近くで、じゃがいもの焼酎を中国人から買い求めた。特別班の友人への土産であった。彼らは、それを心待ちにしていた。おそらく、酒でも飲まなければ、どうにも気がまぎれなかったのであろう

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

人体実験における感染方法は、前述したとおり、接種した16人と予防接種をしていない4人に、生菌を混ぜた牛乳を飲ませるというものだった。感染用の細菌は石井部隊が保管していたいわゆる「細菌兵器」で、1000分の1グラムで致死量に達する毒力を有していた。この時の感染量は500分の1グラムで、目的は猛毒のコレラ菌を予防し得る効果的なコレラ・ワクチンを作ること、敵側に猛毒のコレラ菌を散布して細菌戦を行なうことであった。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
新兵器が登場した第1次世界大戦

第1次世界大戦で兵器としてはじめて有毒化学物質が登場したのは、1914(大正3)年秋にフランス軍によるブロム酢酸エステル(催涙性)を詰めた手榴弾の使用だとされる。これに対してドイツ軍は染料に用いられていた刺激性のあるジアニジンを砲弾に詰めて使用した。その後も若干の使用が見られるが、その時にはまだ双方のとも大きな打撃にはならなかった。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
天皇が停戦の決定した後、日本政府は直ちに閣議で「軍隊及び軍隊外に保存する軍用物資の緊急処理に関する問題」計画を定め、8月17日には陸軍が機密363号命令を通達して、軍需品及び軍需工業を処理する原則を定めた。これらの計画及び原則の基本的出発点は、軍需品及び軍需工業については極力隠蔽して移転すること、一部の機密工場は焼却し、一部はできるだけ速やかに民間用に転換することであった。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

山垣内通訳は太田曹長に近づきながら、「穴を掘ったら骸骨が4つも出てきやがった。この辺はずいぶん殺したところですね」と、中国人の縄尻を受け取った。種豚のように肥えている太田曹長は、「建国当時は毎日、何十人と言う支那人の首斬りをやったところだ。どこを掘っても骨だらけだ」と、四辺を見回した。小林少尉は、「オイ、その若僧から片付けてしまえ」と怒鳴り、小笠原、土倉と一緒に穴の方に歩き出した。
小美野は流れ出る血を払い落とそうとして、顔をブルッと振るっている青年に近づき、後ろ手をぐいぐいねじあげ、穴の所まで突き飛ばした。骸骨が4つ不気味に転がっている穴の前に座らされた青年が、血まみれになった顔をグイともたげ、沈みかけている夕陽をジーッと見つめている。落ち着いている姿にかえって威圧された太田と桐原は、てれかくしに、にやりにやりしながら小美野を見たが、出発前の言葉を思い出した小美野はもう平静を失い、カーッとしていた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

公文書である『化学学校史』から『化学学校記事』発行の活動を消したのは、1969年7月から10月に、『化学学校記事』をめぐる社会的事件が起きたことからです。
具体的に言うと1969年7月の沖縄米軍化学兵器接触事故の報道、7月23日、第61回国会の衆議院外務委員会における伊藤惣助丸衆議院議員の国会質疑、8月4日の楢崎弥之助衆議院議員の「在日米軍及び自衛隊における化学・細菌作戦に関する質問主意書」、10月15日、久保綾三氏の出版物『BC兵器』に「化学学校記事」の論文を引用し化学兵器の使用訓練が行われていると批判され社会問題化していました。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
正体つかめぬ生物兵器

生物兵器とは、人や動物、植物に対して致死効果を与えるために使用される病原微生物。毒素、病害動物をいう。生物兵器は主力武器として使用されたことはないが、古くから利用されている点で化学兵器と変わりがない。中世紀には悪性疫病で死亡した死体を敵の井戸や用水の上流へ投棄して疫病を流行させ、敵の戦意を低下させるということが行なわれた。
1763年、英印戦争でイギリスは天然痘患者が使った毛布をインド人に与えて天然痘を流行させている。このためインド人の中で天然痘に感染した者のほとんどが死亡した。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


ガダルカナル島をめぐる陸海の厳しい戦闘を通じて、昭和天皇は海軍軍令部にガダルカナル島を奪還するように心理的な圧力を与え続けた。8月6日、9月15日、11月5日、11月11日の4回、天皇は参謀本部に対し、危機に瀕した海軍を助けるため、さらに多くの部隊と飛行機を投入するように要求した。当初、杉山は不承不承だった。ひとつには陸軍のパイロットには渡洋作戦の経験がなかったからである。また、杉山が北支那方面軍を増強し、陸軍航空隊の援護のもとで重慶に進攻するための大攻勢をかけようと計画していたからである。しかし、天皇は粘り強く陸軍の首脳を説得し続けていた。ソロモンの前線に陸軍航空隊を投入せよとの天皇の3度目の要請を受けた翌日、杉山は陸軍がニューギニア並びにラバウルに航空部隊を派遣することを決定したと天皇に報告した。進行中の作戦の変更に、陸軍上層および中堅将校は反対であった。それにもかかわらず、昭和天皇が作戦の変更を強要したのである。

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

炭酸ガスの身になるべきだ。罪もないのに、これだけ悪者にされて、かわいそうだ。IPCCの会議が終わると、皆ビールで乾杯しているが、あれは、炭酸ガスがぶくぶく出ている飲み物だというのに。

温暖化で山火事が起こる?

山火事も、北極圏研究の第1人者・赤祖父氏が『正しく知る地球温暖化』で、以下のように説明する。北極圏の大森林で発生する山火事は、北極圏に大きな植物帯が存在するために起こる自然の輪廻の一部である。日本で報じられているような温暖化による異常現象ではない。落雷→森林火災→小さな植物の発生→小動物が来訪→大きな動物が来訪・・・こうして数百年の周期で森林が常に生まれ変わっている、と述べているが、全くその通り、山火事は太古の昔から起こってきた自然現象である。



●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
イギリス

イギリス初の核実験を伝える西オーストラリア新聞

モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁(オーストラリア)での核実験。
1952年10月3日 初の原爆実験。コードネームハリケーン。
エミュー(オーストラリア)での核実験
1953年実施
マラリンガでの核実験
1957年にアントラー作戦が行われ、3度の実験を行っている。
クリスマス島での核実験
1957年5月15日 初の水爆実験。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>

水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-19 08:36:41 | Weblog

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731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
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731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
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天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
中国の細菌戦被害者は、人間の尊厳の回復をかけ、日本の国家責任を追及して提訴した。本細菌戦裁判は、日本軍の細菌戦を初めて司法の場で裁く裁判だった。被告日本国は本件裁判でも、細菌戦の事実を何1つ認めなかった。しかし裁判の証拠調べを経て細菌戦の事実は次々と証明され、細菌戦の真実が全面的に明らかになった。裁判所も日本軍の細菌戦を判決で認めざるを得なかった。
しかし裁判所は、原告らが求めた謝罪と賠償を認めなかった。私達弁護団は、裁判所の不当な判決に怒りで一杯である。本判決を強く弾劾する。
本日、原告団は控訴の手続きを取った。私達弁護団は、原告団と連帯し、勝利するまで裁判闘争を徹底的に闘う決意である。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

宇宙軍もいらない!!
自衛隊で初「宇宙作戦隊」発足 不審な人工衛星など監視へ

自衛隊はなぜ「宇宙部隊」を新設するのか

安倍総理が明言“検察庁法改正案”採決見送りの方針(20/05/18)

小沢氏 安倍首相の黒川氏人事は法務省案釈明に「嘘」「下は話を合わせると思ってる」

安倍政権のコロナ対策に募る不信、問題の本質が「専門家会議」である理由

WHO、感染拡大後オンラインで初の総会…台湾参加見送り・中国は初動批判に反論

古賀茂明「#国家公務員法改正案に抗議します」〈週刊朝日〉

「感染第2波は不可避」 英専門家、過信に警告 日本は検査拡充を


検察庁法案、急きょ「今国会提出見送り」の理由

池袋暴走遺族が手の震え告白


安倍首相らの告発状提出へ「桜見る会」巡り寄付疑い

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

6. ほとんど印象的。(70、市内、その他)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
13、これまで何回も観たいと思っていた映画でしたのでやっと実現できました。
★要望
たくさん 良い映画 上映 願います。
(男性・70代・市内・神奈川新聞)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

特別班員によると、平房に部隊が移転した初期の頃には、特別班員が各地に、「丸太」受領のため出張したこともあったそうである。その隊員は、1回、山海関まで「丸太」受領に行ったと話していた。
15名ほどの特別班員が、25名ほどの「丸太」を受領し、彼らを馬匹運搬用貨車に押し込んで、ハルピンまで列車で連行した。「丸太」は、手錠も足錠も施されていなかったという。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

一般の部隊員は出入りを厳しく禁じられ、出入りには隊長の特別許可証が必要であった。7,8棟の周りには3階建ての大きな建物があり、2階から上は一般研究室、1階は菌体を大量生産する場所で、出入り口には全て鉄扉があり、厳重に監視されていた。7,8棟は左右に並んで建ち、中に約3㎡の広さの小部屋が細い廊下の両側にたくさん並んでいて、各部屋に3,4人の中国人がいた。この7,8棟こそ、石井部隊の人体実験室だった。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
新兵器が登場した第1次世界大戦
近代以降の国家間の戦争は、国家による国民の動員と科学技術の進展に伴う生産力の巨大化、兵器の強力化などに支えられ、その大量破壊・殺戮化(さつりくか)が推し進められた。1914(大正3)年7月からの第1次世界大戦はその頂点となり、イギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(後にイタリア・アメリカ・日本も加わる)とドイツ・オーストリア・トルコを中心とする同盟国が戦うという未曽有の大戦争となった。大戦には戦闘機、戦車、潜水艦、毒ガスといった新兵器が登場し、各国が軍事のみならず政治・経済・産業・思想など国力の全てを注いで戦う総力戦となり、従来の戦争よりも大量の人が傷つき、戦死するという悲惨な状況となった。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
大久野島の労働者や女学生たちの体験は、あの時代の全ての日本人の境遇の縮図でもあった。まさにこうした空気の中で、1945年8月15日ー日本の歴史上「いちばん長い日」が訪れたのである。この日の正午、天皇裕仁のあの低くかすれた声が東京の放送局のの電波を通じて発せられた後の、日本国民の驚きぶりは名状しがたいものであった、多くの人が敗戦という運命の悲惨さに声を放って泣いた。日本政府が一貫して戦争の情勢を人々に隠していたが、彼らはこの苛酷な歴史の必然に向かい合わないわけにはいかなかった。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

「アッ」という声と共に青年は、ガーンと頭を地面に叩きつけられ、鼻と口から真っ赤な血をどくどく吹き出した。血を見てますます狂ったようになった小美野が、又蹴ろうとしたとき、突然、「鬼子不幹(クイズブカン・・・畜生、やめろ)」と横にいた中国人が小美野の耳を引き裂くように鋭く叫んだ。
小美野の足は、ギクッと釘付けにされてしまった。青年に対する暴行に我慢のできなくなった40歳前後の、がっちりした体格の男が、グイと一歩前に出た。「畜生ッ、鬼子とはなんだ・・・・」と、小美野は、その男の顔、胸、ところ嫌わず蹴り飛ばした。このとき、40メートル余り先に穴を掘ってきた、山垣内通訳と、小笠原軍医が帰ってきた。体の細い、しゃくれて、とがった鼻にふちなし眼鏡をかけた小笠原軍医大尉は薄っぺらな唇をぱくぱくさせ、「あれだけは手をつけるな。傷をつけたり、弱らしては研究にならん」と、あわてて声をかけた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第3『化学学校記事』裁判の問題点と争点
1959(昭和34)年度の『化学学校史』には「第9節学校記事の刊行」の欄に、編纂委員長・副校長と委員13名の名前と階級、発行状況(印刷日、発行日、印刷所、印刷部数)が詳細に記載・報告されており、この「発行報告」掲載は1967(昭和42)年どの『化学学校史』まで続いています。
裁判の当初、被告国は、1968(昭和43)年度以降の『化学学校史』に記載がないことを理由に、『化学学校記事』は12号で終了したと主張していました。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

神経ガスの出現は、化学兵器に新しい要素をもたらした。まず第1に致死性が一段と増大したことである。このことは、運搬手段にも大きな変化を与えることになり、戦術的価値の増大と共に戦略兵器としての役割をも果たす兵器として新しい恐怖を生むことになる。そして現在では世界の主要な国ではこのような毒ガスを毎日数百トンの割合で生産しているということもまた現実である。(
(*本書は、1969年に発行されている。)


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


その晩遅く、山本連合艦隊司令長官に宛てた勅語を永野軍令部総長に手渡したあとで、昭和天皇が軍令部総長に与えた注意を伝える別電が宇垣に送られてきた。そのことを宇垣は日記に次のように書き加えている。「此の際付け加へて申置き度は今の勅語の後段に関する事であるがガダルカナルは彼我両軍力争の地でもあり、又海軍としても重要なる基地なるに付、小成に安んぜず速やかに之が奪回に努力する様に」。ラバウルの連合艦隊司令部に送信されてきた天皇の勅語とこの「お言葉」による警告に接し、宇垣は「ガ島の失策に対し御軫念(ごしんねん)の程を拝察し恐懼(きょうく)に堪へず、1日も速やかに目的を貫徹せざれば誠に申訳無き限りなり」と日記に記している。海軍は「小成」に安住するどころか、2週間後の第3次ソロモン海戦で、レーダーを装備したアメリカ艦隊により戦艦比叡、霧島を失うことになるのである。

                    "

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

氷河の話の締めくくりに、IPCCの実態を示す最近のニュースを紹介しておく。何の根拠もなくヒマラヤの氷河が消えると騒いできたIPCCが、その消滅予測時期は、2350年と2035年を間違えたと発表し、それをメディアが問い質すと、「ヒマラヤの氷河は消失しない」と認めのが、2010年1月である。そもそもヒマラヤの氷河が消失するという科学的知見はどこにもなく、CO₂で騒ぐ運動家のパンフレットに書かれていたデマを引用した、と言うのだ。2350年と2035年を引き算して、315年も間違えるのも大した才能だが、根拠がないと知りながらデマを引用したというから、それには並外れた特殊な知能が必要だ。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
ソ連
セミパラチンスクでの核実験
1949年8月29日 初の原爆実験(長崎型)。22kt。コード名"RDS-1"。アメリカ側のコード名"ジョー(=スターリン)-1"。
1953年8月12日 『初の』水爆実験。400kt。コード名"RDS-6"。アメリカ側のコード名"ジョー4号"。
放射性降下物の分析より核融合ではなかったと言われている。
1955年11月22日 水爆実験。1.6Mt。コード名"RDS-37"。アメリカ側のコード名"ジョー19号"。
ソ連初の水爆実験成功。
ノヴァヤゼムリャでの核実験
1961年10月30日 ノヴァヤゼムリャで、史上最大の水爆実験が行われた。爆弾(ツァーリ・ボンバ)の核出力は50 Mtでファットマンの3000倍近い出力。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>

水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-18 10:05:13 | Weblog

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防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
1、さる8月27日、東京地裁は731部隊細菌戦裁判の判決を言い渡し、中国の細菌戦被害者180名の原告らが被告日本国に求めていた謝罪と賠償を退けた。
日本軍が実行した細菌戦は、ドイツ・ナチスのユダヤ人大虐殺と並ぶ人類史上希にみる蛮行であり、類例のない忌まわしい戦争犯罪である。しかし日本は、敗戦後半世紀以上経った現在でも、細菌戦の事実を認めていない。逆に日本は徹底的に細菌戦とその証拠を隠蔽してきた。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

【独自】検察官の定年延長、法改正案の今国会成立見送り検討…世論反発に配慮

検察庁法改正に「反対」約7割 ANN世論調査

中国で言論人拘束相次ぐ 全人代を前に新型コロナで批判、不満を警戒 取材を大幅制限「封鎖式」に  


今年すでに207万人失業…韓国大企業33%「コロナが半年後まで続けば人員削減」


NY州知事、コロナ検査呼び掛け 自ら受け「早くて簡単」

河井夫妻、地元議員らに計700万円超持参 参院選前に

オバマ氏、トランプ政権を痛烈批判 「責任あるそぶりさえない」

検察庁法改正「反対」64%内閣支持率33% 朝日調査

池袋暴走遺族が手の震え告白


安倍首相らの告発状提出へ「桜見る会」巡り寄付疑い


自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
.com/politics/news/200315/plt2003150004-n1.html">河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村


大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

5. 731については知識がありましたが、100部隊については、初めて知りました。二度と戦争にならないように願っている私としては、子どもや孫たちに知らせたい歴史です。(女、70、市内、偶然)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
12、この映画は是非1人でも多くの若者に見てもらいたい。何があったのか知らないことは不幸です。
(男性・70代・市外・毎日新聞)
★要望
乙羽信子主演のものと、永井博士主演の映画も是非見たいです。

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

「丸太」は、ハルピン経由で、平房の本部に移送されてきた。私は、ハルピン駅の731部隊専用のホームに行ったことがある。ハルピン駅は大きな駅であった。その駅の一番奥まった所に、そのホームはあった。
この731専用ホームには、中国人はおろか駅員も立ち入ることは許可されていなかった。このホームには、秘密の出口があった。「丸太」を積んだ列車がこのホームに入ってくると、貨車の出口がぴったり、秘密の出口に合うように、停車するのである。降ろされた「丸太」は、出口を通って、用意された部隊のトラックに乗せられる。幌つきのトラックで、外からは絶対に内部が見えないようになっていた。憲兵1名と、拳銃携行の警備員数名が護送に当たることになっていた。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

人体実験に関して、どんな人を使うのか小林准尉に尋ねたところ、「匪賊だ。みんな死刑判決を受けた奴らで、部隊が勝手に捕まえて来たんじゃない。軍司令部の許可を得て外部から死刑犯を連れて来たんだ。そんなことに興味を持たないで、きちんと仕事をすればいいんだ」と言われた。
超音波ワクチンを予防接種したのは計8人、陸軍軍医学校で作ったコレラ・ワクチンを注射したのは計8人、未処理者(対照用)が4人で、いずれも2,30歳の中国人であった。この人たちは皆、石井部隊特別班が管理する第7,8棟の監房に収容されていた。特別班の人員はいずれも石井四郎の郷里、千葉県千代田村の出身者で、班員は全てピストルを携帯した。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

なお、その他入手しやすい文献として、科学史の視点から毒ガス問題を分析した常石敬一(神奈川大学教授)『化学兵器犯罪』(講談社新書)があり、生物化学兵器の歴史と現状については井上尚英(九州大学名誉教授)『生物兵器と化学兵器』(中公新書)があるので、毒ガス問題に関心のある方はこの2冊も参照されたい。
最後に、本題に入る前に用語について触れておきたい。毒ガス兵器は化学兵器とも呼ばれるが、本来化学兵器という言葉には毒ガスだけではなく、焼夷弾や枯葉剤、発煙剤なども含まれる。本書では対象を毒ガス兵器に限定するので、あえて化学兵器という言葉は使わないでいる。また、引用文中に出てくる専門用語について触れておくと、「瓦斯」・「特殊弾」は毒ガス、「特種(殊)弾」・「瓦斯弾」は毒ガス弾をさす。・・・・・・

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
毒ガス缶が大三島に運ばれると、女学生たちもそこへ行かされた。軍人たちは女学生に2人1組で缶を1つずつ波止場のそばの空地に押して行って並べるよう命じ、生徒1人ひとりにゴム手袋を支給した。しかし、そんな手袋をすると、手が滑って缶を運べないので、生徒たちは手袋の上に自分で編んだ草鞋をつけた。缶が激しく揺り動かされたため、毒ガスが染み出し、女学生の中には水泡ができたり、急に視力が低下したりする者がいた。
女のたちは極度の緊張と恐怖の環境の下で、ようやく一日の仕事を終え、船で帰宅する途中で、やっと少し息をつくことができた。けれども、こうした休息もほんの一時のことであった。なぜなら次の日にはどんな運命が待ち受けているか分からないからである。


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

「チャンコロ、まだくるか」
桐原軍曹が、ささくれ立った竹刀(しない)で力まかせに、パシーッとなぐりつけた。竹刀が弓なりになって青年の体の中へ食い込んだ。青年の頬にはたちまち紫色の線が、グーッと浮き出て、口元から首筋にずるずると血が流れた。青年は歯をぎりぎりさせ、「ペッ」と血を吐き捨てると、怒りに体をふるわせ起き上がろうとしている。じっとしておれなくなった小美野は、ずいと近づき、青年が見上げるその鼻先を、へし折れんばかり蹴り上げた。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
今後、上記①の「金原文庫」(『衛生学校記事』89冊)を衛生学校・彰古館と防衛研究所の移動の真相の解明、上記②の衛生学校図書室の図書原簿の2重線の真相解明から『衛生学校記事』の自衛隊に保管されていることを究明していきます。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

催涙ガスは、眼を強烈に刺激するほか、露出皮膚にガスが付着すると皮膚を刺激する。一時ガスの代表であり、暴動鎮圧用に各国の警察が使用している。その代表的なものはCN(クロルアセトフェノン)で、黄褐色の固体である。
1939年、より優れた化学兵器の発見を目指して研究を続けてきたドイツの化学者シュレーダーは、殺虫剤の研究過程で猛毒を有する有機リン化合物である神経ガスを発見した。ドイツは第2次世界大戦の後期にこの神経ガス「タブン」を大量に使用した
第2次世界大戦後、神経ガスの本格的研究が進められ、タブンよりもさらに猛毒を有する「サリン」が第2の神経ガスとして登場するのである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!


第12章大元帥の試練


10月23日から24日にかけて陸軍が開始した攻勢が失敗に終わったあと、昭和天皇はガダルカナル戦線の作戦に2度めの介入をした。その数日後、帝国海軍アメリカ艦隊と2度目の大海戦〔南太平洋海戦〕を行い、アメリカの空母ホーネットと駆逐艦1隻を撃沈した。連合艦隊参謀長宇垣纏(まとめ)少将の日記によると、10月29日、天皇は、連合艦隊司令長官山本五十六に勅語を渙発した。この勅語は「連合艦隊は今次南太平洋に於いて大いに敵艦隊を撃破せり。朕深く之を嘉す」というものであったが、天皇はこれに次のような一節を付け加えた。「惟(おも)ふに同方面の戦局は尚多端なるものあり。汝等倍々(ますます)奮励努力せよ」と述べたのだった。

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

イギリスの裁判所・高等法院が、アルバート・ゴアの『不都合な真実』が「グリーンランドを覆う氷が融けて、近い将来に水面が6m上昇する可能性がある」と危機を煽ったことに対して、全く科学的裏付けがないとの判断を下して、学校でのこの映画の上映に警告を発したのは、そのためである。ごく最近も海外のIPCC御用学者が、流氷がどこそこに流れているので、温暖化の兆候だと騒いで、それをまた日本の新聞各紙が紹介していたが、人類はほぼ絶望的なところまできている。流氷とは、78頁の【図31】で根本順吉が用いただけでなく、数々の学者が引用してきたように、厳しい寒さの指標なのである。それがなぜ温暖化の兆候なのか。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
その他の核実験
1955年5月14日 ウィグワム作戦 カリフォルニア州サンディエゴ南西500マイルで行われた、核爆雷の検証を目的とする実験。 1961年から1973年まで、衝撃波の測定や天然ガス採掘など、平和利用の実験のために小規模(150kt未満)の原爆実験がアメリカ各地で行われた(プラウシェア計画、Operation Plowshare)。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>

水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-17 09:49:03 | Weblog

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防疫研究室と昭和天皇の関係
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『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
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武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
この裁判によって日本政府に細菌戦の事実を認めさせ、補償を求めていくということは、21世紀の新しい平和を築いていくということに繋がっていきます。今後、私たちが日本人として、広く事実を広めていくならば、必ず勝利することができると考えています。判決の中でも、細菌を投下することにより、疫病が蔓延し人々の間に疑心暗鬼が生じ、コミュニティが破壊された事が指摘されています。しかし、裁判の過程の中で、そうした村の人々のコミュニティが回復に向かったところもあったと聞きました。グァテマラで起こった虐殺でも民間団体レミーによる調査によって事実が明らかにされ、それを通して犠牲者の関係者が癒された例もあります。
この裁判の中でも中国人同士の結びつきが強くなり、また日本人と中国人の関係も強くなっているのは事実です。これからもそういった繋がり、結びつきを強めていき、裁判に勝利したいと思います。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え


コスタリカはなぜたったの1か月でコロナ患者を半減させられたのか?


中国北東部の瀋陽市、3人が新型ウイルス感染で7500人を隔離」

司法解剖の現場で疑心暗鬼「この遺体、コロナ患者かも…」

WHO、東京オリンピック開催は「団結すれば可能だが簡単ではない

安倍政権「司法人事への介入」は過去にも、最高裁にも残るトラウマ

菊間千乃弁護士、検察庁法改正案で安倍首相の「恣意的な人事はない」発言に疑問…「ここまでの状況を見ているとその発言をにわかに信用できない」

首相の姿勢によぎる「朕は国家」の言葉 検察OB、危機感込めた意見書全文

 

新型コロナ死者31万人超す 増加ペース衰えず

「公明支持辞めます」検察庁法改正案への投稿に反応殺到

安倍首相らの告発状提出へ「桜見る会」巡り寄付疑い


自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

4. 印象に残ったのは、村瀬写真(中国人家族の様子)。現政権がひた隠しにしようとする歴史的事実を示す貴重な記録写真を見て、改めて歴史や加害者としての日本のを考えられる機会。県民センターで日本の歴史を美化するような展示会があり、それらといかに違うかということを知らせより多くの人に来てもらうかに、工夫が必要であると思った。(団体名や企画展名がかなり混同しやすくて)(女、40、市内、偶然(センターに勤務))


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
11、想像以上に多勢の参加者。若い人に観てほしい。
(女性・70代・朝日新聞)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

8棟には女子「丸太」も少数ながらいた。特別班員の話によれば、かつて、R、Wという2人の中国人とLという17歳のロシア人がいたと言う。なぜか、彼は、女子「丸太」の本名を知っていた。このうち、Lというロシア人の少女は、美人で評判になったそうである。殺伐とした牢獄の中に咲いた一輪の花のようであった。だが、その花は、あくまでも観賞するだけで、触れてはならなかった。みんなが、彼女には、第4性病の実験がなされていることを知っていたからである。女子「丸太」には、このほか梅毒の実験もなされた。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

1940年1月、超音波装置と派遣技師の交渉がまとまったので、休暇をもらって家に帰った。1か月後、妻と共にハルピンに戻った。4台の超音波装置もハルピンに届き、2月下旬に設置が完了した。石井部隊長は渡辺博士に、超音波コレラ・ワクチンの人体実験を行なうよう命令した。正式命令は、確か3月中旬に下されたと思う。ワクチン班は隊長命令に従って人体実験班を編成し、渡辺博士と私が超音波によるワクチン製造を、中黒大尉と細井雇員が軍医学校の方法によるワクチン製造を担当した。人体実験班には川名技手、千葉技手、小林嘱託がいた。正式に始まったのは5月中旬である。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

しかし、吉見氏の著作では、日本軍の毒ガス戦と米軍の対日毒ガス戦計画及び戦後の免責などについての詳細な実証研究という強さがある反面、その背景をなす日本軍の諸問題やなぜ中国で毒ガス兵器を多用したのかについての深い考察、兵士を含む日本の人々も毒ガスに傷ついたという問題、民間企業や科学者が果たした役割、戦後の日本軍関係者による歴史の封印の問題などについて、今一つ充分に論じ切れていないという印象を感じる。本書は吉見氏の著作と同じテーマを扱っている上に、吉見氏とは資料の相互交換などを行ない、又数々の教示を受けているので似通った部分も存在するが、紙幅の許す限り、新資料も用いながら筆者独自の新しい論証や見解、時期的な区分などを提示するとともに、吉見氏が触れていない論点についても検討を試みた内容構成とした。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
13,4歳と言えばちょうど好奇心が盛んな年頃である。しかし、缶の中に一体何が入っているのか、軍人や工場の労働者たちは女学生たちに対して固く口を閉ざし、生徒たちは疑問を胸いっぱいに抱えながら働くしかなかった。けれども、仕事を監視する軍人は、その缶にみだりに触ったり動かしたりしないよう再三にわたって警告し、仕事を終えたら中和剤で手を洗うよう命じ、一層女の子たちを不審がらせた。あの鉄の缶の外側の中ほどには赤か黄色のペンキで塗った標識が付いており、少し口が開いている缶もあって、中から黄色や褐色の液体が流れ出していたこと、しかも刺激性の臭いがあった事を岡田さんは今でも覚えている。多くの女学生達は刺激の為に涙や鼻水が出て、身体に水泡や湿疹ができた。

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

3人とも、数十日のはげしい拷問と空腹にふらふらしながら鋭い眼を光らせて降りてきたが、ぐるりと4辺を見回した瞬間、6つの眼は、素早くからみ合ったかと思うと、さっと緊張した空気があたりに漂った。18、9歳の青年の肩の呼吸がだんだん大きくなり、押えきれない怒りと一緒に、「我国際運輸的幹(ウオグオジイユインデカン・・・私は国際運輸で働いている)」と、はげしい言葉が吐き出され、彼はもう前に突っ立っている小林少尉に、じりじり近づいていた。
小林少尉は、「ウーッ」と口ごもりながら、1、2歩下がった。すぐそばにいた太田曹長が、「この野郎」と青年を蹴り飛ばした。青年は、グァーンと、あお向けにぶっ倒れたがすぐ起き上がり、胸を張るように小林少尉を、グィッと睨みつけている。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
②衛生学校『図書原簿』(手書き、1963年~1977年)の中に『衛生学校記事』の記載があり2005年9月まで図書室に保管されていたことが判明されました。しかし被告国は2005年9月に赤線で消されているため、廃棄されたと主張しています。
しかし、廃棄手続きは規則で定められており廃棄簿に記載しなければならないことが判明しています。他の赤線部分にある「廃棄」や「廃棄文書番号」の記載も無いので「廃棄処分」を意味していません。被告国は「廃棄」していないことを裏付ける廃棄簿は「5年」保管の為廃棄して現在保管していないと主張していますが、むしろ赤線が「廃棄」の証拠にはならないことが明白になったと言えます。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

毒ガスの開発は、ドイツを中心に急速に進められたが、これら化合剤からの防護器材もまた併行する形で進歩を遂げた。例えば連合国が毒ガスマスクの防毒効果を改善すれば、ドイツは改善された防護具に対抗する毒ガスを開発するということが競われた。
催涙ガスも第1世界大戦中に進歩を遂げた。その中では、ブロム・ベンジル・シアナイド(BBC)が最も強力である。BBCは褐色の油状の液体で、華氏約77度で固化する。BBCは恐らく現在も既知の最も強力な催涙ガスではあるが、臭素を含むたいていの化合物のように、、この毒ガスは安定性が低い上に鉄及び鋼鉄を腐食し、ガラス製、磁器製、またはエナメル塗りの容器のほかには保存できないので軍用ガスとして使われていない。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


1942年秋、昭和天皇がソロモンで続いている戦闘について、統帥部と検討し、木戸とも個人的に話をしている間に、日本の戦闘機、軍艦、輸送船の損害や将兵の死傷者数は確実に増大していった。ガダルカナルの部隊は熱帯の風土病、熱病、飢餓にさらされ、死者は続出していた。しかし、天皇は彼らに対していっそうの敢闘を要望し続けた。1942年末にいたり、ようやく、天皇はガダルカナルからアメリカ軍を排除しようとする望みを最終的に断念した。昭和天皇の断固たる攻撃精神は統帥部に影響を与え、そして、おそらくはソロモンで飢えと栄養失調に苛まれながらも最後まで勇敢に戦った将兵の士気にも影響を与えていた。同時に、そしてより重要なことは、ガダルカナル死守に天皇がこだわったことは、海戦での決定的な勝利にこだわる海軍の考え方とあいまって、太平洋戦域での防御体制への移行を大きく遅らせる原因となったのである。

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

。氷河の氷は、先ほど南極の氷の重さを小学校の算数で示したように、重いために崩れて、大昔から海に向かって流れているのだ、何を騒ぐか。グリーンランドは、陸地の約90%が氷に覆われている。氷床の厚さは、中央部で3200m、平均でも2000mに達して南極並みである。先に紹介した『地球大紀行6 氷河期襲来』には、グリーンランド中央部の陸地がその氷の重さの為、大きくへこんでしまった見事な図が出ている。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
アムチトカ島での核実験
1965年から1971年までにアラスカのアムチトカ島で3回実験が行われた。1971年11月6日の"CANNIKIN"は地下実験最大の5Mt(迎撃ミサイル「LIM-49A スパルタン」のW71核弾頭を使用)であり、各国の抗議を引き起こした。グリーンピースは、この実験を契機として発足した。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>


水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-16 11:09:34 | Weblog

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防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
しかし、細菌戦裁判の判決は、日本のメディアでも大きく報道され、これによって細菌戦の事実がかなり多くの日本人に知られるようになったと思います。
731部隊と細菌戦は、20世紀の中でも残虐さにおいてはトップランクであると言えます。20世紀の大量虐殺の中では、第1次大戦中のトルコのアルメニア人虐殺、ヒットラーによるユダヤ人虐殺、ルワンダやカンボジアでの虐殺が挙げられます。中でも、731部隊での大量虐殺は最も悪質であり、組織的であり、残虐でありました。731部隊の残虐性はナチスドイツの比ではありません。平房において731部隊が生体実験で3000人以上を虐殺したことについて、ロバート・ウィマントという人は、731部隊の行なった殺害方法と比べれば、ナチスの虐殺は極めて人間的に見えるとまで言いました。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

<新型コロナ>千葉県内2人死亡、2人感染 感染者ゼロ継続せず

仏、「川崎病」類似症状の9歳男児死亡 新型コロナ陽性判明

感染疑いの救急患者に 大阪府「トリアージ病院」本格運用へ

河井前法相、「公選法違反で立件」の政治的背景

小泉今日子 検察OBの意見書に感動「泣きました。そして背筋が伸びました」

「理由がさっぱり」検察庁法改正、首かしげる現職検事も

ジム封鎖に抗議 裁判所前で“集団腕立て伏せ”(20/05/15)

「公明支持辞めます」検察庁法改正案への投稿に反応殺到

安倍首相らの告発状提出へ「桜見る会」巡り寄付疑い


自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
.com/politics/news/200315/plt2003150004-n1.html">河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)

 


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

3. 印象的なもの、村瀬写真。兵士が写真を残してくれたことに驚いた。歴史の証言者と感じた。(男、60、川崎、チラシ)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
10、実際の物を使って、よりリアリティーのある映画で素晴らしかったです。当時の環境で成り立っていて、現在では再現できなくて、唯一の映画だと思います。戦争を知らない子どもたちこそ、刺激が強いですが見て「平和とは何か」を考えてほしいと思いました。
(女性・10代・市外・朝日新聞)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

私は、2回ほど、着剣した兵隊と憲兵に連行されていく隊員を目撃したことがあった。部隊の秘密を家族に洩らしたため、と聞いた。その隊員が、どう処刑されたかは、知らない。
とは言え、内部の隊員同士では、密かに私語を交わすことがあった。外部に洩らすことはないという安心感があったからであろう。同じ掟で縛られた仲間意識もあった。
7棟・8棟には、特別班員が勤務していた。特別班員は、部隊長の郷里でもある千葉県出身者が多かった。その中には、私の友人もいた。
彼らの話によると、7棟・8棟では、ペストの実験の他に、凍傷やチフスの実験も行なわれたと言う。厳寒の真冬に、土嚢(どのう)を背負わされて、中庭を果てしなく歩かされる「丸太」は、凍傷実験のためだった。おそらく、真冬の行軍と凍傷の関係を調べていたのではないか。また、動けないように縛り付けた「丸太」にシラミをたからせるチフスの実験もなされた。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

私が参加した2回とも、部隊付属の特殊地区で非病原性菌を使って行われ、大型の平板培養基を並べ、飛行機から細菌を散布し、一定時間経過した後、培養基の表面を空気にさらし、細菌散布の分布状況を判定した。前から任務に参加していた石井技手、細井雇員の話では、以前チフス菌の実験をしたことがあり、人体実験も行った。使われたのは中国人ということであった。
超音波装置が到着しないので、私は12月、連絡を取りに東京へ出張した。出発前、副官の加藤少佐が私に、国内では日本軍がノモンハン事件で敗れたことを話してはならない、と言った。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

実は、本書の原稿(第1案)が完成した翌月の2004年7月に、吉見氏は研究成果の集大成として『毒ガス戦と日本軍』(岩波書店)を出版されたが(これを受けて私は、既に完成していた本書の原稿に必要なリバイスを加えることとした)、これは膨大な資料を博捜・分析された上での他に類例を見ない詳細な研究になっているので、日本軍の毒ガスに関心のある方は参照されたい。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
岡田黎子さんは、まだはっきりと記憶している。
あれはひどく暑い夏だった。女学生たちは動員された島で、大人が着る仕事服を支給され、倉庫に連れて行かれた。倉庫には大きなドラム缶のようなものがいっぱい置いてあった。生徒たちの仕事は、これらのものを4,5個ずつ手押し車に載せ、波止場へ運んで船積みを待つ事であった。成長過程にある女の子にとっては、鉄の缶は重く、押すのにも力がいる。けれども、軍人が傍に立って監視しているし、手押し車を運んだ回数が記録されるので、少しも気が抜けなかった。一日に少なくとも13回往復しなければならなかった。

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

車は人影もまばらな郊外の大通りを土煙を巻き上げて南嵐(なんれい)に向かって突っ走り、間もなく、ギュギュと音を立て、腰まで埋まるほど伸びた草むらの側(そば)に停まった。もどかしそうに、パッと飛び出した小美野に小林少尉は顎(あご)をしゃくった。
小美野は狭い車中に折り重なっている中国人に、「降りろッ」と怒鳴ってから襟首(えりくび)に手をかけ、引きずり出した。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
金原資料2028点の中には『衛生学校記事』89冊が含まれていますが、これは行方不明の中にあると言うのです。しかし、金原資料を破棄した事実もありませんから、防衛研究所から衛生学校に戻って来てからの資料保管の経過を厳密に調査すれば、出てくるはずなのです。
現在、私達は、裁判で1995年から1996年の金原資料の移管事務を担当した複数の担当者の陳述書を要求しており、近く被告から提出される予定ですし、防衛省の説明責任が求められています(なお次回4月23日は新型コロナのため延期されました)。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

塩素ガスに続いて登場したホスゲン(CG)は、1915年12月19日にドイツ軍によって最初に使用され、現在でも軍用ガスとして活躍しているものである。
イペリット(マスタードガス)(H)は、ドイツが1917年7月12日、やはりイープルで最初に使用した毒ガスで現在も軍用ガスとして使用されている。クロルピクリン(PS)は1918年2月25日、ドイツがアメリカに対してホスゲンと混合して使った。PSは極めて低濃度でも検知され、容易に防護できるという欠陥を持っているため、現在ではほとんど戦術上の価値がない。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


昭和天皇の強力な支持に力を得て、東条は9月1日の閣議の冒頭に懸案事項を提出し、他方、東郷は辞任を強要された。閣議が休憩の間に、外務省に戻った東郷のもとに、天皇はこの問題の斡旋のため嶋田繁太郎海相を遣わした。東郷は、妥協案を示したが、東条はその検討を高圧的な態度で拒んだ。こうして東郷は辞意を表明し、昭和天皇は直ちにこれを認めた。同日天皇は東条が(一時的に)外務大臣を兼ねることを認めたソロモン諸島でアメリカが反攻に転じているとき、内閣の倒壊は何としても避けたいと決意した天皇は東条内閣を強力に支えたのである。こうした天皇の揺るぎない庇護のもと、東条はその「独裁」を強固なものにしていった。

              "●小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

「氷河の氷塊が海中に落下している!大変だ。温暖化だ」とプラカードをもって叫ぶ人達には、「1912年4月14日に世界一の豪華客船タイタニック号はなぜ沈没したか?」と質問するだけで充分であろう。4月10日にイギリスのサウサンプトン港から処女航海に出たタイタニック号は、氷山に衝突して沈没したのである。その氷山は、グリーンランドの氷河から、毎年、多数の巨大な氷塊が押し出されてきて、海上を浮遊するものであった。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
ニューメキシコ州での核実験
2010年11月18日 Zマシン(サンディア国立研究所)と呼ばれる核融合実験装置/X線発生装置を使い、核爆発を伴わない「新型核実験」に成功している(この実験はマスメディアなどでは一応臨界前核実験とは区別して新型核実験と呼ばれている)。これは強力なX線を発生させ、超高温、超高圧の核爆発に近い状況を再現し、プルトニウムの反応をみる実験である。この実験は2014年11月まで続いており計12回行われている。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>


水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-15 12:31:55 | Weblog

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防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
では、なぜ今回敗訴になったのでしょうか。それには2つの大きな原因があります。
第1の敗訴の原因は、日本の裁判所は極めて政府よりである事です。裁判所が、日本の現小泉政権の中で、いい判決を出すのは難しいということです。
第2の敗訴の原因は、そういった状況にも拘わらず、それを打ち破っていくような、細菌戦の事を日本人の間に知らせていくような運動が、日本の中では弱かったことです。幾人もの弁護士の方が非常に尽力されましたが、彼らは弁護士の中では少数です。この裁判を支援する市民も頑張りましたが、それも少数でありました。それがこの裁判をする上で支援組織の混乱、停滞などを生み出し、結果的には日本の中で大きな力とはならなかったと言えます。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

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自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

検察定年、与党が午後採決の構え 森法相答弁へ、衆院内閣委

玉川徹氏、安倍首相の「恣意的な人事はない」発言に「安倍内閣の問題じゃない。未来に対して責任が持てるんですか?」

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アゼベド事務局長、8月退任 2期目1年残し WTO

早期承認を求めてはいけない新型コロナ治療薬 医師が経験した心苦しい教訓とは?〈dot.〉

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大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)

 


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2. 印象的なものは。731部隊、#18・19の写真。教科書に載らない、一部の書籍でしか着目されない本当の歴史の一部分に触れられてよかったです。(男、20、市内、偶然)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
9、NHKでこの作品を知りました。「原爆の子」のことは知っていましたが、この作品のことは知りませんでした。デジタルリマスターされ、観るkとができたことはとても幸運でした。ありがとうございました。多くの関わってきた方に感謝したいです。たくさんの苦労があったでしょう。一人一人の思いの強さを感じます。生存者・体験者がどんどんいなくなってしまう今だからできることを、次の世代へ伝えなければならないことはたくさんあるはずです。平和への願いをさらに強くしました。

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

私に「丸太」のことを説明してくれた上司は、最後に「余計な詮索はするな。君たちはそのことについては、知らなくてよい」と釘を刺すのを忘れなかった。
「丸太」は、7棟・8棟に厳重に隔離収容されていた。この7棟・8棟に入れる隊員は、きわめて限られた人数であった。そして、この7棟・8棟(主として8棟)で、「丸太」は様々な実験の対象にされた。そのことを知っている隊員は、自分の家族をも含めて、一切他言無用の厳命を受けていた。
いや、なにも7棟・8棟のことに限らず、部隊内で見聞した事を、外部はもちろん、同僚や家族に洩らすことは、許されていなかった。我々が入隊して必ず受ける最初の教育は、主としてこのことを徹底して叩き込むための、防諜教育であった。731部隊の秘密が、戦後も長く明らかにされなかった原因の1つは、この防諜教育が骨の髄まで元隊員の中にしみ込んでいるからである。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

10月末、北満孫呉で原因不明の熱性伝染病が発生し、部隊が調査班を編成して調査を行なったが、班長は渡辺博士で、私も参加を命じられた。孫呉陸軍病院に到着して3週間ほど滞在し、各種資料を収集して研究してみたが、何ら成果は上がらなかった。結論は「多分ウィルスだろう」ということだった。翌年(1940年9月)、再び発生を見た時、安東洪次博士、岡本良三博士の率いる調査班が調査を行なった。8月頃、石井は全部隊に雨下実験に参加する様命じた。雨下実験とは細菌戦術の一種で、飛行機から病原菌を散布することであった。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

うち、①と②については敗戦時に湮滅(いんめつ)されたものがかなりある。今日までに確認されているいるものはそのごく僅かにしか過ぎないが、それでも幅広く資料を分析することでかなりの事が分かって来る(本書で用いた①と②の多くは防衛庁防衛研究所図書館が所蔵しているものだが、それは全て一般公開されているものを使用している)。また、③は、執筆者が後世に残したくないと判断した事実が切り捨てられているという問題がある。このような大きな制約を伴う中での議論の為、おのずから限界はあるものの、これらを集成することによって、或いは重ね合わせることによって判明する事実もある。このような目で引用した諸資料を見ていただきたいと思う。そして、④については、特に吉見義明氏の非常に優れた先行研究に学んだ点が多く、氏が発見された資料も本書では活用されて頂いている。吉見氏によって日本軍の毒ガス戦に関する本格的な研究が開始されたと言っても過言ではない。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
軍隊や工場の労働者は、皆張り詰めて最後の努力をしていたため、現地の役所では竹原女学校、忠海女学校や中学校の女学生たちの動員を始めた。あの時代には、戦争の為に力を出すことは日本人の義務だと考えられており、誰も拒否する権利はなかった。政府や軍隊はこうしたことを十分承知していながら配慮もせず、まだ13,4歳の女の子を危険な毒ガスを扱う仕事に従事させた。
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

※午後の陽ざしがようやく西に傾いた頃、2台の自動車が大同大街(だいどうだいがい)を矢のように走っている。前の車には今日の指揮官小林少尉と山垣内通訳、それに憲兵隊司令部の小笠原軍医大尉と土倉衛生曹長が乗っており、すぐその後を追っかけるように、太田曹長の運転する車が走っている。車中には、真っ赤な長靴に日本刀を握った小美野伍長と、ささくれ立った竹刀を押っ立てた桐原軍曹が、後ろ手に縛り上げた中国人3人を踏みつけるように体全体を押えていたが、左腕に巻いた白地に赤の憲兵という2字が毒々しく大きく見える。
《もうすぐだ、俺の腕がどんなものか見せてやる》―小美野は出発前に太田や桐原から、「いくら剣道3段でも人間は巧く(うまく)斬れまい」と言って笑われたことに無性に腹が立って仕方がなかった。と、ともに、斬り損じてはという不安も加わって、いらいらして落ち着かない。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
その金原資料は1995年に全てが防衛研究所に移管されその時点で金原文庫は廃止されました。
しかし翌1996年に防衛研究所は欲しい資料だけを取って残りの金原資料前部を再び衛生学校に戻してきました。
現在、被告国は裁判の中で、当初の金原資料2028点について、防衛研究所が「金原節三業務日誌」17冊の現物など64点を保管し、衛生学校の彰古館がタイトルが一致する資料641点を保管し、合計約3分の1の所在は判明しているが、それら以外の約3分の2は行方不明だと主張しています。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

また、本格的な初期の化学兵器として最も代表的なものは、“ギリシャ火薬”といわれる強力な焼夷剤で、窒息性の煙を生ずる兵器であった。兵器の化学的組成などは分っていないが、硫黄、石油、ロジン、れきせい、生石灰及び多分硝石を含んでいたと思われる。
インディアンは、有毒なつたに魚油をしみ込ませたものを燃やして毒ガスを発生させたことが記録されている。
しかし、何と言っても化学兵器が飛躍的に開発されたのは、第1次世界大戦を契機としてであった。化学兵器の草分けともいうべき塩素ガスは、今では主として訓練用として毒ガスの末席にとどまっているにすぎないが、それは毒性のより強い化学剤が開発されたためであって、塩素ガスそのものが毒ガスの看板を下ろしたわけではない。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


昭和天皇や東条首相にとって、ガダルカナル戦の当初1ヵ月間は、政治危機の時期でもあった。数力月にわたり、陸軍は台湾、朝鮮、樺太を除き、東南アジアならびに中国における全占領地域を管轄する大東亜省を新たに設置しようと画策していた。東郷茂徳外務大臣は、この計画に同意せず、陸軍にさらに政治的な権限を与える決定に妥協することを拒否した。さらにミッドウェーでの海軍の敗北、ガダルカナルの戦いについて知っていた東郷は、十分な戦力増強に失敗したことを理由に、ひそかに内閣改造を望んでいたのかもしれない。1942年8月29日、東条内閣の星野直樹書記官長は、陸軍としては次の閣議で大東亜省を設置する予定であると伝えたが、東郷はこれを固く拒んだ。このため、東条は天皇に状況を説明するために参内した。昭和天皇は、東郷の倒閣の試みを直ちに押さえ込むことを決意した。東条に関していえば、問題は解決したのである。

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

本書でたびたびNHKを揶揄してきたのは、CO₂に毒される前のNHK取材班は、このようにしっかりした知性をもって日本人を啓蒙し、今の取材班のように退化していなかったからである。民放も含めて最近の温暖化報道に従事するテレビ取材班は、ニュース工作班にすぎない。私達に数々の知恵と知性を授けてくれた報道界は、一体どこに消えたのか。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
ネバダ州での核実験

1957年8月7日ネバダ核実験場における核実験(プラムボブ作戦)で破壊された米海軍の飛行船。この飛行船は軍事効果実験のため爆心地点から5マイル以上離れた地点を無人で浮遊中だったが、爆発の衝撃波で崩壊した。


南太平洋での実験は費用が掛かるため、トルーマン大統領の提案により1951年にネバダ州の砂漠にネバダ核実験場 (NTS,Nevada Test Site) が設置された。その後、フォールアウト(放射性降下物)の測定や建物・動物などへの影響を調べるための実験が地上・地下含めて928回行われた。
核実験の振動がラスベガスの建物に影響を与えたため、核出力5Mtの爆発実験の前段階として、1968年1月19日にラスベガスの北130kmにあるトノパー近郊で1Mtの地下実験"FAULTLESS"が行われた。これがアメリカ合衆国本土で行われた最大の核爆発であった。その結果、衝撃で地上に大きな断層ができてしまったために本土で実験は行わないことになり、5Mtの実験はアラスカのアムチトカ島で行うことになった。
1997年7月2日 地下実験場で初の臨界前核実験が行われた。
928回繰り返された核実験の放射能で、多くの人々がガンになって死んでいるというドキュメンタリーがある。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>


水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-14 11:47:10 | Weblog

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1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
判決は法的には敗訴となりましたが、なぜそうなったのでしょうか。97年に家永教科書訴訟で731部隊のことが731部隊の事が最高裁判所で認められ、部隊が人体実験をしたという事が裁判所で認定されました。その判決は東京高裁で敗けましたが、最高裁判所では勝ちました。なぜ97年には勝ち、今回は敗けたのでしょうか。
まず97年の勝因は、93年から日本の中で731部隊の移動パネル展が行なわれて、日本全国で60か所以上で開かれ、20数万人以上がそれを見て、731部隊の事が日本の中に拡がっていった。これが、97年の訴訟で勝因の1つになったと思います。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
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それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

緊急事態宣言、39県を午後解除 新型コロナ、諮問委員会を開催へ

トヨタ衝撃「8割減益」 危機再び 予想あえて公表

学校再開1週間前倒し、「歓迎」「唐突すぎる」両方の声

米専門家、性急な経済再開に警鐘 トランプ氏との温度差浮き彫り―新型コロナ

WHO、新型コロナ「消滅しない可能性」 終息に長い道のり

信頼に傷、総長も黒川検事長も「辞職せよ」 堀田力さん

案里氏運動員、広島地検に説明 「現職地盤崩そうとした」

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)

 


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

22. 全て印象に残った。あまりにも無知であること、知りました。国民に広めること大切かと。有識人になるためには。ダメなものはダメと個人がハッキリ言える日本国民に持っていくこと、これは教育しかない、日本人教育として。(男、70、偶然)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
8、観ることが出来、本当に良かったです。どんどん広まる事を願っています。小学生の頃、原爆の写真集を恐ろしくて見られませんでした。70代になりましたが、今9条を変えようとしている現政府を思うと、この映画がどんどん広まる事を心から願っています。
(女性・70代・市内・朝日新聞)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

ところで、少し「丸太」について記憶にあることを、ここで書いておきたい。
731部隊に入ってすぐ、「『丸太』1本逃走」という話を耳にした。私は、何のことか分からなかった。不思議に思って、上司にきくと、「丸太」とは、全満から集めた、中国人やロシア人の捕虜・スパイで、全員死刑囚である、との説明があった。もはや彼らは、人間ではなく、単なる実験材料に過ぎず、番号で呼ばれ、1本・2本と数えられることになっているという。「『丸太』1本逃走」とは、安達実験場で、1人の「丸太」が逃亡したことをさしていたのである。この「丸太」は、とうとう捕まらなかったようであった。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

この間私は、超音波装置が設置されていなかったので仕事が無かったが、各種のチフス・ワクチン及び軍医学校のチフス・ワクチンの効果について研究したり、伝研【伝染病衛生研究所】、北研【北里衛生研究所】、衛研【大連衛生研究所】のワクチンと軍医学校のワクチンの効力について研究報告を行なったりした。同時に、江島技師と共同で赤痢本型耐久培養法を研究したが、成果が得られず中止した。この時石井は大量の菌体を要求してきたので、生産班は昼も夜もチフス菌体を大量に生産し続けた。私の記憶では、安東洪次が4,5名を引き連れてこの任務に参加協力したが、菌体の生産は結局失敗に終わった。10月初旬、出動した部隊がノモンハンから戻り、班員から関東軍惨敗の状況を知らされた。特にショックだったのは、防疫給水部が大きな打撃を受けたことである。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

本書の基本をなしているのは、筆者が2001年2月に完成させた博士論文「日本陸軍による化学兵器の配備・実戦使用と陸軍中央」である。この論文は、日本軍の毒ガス兵器の研究・開発・製造・教育・使用・配備・遺棄などについて、拙いながらも包括的な検討を試みたものである。本書は、この修士論文を大幅に整理・加筆すると共に、その後の研究成果や新しい発見した資料などを盛り込んだものである。
ここで本書が使用する資料について触れておきたい。本稿で議論の基盤をなす主な資料群を古い順に記すと、次の5つになる。
①これまでに発掘された日本軍資料
②軍人の業務日誌や業務メモ
③軍関係者の戦後の回想録、兵器研究史・部隊史及び学校史など
④これまでの様々な方の研究成果
⑤筆者が入手した毒ガス関係資料

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
大久野島では、張り詰めた空気がより強烈であった。なぜなら、アメリカの飛行機は既に九州への空襲を頻繁に繰り返していたし、最近はまた「軍艦島」と呼ばれる近隣の契島に対する掃射を行なったので、人々は、いつかある日、あの黒い大きな「鉄の鳥」が大久野島に「お出まし」になるのではないかという不安に駆られていたのである。契島とは違って、もしもB29が大久野島に爆弾を投下して毒ガス倉庫を爆破したなら、周辺に及ぼす影響は計り知れない。日本軍はこうした危険について勿論十分に知っていたから、島で大掛かりな防空対策を講じるよう命ずるとともに、一部の毒ガスを近くの大三島に移すことを決めた。


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

この事件は1940年9月の初旬、新京(しんきょう)憲兵隊長近藤新八大佐の命により市内新発露(シンパーロ)憲兵隊将校官舎付近で逮捕した3人の中国人労働者に対し、私が直接行なった罪業(ざいごう)である。
9月と言ってもまだ、ジリジリする暑さにどんより腐ったような眼つきで新聞を眺めていた特高係長・小林少尉は電話に手を伸ばし、ダイアルを回した。「アッ、大佐殿ですか、この前約束しておいた件、今日やります。都合はどうですか・・・・ハッ、じゃ待ってます」
ガチャリ、受話器を投げ出すと腰巾着(こしきんちゃく)の小美野伍長を呼び出した。「今日、やるから準備だ」と命令した。部屋に帰った小美野は桐原軍曹に、「国民党地下組織容疑者の3人は結局、何も出ないので、いよいよ内緒で処分することになったよ」と、ニタニタしながら腕をさすっていた。
「ハハア・・・・手前(てめえ)、斬る気か、アハハ・・・」太田曹長が馬鹿にしたように高笑いした。

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
しかし7年目を迎えた本裁判で、次の2つの事が明らかになってきました。
①『衛生学校記事』発刊当時の衛生学校長であった金原節三氏(戦時中731部隊と密接に関係していた陸軍省医務局で医事課長の職にあり、戦後1955年~57年衛生学校長)が1976年10月に死亡した後、遺族が旧軍関係史料を含め2028点を衛生学校に寄贈しました。
この寄贈された金原資料は大変貴重なものなので衛生学校は「金原節三先生資料目録」を作成し、1982年9月に「彰古館」(自衛隊三宿駐屯地に内にある自衛隊の展示室)に。「金原文庫」を設立して金原資料を収納しました。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

生物・化学兵器の歴史は古い。中でも毒ガスといえば、第1次世界大戦でドイツ軍がベルギーのイープルで初めて使用したというように信じられているが、実はそうではない。
毒ガスを戦争に使おうとする試みは、古代からあらゆる国で、あらゆる所で行われていたことが歴史の記録に見られる。最も古いと思われるのは紀元前431年~404年のアテネ・スパルタ戦役である。紀元前428年のプラチアの包囲戦で木材を硫黄やピッチに浸して城壁の下で大量に燃やすという戦術を編み出した。この古代化学戦は大成功となり、以後各種戦闘に進んでこの戦法が利用されるのである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞


第12章大元帥の試練


ガダルカナルの喪失を招いた陸・海・空での戦闘のたびに天皇が示した反応を、 さまざまな記録から知ることができる。天皇は米軍上陸の報に接したとき、「それは米英の反攻の開始ではないか」と、ただちにその潜在的な危機を察知した。
しかし、原油、ゴムなどの資源の備蓄を着実に増やすには、攻勢を維持しなければならないと考えていた。昭和天皇は、ガダルカナル島の戦いに執着することには疑問を抱いていた。それにもかかわらず、天皇は動員できるあらゆる兵器と兵力を用いて強力な攻勢と痛撃を続けるようにと、ソロモンの司冷官たちを督戦した。杉山は、 一木支隊が事実上、壊滅した後の9月15日、「(ガダルカナルを)断じて確保できることを信ず」と奉答していた。天皇は、陸海両軍が本当にこの作戦を
行う意志を持っているのかどうか疑念があるとして、杉山や永野が自らの言葉を守るように要求した。天皇が圧力を加えたため、ふたりはガダルカナル島を奪還し、確保する決意を固めたが、その結果、天皇がまさにもっとも懸念していた消耗戦に陥ることとなったのである。

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

同じ年の『NHK地球大紀行4 恐竜の谷の大異変 氷河期襲来』NHK取材班(NHK出版)、105頁にも同様の記述が出ている。意味がお分りだろうか。本の刊行時の130年前は、引き算すると1857年になる。つまりこの氷河は、2010年現在で言えば、150年以上前から後退(消滅)し始めたのである。赤祖父資料と全く同じ結論になる。どこの図書館にもあるNHKの本なので、読者が万一にも本当に地球を愛していると自分で思うなら、私を信用しないで、自ら本を開いて確認し、自分の意見として他の人に話すようにならなければいけない。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>


水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-13 09:37:34 | Weblog

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731部隊と国立感染症研究所の問題!!
ある女学生の訴え!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
歴史の分岐点に立って歴史認識からアジアの平和を考える
東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
その後、常徳では更に調査が進められ、地元に調査委員会ができ、どんどん真相が明らかになっていきました。これは常徳に限ったことではなく、中国の各地で生じたことです。法廷で何人もの中国人が証言をし、事実が明らかになってきました。
 判決は、こういった原告の方々の供述は事実であり、十分解し得る説得的なものだと認定しました。そして、判決の日には60人を越える中国人が法廷に来ました。何十万という署名も提出されました。



●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

中国が豪州に「報復」連発…コロナ発生源の調査求められ、食肉輸入停止で対抗か

 

茨城・愛知・岐阜・福岡、月末待たず緊急事態解除検討 政府、計38県で調整

抗議ツイートに「世論のうねり感じない」 政権側は強硬

ありえない手口で首相が"お友達"を検察トップに! 仰天人事に元検察同期も怒り爆発! さよなら、三権分立

河井前法相、買収容疑で立件へ 検察、1千万円前後配布

抗原検査キットを承認 新型コロナ感染を迅速判定 厚労省

墨田区の病院、感染の入院患者さらに3人死亡…計6人に

川崎病症状、14歳以下が80% NY州に百人、最年長21歳

決算を読む 三重交通グループHD 20年3月期 新型コロナで外出自粛響く 改元など前半好調も減収減益 通期業績予想は見送り

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)


●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

21. 印象的なものは、村瀬写真(ありのままの姿)、日本軍の行ってきたことは知ってはいたが、資料としてみたことはありませんでした。。2020年の平和な日々があたりまえのようであるが、決してそうではないことを改めて実感した。過去の延長線上に今があるということを忘れてはならない。過去を知ってこそ、未来へとつなげていけるのだと思いました。見て見ぬ振りはやめなければならないはずです。ぜひ、続けて、伝えていってほしいです。平和な未来のために願います。(女、50、市内、知人・記事)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
7、今回この映画を見るのは4回目になります。今回は、まだ見ていなかった妻と一緒に来ました。最初見たときは、涙が止まりませんでした。4回目の今回は、より深く戦争そのものについて考えながら見ることができました。戦争は絶対にやってはいけません。現在の安倍政治の恐ろしさ、若い人にこの映画を見てもらわねばなりません。今回24才の娘を誘いました。パンフも見せましたが、一緒に来てもらえませんでした。またいつか娘に見てもらうように誘いたいと思いますので、「ひろしま」の上映活動を続けて欲しいと思います。
(男性・60代・平塚市・チラシ)
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

 私の役目は、心臓であった。頭部とかその他の臓器は、それぞれ腑分けされて、別の担当者が調べた。私は、心臓を摘出すると、20ccの注射器で、この心臓から血を抜いた。
 このペスト菌の充満した心臓中の血液は、すぐさまペスト菌製造班へ回された。細菌製造班へ行くと、他所とは比べものにならないほど大量のペスト菌が培養されていたものである。それはちょうど、岡持ちのような容器に入っていた。まるで、切られる前の一臼の餅のように、あるいは巨大な羊羹(ようかん)のように見える。そして、このペスト菌の塊りは、餅や羊羹を切るように、切ることができた。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

 下級雇員は細井、池田ら6,7名、下士官は小林准尉、相馬軍曹、君島軍曹であった。班の任務は、関東軍が必要とするワクチン、即ちチフス、パラチフス、4種混合ワクチン及び赤痢ワクチン、コレラ・ワクチン、流行性脳脊髄膜炎ワクチンなど、それぞれ60万人分を供給し、3か月保管したのちこれを廃棄し、また新たに製造するというものだった。したがってワクチン班は非常に忙しく、特にノモンハン事件が起こって、石井部隊が防疫給水部の名で約半数の部隊員を出動させたとき、ワクチン班からも4,5名の雇員が派遣された。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

このような問題意識に基づいて本書は、毒ガス戦の実態をめぐる議論だけに終わるのではなく、毒ガス兵器という視点から見た日本軍や近現代日本の姿についての検討を試みたいと思う。具体的には、日本軍による毒ガス兵器の開発や製造・教育の実態、毒ガス製造や訓練に関わった日本の人々の被害の問題、日本の民間の毒ガス防護レベルの低さの問題、なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存したのかという問題、そして、今日まで被害が及ぶ遺棄毒ガス兵器の問題と、毒ガスの歴史が封印されるに至った経緯や歴史資料の問題などを前述の問題意識に立脚して検討する。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
 1945年から現在までに既に50年(本書は1995年発行)が過ぎ去ったが、大久野島の毒ガス工場で働いたことのある人たちは半世紀前の恐怖と動揺の時代を永遠に忘れはしない。日本敗戦前後の数か月間には、アメリカのB29爆撃機が日本本土に爆弾を投下し、戦争の緊張した空気が日本列島を覆いつくしていた。日本政府の発した「本土決戦」のスローガンは、国民の闘志を掻き立てるというよりは、国内の緊張と恐怖をさらに激化させるものであった。


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために          本田勝一

私たちがかつ体験した加害者としての戦争体験を訴えることによって戦争の実体を暴露し、あのような過ちを次の世代の人達に2度と繰り返させてはならないという悲願を込め、私達をあのような状況に陥れた当時の為政者ーその残党は今なお健在である―を告発し、現在の為政者に警告を与える。これが本書を世に問うゆえんである。〉
 この視点と行動ーまさに「行動」の名に値する行為こそが、真の反省であり、真の謝罪なのだ。
「反省なき民族」としての悲しき「特有性」の中で、このような行動が「稀有」でなくなる暁には、わが日本人も地球上で他民族と遜色なく肩を並べることができるだろう。
真の反省。真の謝罪。真の行動。それが見事に実行されている本書の筆者たちに心底からの敬意を表したい。「反省なき民族」が変る日が来るかどうかは、このような芽が大きくなるか、潰されるかにかかっている。
1982年7月20日(北海道・日高にて)
*この文章は光文社版『三光』第1集の「まえがき」として収録された。〈編集部注)

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第2『衛生学校記事』裁判の問題点と争点
 裁判当初、被告 国は、防衛省・自衛隊には衛生学校を含めて『衛生学校記事』は1冊も保管されていないと主張していました。しかし第1回裁判から8か月後の2014年9月防衛医科大学図書館から『衛生学校記事』28冊が発見されました。それでも被告 国は、発行元の衛生学校には1冊も保管されていないという常識ではありえないことを言い続けています。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

5 生物・化学戦における被害想定
仮定生物剤風下危険距離
なぜならば、この種の作戦による非戦闘員の死傷者は、戦闘員の死傷者をはるかに上回るものであることは、広島と長崎の例が示してくれている。自衛隊の戦闘による死傷者の見積りは、常に一般の国民の被害は除外されているのが現実であり、それがなぜあるかということを我々は考えなければならないだけでなく、そこには自衛隊のいう「防衛とは何か」という基本的な問題がでてくるのである。

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


杉山参謀総長は、米軍の増強を食い止めるためにガダルカナルに、すみやかに部隊を派遣してほしいとの海軍の要請に同意した。しかし、事態の深刻さを理解しておらず、グアムからわずか一支隊を投入したにすぎなかった。
この一木(いちき)支隊(約1500名)は上陸後、3日間で壊滅した。9月初旬、陸軍は再度、小規模な部隊を投入した。パラオから送られた川口支隊(約3000の兵力)は、9月13日、アメリカの拠点に夜襲をかけ、ほぼ壊滅した。さらに10月初旬、南太平洋に派遣されていた第17軍は約2万人の精鋭歩兵部隊である第2師団をガダルカナルに上陸させることを決断した。最初に投入した部隊で生き残っていた者は飢餓に陥っていた。第2師団はこれと合流し、ジャングルのなかにある米軍基地に自滅的な攻撃を2度行った。そして、結果はまたも失敗に終わった。その後、陸軍は第38師団の一部を含むさらに強力な部隊を投入した。

小泉親彦と昭和天皇憲法9条を生かそう!!
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

赤祖父氏の著書に疑いを持つ読者は、むしろ二酸化炭素温暖化論者の言葉を聞きたいだろう。ならば先に紹介したブライアン・フェイガン著『歴史を変えた気候大変動』219頁を見ればよい。赤祖父氏の著書と同氷河後退の歴史図が出ているので驚くはずだ。
 このような氷河後退が昔から起こっている自然現象であることも、私はこれら最近の本を読む前、20年以上前から知っていた。1987年、つまり23年前に出版されたNHK大型企画『地球大紀行6 氷河期襲来』(NHK・開隆堂)の15頁に【図34】のカラー写真が掲載され、51頁に解説文がある。アラスカのメンデンホール氷河は120~130年前には、現在より400mも前進していた。その後、氷河は少しずつ後退してきた、と書いてある。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
ニューメキシコでの核実験
1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。
爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。
実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。
詳細は「トリニティ実験」および「マンハッタン計画」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future

●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" allowfullscreen allow="autoplay"></iframe>


水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)

昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-05-12 11:10:26 | Weblog

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731部隊と国立感染症研究所の問題!!
ある女学生の訴え!!
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731部隊の罪業
歴史の分岐点に立って歴史認識からアジアの平和を考える
東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日   731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日   731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日    731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月        100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月       731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月       100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
6年前に一瀬弁護士らと、常徳に初めて行きました。その時は被害者の方たちとは数人しか会うことはできませんでした。何故かと言うと、常徳の市民が日本人の顔などを見たくもないと言って、会ってくれなかったからです。常徳という町は日本軍によって完全に焼き払われたので、その心情は当然だろうと思いました。私達は次回来た時には、もっとたくさんの人達と話をしたいと言って、中国を去りました。
その1か月後、再び日本の調査団が訪れた時には、1回目よりも多くの被害者が証言をしてくれました。3回目に行った時は大歓迎を受け、裁判がある時に幾人でも東京の法廷に行きます、と言ってくれました。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦

東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎  (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造    (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎    (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝    (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙     (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介      (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎   (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など 
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

野党が定年延長で修正案 「検事総長3年」削除求める 「政府案では忖度発生」

都の死者数19→171変更に加藤厚労相「知らない」 凍り付く予算委、質問の玉木氏「大丈夫か」

10万円給付、窓口混乱 マイナンバー手続き停止も

「検察掌握」安倍首相に怒りのツイート500万件

安倍政権「姑息の集大成」 検察庁法改正案になぜ多くの人が異議を唱えたのか

新型コロナ、安倍政権と専門家会議の「いびつな関係

ロシアの感染者数、1日1万人ペースで増加…制限緩和でさらに拡大の懸念

大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)

●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

20. 印象的なのは、留守名簿。731部隊の内容が良くわかりました。軍隊になると恐ろしいですね。兵士はかわいそうですね。(男、70、市内、折込み)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
6、10年ほど前にも見たので2度目になりますが、改めて戦争に対する決意のようなものを持ちました。
「継続は力なり」ということを改めて思います。この上映を計画された方々に心から敬意を表します。
(男性・70代・市内・新社会)

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731) 
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

私は、2回だけ、解剖の執刀係をつとめたことがある。1回解剖の手順を見学させられただけで、2度目はもう本番であった。身体に比較的ピッタリした白衣にゴム手袋、それにマスクをしただけで、ペスト患者の死体を解剖するのである。
死体は、やや黒味を帯びたと思われる程度で一般の死体とさして変わらない。見よう見まねで喉の下あたりから下腹にかけて、メスで一直線に切り裂く。皮下脂肪、筋肉、胸、腹膜と順に切開して、内臓を摘出する。
ペストには、腺ペスト、眼ペスト、肺ペスト、皮膚ペスト等の種類があった。「丸太」がどのペストで死亡したかに応じて、解剖の重点の置かれ方が、異なった。

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

1939年3月、私は陸軍技手に任じられたが、超音波装置を購入するため、大型発生装置と設計技師を捜していたので、6月になってやっと渡辺博士と共にハルピンの石井部隊に着いた。
着任してから私は渡辺博士の助手になった。その頃石井部隊は、ハルピン南郊の平房駅北で増築工事を行なっていたので、研究室の設備は十分とは言えなかった。その後、渡辺博士はワクチン製造班を指導し、私は彼の班の一員になった。ワクチン班の班長は、最初は増田少佐(のちに南京防疫給水部部長に転任、大佐)だったが、彼が転出したため渡辺博士があとを引き継いだ。当時の班員には中黒軍医大尉(のちの少佐、衛研総務課長。その後南方戦線に転出)、樋渡軍医中尉(大尉に昇進ののち、転出)の2人の武官がおり、文官は私のほか川名技手、千葉技手、石井技手、小林嘱託がいた。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

次に、現代の課題を考えるためにも過去の検証が不可欠であるということである。日本軍が毒ガスという禁断の兵器に手を染めていった過程をひとつのモデルケースをして検討することによって、毒ガスという大量破壊兵器に関する諸問題が浮かび上がってくる。これは同時に、戦争と科学・科学者といった問題や、戦争と民間企業といった問題を考えることにもつながるだろう。そしてまた、戦後間もないころから今日に至るまで、日本国内や中国などで日本軍の毒ガス兵器の発見・被災事件がしばしば発生し、戦争や軍隊とは全く関係のない一般市民や処理担当者がその犠牲になったという問題も現代の私たちが直面している重い課題である。日本軍の毒ガス兵器は今日に至ってもなお怨念のように生き続け、現代の私たちに災厄をもたらしているわけだが、なぜ今日のこのような問題が発生しているのか考えれば、日本軍の毒ガス兵器をめぐる歴史的経緯に突き当たらざるを得ない。日本軍の毒ガス問題は過ぎ去った遠い昔の話ではなく、まさに現代の問題なのである。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第11章 今も続く毒ガスの被害
苦しみ抜いた20年

付記・ジャムス毒ガス弾発見地点の現地調査記
ここで爆発があったのだ。幸いにもポンプに10㎝の厚さがあったため、そこで爆発の衝撃がかなり吸収され、ポンプ自身は破壊され、一部の設備が壊れたが、けが人は出なかった。すでに10数年前の事であるが、この「不幸中の幸い」の事故に対する船員たちの記憶は生々しい。
時間が経つのが速く、私たちが作業船に戻る時間となった。船員たちに別れを告げるほかない。船はごうごうと水しぶきをあげ、雄大な松花江を走る。流れに沿っての航行だから、一層速度が上がった。市街区に近づくと、林立するビル群が目に飛び込み、岸辺のスピーカーからは軽快な音楽が流れ、そぞろ歩く人の姿さえ見られた。しかし、今もまだ船員たちが危険と背中合わせの環境にあることを思うと、どうも気持ちが晴れないのだった。


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために          本田勝一


さて、前述の富永正三氏は、本書をいま公刊するゆえんを同じ手紙の中で次のように述べている。・・・
≪・・・私たちが到達した認識は、まず自分の犯した罪行に対しては実行者として自らの責任をとる、その上に立って命令者の、またそのような状況を作り出した為政者の責任を徹底的に追及する、ということであった。ここに発表される手記はこのような認識に基づて1955年頃書かれた手記の一部である。私達が帰国直後(1957年)同じ出版社から出した『三光』は読者に大きな衝撃を与え、かつ共鳴を得たが、一面「何という恥知らずなー」という非難と同時に悪質な妨害を受けた。今再びその続編とも言うべき『新編三光』を世に問うゆえんは何か。全世界的に繰り広げられている「反核・軍縮」の大きなうねりの中で、わが国では低成長下に財政再建・緊縮財政を唱える政府が防衛予算だけ特別扱いにして大きく突出させて危機感を煽り、一方、映画「連合艦隊」「大日本帝国」等による「軍国日本」へのノスタルジアの喚起、現職の大臣が「金鵄(きんし)勲章ー武功抜群の軍人だけに与えられる」の復活を公言する等の状況にある。一体日本は中国で何をしたか。・・・

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第1 最近の情報公開裁判の動き
また裁判で私達は、衛生学校、化学学校それぞれの担当責任者、関係者の取り扱い体験の供述を出すように要求しました。これで多数の「陳述書」「聴取報告書」が証拠として提出してきましたが、これで様々な問題点が浮き彫りになってきました。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

5 生物・化学戦における被害想定
仮定生物剤風下危険距離
対抗部隊を例にとっても、CBRの最初の使用は国防省で統制し、一度使用された後は、CBR戦の統制は軍に委任されるよう定められている。
有機化学剤は、無防護人員に対し、即時効果を収めうるため戦術的用法に多く、また、生物剤は、攻撃時機と効果発現の間の遅延の為、戦略目標に多く使用されるように従来考えられてきたが、妥当な遅延効果は、戦術行動においても、作戦と吻合し得る場合、利用できることはいうまでもない。」
しかし、自衛隊の作戦計画はどの場合でもそうであるが、防衛を唯一とし、国外侵略を行なわないという自衛隊の建前から考えるならば、前にも見て来たように、生物・化学戦争を準備し、陸上自衛隊が総化学部隊となりつつある現状を見る時、この作戦によって甚大な被害を被るであろう国民のBC兵器からの防護措置が全くないということを指摘しなければならない。・・
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練


日本海軍のガダルカナル上陸作戦は当初から杜撰なものであり、天皇はこの点を懸念していた。また陸海軍が新たに獲得したソロモン諸島とニューギニア東部―ポートモレスビーへの地上攻撃を始めるための準備が進行中だった―これらの拠点を固めるために陸海軍がたがいの反目を克服して協力することができるのだろうか。ガダルカナルに対するアメリカ陸海空軍の攻撃に、東京の統帥部は混乱した。両統帥部長や作戦課の将校たちは、アメリカの大規模な反攻が開始されることは1943年以後と誤った想定をしていたのである。7ヵ月前、日本が太平洋を越え真珠湾で見事に成功させたのと同じことを、敵が信じられないほどの速さで行うことができるとは、まったく予想できなかったのである。

小泉親彦と昭和天皇

憲法9条を生かそう!!
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か
これも、北極圏を最もよく知る赤祖父氏の著書『正しく知る地球温暖化』が、各地の実録を写真と図解で示して、徹底的に実証しているので、その結論だけを書くと、アラスカでも、アルプスでも、ニュージーランドでも、グリーンランドでも、氷河の後退が始まったのは、CO₂が大量に排出されるよりはるか前、実に人類がまだ石炭掘りをしていた18~19世紀からである。アフリカのキリマンジャロ山頂の気温は、1年中マイナス6℃であるので、氷河が融けることは無い。記録がある1960年頃から、何の変化も起こっていなし。にもかかわらず、キリマンジャロの氷河が温暖化の為に後退していると大騒ぎする現状に、あきれている。つまり後退は、既に述べた小氷期から温暖期に向かい始めると同時に起こり始めた、かなり古くから続く自然現象である。



●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名)                      核出力 (kt)  実施国 重要性
1998年5月11日 シャクティ II               12  インド インドによる初の原子爆弾実験
1998年5月28日 チャガイ-I               9-12?  パキスタン パキスタンによる初の原子爆弾実験
2006年10月9日 北朝鮮の核実験 (2006年)       1.5-15?  北朝鮮 北朝鮮による初の原子爆弾実験
2010年11月18日 ポルックス                ?  アメリカ合衆国 アメリカによる「Zマシン」と呼ばれる装置を使った初の臨界前核実験 このZマシンに関してはこの後2014年11月までの間に12回の実験が繰り返されている
2013年2月12日 北朝鮮の核実験 (2013年)       10-45?  北朝鮮 北朝鮮による初の強化原爆実験?
2016年1月6日 北朝鮮の核実験 (2016年1月)    10?  北朝鮮 北朝鮮による初の水素爆弾実験(懐疑的な意見もある)
各国の核実験[編集]
「核実験の一覧」も参照

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230

日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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