2023年 7月9日 ふわりが虹の橋へ旅立ちました。
たくさんの子たちと出会い、暮らし、そして見送る中でふわりほど見た目も中身も変わっていった子はいなかったように思う。
2012年に突然現れた子だった。手が届くほど近づいても逃げないことがあるのに、正面からは一切近づかないどころか一目散に
姿を消してしまう…数か月様子を見る中でどうやら聴力に障害があると気づいた。当時はまだお庭番中だったゴローちゃんと仲が良くて
くっきり茶白猫と白い長毛猫コンビは近所でも人目を引いていて焦ったものだ。
そんな彼女がようやくトラップケージに収まってくれたのは2012年の6月
流浪の間に感染したのだろう…FIV(+)ということもあり、術後保護することに迷いはなかった。
威嚇の嵐から少しずつ表情が緩んでいく様子がうれしかったな。部屋割りのかげんでウォルと同室になった際には、ウォルにもよく懐いて
かわいがってもらっていた。ちょっとだけ首をかしげながら近づいてくる白い毛玉みたいな姿を思い出す。
ぽぽのすけとも仲良くできそうだったけど、激おこ発作の的になってしまったことで保護部屋から2Fの猫部屋に移ってきた。
2Fに来たばかりの頃はちょっとした猫嫌いに陥っていて、療養中のケージを覗いた一歩とまさおにシャーシャー攻撃してビビらせていたっけ。
でも徐々にココロがほどけて距離が縮まっていくほどにやさしく穏やかになっていく表情もまたうれしかったな。本当に豊かな表情を持つ子
だったと思う。
2Fでご機嫌さんに暮らしていたふわりだったが、2022年の年末頃から背中を中心にぽつぽつとカビが見受けられるようになり内服治療を
開始。一時軽快したが梅雨に入って再発。その治療も終盤になった6月下旬、それまで旺盛だった食欲に陰りが出始めた。
長期にわたる内服が腎臓や肝臓に負担になったか?と受診した6/26 思いがけないデータに驚愕した。Plt 2.2万 Hbもわずかに落ち始めていた。
何らかの理由で骨髄抑制がおきている。原因はなにか?FIVの発症?カビもそのせいだったのか?極わずかに肢がもつれるようなようすからFIP?
等々頭の中を駆け巡ったがそのどれであれ今すべきは対症療法のみ。すぐさまステロイドの大量投与と免疫抑制剤が開始になった。
それまでとはうってかわって食欲なく引きこもっているふわりに投薬と強制給餌をするのはつらかった。食べたくもないものを口に入れられる
ふわりはもっともっとつらかっただろうと思う。それでも気分が良いときには私の体にぴったりくっついて眠った。
検査を繰り返しながら治療は続いた。でもデータはどんどん悪化し治療開始から1Wを過ぎたころ、ふわりの血液の中に血小板は存在しなくなった。
Hbもさらに低下し、消化が難しくなったのだろう…嘔吐が始まった時点で免疫抑制剤は中止、ステロイドは量を減らして様子を見ながら続けられる
だけにした。
そしてふわりの受診も止め、私はVETにある「お願い」をした。
ここから先のことがどうしても書けなくてこんなに時間が経ってしまった。でも半年経ってもやっぱり書けそうもない。
ふわりが逝ってしまったあとVETに送ったメールを転記してみることにします。
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ふわりの件では大変お世話になりました。7/9 17:45旅立ちました。
火葬の際にもまだまだずしりと重みがあり、本当に短期間で逝ってしまったのだなぁ…と
悲しくなったり、あんな状態でも頑張って食べてくれていたんだな…ふわり偉かったなーと
思ったり。
兼続のことがあり貧血からの呼吸苦だけは本当に嫌だなと思っていました。ふわりは徐々に動けなく
なってはいましたが兼続のような呼吸苦はなく過ごしており、このままなら出していただいた
坐薬も使わずに済むかもしれないという期待もしていました。ただ9日の午後、排尿をきっかけに
激しい嘔吐とそれに伴って呼吸状態が急激に悪化したため、その時点で坐薬を使いました。
20分ほどで鎮静がかかり、17:40半覚醒と同時に吐き気とも痙攣ともつかない状態になるまでぐっすり眠り
穏やかでした。
残念ながら最期も眠ったまま…というわけにはいきませんでしたが、恐れていた長い長い息苦しさを
感じることはなく逝けたと思います。
今回私のわがままな申し出をご理解くださり、坐薬を処方していただけたこと、大変感謝しております。
仕事柄お看取りの場面に関わることも多いのですが、ご家族は何よりも「穏やかであること」を望まれます。
死への道のりが苦しいものであればあるほど後悔が残りますから。それは人も動物も同じだと思います。
動物には安楽死という選択肢がありますし、それを選ぶしかない瞬間ももちろんありますが、苦しみから
救った…よりも自分がその子の命を終わらせたというやり場のない気持ちが消えないものだと友人は言って
おり、安楽死では飼い主の心は救われないのだと感じていました。
今回私の気持ちを汲んでいただけたことで、いつもより少しだけ冷静にふわりを送れたように思います。
正直、病状を知った時から絶望的な気持ちでした。先生方が懸命に治療をしてくださっていることも
ふわり自身とても頑張っていることももちろんわかっていましたが、データが改善しなければこの先何が
起きてくるか想像はたやすく、そして時間はない…どんなふうにふわりを看取ってあげられるか、看取って
あげたいかを自問自答する日々でした。そしてあの「お願い」に至りました。
もし苦しい瞬間が来そうなら眠らせてあげられる、少しでも楽にしてあげられると思うだけで、最期まで
しっかり看取ろうというガッツが不思議と湧いてきました。
誰しもその子が大好きな安心できる場所で最期を迎えさせたい、苦しみさえなければそれが可能なら
そのための鎮静という選択肢が提示されてもよいのかな…とあらためて思います。
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ふわりのことを想うとき、早くに逝った兼続のことを想わずにはいられない。
ふわちゃん、虹の橋での暮らしには慣れましたか?そちらでも変わらずDxなふわちゃんでいてください。いつか、また、会える日まで。
たくさんの子たちと出会い、暮らし、そして見送る中でふわりほど見た目も中身も変わっていった子はいなかったように思う。
2012年に突然現れた子だった。手が届くほど近づいても逃げないことがあるのに、正面からは一切近づかないどころか一目散に
姿を消してしまう…数か月様子を見る中でどうやら聴力に障害があると気づいた。当時はまだお庭番中だったゴローちゃんと仲が良くて
くっきり茶白猫と白い長毛猫コンビは近所でも人目を引いていて焦ったものだ。
そんな彼女がようやくトラップケージに収まってくれたのは2012年の6月
流浪の間に感染したのだろう…FIV(+)ということもあり、術後保護することに迷いはなかった。
威嚇の嵐から少しずつ表情が緩んでいく様子がうれしかったな。部屋割りのかげんでウォルと同室になった際には、ウォルにもよく懐いて
かわいがってもらっていた。ちょっとだけ首をかしげながら近づいてくる白い毛玉みたいな姿を思い出す。
ぽぽのすけとも仲良くできそうだったけど、激おこ発作の的になってしまったことで保護部屋から2Fの猫部屋に移ってきた。
2Fに来たばかりの頃はちょっとした猫嫌いに陥っていて、療養中のケージを覗いた一歩とまさおにシャーシャー攻撃してビビらせていたっけ。
でも徐々にココロがほどけて距離が縮まっていくほどにやさしく穏やかになっていく表情もまたうれしかったな。本当に豊かな表情を持つ子
だったと思う。
2Fでご機嫌さんに暮らしていたふわりだったが、2022年の年末頃から背中を中心にぽつぽつとカビが見受けられるようになり内服治療を
開始。一時軽快したが梅雨に入って再発。その治療も終盤になった6月下旬、それまで旺盛だった食欲に陰りが出始めた。
長期にわたる内服が腎臓や肝臓に負担になったか?と受診した6/26 思いがけないデータに驚愕した。Plt 2.2万 Hbもわずかに落ち始めていた。
何らかの理由で骨髄抑制がおきている。原因はなにか?FIVの発症?カビもそのせいだったのか?極わずかに肢がもつれるようなようすからFIP?
等々頭の中を駆け巡ったがそのどれであれ今すべきは対症療法のみ。すぐさまステロイドの大量投与と免疫抑制剤が開始になった。
それまでとはうってかわって食欲なく引きこもっているふわりに投薬と強制給餌をするのはつらかった。食べたくもないものを口に入れられる
ふわりはもっともっとつらかっただろうと思う。それでも気分が良いときには私の体にぴったりくっついて眠った。
検査を繰り返しながら治療は続いた。でもデータはどんどん悪化し治療開始から1Wを過ぎたころ、ふわりの血液の中に血小板は存在しなくなった。
Hbもさらに低下し、消化が難しくなったのだろう…嘔吐が始まった時点で免疫抑制剤は中止、ステロイドは量を減らして様子を見ながら続けられる
だけにした。
そしてふわりの受診も止め、私はVETにある「お願い」をした。
ここから先のことがどうしても書けなくてこんなに時間が経ってしまった。でも半年経ってもやっぱり書けそうもない。
ふわりが逝ってしまったあとVETに送ったメールを転記してみることにします。
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ふわりの件では大変お世話になりました。7/9 17:45旅立ちました。
火葬の際にもまだまだずしりと重みがあり、本当に短期間で逝ってしまったのだなぁ…と
悲しくなったり、あんな状態でも頑張って食べてくれていたんだな…ふわり偉かったなーと
思ったり。
兼続のことがあり貧血からの呼吸苦だけは本当に嫌だなと思っていました。ふわりは徐々に動けなく
なってはいましたが兼続のような呼吸苦はなく過ごしており、このままなら出していただいた
坐薬も使わずに済むかもしれないという期待もしていました。ただ9日の午後、排尿をきっかけに
激しい嘔吐とそれに伴って呼吸状態が急激に悪化したため、その時点で坐薬を使いました。
20分ほどで鎮静がかかり、17:40半覚醒と同時に吐き気とも痙攣ともつかない状態になるまでぐっすり眠り
穏やかでした。
残念ながら最期も眠ったまま…というわけにはいきませんでしたが、恐れていた長い長い息苦しさを
感じることはなく逝けたと思います。
今回私のわがままな申し出をご理解くださり、坐薬を処方していただけたこと、大変感謝しております。
仕事柄お看取りの場面に関わることも多いのですが、ご家族は何よりも「穏やかであること」を望まれます。
死への道のりが苦しいものであればあるほど後悔が残りますから。それは人も動物も同じだと思います。
動物には安楽死という選択肢がありますし、それを選ぶしかない瞬間ももちろんありますが、苦しみから
救った…よりも自分がその子の命を終わらせたというやり場のない気持ちが消えないものだと友人は言って
おり、安楽死では飼い主の心は救われないのだと感じていました。
今回私の気持ちを汲んでいただけたことで、いつもより少しだけ冷静にふわりを送れたように思います。
正直、病状を知った時から絶望的な気持ちでした。先生方が懸命に治療をしてくださっていることも
ふわり自身とても頑張っていることももちろんわかっていましたが、データが改善しなければこの先何が
起きてくるか想像はたやすく、そして時間はない…どんなふうにふわりを看取ってあげられるか、看取って
あげたいかを自問自答する日々でした。そしてあの「お願い」に至りました。
もし苦しい瞬間が来そうなら眠らせてあげられる、少しでも楽にしてあげられると思うだけで、最期まで
しっかり看取ろうというガッツが不思議と湧いてきました。
誰しもその子が大好きな安心できる場所で最期を迎えさせたい、苦しみさえなければそれが可能なら
そのための鎮静という選択肢が提示されてもよいのかな…とあらためて思います。
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ふわりのことを想うとき、早くに逝った兼続のことを想わずにはいられない。
ふわちゃん、虹の橋での暮らしには慣れましたか?そちらでも変わらずDxなふわちゃんでいてください。いつか、また、会える日まで。