拉麺歴史発掘館

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生駒軒発祥の店は生駒軒「梶原店」だった?

2022年01月05日 | ラーメン
【最終更新 2022年9月18日】

【結論】「生駒軒(生駒菜館・とんかつ生駒等)」の中華料理店としての創業店は、1958(昭和33)年に開業した北区堀船にある「生駒軒梶原(店)」の可能性が高い。

(生駒軒梶原店と味噌ラーメン)
 
 主に東京東部に存在する一大町中華のれん会「生駒軒」。最盛期に120店を数えたというこの“のれん会”の、中華料理店としての発祥店は、ネット上では長い間「人形町店」とされていた(ことが多い)。
 しかし、ボクの調査によればそれは誤りの可能性が高いのだ。推測の域は出ないものの、創業店とされるその店は北区堀船にある「生駒軒」(都電荒川線「梶原電停」近く。以下、梶原店という)である。しかし、1917(大正6)年に台東区松が谷で「児玉製麺」を興した初代児玉氏は、出身が長野県山ノ内町であり、町に隣接する長野県中野市にあった「生駒菜館」(以下、中野市店という。2019年閉店)である可能性も否定できない。

【理由】
人形町店のご主人が「ウチが創業というか、5店同時に(営業を)始めた。(日本橋)浜町(店)は同時期」と話されているほか、以下の事実などが判明した。
  1. 日本橋浜町店(2012年12月閉店)の創業は1964(昭和39)年である。
  2. 同じく1964(昭和39)年の創業である水天宮店(2018年12月閉店)の女将さんが「一番古い店は梶原の店」と発言された。
  3. 梶原店の創業は、梶原店の女将さんによれば1958(昭和33)年である。
    ただし、初代児玉氏が上京する前に店を開いていたという。隣接する長野県中野市の「生駒菜館中野市店」が創業店と言う可能性も否定できない。
 ネット上で「人形町店が発祥」という書かれ方が多いのには、おそらくネタ元が一緒であるからだろうが、それが書かれたブログは既に閉鎖されてしまい、今は見ることはできない。「人形町店が発祥」ということだけがネット上に残ってしまったということだ。

 ボクがその説--つまり、生駒軒=人形町店発祥説に疑問を持ったのは、2017年12月発行の「散歩の達人」2018年1月号(交通新聞社。以下「散達」という)の特集記事を読んだからである。『みんなの町中華』の特集のなかで、さらに『のれん分けの気になる世界』で大一元、光陽楼ともに生駒軒にスポットを当てた。大一元は本店、光陽楼は創業者の縁戚の店を紹介しているのだが、なぜか生駒軒は人形町店でなく、水天宮店であった。なぜ「散達」は、発祥と言われる人形町の店を取材しなかったのか。

 2018年夏、ボクは水天宮のお店を訪れ、女将さんに話を聞くことができた。水天宮のお店は、初代児玉氏の姉の養子の方が1964(昭和39)年に開いた店で、お聞きした当時の女将さんの、2017年に亡くなった父上にあたるという。

 女将さんは「生駒軒で一番古い店は梶原店」と仰った。その理由として『生駒相互親睦会』の名簿を見せてくださり「会員名簿の先頭にあるのが梶原店」と指摘をなされたのだ。人形町店は創業店ではなく「親睦会の事務所がある店」とも仰った。ただ、もともと親睦会の事務所は台東区松が谷の初代児玉氏が開いた児玉製麺所にあった。製麺所が廃業になったあと、人形町店に移ったということだろうが、それは同時に人形町店が創業店ということにはならないか?

(生駒軒水天宮店=2018年暮れ閉店) 

 人形町店は初代児玉氏の娘さんが創業したという。また長年、少なくとも1976(昭和51)年までは「生駒相互親睦会会員認定証」の会員証に、会長として”児玉武市”氏の名があった。現在の人形町店の食品衛生責任者も児玉姓であることから、“直系”であることは間違いなく、おそらくこの理由で“創業店”とされたのではないだろうか。

 ボクは同じ2018年の夏、梶原店に向かった。ご高齢のご夫婦で営んでおいでで、ご主人の体調が思わしくなく、今は昼のみの営業だという。女将さんに生駒軒では一番古いのではと話すと「そうかも知れない」と同調しつつ「人形町の店は? あそこは初代の娘さんが開いたはず」とも仰った。女将さんは「以前、生駒軒は120店ほどあった。個人商店だから後継者がいなければ閉めるしかない。そうして閉じてしまった店はたくさんあって、もう昔のことを知る人はほとんどいなくなった」と寂しそうに話されていた。ちなみに梶原店は先代が1958(昭和33)年に開いたそうだ。水天宮店創業の6年前のことである。

 今度は人形町店である。店は忙しくあまり話は聞けなかったが、スタッフの一人が「創業店というより、同時期に数店が創業したと聞いている」と話してくれた。
 
 RDBの此処によれば、此方のご主人がこう答えている。「ウチと同時期に5店舗が開業した。浜町もそうだ」。

(生駒軒人形町店のもやしそば) 

 浜町、つまりは日本橋浜町の店であるが、ネットに上がった此処によると2012年暮れに廃業したのが見て取れる。廃業のお知らせには「48年間感謝する」旨が書かれている。すなわち、浜町店の創業は「1964(昭和39)年」である。先ほどの人形町のご主人の言葉によれば、人形町店の創業も同じ1964年ということになる。水天宮店も同じ年だから、「5店同時開業」には水天宮、浜町、人形町ほか2店舗ということになるわけだ。1964年創業であれば、梶原店創業の1958年よりは後ということになるのだ。

 ただし、創業店が長野県にあった「生駒菜館中野市店」である可能性もある。それは、初代児玉氏は、「荻窪丸長」創業者の青木勝治氏と同郷の、長野県山ノ内町出身であり(此処をご覧ください)、山ノ内町に隣接する長野県中野市に2019年半ばまで「生駒菜館中野市店」が存在したからだ。

 2017年に水天宮店で拝見した生駒相互親睦会会員名簿の四番目にその店名はある。梶原店の女将さんが「初代児玉氏は長野で店を開いていた」と仰っているので、この店が創業の地、とも考えられなくはない。児玉氏が上京時に店舗を姻戚などに譲った、あるいは児玉氏が上京後に同じ場所で誰かが再開した、などが考えられる。ちなみに長野県にかつてもう一軒「生駒軒」があった。それは長野市鶴賀七瀬中町にあった店である(現在は別の店になっている)。ただし、鶴賀七瀬中町は山ノ内町とは相当距離があるため、創業地の可能性があるとしたら中野市店のほうだろう。

 此処までお読みいただければ、推測の域は出ないにせよ、冒頭の結論が一定の信ぴょう性があることがご理解いただけるだろう。しかしなお、疑問は残るのである。
  1. 児玉氏が長野県山ノ内町から上京したのが1917(大正6)年、生駒軒梶原店創業が1958(昭和33)年。この間、実に41年である。児玉氏は上京後、ずっと製麺所だけを営んでいたのだろうか。初代児玉氏は長野で店を開いていたというから、仮に30歳前後で上京したとするなら、梶原店創業時には70歳を超えていることになる。それはいかにも遅すぎるという気もするのだが。ただ、「散達」が水天宮店の紹介をする際『早い段階で暖簾分け店となった』としていることからすると、あながち「遅すぎる」ということでもないかも知れない。
  2. 梶原店の創業を、人形町店のご主人はご存じなかったのだろうか? ご存じであれば「創業店五店の一つ」とご自分の店を言うことはないだろう。人形町店は初代児玉氏直系の店と考えられるのに。
 なんにせよ、梶原店の女将さんが仰るように、昔を知る人は随分と少なくなってしまった。手掛かりとなる店の殆ども閉店してしまっており、生駒軒創業の店の確たる真実は、もう明かされることはないかも知れない。

(初稿2017年12月、全面改稿2020年2月、一部修正2022年1月)


※生駒相互親睦会会員名簿の順は、梶原店→水天宮店→とんかつ生駒→長野県中野市の生駒菜館の順である。

【2020年1月現在、現存する『生駒軒』『生駒菜館』】
※印は管理者来店済 ▲=浅草開化楼麺使用(確認した店のみ)
リンクはRDB。ただし「食」は食べログ

■生駒軒(秋葉原)▲     神田和泉町
■※生駒軒(人形町)  日本橋2
■※生駒軒(梶原)     北区堀船3 1958年創業
西往寺生駒軒        港区芝2
生駒軒(八丁堀)   八丁堀2
生駒軒        南千住5(三ノ輪橋) 1970年代後半の創業
生駒軒(浅草)    雷門1
生駒軒(扇橋)    扇橋3

※生駒軒(住吉)▲  江東区住吉2
生駒軒(大森)    大田区山王3
生駒軒(森下) ▲        江東区新大橋2
生駒軒(新御徒町)    台東区三筋1
生駒軒(鳥越)           台東区台東1 
生駒軒(月島)           中央区月島1
生駒軒(扇橋)              江東区扇橋3
生駒軒(王子神谷)  北区豊島7
生駒軒(東中野) 中野区東中野1
■中国菜館生駒軒       日本橋兜町
中国菜館生駒軒新川店       中央区新川1
生駒菜館(本所)      墨田区本所3 
■※生駒菜館(菊川駅前)▲   墨田区菊川2
生駒菜館(新日本橋)    千代田区神田鍛冶町

■※とんかつ生駒 (食)   日本橋小舟町8 

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【2020年1月~2022年9月までに閉店した『生駒軒』『生駒菜館』】
生駒軒(東大前)        文京区向丘1 2021年暮れごろ閉店
■生駒軒(馬喰町)  東神田1 2021年夏ごろ閉店
生駒軒(稲荷町)       東上野5 2021年春ごろ閉店


かつて存在した『生駒軒・生駒菜館』】
■生駒軒(水天宮)  中央区日本橋蛎殻町 1964年創業、2018年末廃業
■生駒軒(東向島2)  墨田区東向島2-39
生駒軒(東向島5)   墨田区東向島5-27
生駒軒(曳船)      墨田区向島5-50
生駒軒(押上)    墨田区向島3
生駒軒(錦糸町)   墨田区大平2
生駒軒(両国)    墨田区両国3
生駒軒(門前仲町)  江東区門前仲町2
生駒軒(築地)      中央区築地6
■生駒軒(浜町)     中央区日本橋浜町2 1964年創業、2012年末廃業
生駒軒(京橋)        中央区京橋1
生駒軒(芝浦ふ頭)  港区海岸3
生駒軒(笹塚) 世田谷区北沢5
生駒軒(本所吾妻橋) 墨田区吾妻橋1
■生駒軒(蔵前) 台東区蔵前3
生駒軒(浅草橋) 台東区浅草橋5
■生駒軒(三ノ輪) 荒川区東日暮里1
■生駒軒(大山) 板橋区中丸町
生駒軒(北池袋) 豊島区池袋本町1
■生駒軒(池袋) 豊島区池袋2
生駒軒(菊川)   墨田区立川2
生駒軒(大京町) 新宿区大京町
生駒軒(新宿御苑前) 東京都新宿区新宿1
■生駒軒     江戸川区中央(のちに「もも」に改称)
■生駒軒(新河岸) 埼玉県川越市大字藤間
■生駒軒     長野県七瀬中町
■生駒菜館    長野県中野市

※以下は『生駒相互親睦会』会員ではないと思われる。
■台湾料理 生駒  墨田区緑 ※生駒軒インスパイアであることは確認済。