【素粒子の世界における作用反作用を探る】
理化学辞典には「近接作用の世界では作用反作用の原理は消失して運動量保存の法則にとって替わる」とあったように記憶している。さらに「作用に対して反作用には時間遅れがあるとして場の量子論は構築された」ということだから、私が意訳してみたところによれば「素粒子の運動量交換には後先(あとさき)が存在する」と論じてみたい。ところがこれもまたおかしな具合である。作用反作用を力の矢印で表せば運動量交換の途中においても両者の相互作用の各瞬間に成立していなければいけないからである。
ここで語感を英語に持ち込むというのが良いアイデアであった。
英語では作用とはactionであって、反作用とはreactionだからだ。
運動量を与えるのが作用で、運動量を与え返すのが反作用だとしたら、バネを縮めるのが作用で、バネから押し返されるのが反作用であって、不思議と日常経験とよく合致している。ここで量子論では飛び飛びの物理量を扱うことが多いことに着目してみたら急速に謎が氷解したのである。量子力学では途中の反応というものはいっさい考慮しないのがボーアとハイゼンベルグによる世界観だったことを思い出させてくれた。本当は連続した現象であってもまずは『量子ジャンプ』で考えるべきなのだ。そして、運動量を交換する際にも反応時間が必要だろうと考えて、私は、Δp・Δtという式で表される物理量に着目した。
この式のディメンジョンは距離に比例しており、ゆえにバネ弾性にとっての伸び縮みは作用反作用に翻訳してよいことが示される。レールは車両から受けた作用によって外側にたわんで同じだけ車両に反作用を与えて元の位置に戻るということを繰り返している。レールと車両とは、その、微小な作用と反作用によって、車両を所定の曲線に沿って運行させていることになる。
さて、量子現象すなわち素粒子やハドロンの世界における作用反作用も、また同様に、Δp・Δtからなる何らかの移動距離に関する係数なのではないだろうか。ここで結論を述べればゲージ反応における運動量交換の本質を雄弁に述べることのできる素晴らしい式だということが分かったのでこの論文を書かせてもらっている。
不確定性原理にはたすきがけにこそ意味がありそうなのだ。
【流し撮り法による運動の解析】
以上のように、曲がった境界における作用反作用が運動量交換の形で行われる際には、微小時間Δtごとにジグザグ進行(これは後で滑らかな運動をすると分かった)をするかのようにして運動するであろうことは十分に認識できた。これだけでは定性的に過ぎるので数学による裏付けがほしいところである。そこで目をつけたのが流し撮りという写真術と平均値の定理という大学数学の教材であった。両者を併せて力学の解析に使えるようにしたものを『流し撮り法』と呼ばせていただいている。
ニュートンによる加速する運動物体の解析術は、位置を細かく切り刻んで行うものだから、正確を期するという観点からすれば(たとえ近似であっても)必ず図がずれる。そこを「極限操作を行うことによって厳密な微積分になる」というのは、未だかつて誰も完全な説明に成功していないばかりか、プランクによって創始された量子力学の基本理念「自然は飛び飛びに変化する」からしたらどうだろうか。
無理して極限をとらなくても、あるいはむしろ、極限をとらないで済むがゆえに、かえって正確に自然を記述できるような数学が必要になるのではないだろうか。そして、それは『差分法』のことではなくて、むしろ超準解析と同じくライプニッツ流の無限小解析が可能となる数学がベストだ。
そのための工夫として実数の非可算性と連続性を積極的に捨てるということをする。その代わりに、有限言語による表現を個々の実数に関する解析的定義として活用して、それらの可能な解析的実数R’の集合を『微分解析学』の舞台とするのである。そこでは運動の解析に使い物にならない数の定義はたとえ有限言語で表現できていてもナンセンスとして排除する。平方根や円周率も文章がそのまま定義なのである。
極限を必ず矢印で結んで、イコールで結ばないことにしたら、微分商がそのまま無限小の割り算として機能して超準解析と同じ計算ができるようになる。さらには非解析的な実数というものは数直線の連続性にだけ奉仕する糊の数ということにしたら実用的にはロビンソンにも匹敵すると思う。
自意識としたらロビンソン以上なのだがそこまでの構築はやってられないのでここまでにしておく。
数学的準備はこれでいいとして、流し撮り法の実際の効果を説明するには相対性原理から論じる方が適切であると思う。力学の効果が問題となるのは慣性系からのズレなので「等速直線分はオミットして差し支えない」というのが当初のプランだった。するとニュートン力学のやり口のように運動を細切れにしなくても流し撮りの写真のような図解で運動の解析が可能だ。
平均値の定理では「二点間の平均の傾きと等しい微係数になるポイントが少なくとも一カ所は存在する」のだったが運動の解析には二点間のちょうど中央のポイントを用いる。すると二点を直線で結んだ場合と実際の運動とのズレがΔp・Δtに比例することが容易に証明できる。
具体的な解析には超準解析で使う無限小顕微鏡を用いて行う。
運動物体は無限小顕微鏡で観察してブレの出ている向きとは逆方向に加速度を持っているのだ。例えば、等速円運動を考えれば(流し撮りの理想とはシャッター時間の最初と最後の画像を一致させるように直線的にカメラを動かす写真術なので)有限時間では外側に膨らんでから元に戻るという動きになる。つまり無限小顕微鏡で観察すれば「ブレが放射方向に外側に出る」わけだ。それはすなわち中心向きの加速度を有した運動だということを意味するのである。
理化学辞典には「近接作用の世界では作用反作用の原理は消失して運動量保存の法則にとって替わる」とあったように記憶している。さらに「作用に対して反作用には時間遅れがあるとして場の量子論は構築された」ということだから、私が意訳してみたところによれば「素粒子の運動量交換には後先(あとさき)が存在する」と論じてみたい。ところがこれもまたおかしな具合である。作用反作用を力の矢印で表せば運動量交換の途中においても両者の相互作用の各瞬間に成立していなければいけないからである。
ここで語感を英語に持ち込むというのが良いアイデアであった。
英語では作用とはactionであって、反作用とはreactionだからだ。
運動量を与えるのが作用で、運動量を与え返すのが反作用だとしたら、バネを縮めるのが作用で、バネから押し返されるのが反作用であって、不思議と日常経験とよく合致している。ここで量子論では飛び飛びの物理量を扱うことが多いことに着目してみたら急速に謎が氷解したのである。量子力学では途中の反応というものはいっさい考慮しないのがボーアとハイゼンベルグによる世界観だったことを思い出させてくれた。本当は連続した現象であってもまずは『量子ジャンプ』で考えるべきなのだ。そして、運動量を交換する際にも反応時間が必要だろうと考えて、私は、Δp・Δtという式で表される物理量に着目した。
この式のディメンジョンは距離に比例しており、ゆえにバネ弾性にとっての伸び縮みは作用反作用に翻訳してよいことが示される。レールは車両から受けた作用によって外側にたわんで同じだけ車両に反作用を与えて元の位置に戻るということを繰り返している。レールと車両とは、その、微小な作用と反作用によって、車両を所定の曲線に沿って運行させていることになる。
さて、量子現象すなわち素粒子やハドロンの世界における作用反作用も、また同様に、Δp・Δtからなる何らかの移動距離に関する係数なのではないだろうか。ここで結論を述べればゲージ反応における運動量交換の本質を雄弁に述べることのできる素晴らしい式だということが分かったのでこの論文を書かせてもらっている。
不確定性原理にはたすきがけにこそ意味がありそうなのだ。
【流し撮り法による運動の解析】
以上のように、曲がった境界における作用反作用が運動量交換の形で行われる際には、微小時間Δtごとにジグザグ進行(これは後で滑らかな運動をすると分かった)をするかのようにして運動するであろうことは十分に認識できた。これだけでは定性的に過ぎるので数学による裏付けがほしいところである。そこで目をつけたのが流し撮りという写真術と平均値の定理という大学数学の教材であった。両者を併せて力学の解析に使えるようにしたものを『流し撮り法』と呼ばせていただいている。
ニュートンによる加速する運動物体の解析術は、位置を細かく切り刻んで行うものだから、正確を期するという観点からすれば(たとえ近似であっても)必ず図がずれる。そこを「極限操作を行うことによって厳密な微積分になる」というのは、未だかつて誰も完全な説明に成功していないばかりか、プランクによって創始された量子力学の基本理念「自然は飛び飛びに変化する」からしたらどうだろうか。
無理して極限をとらなくても、あるいはむしろ、極限をとらないで済むがゆえに、かえって正確に自然を記述できるような数学が必要になるのではないだろうか。そして、それは『差分法』のことではなくて、むしろ超準解析と同じくライプニッツ流の無限小解析が可能となる数学がベストだ。
そのための工夫として実数の非可算性と連続性を積極的に捨てるということをする。その代わりに、有限言語による表現を個々の実数に関する解析的定義として活用して、それらの可能な解析的実数R’の集合を『微分解析学』の舞台とするのである。そこでは運動の解析に使い物にならない数の定義はたとえ有限言語で表現できていてもナンセンスとして排除する。平方根や円周率も文章がそのまま定義なのである。
極限を必ず矢印で結んで、イコールで結ばないことにしたら、微分商がそのまま無限小の割り算として機能して超準解析と同じ計算ができるようになる。さらには非解析的な実数というものは数直線の連続性にだけ奉仕する糊の数ということにしたら実用的にはロビンソンにも匹敵すると思う。
自意識としたらロビンソン以上なのだがそこまでの構築はやってられないのでここまでにしておく。
数学的準備はこれでいいとして、流し撮り法の実際の効果を説明するには相対性原理から論じる方が適切であると思う。力学の効果が問題となるのは慣性系からのズレなので「等速直線分はオミットして差し支えない」というのが当初のプランだった。するとニュートン力学のやり口のように運動を細切れにしなくても流し撮りの写真のような図解で運動の解析が可能だ。
平均値の定理では「二点間の平均の傾きと等しい微係数になるポイントが少なくとも一カ所は存在する」のだったが運動の解析には二点間のちょうど中央のポイントを用いる。すると二点を直線で結んだ場合と実際の運動とのズレがΔp・Δtに比例することが容易に証明できる。
具体的な解析には超準解析で使う無限小顕微鏡を用いて行う。
運動物体は無限小顕微鏡で観察してブレの出ている向きとは逆方向に加速度を持っているのだ。例えば、等速円運動を考えれば(流し撮りの理想とはシャッター時間の最初と最後の画像を一致させるように直線的にカメラを動かす写真術なので)有限時間では外側に膨らんでから元に戻るという動きになる。つまり無限小顕微鏡で観察すれば「ブレが放射方向に外側に出る」わけだ。それはすなわち中心向きの加速度を有した運動だということを意味するのである。