グラショウ等のまとめ方によれば電弱統一期には電子とニュートリノが区別付かなかったそうじゃ・・。
未確認だが、もしレプトンスープという物が存在するならばW粒子などで電子とニュートリノとは頻繁に入れ替わるから区別の付く素粒子とは言わなくなるのだそうだ・・、で、未確認とはカミオカンデ計画などで確認されておる現象はすべて原子核とニュートリノのやりとりだから電子がニュートリノに化けるところを見た人類はいないのだそうである。ま、それは宜しい、WSTさえ正しいならば高密度だった宇宙にそんな時期が存在して可笑しくはない・・。問題は、GUTによれば、レプトンとクォークとが区別が付かなかった大統一期があったと考えることだけが次なる統一として正しいと言っていることになるということだ。見よ、UFTは「クォークに対してレプトンは後発の素粒子だ」とする理論構成で大統一を成し得ることが出来ている!
彼らは、二個目のノーベル賞欲しさに功を焦ったあまりにか、GUTではXボソンやYボソンにあまりにも多大な役割を負わせ過ぎたようじゃ・・。
XボソンやYボソンは二つのクォークを生むゆえに宇宙において物質起源粒子たる可能性を持ち、反クォークと反レプトンにも崩壊するゆえに、宇宙における物質粒子をすべて統一することが可能であるようだ。「大統一期にはクォークとレプトンが区別が付かない」と彼らは言う、が、それは違う・・、XボソンやYボソンが2クォークに崩壊するのならばファインマン図上ではXボソンやYボソンはクォークを反クォークに変換してしまう。私は、そのこと自体が可笑しいと言っているのではなく、そんなことでは「宇宙初期のクォークスープ中でクォークと反クォークの区別が付かないばかりである」と批判しているのである・・。
ちょっとバンクーバー酔いをして疲れているので本日はこれまで、短くてスマン・・、じゃーな!
未確認だが、もしレプトンスープという物が存在するならばW粒子などで電子とニュートリノとは頻繁に入れ替わるから区別の付く素粒子とは言わなくなるのだそうだ・・、で、未確認とはカミオカンデ計画などで確認されておる現象はすべて原子核とニュートリノのやりとりだから電子がニュートリノに化けるところを見た人類はいないのだそうである。ま、それは宜しい、WSTさえ正しいならば高密度だった宇宙にそんな時期が存在して可笑しくはない・・。問題は、GUTによれば、レプトンとクォークとが区別が付かなかった大統一期があったと考えることだけが次なる統一として正しいと言っていることになるということだ。見よ、UFTは「クォークに対してレプトンは後発の素粒子だ」とする理論構成で大統一を成し得ることが出来ている!
彼らは、二個目のノーベル賞欲しさに功を焦ったあまりにか、GUTではXボソンやYボソンにあまりにも多大な役割を負わせ過ぎたようじゃ・・。
XボソンやYボソンは二つのクォークを生むゆえに宇宙において物質起源粒子たる可能性を持ち、反クォークと反レプトンにも崩壊するゆえに、宇宙における物質粒子をすべて統一することが可能であるようだ。「大統一期にはクォークとレプトンが区別が付かない」と彼らは言う、が、それは違う・・、XボソンやYボソンが2クォークに崩壊するのならばファインマン図上ではXボソンやYボソンはクォークを反クォークに変換してしまう。私は、そのこと自体が可笑しいと言っているのではなく、そんなことでは「宇宙初期のクォークスープ中でクォークと反クォークの区別が付かないばかりである」と批判しているのである・・。
ちょっとバンクーバー酔いをして疲れているので本日はこれまで、短くてスマン・・、じゃーな!
ニュートリノはともかくとしてそれでは電子が困る・・・。