幾何学に王道なし、とはユークリッドの名セリフだがw
それはユークリッドが王さまに幾何学を教えていた時に言ったセリフであって、ユークリッド自身が幾何学の王さまだと規定した場合には、それはまた別なことであるだろう。なんか、ガウスもね、その絶頂期には解析学の問題をね、一瞥しただけでいきなり解き始めてね、そのままスラスラ書き上げたモノが先端的な論文だったりしたものだそーだよ。ま、そんなことより、多くの学問において論文とかいったモノは、書く方はスラスラ書いていても読む方は大変だというのが現実でもあり、学問の王道を歩みたければ自分が学者になれと言うのが正しいのではないだろーか。
それで天皇家は生物学者の道を選んだりしたのだろうw
文系ことに人文科学の分野においては論文といったモノは死活問題そのもので、書き続けなければ死を意味するなどと言った表現で語られたりしている。で、理系はそーでもない、というのは私の心の師でもありライバルでもある大統一理論のグラショウの言葉なのだが、確かに物理学においても論文はすべてではない。学者だって人間であり生きているのですからね、疑問に思うことがあるのだったら質問したらいい。論文に書いてあることがすべてであったならば、学者はマスターピースを書き上げたら無用な存在になってしまう。
なんか、国ってちょくちょくそんな夢を見たりするのね・・。
この国ってそーだ、そのくせ著作権は何にでもあるなんて言う。そーだとしたらグース相手の話はどーなるのか、国としても佐藤ともども諦めなさいよって言いたい。グースの方が先にやってたのは自明だったんでしょーガッ、っと、もおイイ、もう態度を決めて「通常のインフレーション宇宙には頼らない」ことに決めたのだったよ。これって、アマチュア学者の戯言のように思われることなのだろーなあー、あー、説明の機会が欲しい、黒板とチョークそれに適切な聴衆さえいてくれたら私は名誉を回復するだろう。
理論物理学は大幅に間違っている、最大に言いたいことはそれだ!
(ご理解ください・・)
それはユークリッドが王さまに幾何学を教えていた時に言ったセリフであって、ユークリッド自身が幾何学の王さまだと規定した場合には、それはまた別なことであるだろう。なんか、ガウスもね、その絶頂期には解析学の問題をね、一瞥しただけでいきなり解き始めてね、そのままスラスラ書き上げたモノが先端的な論文だったりしたものだそーだよ。ま、そんなことより、多くの学問において論文とかいったモノは、書く方はスラスラ書いていても読む方は大変だというのが現実でもあり、学問の王道を歩みたければ自分が学者になれと言うのが正しいのではないだろーか。
それで天皇家は生物学者の道を選んだりしたのだろうw
文系ことに人文科学の分野においては論文といったモノは死活問題そのもので、書き続けなければ死を意味するなどと言った表現で語られたりしている。で、理系はそーでもない、というのは私の心の師でもありライバルでもある大統一理論のグラショウの言葉なのだが、確かに物理学においても論文はすべてではない。学者だって人間であり生きているのですからね、疑問に思うことがあるのだったら質問したらいい。論文に書いてあることがすべてであったならば、学者はマスターピースを書き上げたら無用な存在になってしまう。
なんか、国ってちょくちょくそんな夢を見たりするのね・・。
この国ってそーだ、そのくせ著作権は何にでもあるなんて言う。そーだとしたらグース相手の話はどーなるのか、国としても佐藤ともども諦めなさいよって言いたい。グースの方が先にやってたのは自明だったんでしょーガッ、っと、もおイイ、もう態度を決めて「通常のインフレーション宇宙には頼らない」ことに決めたのだったよ。これって、アマチュア学者の戯言のように思われることなのだろーなあー、あー、説明の機会が欲しい、黒板とチョークそれに適切な聴衆さえいてくれたら私は名誉を回復するだろう。
理論物理学は大幅に間違っている、最大に言いたいことはそれだ!
(ご理解ください・・)
そういえば私の大学の情報系の先生も、大学では卒論を出さなくても、実質許されていたらしいです。
何にでも著作権があるとしてもらっても困るというものですね。
自分が学者になるのが一番いいのですね。