天才とは何か、という事を深刻に考えさせる人でもあるよねw
昔の日本人だったら「ああ、ウェゲナーは天才とは違う」と平気で言ってしまいソ~ですがな、そうでっしゃろ。そして、ユニバーサルフロンティア理論のワシなんか、猿の惑星とか言われかねないですのや、そうでっせ。
どお、そこのところ図星だろーが、昔の人たちw
天才論というか、天才の定義とか言い出したら、ま、たいていの才能は天才とまでは行きまヘンのや、そうですのや。日本人物理学者でそのフィルターを通してなお天才と評される人と言ったら、んー、やはり湯川秀樹と南部陽一郎ぐらいだろーな、って思いますのや。比べたらユニバーサルフロンティア理論は、理屈では天才性の定義に当てはまるよーなことをしてきたが、むしろ凡才の範疇に入るのではないかと疑っている、まあ、ソ~ですのや。
我ながらサヴァン症候群だとすると理解できる気がしますがなw
凡人を天才にする病気だろー、なんかピッタシだという気がするンだよなあ~、本当に。でも、ま、そこも外れかもワカラナイ、ドクターは「いや、アンタは違うって」と一笑に付すかもシレナイ、そうでっしゃろ。だから、そこですがな、ウェゲナーは歴史上の偉人ですけど「いわゆる天才とは違う」という話と似てきましたがな、そうでっせ。せやけど、ウェゲナーの勝ち得ていた発想によれば「破れた新聞紙が離れ離れにあったとして、その文章が繋がるよーに読めるとしたら、元は一枚の新聞紙だったと結論が出るじゃないですか」と言っておった。
科学的証拠とすれば❝それで十分❞じゃないでしょーかねえ?
あ~あ、やっぱり学会にはイジメられたンだ、差別迫害を受けたんだ、って、やっぱり思いますのや、そうでっせ。その場合可能性には二つあって「本当の天才だったが周囲が無理解だった」に対して「本当の天才ではなかったからアテにされなかった」という可能性だってありますのや。
後者が現実の答えだと思われますねえ、ワシにはw
(んー、だとしたら❝凡人差別❞だあー、あ~あ・・)
昔の日本人だったら「ああ、ウェゲナーは天才とは違う」と平気で言ってしまいソ~ですがな、そうでっしゃろ。そして、ユニバーサルフロンティア理論のワシなんか、猿の惑星とか言われかねないですのや、そうでっせ。
どお、そこのところ図星だろーが、昔の人たちw
天才論というか、天才の定義とか言い出したら、ま、たいていの才能は天才とまでは行きまヘンのや、そうですのや。日本人物理学者でそのフィルターを通してなお天才と評される人と言ったら、んー、やはり湯川秀樹と南部陽一郎ぐらいだろーな、って思いますのや。比べたらユニバーサルフロンティア理論は、理屈では天才性の定義に当てはまるよーなことをしてきたが、むしろ凡才の範疇に入るのではないかと疑っている、まあ、ソ~ですのや。
我ながらサヴァン症候群だとすると理解できる気がしますがなw
凡人を天才にする病気だろー、なんかピッタシだという気がするンだよなあ~、本当に。でも、ま、そこも外れかもワカラナイ、ドクターは「いや、アンタは違うって」と一笑に付すかもシレナイ、そうでっしゃろ。だから、そこですがな、ウェゲナーは歴史上の偉人ですけど「いわゆる天才とは違う」という話と似てきましたがな、そうでっせ。せやけど、ウェゲナーの勝ち得ていた発想によれば「破れた新聞紙が離れ離れにあったとして、その文章が繋がるよーに読めるとしたら、元は一枚の新聞紙だったと結論が出るじゃないですか」と言っておった。
科学的証拠とすれば❝それで十分❞じゃないでしょーかねえ?
あ~あ、やっぱり学会にはイジメられたンだ、差別迫害を受けたんだ、って、やっぱり思いますのや、そうでっせ。その場合可能性には二つあって「本当の天才だったが周囲が無理解だった」に対して「本当の天才ではなかったからアテにされなかった」という可能性だってありますのや。
後者が現実の答えだと思われますねえ、ワシにはw
(んー、だとしたら❝凡人差別❞だあー、あ~あ・・)