子供の認識がどこまで進んだという学問があるからってw
結果としての認識がどこまで進んだかという話と、だから子供に認識させなけりゃならないという実践とは千里の開きがある話、そうですのや。子供らの認識がどこまで進んだのかというのは科学、だからって認識させなけりゃならんというのは擦れた大人の判断の誤謬、そうやんか。
認識哲学的実践は高校大学で行うべき話、そうですねん!
アドバンシング物理の世界なんかがそう、対する教育大による亜流なんぞ見てられマヘンがな、っとっと、話題がズレた、話を戻しましょう。認識していくとは哲学の世界の話、理科算数教育に持ち込むのは時期尚早、そうですがな。ついでに批判すれば、太陽系のスケールなどのイメージ戦略っぽい教育実践も、ま、それらは教育大学の独善なんだが、あんなもんで授業や言うてたらアカンものに過ぎない、というか過ぎる、そう。
子供は大人とは違うという一文に括られる話では無いか?
等分徐と包含徐の区別なんかも大人の独善であって、子供にそのまま押し付けるのは犯罪的ですらある、そうやないか。早いと速いの区別を同音異義語教育を差しはさむ的な、反森一夫的な?教育実践は日教組系の発案だったかなあー、それはワシもやったことがある気がするぞい、そこまでかなあ。ピアジェ論理って大事だもんねエ~、ってここも話題に反してるな、戻しましょう。いや、むしろいいか、そう、ピアジェをこそ獲得したい、そうやねん。
ピアジェ論理で造られたユニバーサルフロンティア理論w