ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

本来が「論理学の敗北もしくは終焉」だったのであろうがっw)

2013年05月24日 | Weblog
G「この命題は証明できない」に対してA「Gは証明できない」と¬A「Gは証明できる」に分けてみるとしよう・・。

数学体系に¬Aを仮定するとGが証明できるがために¬A∧G、これは矛盾ではなく、すなわちゲーデル命題Gと名付けた「この命題は証明できない,とする自己言及命題は真である」ことが証明できることになり、それがそのまま《不完全性定理の論拠》になっていると私としたら判定する。

すなわち
「数学の無矛盾性は証明できないことが証明できた」

という、このブログ上のいつもの話になるわけだw)

問題としたら、かような“いつもの話”に持ち込むためには、Aを仮定することが矛盾しているか、あるはナンセンスでなくてはならぬ。

数学体系にAを仮定したらGは証明できないので「この命題は証明できない,は証明できない」ということになり、メリットとしてはゲーデル命題に関する《無限連鎖による入れ子型構造》を防ぐことになるというか、ゲーデル本人のボーンヘッドを批判できると言うか、逆に「Gのことを証明できないと雄弁に主張することによってGを真と証言する」ことになる。

もし、Gと数学体系の無矛盾性とが同値だというのが正しいならば、それはそうなのである!

ところが、こうしてみるとゲーデル命題の否定というモノは¬G「この命題は証明できる」にせざるを得ないわけで、そうしたらゲーデルの定式による証明に頼り切った結論である「Gは数学体系の無矛盾性と同値」は破棄しなくてはならなくなる。つまり、ゲーデルの考案した「述語論理文に主語の名前を付ける」という手法を放棄してしまったら、そのことは即「ゲーデルの全業績は水泡に帰する」ということになるのであった。



(完)



コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 述語命題に主語の名前を付け... | トップ | G⇔¬Gであるという驚きの真... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
自己言及命題と述語命題とは相容れないのでは? (buturikyouiku)
2013-05-24 08:10:32
言いたいことと言えばそれだけかもね?
返信する
「~は証明できないことが証明できた」とする考え方 (buturikyouiku)
2013-05-25 06:33:45
をしていたのは数学史上では、ボヤイ・ヤーノシュ(ガウスの鼻を明かした若きハンガリー人)だったものだw)

ユークリッド幾何学の第五公準だって証明できない・・。

そのように数学体系の無矛盾性の話ではなくなっていくわけだ!
返信する
Unknown ()
2013-05-25 10:00:04
>「数学の無矛盾性は証明できないことが証明できた」

誤りですな

「”数学理論Tが無矛盾ならば数学理論Tの無矛盾性は数学理論Tでは証明できない”
 が数学理論Tにより証明できた」
が正しい。

より正確には
「”数学理論Tによる矛盾の証明の存在から矛盾が導かれると数学理論Tにより証明できた場合、その証明から数学理論Tにより矛盾を導く証明が構成できる”と数学理論Tにより証明できる」
となる。

※上記の数学理論Tには当然制約条件があるのだが、ここでは煩雑になるので記さない。
返信する
Gは数学の無矛盾性と同義なのでしょう? (buturikyouiku)
2013-05-26 07:25:00
私はそれ以降のことは認めないタイプの人なんですよ、すなわちゲーデルのことを!

(そして、それ以前から問題視したいです・・w)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事