コペルニクスは凡人であるように思われてならないw
問題はニュートンライクな理論があり得るのかどうかという観測であり、こっちは宇宙の最初には0と1の創造があったと論じている、ゆえに現代では難解なニュートンライクなど必要ない可能性もあるのだ!
「0と1の以前には量としては1/2と同一であるφがあった」(ユニバーサルフロンティア理論)
そおねえー、ニュートンライクのアインシュタインタイプのというよりねえー、後乗りの贅沢みたいな意味で、
ユニバーサルフロンティア理論に合致する超弦とかM理論とかですねえー、可能性が有るとしたらそんな感じw
なんかねー、10年ひと昔というがその頃にねえー、このヤフー掲示板に「0と1の定義」というスレがあってね、そこですぐに思いついたのが
φ-φ=0 かつ φ+φ=1
でね、まー、なんてゆうか、計算したらφ=1/2なんだけどねえー、なんとユニバーサルフロンティア理論にぴったりだったのでそれ以後はそのままそう言ってる、というねw
掲示板およびスレ主のおかげですわ、正味・・。
つまりね0と1よりも先にφがあったと考えるんですよ、するとそこでは2だって無いから、φ=1/2は出て来ないw
論理値だってそうだけど、正しいに対して正しくないというのは対称ですよ、だから±φと置くことができますよね、それがTは1でFは0として表現される、面白いことにね、それもまた対称性の破れだと考えられませんかね・・。
数学の根本にはそんなところが見つかるかもワカラナイではないですか?
正しい文を箇条書きにすれば真理値の和の分だけ知識が増えたことになるが、間違った文をどれだけ並べても知識は増えないから確かに0という数字の意味を持つ、なかなか面白いものだ・・
ゲルマンは「科学者の値打ちは正しい論文から間違った論文の数を引いた残り」だと言ったが、それは真理値計算からしたら正しくはなく、五万と間違えていようと一つでも大きな意味で正しい論文が見つかればそれでいいことになる!
日本の才能論からしたらそうだなあー、
間違いを恐れるな、肝心な一つの正しいことの前ではそれは許される、と論じるもんなあーw
それが真理値計算から証明可能だとはなあー・・。
なぜ強い相互作用の定数問題が起こるのか、それはグルーオン事象ではないのでそんなものは出せっこないのである!
なぜQGP実験がことごとく失敗してしまうのか、宇宙にグルーオンなど存在していないから出ようがないのだろう!
間違いを恐れない態度とはそのような意味を持つことであって、間違いを内包して進むということを意味してません!
測定データを談合によって捻じ曲げたは過ちであって正されるべきだ、相手は議論したのであって説教したのでない!
>相手は議論したのであって説教したのでない!
グラショウによれば、アメリカの理論物理の慣習では上から下まで立て板に水を流すがごとくまくし立てるのが議論であると聞きました、って自伝的書物たる「クォークはチャーミング」に書いてあったんだけど、そのような世界では沈黙は金は成立せずに、鉛のような沈黙には敗北あるのみだったのではないでしょうか、たいへん困ったことで遺憾ですが、
日本の研究所がクォークの世界で格下であるのはある意味やむを得ないが、
たとえ格下であっても測定データの本質は貫くべきではなかったか?
WスタンダードならWスタンダードで貫けばそれでいいし、標準模型以外の対案が有ったらそれでいいじゃないか、
(以上、ヤフー掲示板より転載)
問題はニュートンライクな理論があり得るのかどうかという観測であり、こっちは宇宙の最初には0と1の創造があったと論じている、ゆえに現代では難解なニュートンライクなど必要ない可能性もあるのだ!
「0と1の以前には量としては1/2と同一であるφがあった」(ユニバーサルフロンティア理論)
そおねえー、ニュートンライクのアインシュタインタイプのというよりねえー、後乗りの贅沢みたいな意味で、
ユニバーサルフロンティア理論に合致する超弦とかM理論とかですねえー、可能性が有るとしたらそんな感じw
なんかねー、10年ひと昔というがその頃にねえー、このヤフー掲示板に「0と1の定義」というスレがあってね、そこですぐに思いついたのが
φ-φ=0 かつ φ+φ=1
でね、まー、なんてゆうか、計算したらφ=1/2なんだけどねえー、なんとユニバーサルフロンティア理論にぴったりだったのでそれ以後はそのままそう言ってる、というねw
掲示板およびスレ主のおかげですわ、正味・・。
つまりね0と1よりも先にφがあったと考えるんですよ、するとそこでは2だって無いから、φ=1/2は出て来ないw
論理値だってそうだけど、正しいに対して正しくないというのは対称ですよ、だから±φと置くことができますよね、それがTは1でFは0として表現される、面白いことにね、それもまた対称性の破れだと考えられませんかね・・。
数学の根本にはそんなところが見つかるかもワカラナイではないですか?
正しい文を箇条書きにすれば真理値の和の分だけ知識が増えたことになるが、間違った文をどれだけ並べても知識は増えないから確かに0という数字の意味を持つ、なかなか面白いものだ・・
ゲルマンは「科学者の値打ちは正しい論文から間違った論文の数を引いた残り」だと言ったが、それは真理値計算からしたら正しくはなく、五万と間違えていようと一つでも大きな意味で正しい論文が見つかればそれでいいことになる!
日本の才能論からしたらそうだなあー、
間違いを恐れるな、肝心な一つの正しいことの前ではそれは許される、と論じるもんなあーw
それが真理値計算から証明可能だとはなあー・・。
なぜ強い相互作用の定数問題が起こるのか、それはグルーオン事象ではないのでそんなものは出せっこないのである!
なぜQGP実験がことごとく失敗してしまうのか、宇宙にグルーオンなど存在していないから出ようがないのだろう!
間違いを恐れない態度とはそのような意味を持つことであって、間違いを内包して進むということを意味してません!
測定データを談合によって捻じ曲げたは過ちであって正されるべきだ、相手は議論したのであって説教したのでない!
>相手は議論したのであって説教したのでない!
グラショウによれば、アメリカの理論物理の慣習では上から下まで立て板に水を流すがごとくまくし立てるのが議論であると聞きました、って自伝的書物たる「クォークはチャーミング」に書いてあったんだけど、そのような世界では沈黙は金は成立せずに、鉛のような沈黙には敗北あるのみだったのではないでしょうか、たいへん困ったことで遺憾ですが、
日本の研究所がクォークの世界で格下であるのはある意味やむを得ないが、
たとえ格下であっても測定データの本質は貫くべきではなかったか?
WスタンダードならWスタンダードで貫けばそれでいいし、標準模型以外の対案が有ったらそれでいいじゃないか、
(以上、ヤフー掲示板より転載)