我われはね、確かに我われは、自我意識を持っていることを自覚して生存しておりますけど・・。
確かに、物質だけの組み合わせから「意識」という非物質的なモノが生み出されてきたとしたら、一応の辻褄合わせにはなりますわな。不思議と言えば不思議なんですがなー、何もかもがねえ、進化論が正しいとしたら「我われは有機物の化学反応ひとつでここまで来た」わけですからー。そこには「いくらなんでも意識とか精神とかいったモノは物質ではないだろう」という思い込みがあります。いや、当ブログにおいては、その立脚点を批判して科学的唯物論に引きずり込もうとしているのではございません。
むしろ正反対に「確かに非物質的なモノというのはあるようだ」と、そう観測しておる次第でございますw
もう多くがお気づきでありますように、そのことの出所は不確定性原理に求めたりしているわけですけど、んー、かの原理の不等号の向きなんかもそのより所になったりするでしょうか。んー、そこは慎重に小澤の不等式なども勘案しなければならないところではございますが、自然界には原理として不確定性が横たわっておることは確からしいかと存じ上げております。さらに情報理論に基づきますれば、ブラックホールに百科事典を放り込みましても、その百科事典に記載されている内容に関する情報は不滅であるそうです。
情報という非物質こそが不滅であるとは、これは本当に朗報であると言えるのではないですかね!
我われは死ねば情報生物となるのだ、という感じだというか、不滅の魂というのは早計だとしても何らかの希望に満ちた結論が導かれそーではございませんか。ま、私とて人の子、夢も希望もない科学的唯物論などを信じてやさぐれたり死の恐怖におびえたりしたくありませんので、なんいがしかの救いをこそ科学的に得たいと思う所存いございます。すると、そこでこその不確定性原理というのはたいていの理論物理マニアが思いつくのだということをヤフー掲示板で知って、ま、ちょっとばかしショックであるということでもありますけど。
ま、救いの道なんかほどほどのこのくらいでけっこうだと居直っておる次第でおります・・。
ノーベル賞がどうチャラ言っててつい思いついたものだから寄り道してみた次第、いかがでしたかな?
確かに、物質だけの組み合わせから「意識」という非物質的なモノが生み出されてきたとしたら、一応の辻褄合わせにはなりますわな。不思議と言えば不思議なんですがなー、何もかもがねえ、進化論が正しいとしたら「我われは有機物の化学反応ひとつでここまで来た」わけですからー。そこには「いくらなんでも意識とか精神とかいったモノは物質ではないだろう」という思い込みがあります。いや、当ブログにおいては、その立脚点を批判して科学的唯物論に引きずり込もうとしているのではございません。
むしろ正反対に「確かに非物質的なモノというのはあるようだ」と、そう観測しておる次第でございますw
もう多くがお気づきでありますように、そのことの出所は不確定性原理に求めたりしているわけですけど、んー、かの原理の不等号の向きなんかもそのより所になったりするでしょうか。んー、そこは慎重に小澤の不等式なども勘案しなければならないところではございますが、自然界には原理として不確定性が横たわっておることは確からしいかと存じ上げております。さらに情報理論に基づきますれば、ブラックホールに百科事典を放り込みましても、その百科事典に記載されている内容に関する情報は不滅であるそうです。
情報という非物質こそが不滅であるとは、これは本当に朗報であると言えるのではないですかね!
我われは死ねば情報生物となるのだ、という感じだというか、不滅の魂というのは早計だとしても何らかの希望に満ちた結論が導かれそーではございませんか。ま、私とて人の子、夢も希望もない科学的唯物論などを信じてやさぐれたり死の恐怖におびえたりしたくありませんので、なんいがしかの救いをこそ科学的に得たいと思う所存いございます。すると、そこでこその不確定性原理というのはたいていの理論物理マニアが思いつくのだということをヤフー掲示板で知って、ま、ちょっとばかしショックであるということでもありますけど。
ま、救いの道なんかほどほどのこのくらいでけっこうだと居直っておる次第でおります・・。
ノーベル賞がどうチャラ言っててつい思いついたものだから寄り道してみた次第、いかがでしたかな?
感覚を磨いてください。
真に科学的とは なにかということです。