結論をはじめに申しますれば対応原理を無視して良ければヒグス機構はフェルミオンのヘリシティーを決して覆しませぬ!いや、そうなればもはやヒグス機構といったものじゃなくて縦横あわせての《山野機構》にしてしまいたいところだが、さあー、世界が認めてくれるかど~か、といったところなんです。基本的には「だって、全然ちがうでしょ?」って言いたいことでもあれば、だからと言って「お前は数学基礎も作っていないし対応原理さえ破ってしまえば誰にでもできる」と言われそうなことでもあるんです。
この場合は「自分が独自に思いついたことだからと言って自分が世界初とは限らない」をどちらがどちらに言うか、という問題でもあるんだと認識しております。
それにしても問いたいのは全世界の理論物理学者の心理構造であって、アインシュタインのことを「たいした才能ではなかった」あるいは「我々はもはやとうに追い越してしまっている」果ては「アインシュタインは物理学を良く分かっていなかった」などという揶揄を正気の顔して白々しく主張する割には16歳のアインシュタインを超せないでいる、いや、そこにはニールス・ボーアの対応原理が横たわっているからといういいわけが通用しているのかもしれないが…。
前回のコメント欄に書かせていただいたように「光速度で飛翔する素粒子に対する相互作用は光速度を止める慣性系において記述されるであろう」ということなんです!
そうでない場合のヒグス機構はとは次のようなものです、すなわち「静止しているヒグス粒子(スピン0)に光速度で斜めからぶつかるフェルミオンは左巻き(右巻き)が右巻き(左巻き)に固有のヘリシティーを反転させる」のであり、そしてまた《南部理論》では「元来が左巻きであるフェルミオンに右巻きが混ざっていくカイラル対称性の破れによっても宇宙は素粒子に質量を付加する」ということになっています。
ところが、それでは理論物理学はちっとも美味しくありません…。
難点は「一回の反応でヘリシティーが反転するならば何回も反応するヒグス機構などによってはフェルミオンのカイラル対称性はすぐに1破れてしまう」ということなんです。
UFTは次のように自己主張いたします、すなわち「フェルミオンの固有速度が光速度であるならば後で見かけ上は遅く見えるような機構にあったとしても反応と反応との間を光速度で飛翔する限りは進行方向が存在する」ということなんです、つまり「その場合に光速度よりも見かけ上は遅く見えるという理由で左巻きのニュートリノを右巻きに観測できる慣性系が存在できたとしてもニュートリノのヘリシティーは左巻きのままである」ということがいえるのです。観測者から遠ざかっているように見えようともニュートリノの進行方向は観測者に向かってくる向きにあるのだと思うのです。
すなわち「UFTにとってはヘリシティーは良い量子数である」が結論になります。
そこでヒグス機構に《光速度慣性系》を導入したら実情は一変してしまいます、なぜなら「光速度のフェルミオンに対する相互作用は光速度慣性系においてのみ記述されるとUFTでは決めたのですから、ヒグス粒子は光速度のフェルミオンにとって真横から進行方向に垂直に当たってくるであろうことをいうことができるのです。その場合にはここまでのスピン研究の結実を適用した場合に「フェルミオンはヒグス粒子との反応によってそのヘリシティーを変えない」ことが証明されます。光速度ちょうどの慣性系が存在するかしないかによって、ヒグス機構(横の山野機構)によって素粒子は左巻き(右巻き)から右巻き(左巻き)に変化するかどうかが急に逆になってしまうのですから対応原理は破れました…。光速度そのものと亜光速とは明確に区別されるのです。それは「デジタルとアナログにしても同じ」であるに違いございません!
さて、だとしたらフェルミオンのヘリシティーに変化を与える相互作用とはどのような物なのでしょうか?
UFTは次のように即答いたします、つまり「素粒子のヘリシティーは良い量子数であって反転させるのは往復させられる運動をおいて他にない」ということであり、さらに「往復させられる素粒子のヘリシティーは±1である」のでこれもまたいかなる場合においても保存する良い量子数だという結論になります。私は「おそらくニュートリノ以外のフェルミオンは往復させられているのだ」と信じています。
(ま、予定していたよりも回りくどくて説得力に乏しいかな、と感じております、へへへ…)
この場合は「自分が独自に思いついたことだからと言って自分が世界初とは限らない」をどちらがどちらに言うか、という問題でもあるんだと認識しております。
それにしても問いたいのは全世界の理論物理学者の心理構造であって、アインシュタインのことを「たいした才能ではなかった」あるいは「我々はもはやとうに追い越してしまっている」果ては「アインシュタインは物理学を良く分かっていなかった」などという揶揄を正気の顔して白々しく主張する割には16歳のアインシュタインを超せないでいる、いや、そこにはニールス・ボーアの対応原理が横たわっているからといういいわけが通用しているのかもしれないが…。
前回のコメント欄に書かせていただいたように「光速度で飛翔する素粒子に対する相互作用は光速度を止める慣性系において記述されるであろう」ということなんです!
そうでない場合のヒグス機構はとは次のようなものです、すなわち「静止しているヒグス粒子(スピン0)に光速度で斜めからぶつかるフェルミオンは左巻き(右巻き)が右巻き(左巻き)に固有のヘリシティーを反転させる」のであり、そしてまた《南部理論》では「元来が左巻きであるフェルミオンに右巻きが混ざっていくカイラル対称性の破れによっても宇宙は素粒子に質量を付加する」ということになっています。
ところが、それでは理論物理学はちっとも美味しくありません…。
難点は「一回の反応でヘリシティーが反転するならば何回も反応するヒグス機構などによってはフェルミオンのカイラル対称性はすぐに1破れてしまう」ということなんです。
UFTは次のように自己主張いたします、すなわち「フェルミオンの固有速度が光速度であるならば後で見かけ上は遅く見えるような機構にあったとしても反応と反応との間を光速度で飛翔する限りは進行方向が存在する」ということなんです、つまり「その場合に光速度よりも見かけ上は遅く見えるという理由で左巻きのニュートリノを右巻きに観測できる慣性系が存在できたとしてもニュートリノのヘリシティーは左巻きのままである」ということがいえるのです。観測者から遠ざかっているように見えようともニュートリノの進行方向は観測者に向かってくる向きにあるのだと思うのです。
すなわち「UFTにとってはヘリシティーは良い量子数である」が結論になります。
そこでヒグス機構に《光速度慣性系》を導入したら実情は一変してしまいます、なぜなら「光速度のフェルミオンに対する相互作用は光速度慣性系においてのみ記述されるとUFTでは決めたのですから、ヒグス粒子は光速度のフェルミオンにとって真横から進行方向に垂直に当たってくるであろうことをいうことができるのです。その場合にはここまでのスピン研究の結実を適用した場合に「フェルミオンはヒグス粒子との反応によってそのヘリシティーを変えない」ことが証明されます。光速度ちょうどの慣性系が存在するかしないかによって、ヒグス機構(横の山野機構)によって素粒子は左巻き(右巻き)から右巻き(左巻き)に変化するかどうかが急に逆になってしまうのですから対応原理は破れました…。光速度そのものと亜光速とは明確に区別されるのです。それは「デジタルとアナログにしても同じ」であるに違いございません!
さて、だとしたらフェルミオンのヘリシティーに変化を与える相互作用とはどのような物なのでしょうか?
UFTは次のように即答いたします、つまり「素粒子のヘリシティーは良い量子数であって反転させるのは往復させられる運動をおいて他にない」ということであり、さらに「往復させられる素粒子のヘリシティーは±1である」のでこれもまたいかなる場合においても保存する良い量子数だという結論になります。私は「おそらくニュートリノ以外のフェルミオンは往復させられているのだ」と信じています。
(ま、予定していたよりも回りくどくて説得力に乏しいかな、と感じております、へへへ…)