たかだか神戸大学の地球科学科だったしね、おまけに留年生ときているしね・・。
まあー、高3の時の進研模試では大阪大学の物理学科が有望だと出ていたのだけどね、直前のYMCA模試の結果が思いのほか良くなくてね、家の事情もあって浪人したくなかったし、ま、願書を出す十日前に神戸大学に志望替えしたんだけれどね、入試当日にしくじってしまって第一志望の物理をすべってしまったのですがな。当時の神戸大学理学部では、第二志望に回されるときに素点を一割減らされるので、そいでもってギリギリで受かったのではないなどというね、ちょっとみっともないプライド?に身を染めたりした、っていうのが若かりし日の私でしたのや。
今の世の中でも、そこから教師というのは快挙だっただろうと思いますw
ま、ちゃんと教諭身分だったわけでさ、あまり大事にしなかったけれども、それなりになら十分よかったって思うワケですがな。それが欲こいて学問に走って、まあ、大学講師の道を志せるほどでない程度の相対論研究に身をやつし、なんやかやで退職の憂き目を見たわけだけどね。で、高校で講師を得ながらね、どこかでひょいと思いついたのが「韓=南部模型は本当は正しいのではないか?」というよーなアイデアでさ、それを突き詰めたらユニバーサルフロンティア理論になってね、さあ、大変、てなワケでしたのや、実際。
いや、それよりも先に流し撮り法の微分解析があったけどねw
いまは手作業をしてるわけだけど、次節に応じて良く生きて来たなって思います。いやあー、途中ではね、オーディオ道楽やら、パチンコパチスロ中毒?やら、酒の飲みすぎやら、そら、いろいろありましたよ、ありましたとも。だけどモネ、フツウだったら中学校の教師なんか十分な職でね、多くが大切にして生きるところを学問なんかが好きなせいで粗末にしてきただけだと思うのね、で、その中でもトータルでよく生きて来たって思いますのや。その人生の結実たるユニバーサルフロンティア理論が相手にされてないのはまったくの残念としか言いようがおまへんですがな。
(なんか、このままでは死に切れんみたいな文章ですが・・)
ま、それも確かw
まあー、高3の時の進研模試では大阪大学の物理学科が有望だと出ていたのだけどね、直前のYMCA模試の結果が思いのほか良くなくてね、家の事情もあって浪人したくなかったし、ま、願書を出す十日前に神戸大学に志望替えしたんだけれどね、入試当日にしくじってしまって第一志望の物理をすべってしまったのですがな。当時の神戸大学理学部では、第二志望に回されるときに素点を一割減らされるので、そいでもってギリギリで受かったのではないなどというね、ちょっとみっともないプライド?に身を染めたりした、っていうのが若かりし日の私でしたのや。
今の世の中でも、そこから教師というのは快挙だっただろうと思いますw
ま、ちゃんと教諭身分だったわけでさ、あまり大事にしなかったけれども、それなりになら十分よかったって思うワケですがな。それが欲こいて学問に走って、まあ、大学講師の道を志せるほどでない程度の相対論研究に身をやつし、なんやかやで退職の憂き目を見たわけだけどね。で、高校で講師を得ながらね、どこかでひょいと思いついたのが「韓=南部模型は本当は正しいのではないか?」というよーなアイデアでさ、それを突き詰めたらユニバーサルフロンティア理論になってね、さあ、大変、てなワケでしたのや、実際。
いや、それよりも先に流し撮り法の微分解析があったけどねw
いまは手作業をしてるわけだけど、次節に応じて良く生きて来たなって思います。いやあー、途中ではね、オーディオ道楽やら、パチンコパチスロ中毒?やら、酒の飲みすぎやら、そら、いろいろありましたよ、ありましたとも。だけどモネ、フツウだったら中学校の教師なんか十分な職でね、多くが大切にして生きるところを学問なんかが好きなせいで粗末にしてきただけだと思うのね、で、その中でもトータルでよく生きて来たって思いますのや。その人生の結実たるユニバーサルフロンティア理論が相手にされてないのはまったくの残念としか言いようがおまへんですがな。
(なんか、このままでは死に切れんみたいな文章ですが・・)
ま、それも確かw
これは懐かしいですね。
私も去年の8月、名古屋・鶴舞図書館でbuturikyouikuさんの書かれた本をお読みした際、こういった経歴も読ませていただいております。
いろいろ大変でしたね・・・
何とか教諭の身分もあって良かったですね。
私も研究職などにつきたかったです・・・