つい最近のことでしたが、私としてはカイラル対称性がP対称性の1破れと同義だということに気づいてしまったのですw)
キラリティーというのが化学という学問の世界において「左右対称性が存在しないこと」を意味するというのは知っておりましたが、それが群論という数学上の技法を駆使すれば【カイラル対称性】という「ある種の対称性に昇華される概念」であるということまでは(やはり)なかなか気づかれなかったわけですよ。つまり、こういうことなのではないですか・・、
「P対称性は宇宙空間そのものによって1破れてることが自明となっいる」
「単に四次元時空の宿命であるP対称性の破れそのものが素粒子の性質を表現していく素粒子論に当てはまるわけではない」
「宇宙空間の性質そのものだといっていいP対称性の1破れを示すのが素粒子にとって対称なことである」
「ゆえにカイラリティーを対称性と称していいわけであり群論はそれを支持する定式を可能にした」
「結果としてPは宇宙と素粒子にとって正しい対称性とは言えない」
このような事の経緯から、P対称性は空間三次元宇宙にとって正しい対称性ではなく、むしろ「左右対称性が存在しない」という意味を持った【カイラル対称性】(=K)こそが「素粒子の性質と込みにした理論において認められるべき正しい対称性だ」と分かってきました。さらにニュートリノのP破れがCP変換によって回復し得ない次のような思考実験を得てしまうと今までやってきた対称性物理のすべてを根底からやり直さなければならないという覚悟を他の方々にも強いてゆかねばなりません!
1)正エネルギーで左巻きのニュートリノをT変換すると負エネルギーで左巻きの反ニュートリノである。
2)現実の反ニュートリノを再現するにはE変換によって正エネルギーに戻さなければならない。
3)これだけだとC=TEなのだがニュートリノはほぼカイラル対称だが僅か破れているのでCK=TEかもしれない。
4)以上から恒等変換を探るとCTEもしくはCKTEが恒等となる。
これは、この種の研究の端緒を切ったまでであるので、ここからどのように展開していって変わっていくかということは現代界ではまだ何とも言えないように思います・・。
キラリティーというのが化学という学問の世界において「左右対称性が存在しないこと」を意味するというのは知っておりましたが、それが群論という数学上の技法を駆使すれば【カイラル対称性】という「ある種の対称性に昇華される概念」であるということまでは(やはり)なかなか気づかれなかったわけですよ。つまり、こういうことなのではないですか・・、
「P対称性は宇宙空間そのものによって1破れてることが自明となっいる」
「単に四次元時空の宿命であるP対称性の破れそのものが素粒子の性質を表現していく素粒子論に当てはまるわけではない」
「宇宙空間の性質そのものだといっていいP対称性の1破れを示すのが素粒子にとって対称なことである」
「ゆえにカイラリティーを対称性と称していいわけであり群論はそれを支持する定式を可能にした」
「結果としてPは宇宙と素粒子にとって正しい対称性とは言えない」
このような事の経緯から、P対称性は空間三次元宇宙にとって正しい対称性ではなく、むしろ「左右対称性が存在しない」という意味を持った【カイラル対称性】(=K)こそが「素粒子の性質と込みにした理論において認められるべき正しい対称性だ」と分かってきました。さらにニュートリノのP破れがCP変換によって回復し得ない次のような思考実験を得てしまうと今までやってきた対称性物理のすべてを根底からやり直さなければならないという覚悟を他の方々にも強いてゆかねばなりません!
1)正エネルギーで左巻きのニュートリノをT変換すると負エネルギーで左巻きの反ニュートリノである。
2)現実の反ニュートリノを再現するにはE変換によって正エネルギーに戻さなければならない。
3)これだけだとC=TEなのだがニュートリノはほぼカイラル対称だが僅か破れているのでCK=TEかもしれない。
4)以上から恒等変換を探るとCTEもしくはCKTEが恒等となる。
これは、この種の研究の端緒を切ったまでであるので、ここからどのように展開していって変わっていくかということは現代界ではまだ何とも言えないように思います・・。