だけどユニバース粒子というのは2クォークを生み出すので必然的に宇宙起源物質らしくみえるわけ・・。
そして、それは封じ込め内の(UFTの)古い真空の中で出現したときに限り、新しい真空の中ではZ^0ボソンを放出してヒグス粒子を残すという、ま、ここも手形を落としたほうがイイ話でもあって、そこまでは(おそらく)僕の物理力では単独では無理だろうと思うわけ。ラグランジアンユカワなんて素敵なものをみたが、おそらく死後に、伊達でだけ、アメリカからいただいたものに違いないからです。
ファンタジーでなくとも、イマジネーションによらなくても、イリュージョンじゃなくても、やはり憶測は憶測です!
ラヴォアジェという人は、フランス革命などという恐ろしい時期に《真実の基準》なるものを設定して、憶測をタブーとして失敗した。アインシュタインはアインシュタインで《実在の基準》を得て勝手に持ち込んでボーアとの論争に敗れている。だいたい、宇宙開闢の瞬間を確定的に論じなくとも、神ならぬ身である我らは《なにがしかの基準》なるものを、己の好き勝手に設定してはならないわけだ。科学こそは憶測を積み重ねていくもの、そお、それでいかなくてはならん。
それで宇宙開闢を憶測していいかどうかに関してアメリカンフィジクスは未だにバチカンと和解していない・・。
実は、僕としたら、ユニバース粒子質量の残りの38Gevを(どんな方法であるにせよ)計算できるというのは夢だったわけです。そこに《湯川時間》を導入して【小林=益川模型】を憶測して《騾馬粒子の哲学》を打ち立てて頑張ってみたら首尾よく計算できた。その値に関して僕は「あっと驚く制度の一致」だと喜んでいるわけ。湯川時間における出来事は神さまから借金をしての話なので、ぜんぶが仮想粒子なんだけど、時間順行のフェルミオンの質量は負として計算するという、ま、ちょっとこじつけくさい計算なんだけど。
で、ニュートリノだけど反ニュートリノも含めて時間逆行しているという可能性だって存在します。
そうです、夢とロマンに溢れたユニバーサルフロンティア理論なのです、応援よろしくお願いします。
そして、それは封じ込め内の(UFTの)古い真空の中で出現したときに限り、新しい真空の中ではZ^0ボソンを放出してヒグス粒子を残すという、ま、ここも手形を落としたほうがイイ話でもあって、そこまでは(おそらく)僕の物理力では単独では無理だろうと思うわけ。ラグランジアンユカワなんて素敵なものをみたが、おそらく死後に、伊達でだけ、アメリカからいただいたものに違いないからです。
ファンタジーでなくとも、イマジネーションによらなくても、イリュージョンじゃなくても、やはり憶測は憶測です!
ラヴォアジェという人は、フランス革命などという恐ろしい時期に《真実の基準》なるものを設定して、憶測をタブーとして失敗した。アインシュタインはアインシュタインで《実在の基準》を得て勝手に持ち込んでボーアとの論争に敗れている。だいたい、宇宙開闢の瞬間を確定的に論じなくとも、神ならぬ身である我らは《なにがしかの基準》なるものを、己の好き勝手に設定してはならないわけだ。科学こそは憶測を積み重ねていくもの、そお、それでいかなくてはならん。
それで宇宙開闢を憶測していいかどうかに関してアメリカンフィジクスは未だにバチカンと和解していない・・。
実は、僕としたら、ユニバース粒子質量の残りの38Gevを(どんな方法であるにせよ)計算できるというのは夢だったわけです。そこに《湯川時間》を導入して【小林=益川模型】を憶測して《騾馬粒子の哲学》を打ち立てて頑張ってみたら首尾よく計算できた。その値に関して僕は「あっと驚く制度の一致」だと喜んでいるわけ。湯川時間における出来事は神さまから借金をしての話なので、ぜんぶが仮想粒子なんだけど、時間順行のフェルミオンの質量は負として計算するという、ま、ちょっとこじつけくさい計算なんだけど。
で、ニュートリノだけど反ニュートリノも含めて時間逆行しているという可能性だって存在します。
そうです、夢とロマンに溢れたユニバーサルフロンティア理論なのです、応援よろしくお願いします。