論文を嫌われたシュウインガーに別の苦労が待っていたw
電弱統一の糸口となるはずのW粒子のスピンはパイ中間子と同じく0だという報告が入ったのだ、そう。シュウインガーの電弱統一プランに相応するにはW粒子スピンは1でなくてはならなかった、そうですのや。失意のシュウインガーは己の電弱統一プランを大学院生たちに与えてしまった、そうでしたのや。
報告はガセネタでW粒子の正しいスピン量は1だった!
弟子ども大いに張り切って研究し、まずグラショウがヒッグス機構を含まない形で、続いてワインバーグとサラムがヒッグス機構によってまとめられた形で電弱統一理論をモノしたのであ~る、あーあ。このようにしてシュウインガーの二度目の栄冠は夢と終わり、弟子の三名がノーベル賞を受賞したのじゃよ。
シュウインガーも個人的に同じことを追った!
だが独力では正しい電弱統一理論にありつけなかったw
かくして弟子三人組の下剋上はほぼほぼ完ぺきな形で成就することになったのだよ、そう。しかし、グラショウ論文はシュウインガーを先生とした受け売り部分が残っており、ワインバーグとサラムは「読んでやるか」「二度と読まない」と息巻いたのだという。あの高名な大統一理論のグラショウ先生が、と言う話はこう。ああ、人には見かけによらぬ過去があったりするものだなア~、そう。
推測による若干の創作を含みます、悪しからずw