あかぎれなんて、なったことなかったのに、今右手がボロボロです。
左手にはほとんど無いのに。
「人間失格」 太宰治
角川文庫
『〈恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、
見当つかないのです〉。廃人同様のモルヒネ患者・大庭葉蔵の手記を借り
て、自己の生涯を壮絶な作品に昇華させた太宰文学の代表作。〈いまは自
分には幸福も不幸もありません。ただ一さいは過ぎて行きます。〉
(文庫裏表紙より。)』
オースティンの小説をまた読んでいたのですが、今読んでいる小説がなかなか進まなくて。
面白いんですけど、ヒロインが美人じゃないと、盛り上がりに欠けますね。笑
あとオースティンをあんまり続けたのとで、箸休めと言いますか、スパイスと言いますか、そういうものが欲しかったのでこの本を読んでみました。
手を伸ばしたきっかけは、どちらの会社だったか、文庫の表紙の生田斗真ですw
本屋さんで見かけて惹かれました。なかなか好きな顔なんですw
別にそれを買ったわけではなくて、家にあったのを読んだです。
「人間失格」の葉蔵は太宰治自身をモデルとしています。
もちろん本編はかなり劇的に描かれているようですが、大体のできごとは重なっています。
葉蔵は人間を恐れ、必死に自分を演じながら生き、ある頃から酒や女に溺れ始め、最後は狂人として脳病院に入れられるという男です。少し希望が見えそうになっても、再び人間が恐怖の存在になってしまうのです。
意外と読みやすかったです。
スイスイ読めたのは、脳内イメージが完全に生田斗真だったからかな?笑
それに、感情移入・・とまではいかないけれど、理解できるものがあります。
ふと考え込んでしまうほどに心に響くことがあります。
特に注目したのが、「第三の手記」中の下記の文章です。
「この世の中には、さまざまの不幸な人が、いや、不幸な人ばかり、と言っても過言ではないでしょ
うが、しかし、その人たちの不幸は、いわゆる世間に対して堂々と抗議が出来、また「世間」もそ
の人たちの抗議を容易に理解し同情します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので
、誰にも抗議の仕様が無いし、また口ごもりながら一言でも抗議めいた事を言いかけると、ヒラメ
(*葉蔵の世話役)ならずとも世間の人たち全部、よくもまあそんな口がきけたものだと呆れかえる
に違いないし、自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、またその反対に、気が弱すぎる
のか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自ら
どんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策など無いのです。」
少し(否、かなりか?)ずれてはいますが、
まぁ似たようなことを数年前から私も時々考えることがあります。
私はここまで罪悪まみれとは思っておりませんし、ここまで悲惨な人生だとは思っておりませんが(笑)
でもこの葉蔵の言うことはとてもよく分かる気がします。
ただ、このような人生であっても、太宰はこうして作品にして全国民に読んでもらえるという点では、
羨ましいと思いもしますね。
これを生田斗真が!!
絶対似合うって!!笑
イケメンパラダイスの中津が好きだったのですが、憂いを帯びた葉蔵もきっと良い。
「春の雪」も彼がやった方がしっくりきたのではないかしら。
映画のサイトを開くと「Ave Maria」が流れて、それが凄く作品と合っている気がして、感動しました。
予告編を見てみましたが、最後の、サブタイトルっぽい”The Fallen Angel”には噴いてしまったな。笑
いや、そうなんだけどさ~ww・・いや、やっぱり違うよ。
だって、子供の時から天使ではないのだもの。
それとも、もっと深い意味があるのでしょうか?
太宰治は「女生徒」を中学生の時に無理矢理読みましたが、まっっっったく覚えておりません。
「走れメロス」は教科書に載っていたから、そこそこ覚えています。
王の命令がどんなだったか覚えてないですけど。
日本文学は、なんか難しそうなイメージですが、今読めばそれなりに読めるかもしれませんね。
とりあえず、オースティンに戻ろうかと思います。笑
>画像 '11年7月19日 差し替えました。
前のがあまりにお粗末だったもので・・。
映画の生田斗真くん模写。
gooツール。
左手にはほとんど無いのに。
「人間失格」 太宰治
角川文庫
『〈恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、
見当つかないのです〉。廃人同様のモルヒネ患者・大庭葉蔵の手記を借り
て、自己の生涯を壮絶な作品に昇華させた太宰文学の代表作。〈いまは自
分には幸福も不幸もありません。ただ一さいは過ぎて行きます。〉
(文庫裏表紙より。)』
オースティンの小説をまた読んでいたのですが、今読んでいる小説がなかなか進まなくて。
面白いんですけど、ヒロインが美人じゃないと、盛り上がりに欠けますね。笑
あとオースティンをあんまり続けたのとで、箸休めと言いますか、スパイスと言いますか、そういうものが欲しかったのでこの本を読んでみました。
手を伸ばしたきっかけは、どちらの会社だったか、文庫の表紙の生田斗真ですw
本屋さんで見かけて惹かれました。なかなか好きな顔なんですw
別にそれを買ったわけではなくて、家にあったのを読んだです。
「人間失格」の葉蔵は太宰治自身をモデルとしています。
もちろん本編はかなり劇的に描かれているようですが、大体のできごとは重なっています。
葉蔵は人間を恐れ、必死に自分を演じながら生き、ある頃から酒や女に溺れ始め、最後は狂人として脳病院に入れられるという男です。少し希望が見えそうになっても、再び人間が恐怖の存在になってしまうのです。
意外と読みやすかったです。
スイスイ読めたのは、脳内イメージが完全に生田斗真だったからかな?笑
それに、感情移入・・とまではいかないけれど、理解できるものがあります。
ふと考え込んでしまうほどに心に響くことがあります。
特に注目したのが、「第三の手記」中の下記の文章です。
「この世の中には、さまざまの不幸な人が、いや、不幸な人ばかり、と言っても過言ではないでしょ
うが、しかし、その人たちの不幸は、いわゆる世間に対して堂々と抗議が出来、また「世間」もそ
の人たちの抗議を容易に理解し同情します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので
、誰にも抗議の仕様が無いし、また口ごもりながら一言でも抗議めいた事を言いかけると、ヒラメ
(*葉蔵の世話役)ならずとも世間の人たち全部、よくもまあそんな口がきけたものだと呆れかえる
に違いないし、自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、またその反対に、気が弱すぎる
のか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自ら
どんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策など無いのです。」
少し(否、かなりか?)ずれてはいますが、
まぁ似たようなことを数年前から私も時々考えることがあります。
私はここまで罪悪まみれとは思っておりませんし、ここまで悲惨な人生だとは思っておりませんが(笑)
でもこの葉蔵の言うことはとてもよく分かる気がします。
ただ、このような人生であっても、太宰はこうして作品にして全国民に読んでもらえるという点では、
羨ましいと思いもしますね。
これを生田斗真が!!
絶対似合うって!!笑
イケメンパラダイスの中津が好きだったのですが、憂いを帯びた葉蔵もきっと良い。
「春の雪」も彼がやった方がしっくりきたのではないかしら。
映画のサイトを開くと「Ave Maria」が流れて、それが凄く作品と合っている気がして、感動しました。
予告編を見てみましたが、最後の、サブタイトルっぽい”The Fallen Angel”には噴いてしまったな。笑
いや、そうなんだけどさ~ww・・いや、やっぱり違うよ。
だって、子供の時から天使ではないのだもの。
それとも、もっと深い意味があるのでしょうか?
太宰治は「女生徒」を中学生の時に無理矢理読みましたが、まっっっったく覚えておりません。
「走れメロス」は教科書に載っていたから、そこそこ覚えています。
王の命令がどんなだったか覚えてないですけど。
日本文学は、なんか難しそうなイメージですが、今読めばそれなりに読めるかもしれませんね。
とりあえず、オースティンに戻ろうかと思います。笑
>画像 '11年7月19日 差し替えました。
前のがあまりにお粗末だったもので・・。
映画の生田斗真くん模写。
gooツール。
そら豆だ
ここへお坐り
豆を食べよう
どーも、こんにちはw はじめまして?