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**cahors日記3**

宮城の旅1*中浜小学校

息子の春休みを利用して
宮城へ旅行することにしました。
3泊する予定、なのですが
ノープラン💦

1泊目は仙台市。2泊目は石巻。
そして3泊目の行先は
決めてませんが、とりあえず出発🚗³₃。

最悪、車中泊すればいいし。
こういうとき
ハイエースの心強さよ.......。



朝、出発して
SAで朝昼兼用のランチして
宮城県へ。遠いーーーー!



被災した山元町。

津波に町ごと襲われ
見渡す限り
未だ何もありません。



唯一流されなかった
中浜小学校を見学します。




倒れた石碑。




10mの津波はこの高さまで
押し迫ってきました。




校舎の中もそのまま
残っています。




3.11当日にいたのは59名の生徒。
低学年は校庭で遊んでいて
高学年は授業を受けていたそう。




3月11日
14:46
三陸沖でマグニチュード9
震度6の地震発生。

14:49
大津波警報発表
6mの津波が15:00に到達すると。

校長、10分では
坂元中学への避難は不可能と判断。
(子供の足で20分かかる)
校舎2階への避難を決断。
教員と児童は2階図書館へ移動。

15:14
大津波警報の情報更新
予想される高さが10mに上昇。
校舎2階でも危険となり
校長、屋上への避難を決断。



そもそもこの校舎。
津波対策で2mかさ上げして
建てられており
その2m+1階(4m)+2階(4m)+標高2m=12m

校長は津波の高さ10mでも
屋上なら助かると判断したのです。



そこで普段は
児童は立ち入り禁止の
資料室の扉が開かれます。

生徒たちは
屋上に続く階段の存在を
この時、初めて
知ることになるのです。



この階段を上がったら
もう逃げ場はありません。
生き延びて降りるしかない。

児童、保護者、地域住民
教員、全90人が屋上へ移動。



15:50
津波襲来
児童に津波を見せない配慮のため
屋根裏倉庫へ移動させる。



16:00
大津波襲来
ガラスの割れる音や
物が壊れる音が屋上まで響く。

もし10m以上の津波が襲えば
助からない。



左奥のドアが倉庫。

倉庫は撮影禁止だったのですが
ダンボールを下に敷きつめ
運動会の小道具
毛布を入れていた袋など
当時のまま残されていました。

その後、津波は収束し
最大の危機は去りましたが
倉庫で一夜を過ごすことを発表。
この日の最低気温は-2℃。
余震が続く中
息子と同じほどの子供たちが
食べ物もなく暗くて寒くて
どれほど不安だったかと思うと
胸に込み上げてくるものが。



翌日、全員で空に向かって
手を振り、自衛隊のヘリが
見つけてくれ、90人全員が
救助されました。



あの日が想像できないほど
穏やかな海。




300棟、1000人が
暮らしていた山元町。

約200人の方が
津波の犠牲となったそうです。



津波が去ったあとの小学校。




奇跡的に割れなかった
2階のステンドグラス。




以前の図書館には
かつての山元町の様子が
復元されています。




ほっき貝が美味しいんだって。




リアルで思わず
目が止まる。




かつての線路(常磐線)は
今は道路になっています。




その道路が開通されたのも
たった2年前。




線路だった道を通りながら
山元町を後にしました。




校長先生の英断と
いろんな偶然が重なり
守られた命。



うちの子供も
いろいろ理解できる歳となり
感じるものがあったようです。



どれだけ時が過ぎても
決して忘れてはならない。
訪れる価値のある
場所でした。
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