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KYONのいろいろ練習帖

パソコン練習・イラスト練習・猫育て練習・猫仲間練習を綴る。
時々、生活や趣味の話題もネ!

🔹🔸◆ ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️🔸🔹 (32 ) 【猫との暮らし・日常雑話】

2025-04-16 16:52:00 | 日記
🔹🔸◆ ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️🔸🔹 

       (その32 )

 【猫との暮らし・日常雑話など】

 ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•>

🔻「歩き🚶‍♀️‍➡️のお勉強」🔻

 🟫🟤 👟🟤🥾 🟤🟫

ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•

🐈‍⬛ポン太郎🐈

「おかあさんは おべんきょうばかり。

むずかしいかんじばかりだね。

たのしいの?😊たのしいんだね。


でも、じつは ぼくの たいちょう

のことでシェルターのるるちゃんと 

でんわで そうだんしたり

ちりょうのことでなやんでいるみたい。




      《写真 郷土館前庭》

むかしのひとの いのりのきもちが

とってもわかるって いっているよ」

ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ🙏•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•

👤🗣️

♦️【清き土なり】のおべんきょう♦️

《歴史に詳しい先輩やG氏の助言有り》

             (その2)

憧れ💕の「石仏たちに会いに行こう!」

 スタート/北口からの🚶歩き


まず、元町の志木街道沿いの石仏群へ。

(各所にあった石仏が集められたもの?)

[市史によると・・・🪨🪨🪨・・・

昭和初期に作られた防火用水槽の移動、

道路の改修・拡幅などによる、

          ・・とある]

*江戸時代頃まではここが街道の分岐点。

志木街道:当時は東村山駅西側の青梅

街道を通って青梅まで至る街道だった。

(江戸時代に「引又道」と呼ばれ、

ここで青梅と八王子へ道が分かれていた)




《「史跡を巡るのは🐈‍⬛おもしろいね」》

    ・・・👟・・・

😅9基の石仏はすぐに見つからなかった。

案内板もなく、周囲の家屋に溶け込んで

いて、近所の人に聞いても知らない人が

多かった。そして、、、、

・😳やっと見つけたのだが、鎖に

囲まれていて、彫り刻まれた字を読む

ことはできなかった。

後日:郷土館資料やいろいろなブログで

調べることができたのでここで紹介する。


★ 清瀬(元町)三叉路の石仏群九基

*(石仏に彫ってある年代

・・・江戸、大正、明治など)

*9基➕1本

 (庚申塔:1基🪨日本廻国の巡礼塔:1基

  馬頭観世音の塔:7基🪨案内注:1本)




・・・東向きに並ぶ六基の石塔・・

①🐴「馬頭観世音(兼道標)」

左面:?天明ニ壬寅年(1782)

正面:(下部両脇に道標銘)  

 「右 所沢道 山口道」 

 「左 八王子 大山道」 

四角い台の上に重厚な角柱型の石塔

その上に

蓮台に座る丸彫りの馬頭観音像

 右手は宝剣・棒・与願印?

 三面ともに精巧な見事な忿怒相

「奉建立南無馬頭觀世音菩薩」

 右面:無銘

 左面:下部に武州多摩郡 上清戸邑

   十二朔日

台座正面:「供養塔」

 右面に願主一名・世話人二名人名




 🤔1782年は将軍吉宗の時代

 🤓上清戸村の人々によって作られたもの

「三面八臂」とは3つの顔と腕8本

「臂」とは「ひじ」のこと。

路傍の石仏が供養と道標を兼ねている?


②🐵「庚申供養塔(兼道標)」

右面:享保十乙巳三月吉祥日(1725)

正面:「右 青梅道」「左 八王子道」

宝珠付きの

唐破風笠を持つ角柱型の石塔

正面を彫りくぼめた中に 

日月雲 「青面金剛立像 」合掌型六臂






頭に蛇を乗せた青面金剛

釣り目の忿怒相?(風化)

持物は、斧・法輪・弓・矢

足の両脇に二鶏を線刻

足元に邪鬼を踏む(邪鬼の顔も風化)

二鶏の両脇

 縁の部分(左 八王子道、右 青梅道) 

邪鬼の下に正面向きの三猿

         (🙈🙉🙊)

その下の右端に武刕多摩郡上清戸村

 願主宗心一名 さらに七名の名前

塔の両側面には蓮🪷の花が浮き彫り

左面:「奉造立庚申供養講中八貟」




③🪨「日本廻国大乗妙典六十六部」  

:享保十二丁未年(1727)《写真左》

大乗妙典供養塔  上部丸角柱型の石塔

正面中央:「日本廻國大乗妙典六十六部」

上部両脇に造立年月日 3月5日

 右下に武刕多摩郡清戸村

 左下に願主 大眼休意

 🤔吉宗時代

*「廻国塔」とは?*

法華経を66カ国の霊場に納めた

ことを記念して建てられた石塔。

(国家安全、減罪作善、追善回向など

を願った)・この修行者の略称:「六部」


・・・④⑤⑥は




個人名が刻まれた🐴馬頭観音文字塔・・

     《写真右から④⑤⑥》

          ・・・・・・・

④🐴「馬頭観世音(兼道標)」 角柱型

嘉永七寅年(1854)十月十七日 

 右面「のじう ところ沢 道」

 左面「八王子 大山道」

 野塩(のしお)のことだろうか。

塔の左側面:

上清戸村 願主個人の名前剥落

上部に「左り」下部に八王子 大山 道


⑤🐴「馬頭観世音」・・・馬(以下 剥落) 

:明治四十二年五月建立(1909) 
 願主名駒型

⑥🐴「馬頭観世音 櫛型

:大正四年九月癸(1915) 願主名

       ・・・・・・・・


奥から⑦⑧⑨・・南向き3基の石塔・
⑦🐴「馬頭観世音」:大正五年(1916)

⑧🐴「馬頭観世音(兼道標)」

 :明治二十三年 (1890) 願主名

右面「向テ 右 くめ川ミチ」

左面「向テ 左ふちゅう 大山ミチ」

⑨🐴「馬頭観世音」:大正六年(1917)
 願主名




⑩🪨コンクリート製の道路案内柱
「上清戸村分団」《写真 左端》

上清戸村 昭和十五年清瀬村青年団の

各分団が建てたもので唯一残る。

(左?)久留米村

(ヲ)経テ小金井町府(中)

・・・・この辺りに「十玉坊」という修験

の寺が建っていたと言われているそう

だが不明のことが多いそうだ。
       《多摩の歴史2 より》          
    ・・・・・・・

《①~⑩の石仏に関する参考資料》

・清瀬郷土館作成資料「史跡をあるく」など

・清瀬郷土館「学芸員室へようこそ」

・「市史研究きよせ第5号」

・ブログ「さいたまの石仏」私家版

・ブログ「百街道一歩の道中記」 など

      ・・・・・・




⇨🤓 感想「風化がもったいない」

と思った。これだけ集めているのだから、

簡単でもお堂のような屋根や壁をつける

などの保護を検討できないものか。

そして、なぜ、説明文を立てていない?

私のような者には、刻まれた文字は

ほとんど読めない❗️もったいない‼️

🫡と思っていたら、

市史(令和2年3月)にも「地域の貴重な

文化財として、今後長く保存するために 

応分の対策が必要と思われる」

と執筆者も書いておられた。

市はいつになったら取り組むのかな???

🧐史跡・石碑の勉強が面白いのは当時の人々

の産業、生活や願いが、想像できるからだ。




登山や観光地でもそうだが、道標は歩く人

にとってもとてもありがたく必要なものだ。

🐾ウオーキングをしていて、古い道標

や石碑を見かけると、嬉しくなる。

🤔「馬頭観音」については動物との関係

  や感謝の思い 🐴愛情を感じる。

  〈馬🫏と馬子🧑‍🧑‍🧒‍🧒は仕事仲間!〉

😊知識があれば、見方も変わる。

造った人の想いや願いの受け止めも変わる。

街道を歩いて知っている地名や人名が

出てくるとワクワク😀"これまでの

ウオーキング🐾で、幾つか見てきて

いたのに見過ごしてきたことを残念に

思う。また、📷写真を撮るポイントも

知らなかった。庚申塚や青面金剛、

馬との暮らしについては、面白いので

今後また、勉強していく予定だ。

        ・・・、👋次号へ

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◆ ♦️ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️◆(31) 【猫との暮らし・日常雑話】

2025-04-13 18:16:00 | 日記
🔹🔸◆ ♦️ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️◆🔸🔹     
         (その31)
 【猫との暮らし・日常雑話など】
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🔻「歩き🚶‍♀️‍➡️のお勉強」🔻
  🟫🟤 👟🟤🥾 🟤🟫
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🐈‍⬛ポン太郎🐈
「おさんぽが おべんきょう?
    たのしいの?
ストレスはっさん できたらいいね」

(このところ、
 投薬などをめぐって
 彼と私は、にらめっこばかり。
 彼は同じ方法では騙されないのだ!

 互いにリラックスが必要みたい)

👴🗣️
「石碑は面白いですね!」
 大先輩にそう話すと
「所沢や北多摩に行ってみたら」
と、勧められた。

⚫︎「北多摩」(多摩北部エリア)とは?
 【小平市・東村山市・清瀬市
      東久留米市・西東京市】

・・・スタジオジブリのアニメ映画
『となりのトトロ』の舞台となった八国山
緑地に狭山丘陵、玉川上水、野火止上水
など、豊かな緑があふれている。
  小平市のブルーベリー🫐
  清瀬の🥕にんじん
  西東京の🥬キャベツ
  農作物は有名!
       〈*「たまきた」より〉


     《写真 秋津駅 南側》

🤓早速、JR武蔵野線 新秋津駅から
 東村山〜所沢の石仏を周り始めたが、
 調べると、確かにトトロ絡みなど
 見どころが多いようなので、
後日、改めて行くことにした。
・・・そして 清瀬へ・・・*
    🤓
⚫︎幾つか、歴史の本を読んでいると、
度々、清戸道や清瀬という地名が出てくる。
ずっと気になっていて「一度調べてみたい」
と、思っていた。

⚫︎清瀬のことを
 埼玉や千葉?だと思っている人は多い。
「前は、神奈川県だったんだよ」と言うと
      😏?😳??

***********
【明治11年(1878年)
郡区町村編成法により郡・区・町・村が定められ
神奈川県 北多摩郡が誕生。
11年後の明治22年(1889年)北多摩郡
各村が統合され、清瀬村の名がついた。
      当時はまだ神奈川県に所属。
明治26年(1893年)
 東京府(現・東京都)への移管が可決、
東京府 北多摩郡 清瀬村へ。
その後、改称が繰り返され清瀬市になった。】

*西武池袋線「清瀬」(東京都中北部)
*第二次世界大戦後、住宅都市として発展。
 国立病院機構東京病院・結核予防会結核
 研究所、救世軍清瀬病院などの
 医療施設が多い。(1970年昭和45年、市制)

★市名の由来 (諸説あり)★
・地名「清戸」と市内を流れる柳瀬川から
 一字ずつ取った。
(日本武尊がこの地を訪れ、
 木の下で休んだ際に木の下の土を見て、
 「清き土なり」と言い、「清土」の名が生まれ
  それが「清戸」に変わった。)



🔶「清き土なり」のおべんきょう🔶
 歴史に詳しい先輩やG氏の助言有り

***********  序 **********
⚫︎「清瀬を歩くならば、
   まずは、志木街道から!」
   と、早速のアドバイスがあった。
😀おゝ、
 街道って歴史絡みの話が多そうだ。

🌲志木街道についての予備知識🌲
    以下は資料の抜粋である。
[志木街道]
・現在では東村山市、清瀬市を経て埼玉県
 の志木市に向かう道。
・東京都の中北部にあり三方を埼玉県に
 囲まれた清瀬市に背骨のように走る。

・江戸市中への物資を運ぶ重要な道路で
(引又街道)、箱根ヶ崎(瑞穂町)で青梅
街道と分かれ、清戸を経由して志木へ至る
道で、青梅で採れる石灰や名産の青梅縞
などを新河岸川の引又河岸へ運んでいた。
青梅街道ができるまでは、人・物資の往来
が多く栄えていた。
今も道に面して屋敷、蔵が立ち並んでいる。

・ケヤキ並木は新東京百景に選ばれる美しさ。
特に街道が下清戸で二又に分かれるあたり*
のケヤキ並木は見事。  
街道のケヤキとして植えられたものではなく、
もともとは屋敷林が続いたもの。
道路が拡張されると、農家の屋敷林だった
ケヤキは伐採されずに、車道と歩道を隔てる
並木道となった。
「屋敷林が続いたもの」ということは、
並木の部分は屋敷内で道はもっと狭かった
ということになる。   

🪵[清戸道]🪵
清戸は青梅と志木を結ぶ志木街道の中継点と
して発展。清戸から練馬・江戸方面へ向かう
道も清戸道と呼ばれ、江戸市中まで半日で
行けることから、毎日のように野菜が出荷
されていた。

現在の清戸にも、そんな時代を思い起こさ
せるのどかな農村風景が残されている。

    《参考資料「百街道トラベル」
      「町の形 村の形」》
****************
🤓この抜粋内容には、今回の歩きの
キーワードがたくさん入っている。

・お城🏯ブームで、知っている人も多い?
江戸城改築の材料として青梅成木の石灰は
有名。その石灰を運ぶために甲州街道の裏
街道、青梅街道が整備されたのだ。


《写真 
 清瀬駅北口を出てしばらく歩くと
 畑地が見える》

       《写真 下清戸》
・道路を分離するケヤキの風景は珍しく、
後で調べたら屋敷林(家屋を取り囲むように
敷地内の設けられた樹木群)だった。

◉「屋敷林」ってなんだろう?
さらに武蔵野の新田開発に関して幾つか、
資料を読んでみた。

江戸に幕府が開かれると、青梅街道の物資

運搬のための宿場町が栄え、1654年の玉川

上水開通の後、野火止用水、小川用水、千川

上水などの分水が開削。新田開発により畑や

雑木林が造られ、村が整えられていった。


武蔵野一帯は、冬はほとんど雨が降らない。

北西の強い季節風が砂混じりの畑土を巻き

上げ草葺屋根を襲う。定期的に襲来する台風

から家屋を守る必要があった。


清瀬市内の屋敷林の分布を見ると、志木街道

に沿っている清戸地区に多く見られる。

(他には、柳瀬川右岸側に多く見られる)


清戸は、江戸時代慶安年間から元禄年間に

かけて開拓されたようだ。




その配列

【街道〜雑木林ー屋敷ー畑地〜雑木林】

ケヤキが多いのは暴風林に適し、建材、

家具作りに適していたからのようだ。

    (耐久性 耐水 耐朽性高い)


・「ケヤキ通り」のケヤキは確かに多いが、

1995年当初は374本植栽であったものの
現在の計画本数は165本とのこと。
「強剪定」というやり方での伐採は丸坊主
の連なりような街路樹の光景で驚いた。
シンボルロードだったはず?

なお、気候変動の適応策としてもその保全や
再生は、期待されているそうだ。

・今も街道沿いに確かにお屋敷、蔵は多い。
 同じ苗字の表札も並んでいた。




        《写真》新しい蔵


(なお、「清戸道」については、詳しく
知りたいのでまた改めて調べたい。)
     ・・・次号に続く・・・
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◆ ♦️ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️◆ (30) 【猫との暮らし・日常雑話】

2025-03-31 15:00:00 | 日記
🔹🔸◆ ♦️ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️◆🔸🔹     
          (その30)
 【猫との暮らし・日常雑話など】
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•
▶︎▶︎飼い主あるある◀︎◀︎
 🔺🔻がんばれ💪下僕たち🔻🔺

🔵🐈‍⬛🐈ポン太郎
「おかあさんが かみをきった           
おかあさんが かみをみじかくきった
ぼくのためだって
ぼくのおせわを がんばるんだって」

👱🗣️
ポン太郎の体調がイマイチで、
食事管理や投薬が大変になってきた。
獣医さんの指示の通りに頑張ると、
時間がいくらあっても足りない。

髪を切ったら、やる気も出てきた。

🐈‍⬛😸ポン太郎
「はいてばっかりのボク。
 おいしゃさんから
『ごはんは🥄なるべくすこしずつ』
と、いわれて 
おかあさんはボクの🍚ごはんばしょに
ちょっとずつ ちょっとずつ・・と、
なんかいも あしをはこんでいる
ダイエットになるのかな?

👱🗣️
私の体調が⤵️だと、
「猫の調子が悪いんですね」
と、周りに言われてしまう。
すごくわかりやすいのだそうだ。
どんなにダイエットを頑張っても
痩せない身体だが、
今回はびっくりするほど、体重⤵️。

今は、ガンバリどきだ。
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•

🔵🟢🐈‍⬛😿ポン太郎
「おかあさんのくびとこしは
     ガタがきている。
あちこちの🏥にかかっている。

🏥にいったはずのおかあさんが
おうちにかえるなりダウンしていた。
にもつが 
すごくおもかったんだって」

👱🗣️
いつものkルカンを買いに行ったら
一気に12円も値上がっていた。
1日に幾つも封を開けるので
(処分量、無駄も多いので)
12円は痛過ぎる。
4月になる前に値上げか・・・・😏。

その2日後、病院帰りに薬局に行くと
なんと、「kルカン在庫処分セール」!
それは🉐買うしかないでしょ。

どう運ぶのか考えずに買い込んだ。
なんと、帰りのバスは減便で大混雑。
🚍 頸がガクガク。腰はヨレヨレ。
どうやって帰り着いたのか???
そりゃあ、ダウンしますよね。
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ

🔵🟢🔵🐈‍⬛😼ポン太郎
「おかあさん、
 ボクはカンヅメやパウチの🍚より、
 🐔さんのおにくと
     🍲スープがすきだよ。」



👱🗣️
なぜだろう?
右手👍の親指の皮が強張っている。
よくよく考えたら、鶏肉のせいだ。
ポン太郎の好物のササミ・・・。
これまでいったい、
何本のササミを引き裂いてきただろう?
この指🤌でね。
熱々・・・♪アチチ🎵アチチ・・、
この指の荒れは、
飼い主の🎖️勲章なのかもね。
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ

🔵🟢🔵🟢🐈‍⬛😸ポン太郎
「3月だっていうのに
  🥵あつい日もあったね。
ボクのおへやのまわりがかわったよ」



👱🗣️
これまでポン太郎が見向きもせず、
近寄ろうともしなかったケージ。
無理やり、追い込んでみたら、
なんとハンモックがお気に入りに!

私の背よりも高い場所から
民どもを監視、見下している。
彼の新しい隠れ家になったようだ。

レースのカーテンを重ね、
葦簀ヨシヅを張り西陽対策。

ただし、お吐き🤮になる時は、
上から下へ・・・🙈ご想像ください。

  がんばろう、飼い主!💪
   ( ̄(工) ̄)( ̄(工) ̄)
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ


《写真》
     雑木林の伐採後
   枯れた樹々や草ぐさのそばに
   小さな花が咲いていた。
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•
*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・ 👋
さて、😕ちょっと・・・⬇️の時は外に出よう!ということで、暑くなる前の歩きは北多摩地区へ。ポン太郎のお許しを得ながら歩きに行って、そのまとめをしてきたが、ここで、機器に弱い私が大失敗。4回分の下書き原稿を何処かに飛ばしてしまった🤦のだ。あの費やした時間を返してほしい。そして、気持ちを切り替えて・・・、なぜか急に興味が出てきた見知らぬ街道や道標、そして、お地蔵様について、違う地域に焦点を当てて勉強することにした。猫様にはまった会えずの歩き🚶。でも、面白かった。これから、少しづつ紹介したい。

🔹♦️ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️◆(29) 【猫との暮らし・日常雑話】

2025-02-17 15:47:00 | 日記
🔹🔸◆ ♦️ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️◆🔸🔹     
         (その29)
 【猫との暮らし・日常雑話など】
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•
🔻「歩き🚶‍♀️‍➡️のお勉強」🔻
  そのⅢ )愛宕神社へ行こう
  🟫🟤 👟🟤🥾 🟤🟫
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•
🐈‍⬛ポン太郎🐈
「おかあさん、おつかれだね。
    どこか、行っておいでよ。」
 ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ
🙍🗣️
暖かい冬、
短いコースの歩きを考えてみた。
埼玉県でどこか・・と、
静かな場所がいいな・・と、
「愛宕神社」に会いに行くことにした。
   ⛩️

西武池袋線は知らない所だらけ。
初めての駅「稲荷山公園駅」🚉下車。

いきなりフエンスが続く。
雑草🌱がいっぱい。
なんだろう、と思っていたら、
看板「稲荷山門」があった。
「航空自衛隊入間基地」だったのだ。


西武池袋線は
基地を分断する形で敷地を通過。
(かつては新宿線からも
 基地への引き込み線があり、
 資材や弾薬類が運搬され、
「爆弾線」と呼ばれていたそうだ)

さて、「入間基地」とは?・・・
埼玉県狭山市・入間市域にまたがる
     ✈︎航空自衛隊の基地。

(狭山市役所・狭山警察署、
埼玉県立狭山経済高校など、隣接)




🔍よくわからないので、
防衛省・自衛隊の資料を調べてみた。
(航空自衛隊入間基地Webサイトより)

・1938年(昭和13年)5月
 陸軍航空士官学校分校🏫が
 所沢陸軍飛行場から
   入間郡豊岡町に移転。
・12月陸軍航空士官学校として独立。

・1940年(昭和15年)1月
 豊岡陸軍飛行場完成。

・1945年敗戦により、9月
 アメリカ陸軍航空軍第5空軍が
 同地に進駐 航士・飛行場を接収。
・10月 航士閉校

・1946年
 接収直後に殉職した
  ジョンソン大佐を偲んで
 「ジョンソン基地」と命名改称

・1954年(昭和29年):
    航空自衛隊発足
・1958年(昭和33年):
    中部航空方面隊司令部設置
      入間基地発足
・1963年(昭和38年):
    飛行場地区の管理運用が
      米軍から空自へ移行
・1978年(昭和53年9月):
    ジョンソン基地 全面返還
    (航空自衛隊入間基地・公園・
    公共施設など)
(なお、⛲️
「稲荷山公園」も元は米軍施設の公園で
「ハイドパーク」と呼ばれていたそうだ)
     (・ω・)ノ


フエンス沿いに歩くと
飛行機✈️✈︎🛩️が幾つか並んでいた。
📷撮影ポイントなのだろう。
広い敷地だった。

彩の森入間公園⛲️
・1973年(昭和48年)に米軍から
 返還された基地跡地を活用。
⇨県南西部地域の県民の憩いの場、
 防災拠点(避難地・大型休憩舎や
 防災井戸など)として整備。
・1998年(平成10年)に開設。


 【防災用施設】
  非常用井戸 耐震性貯水槽 
  避難施設  非常用発電機 
  避難用照明 飲料水製造装置
  緊急ヘリポート かまどベンチ
  防災倉庫 ソーラー照明灯

なんとも羨ましい防災の備えの数々。

どっしりとした樹を見つける。


のんびりした空間。

照明💡のデザインが気になる



  🌲 🌲🌲 🌲  🌲

🏘️「ジョンソンタウン」へ
 国道463号線沿いの一角に
    白い街並みがあった。


*なお、「ジョンソン基地」
 (旧・富岡陸軍飛行場✈️)の名前の
 由来は後で知った。

 ここはアメリカ🇺🇸軍のジョンソン
     基地があったエリアで、
 アメリカ軍人用に整備された街並みを
 軍の撤退に伴い米国風の平屋建築を
 リフォームして約50の店舗が並ぶ
   街全体の景観が統一され、
   看板も英語表記。


・・・、以前、ここに
猫カフェがあるとの噂を聞いた。
    【🐱ニケミンハウス】
   現在は、徒歩10分の場所に
   移転したそうだ。

迷いながら富士見公園を通過。

愛宕公園は日本庭園づくり。
 奥秩父産の自然石の石組みされた滝
 いるま池の💧💦に癒される。
 お約束の🦆の撮影。




 そして、やっとお目当ての場所へ。


     愛宕神社
🌳 🌳  🌳  🌳 🌳
「古木に囲まれた深い緑
  ざわめく風、奥行きのある境内」
     と紹介されている。
🪵  🪵  🪵   🪵
街道の右奥に鎮座 扇町屋の産土神
 創建年代不詳
 武蔵野の開発で集落がつくられ、
  共に天照大御神を祭祀したと
  言われている。





境内には新田義興の首塚などがあり
来訪者が説明を丁寧に読んでいた。
(今回は足利氏・新田氏についての
          学習は保留)



「手水には龍🐲はいないのかな。」
と、探すと・・・
なんと、「花🌼手水」があった。
狭山市の株式会社彩花さんによるもの
       綺麗!😍




そして、石段へ


石段途中には「蚕影神社」⛩️がある
説)    旧富岡尋常高等小学校奉安殿
別説)旧富岡尋常高等小学校
     富岡神社の説もある

養蚕が盛んだったのだろうか?
⚫︎「入間市博物館」には、
 蚕品種多摩錦などの展示
 棚飼いの道具類、器具器械も展示
・明治後期から戦前に繁栄した
 石川組製糸の細かな調査展示も。
(群馬の富岡製糸工場の歴史調査よりも
丁寧な展示だと言う評価もあるようだ。)


「芭蕉の句碑」参道入口鳥居脇にある
 
  ひらひらと 
     あぐる扇や 雲の峰
 元禄七年1694年6月翁51歳詠む

歌碑の前には志茂町屋台の解説板
(愛宕神社の祭礼に曳き回される屋台)
(屋台倉庫もあった。)

・毎月27日 骨董市開催
・4月下旬春季例大祭
  宿場町に山車が繰り出す

[🙃感想]
・鳥居と境内の雰囲気がいい
    穏やかな気持ちになる
    心の洗濯だ
・私のお気に入りは、
  境内に続く鳥居⛩️と石階段

 石段横に古い石積みなど、
 なんとも言えぬボコボコ感がいい。

階段下から神社を見上げたり、
町屋通りから鳥居を眺めたりなど、
 何度も振り返りながら
 愛宕神社を後にした。
・・・
🔍気づかなかったが、
 神社の鳥居の左側にある社号標の
 愛宕神社の文字の上の2文字が
 セメントで埋められているそうだ。
GHQの神道指令により神社の国家管理
が廃止されると同時に社格も廃止。
GHQの干渉を恐れて石の社名標の
社格が刻まれた部分をセメントで
埋めた神社が多かったそうだ。
 「武蔵と相撲の史跡探訪記」より・・・

「坂口屋」
 帰り道にて
 道路沿いに古民家に遭遇。


安政5年創業の
  坂口屋が手掛ける「香」のお店
赤いポスト📮がお似合い

扇町屋宿が始まる街道沿いの
往時の面影が残る大きな古民家だ。

🔍さて、「扇町屋宿」とは
  日光脇往還の宿場
  現在 入間市扇町屋中央部
江戸時代 宿場の長さは6町ほど
    道幅8間余り 戸数90件
🔍「日光脇往還」
  八王子から日光までを結ぶ道
  総距離 156キロメートル
・江戸時代前は軍用路だったが、
 江戸時代になり
 「八王子千人同心」が日光勤番
      (東照宮の火の番)
     を務める際の通行路。
   ・・3泊4日の行程・・
大山詣りなどの人々の通路ともなり、
街道沿いの発展がうかがわれる。

入間市内:扇町屋と二本木が宿継場
 (荷を運ぶ馬の中継所)として整備
 扇町屋は🐴往路初日の昼食地
      往路3日目の宿泊地

・・街道や宿場町の歴史の勉強📖も
 しないで行って🤦しまった。
    でも、調べると面白い!

⚫︎村の各所には「道標」がある。
  江戸、青梅、八王子
  扇町屋、二本木
 大山・御嶽:お参りのために目指す

 例)扇町屋下町の道標
  正面 道祖神
  側面 かわこへ入間川 道
     まつ山 日こう道

 例)豊岡温故公園
  (旧富岡小学校跡地)保存の道標
  行き先 北日光道
    東江戸?????みち

・・・「道標」は江戸時代の人々の
 山岳信仰、当時の交通、宿継場の
 盛況を伝えるもの。
市の指定史跡になっているものもある

・・・残念ながら、ここでも
   予習をしてこなかったので、
 道標や志茂町の子育て地蔵を
 見ることをしなかった。🫤残念!

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ボオー😗としたまま、
ただ行ってしまったが、
後日、いろいろ勉強できて面白かった。
なお、野良猫🐈‍⬛さんたちには会えなかった。
どこかでお昼寝していたのかも。
   おつかれさまでした。
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【参考】
「Rail and bikes」 (爆弾線)
「埼玉県の神社」
「伝統の日本紀行」
「千人同心街道」
「いるま歴史ガイド」
「西武鉄道ウオーキング」
「街道歩き日本すきま漫遊記」
    👋( ̄^ ̄) (^ν^)
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🔹 ♦️ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️(その28 ) 【猫との暮らし・日常雑話】

2025-02-11 15:43:00 | 日記
🔹 ♦️ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️◆🔸🔹     
         (その28 )
 【猫との暮らし・日常雑話など】
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•
🔻「歩きの🚶お勉強」《そのⅡ》🔻
  🟫🟤 🍵🟤🍵 🟤🟫
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🥾ポン太郎🐈
「おかあさん、
  つづきのおべんきょうだね。
     💪がんばるね。」
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🙍🗣️
今回は「下落合」の続編。(復習から)
    〜東京都新宿区〜
《落合崖線》
崖線とは、河川が台地を削ってできる
急斜面の連続のことで、
妙正寺川・神田川の合流地点の
左岸北側にも落合から目白にかけて
崖線が形成されている。
    🌳🌳🌳🌳🌳
変化に富んだ地形で水と緑が豊か。
斜面に「おとめ山公園」や
「下落合野鳥の森公園」があり、
「薬王院」の景観も立派。
    🌳 🌳 🌳 🌳 🌳

《薬王院》
・薬王院は、鎌倉時代の創建。
・落合崖線にかかる地形に建つ。
牡丹が有名で(「牡丹寺」とも呼ばれる)
📺にも紹介されることが多いそうだ。
  40種1000株の牡丹!


🧑この地の歩きのきっかけは・・・
 薬王院が河岸段丘の地形を利用して
 建てられていると聞いたこと。
 是非、行ってみたいと思った。


さて、薬王院到着、入り口前。
坂道を出発。
職員の方が案内してくださることに。
(本堂は工事中。🫤)
山門から傾斜が始まる。
実際、アップダウンの激しい地形で
境内の登りもキツかった。
一気に登ると息が上ってしまった。
    ゼーゼー!
お寺の職員はご高齢でもすまし顔。
毎日、幾往復するのだろう?
    ♪( ´θ`)ノ
さて、まず、「薬師如来様」にご挨拶。
   すぐ横には墓地🪦が広がる。


*如来の特徴は頭部に螺髪ラホツ。
    (菩薩には螺髪はない。)
*「薬師如来」は、
 病気を治してくれる如来なので、
 🫱手のひらには、
 小さな薬壺⚱️を乗せている。

・霊園内には江戸時代の墓跡もある。
・墓地の中にも柵の中に立派な石碑。
 写真撮影の許可を貰いたかったが、
 個人のものであるとのことで
 諦める。(彫刻🧐ホ〜!素晴らしい)


「観音菩薩石仏」
・無縁仏石碑
 階段下から見上げるとかなり大きい。
・その昔?
 この窪みに🐈‍⬛が寝ていたそうだ。

 *正しくは、観世音菩薩。
・人の願いを叶えてくれる存在として
 広く信仰されたそうだ。
・(その特徴は、頭部は冠をかぶったり、
 髷を結い上げたりしているとのこと。
 さまざまな姿に変身することも特徴)
 (例 十一面観世音、千手観音など)


「馬頭観世音菩薩」(1893年)
・角柱型
・高田村、下高田村、下落合村、
 戸塚村の講中による建立。
      (綺麗なお花と香)

 *「講」・・・
地域社会を主な母体として
信仰、経済、職業上の目的を
たっするために結ばれた集団。
 *「講中」・・・
講をつくって神仏に詣でる仲間。
    (「コトバンク」より)


「石仏群」
写真で見て
「会いたい」と思った石仏たち🪨。
斜面の途中にいらっしゃった。


「六地蔵」
・前の石段踊り場にある。
 座高80センチくらい。
・帽子・前垂れは布製。
 **先に墓地があることがわかる。

 *6体の意味・・・
・死後、人は6つの世界を
   輪廻するとされるため。
 お地蔵さんがそのそれぞれの
  世界の人を救ってくれる。
・6体の各持ち物も違う。


「庚申塔」
・上部に瑞雲 その中に日と月?
・青面金剛・二童・邪鬼子
・下に三猿(造立 1706年)
🌳 🌳 🌳 🌳  🌳  🌳
これまで
会えば頭を下げてはいたけれど、
石仏にこめられた人々の祈りにまで
なかなか思いが至らなかった。
    📘
少しだけだが、あれこれ意味を調べて
おもしろいと思った。
この石仏の周りには、
以前、近所の猫も遊んでいたようだし、
想像するとおもしろい。
  三毛猫🐈‍⬛キジシロ猫たち。
広くて伸び伸び暮らせただろうな。
      📕
これから、違う土地に行った時にも
 街道沿いの石仏への見方は、
 きっと変わるはず。👀


さて、
本に頼りっぱなしのお勉強だった。
[吉田さらさ]氏の本は面白かった。
        📗
薬王院の近所に🐈
猫たちがいたのはかなり前のこと。
その頃に来てみたかったな。
参詣者に愛されていたそうだ。
👬※資料※
  ❶  新宿区HP
  ❷「ぼのぼのブログ」
  ❸「石仏・
    石の神を旅する」
    (吉田さらさ 著)
  ❹「東京の霊園 
        いいお墓」
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ🖐️