聖母月10日目にご紹介する聖母は、ベトナムで親しまれている「ラ・バンの聖母」です。
1798年、カトリックの広がりを恐れていた西山朝(タイソン朝)富春朝廷の景盛皇帝(カイン・ティン皇帝)は、カトリックの信仰を国内において禁止しました。その後すぐに信者たちの迫害が開始されました。
多くのカトリック信者の人々は、フエ市郊外にあるクアンチ省のラバン(羅栄)にある熱帯雨林に逃げ込みました。
ジャングルでの過酷な生活に多くの人々が重病にかかりました。
ジャングルに隠れている間、カトリック信者の人々は毎夜徒歩で集まり、ロザリオの祈りを唱えました。
ある晩、木の枝の中に突然、赤ん坊を抱えたアオザイ姿の女性が現れました。
女性のそばには、2位の天使が控えていました。
その女性は、彼らを慰め、病気を治療するために木の葉を煎じて飲むように言いました。
すると、信者たちの病気が治ったと伝えられています。
1802年、自分たちの村に帰った信者たちは、この女性が幼子イエス様を抱いた聖母マリアに違いないと確信し、ラバンにおける聖母の出現の話と彼女のメッセージを広めました。
すると、多くの人々がラ・バンに祈りに来て、寄付を申し出ました。そして、1820年に聖堂が建設されました。
1830-1885年、さらにキリスト信者たちへの大きな迫害が起こり、多くのキリスト信者が殺されました。
この迫害が最高潮に達した時、ラ・バンの聖母を讃える聖堂も破壊されてしまいました。
1886年には、新しい聖堂の建設が始まりました。
完成後、ガスパル司教様は1901年、「キリスト者の助けの聖母」に新しい聖堂を奉献しました。
1954年12月8日「無原罪の聖マリアの祝日」に、ラ・バンの聖母像がチーブー(Trí Bưu / 智郵)からラ・バンの聖堂に戻されました。ベトナムの司教協議会はラ・バンの聖母教会をベトナム国の聖堂として選び、1961年4月13日、ラ・バンはベトナム国の聖母の中心地となりました。1961年8月、教皇ヨハネ23世はラ・バンの聖母教会を小バジリカに指定しました。
1998年6月、教皇ヨハネ・パウロ2世は公式にラ・バンの聖母の重要性を認め、最初の出現から200周年を祝い、ラ・バンの聖堂を大聖堂に建てなおすことを望んでいると表明されました。
尚、マザーテレサ(コルカタの聖テレサ)から司祭になるように直接勧められたイエズス会の片柳神父様のブログ「道の途中で」では、片柳神父様が制作されたラ・バンの聖母のカードをダウンロードすることができます。
https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/20130626/1372226916
日本のカトリック教会には今、多くのベトナムの仲間たちがいます。
迫害されても、教会が破壊されても、何度でも立ち上がる彼・彼女たちの信仰を、日本人信者として見習いたいと思います。