カトリック東京大司教区 ロザリオの祈りの夕べ
2020年5月13日(水)19:00- 東京カテドラル聖マリア大聖堂
新型コロナ感染症拡大のさなかにささげる祈り
混乱する事態の早期終息と病症にある方々の快復、 及び亡くなられた方々の永遠の安息のために
司式 タルチシオ菊地功大司教様
参考
ファティマの聖母について
司教の日記5月13日、ロザリオの祈りの夕べ
司教の日記ロザリオの祈りの夕べ@東京カテドラル
カトリック東京大司教区 ロザリオの祈りの夕べ
2020年5月13日(水)19:00- 東京カテドラル聖マリア大聖堂
新型コロナ感染症拡大のさなかにささげる祈り
混乱する事態の早期終息と病症にある方々の快復、 及び亡くなられた方々の永遠の安息のために
司式 タルチシオ菊地功大司教様
参考
ファティマの聖母について
司教の日記5月13日、ロザリオの祈りの夕べ
司教の日記ロザリオの祈りの夕べ@東京カテドラル
ファティマの聖母
ファティマの聖母②
ファティマの聖母③
ファティマの聖母④
ファティマの聖母⑤
の続きです。
第6回目の御出現:1917年10月13日(土曜日)
遂に聖母が預言された大奇蹟の日がやってきました。
前日から雨の中を大勢の人々があらゆる方角からコヴァ・ダ・イリアめがけて集まり始めました。
彼らはロザリオの祈りを唱え、聖歌を歌いながら、降り続く冷たい細かい雨でぬかるんでいる道を進みました。
雨宿りするものが何もない野原で夜を明かしました。
夜明けのかなり前から彼らは祈ったり、歌ったり、泣いたりしていました。
アルジュストレルのルチアの家ではルチアの母親マリア・ロサが、予言された奇蹟が起こらなかったときに生じるかも知れない悲劇のことを考えて不安にさいなまれていました。
彼女はルチアを涙ながらに抱きしめ、ルチアが殺されるときには自分も一緒に死のうと思い、ルチアと同道する決心をしました。
彼女は教区の司祭からコヴァ・ダ・イリアには行ってはいけないと言われていましたので、そのことが気がかりでしたが、聖水で身を護って出かけることにしました。
ルチア一家は、はまずマルト家に立ち寄りました。
ヤシンタの母親オリンピアはマリア・ロサと同じように子どもたちのことを心配していましたが、父親のティ・マルトは子どもたちを信じ、何事もうまく行くと確信して落ち着いていました。
パンバリニョから来た婦人がルチアに青色のドレスをヤシンタに白いドレスを用意して来ていて、着せました。
彼らは人混みのために時間に遅れないように早めに家を出ました。
地面に叩きつけるように激しく降る大雨が降っていました。
人々はぬかるむ道でひるみもせずに跪き、子どもたちにマリア様への取り次ぎを頼みました。
マヌエルがヤシンタの手を取り、ルチアは父親のアントニオに手を引かれて、大群衆の中を御出現の場所に向かいました。
フランシスコもマリア・ロサも一緒でした。
ウバメガシの木のところに着いたとき、ルチアは群衆に傘をすぼめ、ロザリオの祈りを唱えるように求めました。
雨はまだ降り続いていましたが、人々はルチアの求めに素直に応じて、傘をたたみ、祈り始めました。
人々は全身ずぶぬれになりながら泥の上に跪きました。
午後1時半頃、ルチアは東の方角を見てヤシンタにこう言いました。
「おお、ヤシンタ!跪きなさい。聖母が来られます!もう稲光を見ました!」
近くにいたマリア・ロサは娘に「ルチア、注意してごらんなさい、失敗しないでね!」と叫びます。
このとき、ルチアはしばらく脱魂状態に陥ります。
ヤシンタがルチアをつついて、「ルチア、お話なさい。聖母がもう来ておられますよ!」と言いました。
ルチアはそれで正気に戻って二回深呼吸をし、聖母と話し始めました。
「あなたは私から何をお望みですか?」
「私をたたえてここに聖堂を建てることを望んでいます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオの祈りを続けて唱えなさい。戦争はまもなく終わり、兵士たちは自分たちの家に帰って来るでしょう。」
「あなたにお願いしたいことがたくさんあります。ある病人を癒し、ある罪人を回心させてほしいのです.」
「ある人々を癒しますが、ある人々は癒しません。人々はその生活を改め、罪の赦しを願わなければなりません。」
それから、聖母は悲しそうな様子になられて、こう言われました。
「彼らはもうこれ以上私たちの主に背いてはなりません。なぜなら、すでに彼らはあまりにも主に背いているからです。」
「何かもっと望んでおられることがありますか?」
「これ以上はありません。」
「では、私もこれ以上あなたにお尋ねしません。」
聖母がルチアと話されている間、ウバメガシの木の上には9月のときと同じような雲があり、聖母が去られると同時に、雲も上の方に上がって行きました。
それから、聖母が去って行かれるとルチアが叫んだとき、オリンピアは8月19日のときと全く同じ芳香をかぎました。
それから、またルチアが人々に向かって叫びました。
「太陽をごらんなさい!」
その後、10分間にわたって、大群衆は預言されていた奇蹟をいわゆる「太陽のダンス」という形で見ました。
それまで降っていた雨が突然止み、雲が急速に切れ、晴天になりました。
顔を出したぎらぎら輝くはずの太陽を人々は裸眼で何ら眼を痛めることなしに見ることができました。
真昼の雲一つない太陽が裸眼で見ても眼を損なわないなどということは科学的に見てあり得ないことですが、このとき、そのことが7万人ないし8万人といわれる大群衆の前で起こりました。
すべてのものが動かず、静かでした。
このこと自体が不思議なことですが、次ぎにさらに不思議なことが起こりました。
その太陽がさまざまの方向に光線を発し、その光線が空気、大地、木々やその他大地にあるすべてのもの、人間たちをさまざまの色に染め上げました。しばらくして、太陽が止まったと思われ、次ぎに揺れ、震え、いわゆるダンスを始めました。
その太陽が天からはがれたかのように、人々の上に回転する大車輪になってまさに落ちかかって来るように見えました。
人々は叫び、泣きわめき、地にひれ伏しました。
大声で自分の犯した罪を告白する人もいました。
しかし、最後に太陽は動きを止めました。
人々は助かったと安堵の胸をなでおろすことができました。
これが、聖母が預言され、三人の子どもたちが必ず起こると確信していた奇跡の内容でした。
もちろん、聖母が初めから太陽の奇蹟を内容として預言され、三人の子どもにもそれを伝えられたわけではありません。
すべての人が見て信じるようになる奇蹟と言われていたことがこのような内容のものだったというわけです。
聖母の約束はこのようにして文字通りに果たされました。
マリア・ロサは「これを信じないことはできない。誰も太陽に触れることはできないのだから」と言いました。
大群衆がこの大スペクタクルを目撃していていた10分間、三人の牧童たちは実は太陽の奇蹟を見ていませんでした。
彼らはその間、もっとすばらしいこと、すなわち聖母が8月19日と9月13日の両日に約束なさった預言の実現に立ち会っていました。
聖母が去られた後、3人の牧童たちは聖ヨセフが幼子イエスを連れて、そして聖母が白い衣装を着、青いマントを羽織られて太陽の側に立っておられるのを見ました。
聖ヨセフと幼子イエスはその手でそれぞれ十字架の印をされて世界を祝福されました。
この御出現が終わってしばらくして、今度は主イエス・キリストと聖母が御出現になりました。
聖母は悲しみの聖母だとルシアには思われました。
主は聖ヨセフがそうされたのと同じやり方で世界を祝福されました。
その御出現も終わった後に、また聖母が来られました。今度はカルメルの聖母でした。
こうして、6回にわたるファティマ:、ヴァ・ダ・イリアおよびヴァリニョスにおける聖母の御出現は幕を閉じました。
聖母の御出現から間もなくして、聖母の預言(第1回目の御出現)通り帰天しました。
ヤシンタは兄フランシスコとともに、1918年にヨーロッパを席巻したスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザに罹りました。
二人とも何ヶ月もの間、聖体拝領に与り祈りの時を過ごすため教会に通うことに固執し、天使に教えられたように地に頭をつけて
跪いて祈り続けました。
兄のフランシスコは病院での治療を断って、1919年4月4日に家で安らかに帰天しました。
妹のヤシンタは延命の為、家族に無理やり連れて行かれ、入院しました。
病気は化膿し肋膜炎に発展し、心臓の状態から無麻酔で二本の肋骨を切断しなくてはならない手術を受けました。
ヤシンタはすさまじい痛みに耐え続け、多くの罪人の償いのために捧げました。
1920年2月19日、彼女は告解を聴いてくれていた病院所属の司祭に「翌日死ぬだろうから」とと、聖体拝領と病者の塗油をお願いしました。
司祭は「病状は決して深刻ではなく、翌日には回復しますよ」と答えました。
しかし、翌日20日に、ヤシンタは帰天しました。
彼女は、自分は一人で死ぬでしょう、と前から言っていましたが、その通りの形で亡くなりました。
看護婦さえ、傍にはいませんでした。
ルチアは、その後、ある修道会に入会しま<wbr />す。
しかし1948年、ピオ12世教皇の承認のもとカル<wbr />メル会に入会しました。
そして2005年2月13日、ルチアは97才で帰天<wbr />しました。
1930年10月13日、現地管区のレイリア司教よってこの出現は公認され、同年教皇ピオ12世は同地に巡礼する者への免償を宣言しました。
1967年には教皇庁により最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定されました。
ファティマの大聖堂YouTube公式チャンネル
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ファティマの聖母の祝日である本日5月13日(水)19:00より、新型コロナウイルス感染症拡大のさなかにあって、混乱する事態の早期終息と病症にある方々の快復、及び亡くなられた方々の安息のために、カトリック東京大司教区カテドラル聖マリア大聖堂にて「ロザリオの祈りの夕べ」が行われます。
「ロザリオの祈りの夕べ」は非公開で行われますが、YouTubeでインターネット中継配信があります。
よろしかったら、ご一緒にロザリオを祈り、ファティマの聖母の取次を願いましょう。
ファティマの聖母
ファティマの聖母②
ファティマの聖母③
ファティマの聖母④
の続きです。
第5回目の御出現:1917年9月13日(木曜日)
9月13日の夜明け、ファティマに向かう道路は大混雑をしていました。
人々はロザリオを唱えながらコヴァ・ダ・イリアへと歩き続けました。
正午近くになるとおよそ2万5000人から3万人の巡礼者が御出現を待ってつめかけていました。
コヴァ・ダ・イリアではほとんどの人が帽子を取り、跪いてロザリオの祈りに唱和しました。
三人の牧童たちは人混みでなかなか御出現の場所に近づくことができませんでした。
途中で人々は彼らにマリア様へのさまざまな願い事を取り次いでほしいと懇願しました。
三人はやっとのことでいつものウバメガシの木のところに着き、そこでルシアがロザリオの祈りを先唱し、群衆が唱和しました。
後に枢機卿となったレイリアのジョン・カレスマ神父は友人二人と一緒に神父の制服を脱いで背広を着て御出現の様子を見に行きました。彼はそのときの様子を後に枢機卿になってから回想しています。正午になると、完全な沈黙があたりを支配しました。その後突然聖母を賛美する声が響きわたり、人々が一斉に空に向かって手を挙げました。空は一点の雲もない真っ青の晴天でした。そのとき、カレスマ神父は東の方向から西の方向へ向かってゆっくりと荘厳に滑ってゆく光り輝く球体を見ました。もちろん、彼だけでなく、友人二人も、そして居合わせた3万人の人々のうちの多くがこの球体を見て叫び声をあげました。異常な光を放っていたその球体は突然消え去りました。その球体は御出現のウバメガシの木に近づきました。そのとき、太陽の輝きが鈍り、あたりが黄金色になりました。ある人は空に星を見ることができたと報告しています。
ルチアが尋ねます。
「あなたは私から何をお望みですか?」
「戦争が終わるようにロザリオの祈りを続けなさい。10月には私たちの主がおいでになるでしょう。悲しみの聖母とカルメルの聖母も来ます。聖ヨゼフが世界を祝福するために幼子イエズスと一緒においでになるでしょう。
神はあなたがたの犠牲を喜んでおられます。神はあなたがたが縄をつけて眠ることを望んでおられません。つけるのは昼間だけにしなさい。」
「あなたにたくさんのことをお願いするように頼まれました。病気の人々の癒しや聾唖の人の癒しなどです」
「はい。ある人々を癒しましょう。しかし、他の人々は癒しません。なぜなら、私たちの主は彼らを信用しておられないからです。」
人々はここに聖堂を建てたいと思っています。
「お金の半分でロザリオの聖母の祝日に行列で担ぐ駕籠を作りなさい。後の半分は聖堂のためです。」
ルチアはこのとき、オリヴァル教区のある人から捧げられた2通の手紙と香水の小瓶を聖母に捧げようとしましたが、聖母は天国ではそれらは必要でないとお断りになられました。ルチアが第4の手記で明らかにしたところでは、このとき聖母はこう付け加えられました。
「10月にはすべての人が信じるように一つの奇蹟を行います。」
そう言われて、聖母はいつものように天に昇られ始め、そして消え去られました。
聖母が天に昇って行かれるとき、多くの人々が再び先ほどの光り輝く卵形の球体が東の方角へと上ってゆくのを見ました。
中には全然何も見ることができなかった人もいました。
信心深い一人の女性は自分が何も見ることができなかったので、いたく泣いていました。
そのほかにもこの御出現の間に巡礼者たちは不思議な光景を見ることができました。
彼らが見たのは空から舞い落ちる白い花びらのようなもの、丸くて輝いている雪片のようなものでした。
それは地上に落ちると消えてなくなりました。
非常に多くの人々がこのような感覚的な形で異常なことを経験したこの5回目の御出現は人々に聖母の現前を強く感じさせました。
この後、三人の牧童たちは人々につきまとわれ、質問攻めに会います。
ひっきりなしの訪問者たちによってルシアとヤシンタの家庭はかきまわされます。
牧場であるコヴァ・ダ・イリアは人々に踏み荒らされ、畑の野菜も取れなくなりました。
ルチアの母親マリア・ロサとヤシンタの母親オリンピアは羊を売り払わなければならなくなってしまいました。
家計は苦しくなり、ルチアは母親からお前のせいでこうなったと非難されます。
マリア・ロサも、オリンピアも、フランシスコとヤシンタの父親ティ・マルトも、9月13日には人々が見た不思議な現象を何も見ませんでした。
10月の初めに、レイクシダのマリア・ド・カルモ・メネゼス夫人がルチアとヤンタをマルト家とサントス家の許可を得て、自分の家に連れて行きます。
彼らを人々から引き離して8日間休ませるためでした。
しかし、二人が滞在していることは人々に知れて、多くの人々がつめかけて来ました。
このメネゼス夫人が二人に「あなたがたが予言している奇蹟がもし10月に起こらなかったら、大いに期待して興奮しているこれらの人々が、あなたがたを生きたまま焼き殺すかもしれませんよ」と言いますが、子どもたちは確信に満ちて「聖母が私たちを欺かれることはないので、ぜんぜん怖くありません。マリア様は皆が信じるように大きな奇蹟を行うとおっしゃいました」と答えました。
それ以前の9月27日にも、フォルミガオ神父が同じことを彼らに尋ねていますが、ルチアは同じ答えをしています。
10月の御出現のときには、子どもたちの近くで当局が爆弾を仕掛けて爆発させるという噂も広まっていましたが、ルチアは、もしそうなら、私たちはすぐに天国に行けることになる、といとこたちと話しています。
しかし、子どもたちの両親にとっては、このような状況は不安をかき立てるものでした。
マリア・ロサは御出現の前日10月12日の朝早く、ルチアを起こして教会に告解に行こうと言います。
彼女は「明日コヴァ・ダ・イリアで聖母が奇蹟を起こしてくれなかったら、人々が私たちを殺すという噂だから、死の準備のために告解をしておいたほうがよい」と娘に言います。
ルチアは「お母さんがそうしたいなら、一緒に行ってもよいですが、殺されることを恐れているからではありません。私は聖母が約束されたことを必ずなさると確信していますから」と答えました。
もう告解について話す者は誰もいませんでした。
マルト家では父親が御出現を信じていましたので、静かにその時を待っていました。
ファティマの聖母⑥に続く
ファティマの聖母
ファティマの聖母②
ファティマの聖母③
の続きです。
ヴァリニョスにおける聖母の第4回目の御出現:1917年8月19日(日曜日)
三人の羊飼いの子どもたちは日曜日のミサの後、ロザリオの祈りを唱えるためにコヴァ・ダ・イリアへ出かけました。
午後には、ルチアとフランシスコはフランシスコの兄のジョンと一緒に羊に草を食べさせるためにヴァリニョスに行きます。
ヴァリニョスはアルジュストレルとカベソの丘の中間にあるところです。
ここで、予期していなかった聖母の御出現がありました。
ルチアは、聖母の御出現が近いことを直感して、ジョンにヤシンタを呼びに行ってほしいと頼みます。
ヤシンタが御出現に立ち会えないと悲しむと思ったからです。
しばらくして、ルチアとフランシスコが例の稲光を見たとき、ヤシンタが駆けつけ、一本のウバメガシの上に聖母が御出現になりました。ルシアは聖母に尋ねます。
「私から何をお望みになりますか?」
「13日にコヴァ・ダ・イリアに引き続き行くこと、毎日ロザリオの祈りを続けることを望みます。最後の月に私はすべての人が信じるように一つの奇蹟を行います。あなたがたが町へ連れて行かれることがなかったならば、その奇蹟はもっと大きなものとなるはずでした。聖ヨゼフが世界に平和を与えるために、幼子イエスを連れていらっしゃるでしょう。私たちの主は人々を祝福なさるために来られます。ロザリオの聖母と悲しみの聖母も来られます。」
「人々がコヴァ・ダ・イリアに残して行ったお金で何をすることをお望みになりますか?」
「二つの駕籠を作らせなさい。一つの駕籠はあなたとヤシンタ、それに他の二人の少女が白い衣装を着て、もう一つの駕籠はフランシスコと他の三人の少年が担ぐのです。駕籠からのお金はロザリオの聖母の祝日のためのものです。そして残りのお金はここに建てられなければならない聖堂の建設に役立つでしょう。」
「ある病人を癒していただきたいのですが....」
「ええ、今年のうちにそのうちの何人かの人々を癒しましょう。」
それから聖母は悲しそうにこう言われました。
「祈りなさい。たくさん祈りなさい。そして罪人たちのために犠牲を捧げなさい。多くの魂が、彼らのために犠牲を捧げたり、祈ったりしてくれる人を持っていないからです。」
こう言って聖母はいつものように東の方角へと上って行かれました。
この日の御出現は三人のほかにはヤシンタとフランシスコの兄弟であるジョンだけが立ち会いました。
彼が母親に語ったところによると、三人が跪いて祈り、ルチアが話しているのを彼は聞いていますが、ジョンは聖母を見ることも聞くこともできませんでした。聖母が去られるとき、彼は銃声のようにはじける雷鳴を聞いています。
御出現の後、フランシスコとヤシンタは聖母が上におられたウバメガシの枝を一本を折り取って大切に家に持って帰りました。
帰宅するとヤシンタがヴァリニョスで聖母を見たと母親のオリンピアに報告します。母親はヤシンタに
「いつになったらその嘘は終わるのかね。行くところではどこででもお前はマリア様を見るのだね」
と皮肉を言いわれました。ヤシンタは取って来た枝を母親に見せました。
その枝からはえもいわれぬよい香りがしました。
母親はよい香りがするけれども、バラの香りではないし、何の香りかわからない、と言いました。
父親のティ・マルトは同じように、何とも表現できないよい香りをその枝からかぎますが、妻のオリンピアとは違いヤシンタの言葉をますます信じるようになりました。
ファティマの聖母⑤に続きます。
第3回目の御出現:1917年7月13日(金曜日)
約束の第3回目の日になり、ルチアはほとんど抵抗できないある力に促されて、突然行かなければならないと感じました。
彼女がいとこたちの家に行くと、フランシスコとヤシンタは寝台の側に泣きながら跪いていました。
ルチアが出かけないのかと尋ねると、彼らはルチアと一緒にでなければ行かない、一緒に行こうと言いました。
ルチアが一緒に行くと言うと、彼らの顔は喜びに輝きました。
3人は一緒に出かけましたが、途中で群衆が待ち受けていて思うようにコヴァ・ダ・イリアに近づけませんでした。
ルチアの母親マリア・ロサはヤシンタとフランシスコの母親オリンピア・マルトと一緒に、何が起こるかを見るために、人目につかないように身を隠しながら、3人の子どもたちから遠く離れてついて行くことにしました。
ティ・マルトは三人の子どもたちの側にいました。
ルチアがロザリオの祈りを先唱し、群衆がその後を続けました。
人々は日差しをよけるために日傘をさしていましたが、聖母の御出現の時刻になったとき、ルチアは「傘をすぼめてください。聖母がおいでになりました!」と叫びました。
ルチアが尋ねます。
「あなたは私から何をお望みですか?」
「あなたがたが来月の13日にここに来ること、世界のために平和を得、戦争を終わらせるために、ロザリオの聖母をたたえて毎日ロザリオの祈りを続けることを望んでいます。なぜなら、ただロザリオの聖母だけがあなたがたを助けることができるからです。」
「私はあなたがどなたであるかを私たちに教えてくださること、そしてあなたが私たちに御出現になっていることをすべての人が信じるように奇蹟を行ってくださることをお願いしたいのです。」
「毎月ここに来続けなさい。10月に、私が誰であるか、何を望んでいるかをあなたがたに教えます。そしてすべての人のために見て信じるように一つの奇蹟を行います。」
ルチアはあることを聖母にお願いしましたが、聖母はそれに対して恩寵をその年の内に得るためにはロザリオを祈る必要があるとお答えになりました。聖母はそしてこう続けられました。
「罪人のためにあながた自身を犠牲として捧げなさい。そして何度も、特に何か犠牲をするときにはこう言いなさい。おお、イエスよ、これはあなたのため、罪人の回心のため、そしてマリアの汚れなき御心に対して犯される罪の償いのためです、と。」
聖母がこう言われた後、5月、6月の時と同じように、三度目に両手を拡げられました。
強い光線が地上を貫き、その中で彼らは一瞬の間でしたが、火の海のような地獄を見せられました。
悪魔、人間の形をした霊魂たちが絶望と苦悶のうちに透明な火の固まりとなっていました。
ルチアが恐怖のあまりに叫んだ声を周りにいた人々が聞いています。
三人は救いを求めるかのように聖母を見ました。そのとき、聖母はこうおっしゃいました。
「あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。」
「このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。」
「一軍の兵士たちによって 白衣の司教ら大勢の高位聖職者達が、射殺されるでしょう」
「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。」
「ポルトガルでは信仰の教義が常に保たれるでしょう。このことを誰にも言ってはいけません。フランシスコには、ええ、言ってもよいです。」
「ロザリオの祈りを唱えるとき、各玄義の後にこう言いなさい。おお、わがイエスよ、私たちの罪を赦し、私たちを地獄の火から守ってください。すべての人々、ことに最も御憐れみを必要としている人々を天国へ導いてください。」
ルチアが最後に「何かもっと私にお望みのことがありますか?」と尋ねると、聖母はこう言われました。
「いいえ、今日はそれ以上何も望んでいません。」
この3回目の御出現に立ち会った人々の数は800人くらいという報告から1000人、1000人以上、中には2000人という報告まであり、一致していません。しかし、いずれにせよ、前回の50人を大幅に上回る人々が集まったことは確かです。
7月13日以来、コヴァ・ダ・イリアには好奇心の強い人たち、信仰心を持った人々が大勢やってきてロザリオの祈りを唱えるようになりました。
ファチマの聖母御出現の問題はもはや教会内の問題や三人の子どもたちの問題ではなくなってきました。
8月13日、聖母との約束の日に三人はコヴァ・ダ・イリアに行くことができませんでした。
しかし、コヴァ・ダ・イリアでは三人がいないにもかかわらず、巡礼者たちには聖母がおいでになったと思われる出来事が起っていました。
この日の巡礼者は1万8000人から2万人くらいいたと言われています。
御出現の木、ウバメガシのまわりを取り囲んだ群衆は祈りを始め、聖歌を歌いました。
しかし、子どもたちはやって来ず、皆は我慢できなくなり始めました。
そのとき、ファティマから人が来て、郡長が子どもたちを誘拐したと告げました。
人々が一斉にしゃべり始め、何が起こるかわからないような雰囲気になったとき、雷が轟きわたりました。
その後で稲光がしました。
そしてあのウバメガシの上に真っ白な小さい雲がしばらく止まり、それから上の方へと上がり、やがて消えました。
人々の顔や衣服、木々の葉が虹のすべての色に次々と染まりました。
葉は花のように見えました。
これは聖母マリアがご自分の現存をお示しになるために、雷鳴と稲光と虹というすべての人に見え、聞こえるしるしを与えられたと考えられています。
ファティマの聖母④に続きます。