5月24日は、扶助者聖母の記念日です。
聖母マリアには、「扶助者」という称号も与えられています。
「扶助者」という呼び方は4世紀から存在していましたが、157<wbr />1年のレパント海戦の際に、時の教皇ピオ5世が「キリ<wbr />スト者の助け手」の呼び名で保護を祈り求めたことから大<wbr />きく広まっていきました。
さらにその後、教皇ピオ7世が<wbr />1815年にナポレオンによる幽閉から解放されたことを<wbr />聖母に感謝して、5月24日を記念日に指定しました。
扶助者聖母は、王冠を被り、笏を持ち、幼子イエスを抱く姿で表されます。
冠
勝利者へ与えられる栄誉のしるしである冠。マリアは被昇<wbr />天(神によって天に上げられた)後、救い主イエス・キリ<wbr />ストによって冠を与えられ、天の元后(女王)と呼ばれま<wbr />す。子であるキリストの冠は王としての権威を示していま<wbr />す。
笏(しゃく)
笏は力や支配権の象徴です。マリアは天の女王として権威<wbr />を持つ方であることを表しています。しかしマリアの力と<wbr />権威は、マリアが神に近い者であることから来ます。そし<wbr />てマリアの“力”は願いをとりつぐ力です。
幼子イエス
マリアが人々から特別に愛され、尊敬されるのは救い主イ<wbr />エスの母であるからです。子であるイエスが神であるゆえ<wbr />にマリアは「神の母」と呼ばれます。やさしい母を通して<wbr />子であるイエスに近づきたいという人々の願いが込められ<wbr />ています。
赤の衣装と青いマント
赤や青はマリアを象徴する色で、赤は神の慈愛を表し、青<wbr />は空の青さから天国を示し信仰の象徴といわれています。<wbr />(諸説あります)
日本には、富士スバルラインの2合目、樹海台駐車場から5分位歩いた場所に、大理石でできた大きな扶助者聖母像があります。
富士の聖母像は、1963年8月に、数名のサレジオ会司祭と10余名のサレジアン・シスターズが、富士山に、小さな聖母像を岩陰に安置したことに始まります。
大戦中に富士山麓で児童と共に戦禍を免れた事を聖母に感謝し、全世界の平和と子どもたちの幸福を願うためでした。
しかし、それだけでは満足せず、日本一大きく美しい山に、最も素晴らしい素材でできた大きな聖母像を建てたいという望みが広がりました。
その後、計画の実現に向けて、所轄官庁や他団体との折衝など、様々な困難を乗り越えなくてはなりませんでしたが、地元富士吉田市の住民や聖母像建立を耳にした子ども達若者たちを含む多くの方々の支援を受ける事ができました。
世界中の子どもたちの幸福を願う祈りの輪は、日本各地を超えて広がり、ローマのサレジオ会本部からイタリア カララ産の大理石でできた純白の聖母像が届きました。
また、50か国以上の国々から聖母への愛を込めた石も送られてきました。
共産圏にあったチェコの司教様から寄贈された石には「苦悩の中にある国から愛する母に捧げます」と銀色の文字で刻まれていました。
スペインから届いた石は、東洋の使徒である聖フランシスコ・ザビエルが誕生したザビエル城のものでした。
これら多くの方々からの厚意が実り、1964年9月、聖母像建立の正式な許可が厚生省より与えられました。
富士の聖母像地図
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