ファティマの聖母
ファティマの聖母②
ファティマの聖母③
ファティマの聖母④
ファティマの聖母⑤
の続きです。
第6回目の御出現:1917年10月13日(土曜日)
遂に聖母が預言された大奇蹟の日がやってきました。
前日から雨の中を大勢の人々があらゆる方角からコヴァ・ダ・イリアめがけて集まり始めました。
彼らはロザリオの祈りを唱え、聖歌を歌いながら、降り続く冷たい細かい雨でぬかるんでいる道を進みました。
雨宿りするものが何もない野原で夜を明かしました。
夜明けのかなり前から彼らは祈ったり、歌ったり、泣いたりしていました。
アルジュストレルのルチアの家ではルチアの母親マリア・ロサが、予言された奇蹟が起こらなかったときに生じるかも知れない悲劇のことを考えて不安にさいなまれていました。
彼女はルチアを涙ながらに抱きしめ、ルチアが殺されるときには自分も一緒に死のうと思い、ルチアと同道する決心をしました。
彼女は教区の司祭からコヴァ・ダ・イリアには行ってはいけないと言われていましたので、そのことが気がかりでしたが、聖水で身を護って出かけることにしました。
ルチア一家は、はまずマルト家に立ち寄りました。
ヤシンタの母親オリンピアはマリア・ロサと同じように子どもたちのことを心配していましたが、父親のティ・マルトは子どもたちを信じ、何事もうまく行くと確信して落ち着いていました。
パンバリニョから来た婦人がルチアに青色のドレスをヤシンタに白いドレスを用意して来ていて、着せました。
彼らは人混みのために時間に遅れないように早めに家を出ました。
地面に叩きつけるように激しく降る大雨が降っていました。
人々はぬかるむ道でひるみもせずに跪き、子どもたちにマリア様への取り次ぎを頼みました。
マヌエルがヤシンタの手を取り、ルチアは父親のアントニオに手を引かれて、大群衆の中を御出現の場所に向かいました。
フランシスコもマリア・ロサも一緒でした。
ウバメガシの木のところに着いたとき、ルチアは群衆に傘をすぼめ、ロザリオの祈りを唱えるように求めました。
雨はまだ降り続いていましたが、人々はルチアの求めに素直に応じて、傘をたたみ、祈り始めました。
人々は全身ずぶぬれになりながら泥の上に跪きました。
午後1時半頃、ルチアは東の方角を見てヤシンタにこう言いました。
「おお、ヤシンタ!跪きなさい。聖母が来られます!もう稲光を見ました!」
近くにいたマリア・ロサは娘に「ルチア、注意してごらんなさい、失敗しないでね!」と叫びます。
このとき、ルチアはしばらく脱魂状態に陥ります。
ヤシンタがルチアをつついて、「ルチア、お話なさい。聖母がもう来ておられますよ!」と言いました。
ルチアはそれで正気に戻って二回深呼吸をし、聖母と話し始めました。
「あなたは私から何をお望みですか?」
「私をたたえてここに聖堂を建てることを望んでいます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオの祈りを続けて唱えなさい。戦争はまもなく終わり、兵士たちは自分たちの家に帰って来るでしょう。」
「あなたにお願いしたいことがたくさんあります。ある病人を癒し、ある罪人を回心させてほしいのです.」
「ある人々を癒しますが、ある人々は癒しません。人々はその生活を改め、罪の赦しを願わなければなりません。」
それから、聖母は悲しそうな様子になられて、こう言われました。
「彼らはもうこれ以上私たちの主に背いてはなりません。なぜなら、すでに彼らはあまりにも主に背いているからです。」
「何かもっと望んでおられることがありますか?」
「これ以上はありません。」
「では、私もこれ以上あなたにお尋ねしません。」
聖母がルチアと話されている間、ウバメガシの木の上には9月のときと同じような雲があり、聖母が去られると同時に、雲も上の方に上がって行きました。
それから、聖母が去って行かれるとルチアが叫んだとき、オリンピアは8月19日のときと全く同じ芳香をかぎました。
それから、またルチアが人々に向かって叫びました。
「太陽をごらんなさい!」
その後、10分間にわたって、大群衆は預言されていた奇蹟をいわゆる「太陽のダンス」という形で見ました。
それまで降っていた雨が突然止み、雲が急速に切れ、晴天になりました。
顔を出したぎらぎら輝くはずの太陽を人々は裸眼で何ら眼を痛めることなしに見ることができました。
真昼の雲一つない太陽が裸眼で見ても眼を損なわないなどということは科学的に見てあり得ないことですが、このとき、そのことが7万人ないし8万人といわれる大群衆の前で起こりました。
すべてのものが動かず、静かでした。
このこと自体が不思議なことですが、次ぎにさらに不思議なことが起こりました。
その太陽がさまざまの方向に光線を発し、その光線が空気、大地、木々やその他大地にあるすべてのもの、人間たちをさまざまの色に染め上げました。しばらくして、太陽が止まったと思われ、次ぎに揺れ、震え、いわゆるダンスを始めました。
その太陽が天からはがれたかのように、人々の上に回転する大車輪になってまさに落ちかかって来るように見えました。
人々は叫び、泣きわめき、地にひれ伏しました。
大声で自分の犯した罪を告白する人もいました。
しかし、最後に太陽は動きを止めました。
人々は助かったと安堵の胸をなでおろすことができました。
これが、聖母が預言され、三人の子どもたちが必ず起こると確信していた奇跡の内容でした。
もちろん、聖母が初めから太陽の奇蹟を内容として預言され、三人の子どもにもそれを伝えられたわけではありません。
すべての人が見て信じるようになる奇蹟と言われていたことがこのような内容のものだったというわけです。
聖母の約束はこのようにして文字通りに果たされました。
マリア・ロサは「これを信じないことはできない。誰も太陽に触れることはできないのだから」と言いました。
大群衆がこの大スペクタクルを目撃していていた10分間、三人の牧童たちは実は太陽の奇蹟を見ていませんでした。
彼らはその間、もっとすばらしいこと、すなわち聖母が8月19日と9月13日の両日に約束なさった預言の実現に立ち会っていました。
聖母が去られた後、3人の牧童たちは聖ヨセフが幼子イエスを連れて、そして聖母が白い衣装を着、青いマントを羽織られて太陽の側に立っておられるのを見ました。
聖ヨセフと幼子イエスはその手でそれぞれ十字架の印をされて世界を祝福されました。
この御出現が終わってしばらくして、今度は主イエス・キリストと聖母が御出現になりました。
聖母は悲しみの聖母だとルシアには思われました。
主は聖ヨセフがそうされたのと同じやり方で世界を祝福されました。
その御出現も終わった後に、また聖母が来られました。今度はカルメルの聖母でした。
こうして、6回にわたるファティマ:、ヴァ・ダ・イリアおよびヴァリニョスにおける聖母の御出現は幕を閉じました。
聖母の御出現から間もなくして、聖母の預言(第1回目の御出現)通り帰天しました。
ヤシンタは兄フランシスコとともに、1918年にヨーロッパを席巻したスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザに罹りました。
二人とも何ヶ月もの間、聖体拝領に与り祈りの時を過ごすため教会に通うことに固執し、天使に教えられたように地に頭をつけて
跪いて祈り続けました。
兄のフランシスコは病院での治療を断って、1919年4月4日に家で安らかに帰天しました。
妹のヤシンタは延命の為、家族に無理やり連れて行かれ、入院しました。
病気は化膿し肋膜炎に発展し、心臓の状態から無麻酔で二本の肋骨を切断しなくてはならない手術を受けました。
ヤシンタはすさまじい痛みに耐え続け、多くの罪人の償いのために捧げました。
1920年2月19日、彼女は告解を聴いてくれていた病院所属の司祭に「翌日死ぬだろうから」とと、聖体拝領と病者の塗油をお願いしました。
司祭は「病状は決して深刻ではなく、翌日には回復しますよ」と答えました。
しかし、翌日20日に、ヤシンタは帰天しました。
彼女は、自分は一人で死ぬでしょう、と前から言っていましたが、その通りの形で亡くなりました。
看護婦さえ、傍にはいませんでした。
ルチアは、その後、ある修道会に入会しま<wbr />す。
しかし1948年、ピオ12世教皇の承認のもとカル<wbr />メル会に入会しました。
そして2005年2月13日、ルチアは97才で帰天<wbr />しました。
1930年10月13日、現地管区のレイリア司教よってこの出現は公認され、同年教皇ピオ12世は同地に巡礼する者への免償を宣言しました。
1967年には教皇庁により最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定されました。
ファティマの大聖堂YouTube公式チャンネル
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ファティマの聖母の祝日である本日5月13日(水)19:00より、新型コロナウイルス感染症拡大のさなかにあって、混乱する事態の早期終息と病症にある方々の快復、及び亡くなられた方々の安息のために、カトリック東京大司教区カテドラル聖マリア大聖堂にて「ロザリオの祈りの夕べ」が行われます。
「ロザリオの祈りの夕べ」は非公開で行われますが、YouTubeでインターネット中継配信があります。
よろしかったら、ご一緒にロザリオを祈り、ファティマの聖母の取次を願いましょう。
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