何度か家を移るたびに
本も自然淘汰してきたけれど
いつでも書架に残っているのが
平谷美樹さんの「でんでら国」
60歳を越える人々が
姥捨山の奥に作ったでんでら国
老人たちのカツカツだけれど
自由な生活が行われている村
代官たちが
そこに隠し田があると疑い
老人たちと代官側との
駆け引きが始まる というストーリー
結末が爽やかで
好感がもてる本です
一時は
迫り来る超高齢化社会への
ひとつの模索のあり方などと
持て囃されてもいたけれど
それは置いておいて
そう言えば
棄老は
楢山節考もあったけれど
その原点に
遠野物語のダンノハナという話があります
山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺及火渡、青笹の字中沢並に土渕村の字土淵に、ともにダンノハナと云ふ地名あり。その近傍に之と相対して必ず連台野と云ふ地あり。昔は六十を超えたる老人はすべて此連台野へ追ひ遣るの習ありき。老人は徒に死んで了ふこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。
ここにある「連台野」が変化して「デンデラ野」
昔、遠野物語を追って歩いた頃
川を挟んであちら側という場所が
開けて明るい場所で妙な違和感を感じたものでした
(あの時は五百羅漢の並ぶ様に却って畏怖感を強く持った)
それでも
何年も続いた飢饉で口べらしが行われていたというから
単なる伝承だけではないのでしょう
ところで
最近読んだ「アルツ村」(南杏子)は
現代版姥捨山の話で
全国の認知症患者が北海道の広大な敷地を持つ村で
自由である意味主体的な尊厳のある暮らしを営んでいる
電流の通った鉄条網の内側でだけれど
その裏にある真実
死後、患者の脳は認知症解明のために摘出されるということを
患者自身は知らされていない
60歳になると社会のルールとして赴くデンデラ野とは異なり
家族の選択
それに対する答えは書かれていない
読者一人ひとりの人生観死生感によって
さまざまな答えが出てくるのでしょう
Quality ob life はQuality of Deathでもあるのです